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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
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第81話「幸せ」

「キュリエ……わ、わたし、向こうの部屋に戻ったらちゃんと――」

「わかってるよ」


 戸惑いがちに何かを説明しようとしたセシリーさんを制したキュリエさんの口元は、優しげに綻んでいた。


「さっきのことは部屋に戻ったらちゃんと伝えるつもりだった――おまえが今言おうとしたのは、そんなところだろ?」

「そう、ですけど……ですが、今となっては――」


 罪悪感を帯びたセシリーさん声。

 二人が交わした今の会話。

 なんか、抜け駆けするつもりがあった、なかった、みