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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
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第9話「ケモノ耳のメイドさん」

 瞼がぴくぴくと震えている。


「ん――」


 ゆっくりと瞼を上げる。


「朝、か」


 身体を起こす。

 ぼんやりした頭で周囲を見渡す。

 落ち着いた雰囲気のパープル調の部屋。


「ここ……どこだ?」


 部屋の中は静まり返っていた。

 両開きの大きな窓から柔らかな光が差し込んでいる。

 眠気を引きずっているせいか瞼が重い。

 くぁ、とあくびが漏れた。

 と、そこで、


「あ、そっか――」


 自分の身に起こったことが次々と、鮮明に蘇ってくる。

 そうだった。

 俺、異世界に来たんだったっけ……。

 窓の方を眺めやる。


「異世界、か」


 妙な気分だった。

 前の世界とは違う別の世界。

 今、自分がそこにいる。


「あれ?」


 自分の身体に一枚の毛布がかけられていることに気づく。


「これひょっとして、マキナさんが……?」


 …………。

 こういう細やかな気配りをされると、俺的にはかなりグッときてしまうのだが。

 思わず惚れてしまいそうになる。


「そういえばマキナさんは、どこに行ったんだろう?」


 天蓋つきのベッドに彼女の姿はなかった。

 起きてどこかに行ってしまったのだろうか。

 一人で残されてしまうと、これはこれで動きづらいのだが……。


「待つしか、ないか」


 と、


「……む」


 ぶるっ、と来た。

 まあ……つまりは、尿意だった。

 幸いこっちの世界に来てから今までトイレが必要になることはなかったが……こっちでの排泄行為の処理は、どうなっているのだろう。

 そもそも上下水道などのインフラは整っているのだろうか。


 くそ。

 にしても失敗した。

 もよおした際のことくらいは昨夜の時点で確認しておくべきだった。

 地味なことだが、とても大事なことだ。


「…………」


 とにかく、トイレを探さなくては。

 毛布を払いのけると、俺は部屋を飛び出した。

 部屋を出た先には学園長室。

 ここにもマキナさんの姿はなかった。


 部屋の入口を見やる。

 ここは学園だと聞いた。

 ならばトイレの一つや二つあってもおかしくはあるまい。

 黙って部屋から出るのは少し気が引けるが、ことがことだ。

 そして……残された時間は、意外と多くない。

 仕方な――


「む?」


 入口のドアを目指しかけたところで、ふと学園長のデスクの向こう側のドアに目がとまる。

 そういえば今ほど飛び出してきた部屋以外にも、学園長室から繋がっている部屋がもう一つあるんだったか。

 あそこがトイレだという可能性は……ゼロじゃない。


「よし!」


 希望のドアを開き、俺は中へ踏み入った。


「…………」


 結論から言えば、トイレはあった。

 しかも前の世界にあった洋式トイレとかなり酷似している。

 慣れ親しんだ形のトイレに出会えたことは大変喜ばしいことである。

 だが、今はそんなことはどうでもよかった。


 俺『たち』は互いに見つめ合ったまま、固まっていた。


「……あなた」


 先に沈黙を打ち破ったのは、下半身を露わにした状態(大丈夫、大事なところは絶妙な角度で見えていない)で便座に座る――マキナさんだった。

 …………。

 ちなみに服は、ネグリジェのまま。


「す、すす、すみませんでしたぁっ!」


 ばたんっ。

 俺は慌てて部屋から飛び出すと、後ろ手にドアを閉めた。

 そしてドアを背を滑らせながらへなへなと座り込む。

 嫌な汗がとめどなく流れてくる。

 心臓のバクバクがとまらない。


「や――」


 やって、しまった。


 何やってんだ、俺。

 いることを知らなかったとはいえ、女の子が入っているトイレに踏み入るとか……。


「終わ、った」


 急いでいたとはいえ、なぜノックの一つもしなかったのか。

 だが今さら後悔しても遅い。

 今回のことについては、本当に死刑になっても文句は言えまい。


 水が流れる音が聞えた。

 いよいよかと思い、さらに心臓の鼓動が激しくなる。


 あ、合わせる顔がない。


 俺はドアから離れると、土下座の準備をした。

 両膝を地面につけて揃える。

 せめて誠心誠意、謝罪の意を伝えよう。

 仮に許されなかろうと、まずは謝るべきだ。

 ぎぃ、とドアが開く。


「……何をしているのかしら?」

「これは土下座といって、俺のいた国では最大級の礼を表現するもの――でしたが、昨今では最大級の謝罪という意味合いの方が強い行為です」

「で?」

「謝って済むものではないかもしれませんが……このたびはご不快な思いをさせてしまい、大変申し訳ございませんでした」

「ああ……今のことならあまり気にしていないから、別にいいわよ」


 特に皮肉るような様子もなく、マキナさんがさらっと流すように言った。


「へ?」


 予想外の態度と言葉に俺は顔を上げる。

 白い布――ハンカチだろう――で手を拭きながら、マキナさんが小さく息をつく。


「いつもの癖で、鍵をかけていなかった私も悪いしね」

「で、ですが」

「その部屋が厠だとあなたに言い忘れていたのも、まあ、私の過失といえばそうだし」

「はぁ……」

「それに……見られて、減るものでもないから」

「あなたの場合は、減ると思いますけど」

「あら、そうかしら?」


 マキナさんは澄ました笑みを浮かべながらハンカチを綺麗に畳んで、ポケットに入れた。

 そして、トイレのドアを親指で示した。


「とりあえず、どうぞ?」

「?」

「どうしたの? あなたも使いたかったんじゃないの?」

「あ」


 そうだった。

 ぐっ。

 思い出したら急に、膀胱が活動を――


「し、失礼します!」


 俺は、慌ててドアの中へ駆け込んだ。


          *


「さて、今後のあなたの予定だけれど」


 どうにか最悪の事態を回避した俺は(別の意味で最悪の事態を招いてしまったが)、学園長室の応接スペースっぽいところで、マキナさんとテーブルを挟んで向かい合っていた。

 俺が用を足している間に着替えたらしく、マキナさんは昨日着ていたものとは若干違うゴスロリ服姿になっていた。

 あれが普段着なのだろうか。

 まあ可愛らしいので、目の保養にはなるが。


「今日から入学ですか?」

「いえ、入学は明日からになると思うわ。まだ何も手続きをしていないし、あなたの制服も手配しなくてはならないからね」

「あ、そうですよね」


 よくよく考えてみれば、今日から入学ってことはないか。

 昨日の夜から今日にかけての間じゃ、手続きをする時間なんてなかっただろうし。


「とりあえず、現段階で決まっている方針について話しておくわ」

「はい」

「あなたは、これから聖樹士を育成する教育機関に入学することになります」

「あの、聞いても?」


 俺は小さく挙手した。


「ええ」

「その『聖樹士』って一体、どういうものなんですか?」

「そうね……王と聖樹に仕える騎士みたいなもの、と考えてもらえればわかりやすいかしら。騎士、と言って通じる?」

「むしろその単語のおかげで、なんとなくのイメージは掴めました」


 細かいことは授業でも早いうちに教えるだろうから今はそのくらいの理解でいいわ、と彼女は言い添えた。


「で、俺はこの学園に入学して、その聖樹士を目指すべく勉学に励むって感じですか」

「そういうことになるわね。ただ――」

「ただ?」

「あなたはこの世界のことをほとんど知らない異世界人。けれど『異世界からやって来た異世界人です』と言ったところで、まず信じてくれる人はいないでしょう」

「……ですよね」


 前の世界に置き換えてみればわかりやすい。

 いきなり転校生が『自分は宇宙人です』と自己紹介しても、まず信じる人間はいるまい。

 禁呪の呪文書が読めたことと紐づけたからとはいえ、信じてくれたマキナさんの方が特殊なのは確かだろう。


「とはいえ『出自』は、必要になるでしょうね」

「出自、ですか」

「ええ。学園生活を送る中で出身地などを聞かれることもあるでしょう。仮の出自は、必要だわ」


 ふむ。

 仮の出自か。

 えへん、とマキナさんが咳払いした。


「そこで私によい考えがあります」


 さすがは学園長。

 もう案を考えてあるようだ。

 しかし……仮とはいえ、一体どんな出自だろうか。

 やはりここは『いにしえの英雄の血を引く少年が、ひょんなことからその力を学園長に見込まれ特例的にスカウト入学!』みたいな感じになるのだろうか。

 少し、にやけてしまう。

 まいったな……。

 なんていうか、主人公感がすごい。


「こういう感じ、なのだけれど」


 居住まいを正し、マキナさんが語りはじめる。


「あなたは、東国の、それもほとんど人も寄りつかないような山奥からこの国にやって来たの」

「ふむふむっ」


 俺は期待に胸を膨らませ、身を乗り出して耳を傾ける。


「そんなあなたは、ずっと山奥で育ってきたせいで、会話はこなせるけれど、世間のことをまったくといっていいほど知らない」

「ふむ」

「ある時、とある東国の山を特殊な任務で訪れていた聖樹士がいた。けれど彼は、山中で思わぬ大怪我を負ってしまった。で、怪我で動けなくなって諦めかけていたその聖樹士を、たまたま、あなたが助けたの」

「……ふむ」

「その時、山の生活で培われたあなたの野生的才能に惚れ込んだその聖樹士は、聖樹士になってみる気はないかとあなたを誘った。そして、彼は聖樹士候補生の推薦状をしたためた」

「……野性的、才能」

「それを私が受理した。候補生の名簿に名前がなかったのは……まあ、私がその推薦状の処理を忘れていたから、ということにしましょう。試験に関しては特例的に、現地で受けたということにするわ」

「……なるほど」

「ああ、安心して? その聖樹士の役は信頼のできる人物に頼んで口裏を合わせておくから。それから禁呪発動の場に居合わせた三人にも後で経緯を説明をして、口裏を合わせてもらうつもりよ。もちろん、あなたが異世界人であることは黙っておくけれど」

「……なる、ほど」

「入学式の日に学園の近くで倒れていたことについては……そうね、お腹が空きやすい体質のあなたは、空腹のあまり気絶してしまった、とでもしておきましょう」

「腹ペコ属性……」

「どうかしら? 私としては、非の打ちどころのない完璧な設定だと思うのだけれど」


 …………。

 なんだろう。

 異国からやって来た腹ペコ天然野生児、相楽黒彦。

 期待していた主人公感は、すでに遥か彼方へと遠ざかってしまった気がする。


 それに……どうなんだろう?

 そもそも東国って、感じからして他国だよな?

 他国の人間を恩義込みでスカウトしちゃう聖樹士ってのは、大丈夫なんだろうか?


 とはいえ自信満々なマキナさんを見ていると、なんだか悪い気がして疑問を差し挟む気になれないのも事実だった。

 が、無意識的に納得いかなげな顔になっていたのだろうか。

 射抜くような視線がマキナさんから飛んできた。


「私の考えに、何か不満でも?」

「……い、いえ、感服いたしました。さすがは、学園長」

「よろしい」


 本音を言えば、もう少し選ばれし者感が欲しかったが。

 いや、ある意味では選ばれし者なんだろうけど……。

 ま、ここで文句を言っても仕方あるまい。

 何より、彼女の方がこの世界についてもこの学園周りについても俺より詳しいわけだし。

 なので、ここは彼女に任せるべきだろう。


「出自については、こんなところかしらね。さて、では今日のことだけれど、あなたにはこれから――」


 その時だった。

 空腹に耐えかねたのか、俺の腹が悲鳴をあげた。


「す、すみません……」

「あら、お腹が空いているの?」

「ええ、まあ……その、昨日から何も食べていないので」


 こっちに来てからというもの何も口にしていない。

 確か最後の食事は、家を出た後にコンビニで買ったツナのおにぎりと焼きそばパンだったか。


「そうね、なら、まず食事にしましょうか」


 マキナさんが壁に掛かっている時計を仰ぎ見る。


「時間的にも、ちょうどいい頃合いだし」


 この世界にも時計は存在するようだ。

 短針と長針。

 円を描く十二の記号。

 時間の計算は、ほぼ同じ感覚で考えてよさそうである。

 そうだな。

 あれなら、脳内で勝手に前の世界の単位に変換してしまった方が楽そうだ。


 その時、ちょうど時計の針が『七時』を刻んだ。


 つまり今は、朝の七時と考えてよいのだろう。

 と、まるで七時になるのを待ち構えていたかのように、入口のドアがノックされた。


「朝食をお持ちいたしました、マキナ様」


 女性の声。


「入って」


 ドアが開く。

 その向こうにいた少女が、恭しく一礼した。


「失礼いたします」


 濃い藍色のワンピースにエプロンドレス、そして、フリルつきのカチューシャ。


「……め、メイドさん?」


 本物?

 本物の……メイド、さん?


「ん?」


 ふと俺はあることに気づく。

 あれ?

 あの頭のあれって――


 と、メイドさんが微笑みかけてきた。

 にっこりと。


「あ――ど、どうもっ」


 しどろもどろになりながら会釈を返す。

 急速に顔の熱が上昇していくのがわかった。

 というか……あんな素敵な笑みを向けられたら、並の男なら一発で落ちてしまいかねない。

 そして、並の男以下の俺は当然あっさりと落ちてしまった。


 メイドさんは、くすり、と笑みを漏らしてから、キャスター付きのワゴンを押して部屋へ入ってきた。

 あれって、ホテルなどでルームサービスを運ぶ際に使用されるサービスワゴンってやつだろうか。

 載っている皿には銀のボウルみたいな蓋がしてある。


 メイドさんが手慣れた感じでテーブルの上に朝食を並べていく。

 サラダ、サンドウィッチ、温かそうなスープ……。

 銀色のポットからグラスへと注がれるミルク。

 マキナさんの方は、これがいつもの風景だと言わんばかりに澄ました顔をしている。

 やはり彼女は、すごい権力者だったりするのだろうか?


「あ、あの……マキナ様」


 先ほどから俺の方をチラチラと見ていたメイドさんが、マキナさんにおずおずと声をかけた。


「何?」

「お客様、でございますか? もし必要でしたら、こちらの方にもご朝食を用意いたしますが」

「いえ、けっこうよ。どうせ私はいつも半分くらいは残すから……その残った分を、彼に処理してもらうわ」

「かしこまりました」


 お辞儀をすると、メイドさんが一歩下がった。


「食事の前に、彼女のことを紹介しておくわね」


 マキナさんがメイドさんを手で示した。

 両手を揃え、改めてメイドさんが姿勢を正す。


「彼女は私付きの侍女で、ミアというの」

「ミア・ポスタと申します。どうぞよろしくお願いいたします」


 メイドさん――ミアさんが、丁寧に頭を下げた。


「あ、えっと、俺は相楽黒彦っていいます。その、マキナさん……ミアさんって――」

「その反応だと亜人種を目にするのは、初めてのようね」


 俺の視線から質問を先読みしたのだろう、ミルクを一口飲んでから、マキナさんが言った。


「彼女は、フェリル族という亜人種なの」

「フェリル族?」


 俺は改めてミアさんを見た。


 そう。

 カチューシャをつけているミアさんの頭からは、明らかに人間のものではない耳が伸びていた。

 菫色の長い髪と同色の獣を思わせる耳。

 その耳はそこはかとなく狼を連想させる。

 よく見れば、薄い菫色の尻尾らしきものもスカートの下から覗いていた。


 と、ミアさんが肩を縮めこそばゆそうにしているのに気づく。


「あ……す、すみません。なんか、まじまじと見ちゃって」


 そうだよな。

 あんまりじろじろと眺めるのも、失礼だよな。


「い、いえ、どうか気になさらないでくださいませっ……亜人種をご存じなかったようですし、それならば物珍しく思うのも、と、当然のことでございますから……っ」


 笑みを浮かべる彼女の表情にあったのは、気遣いだった。

 …………。

 ケモノ耳のメイドさん。


 なんというか、すごくイイ人っぽかった。

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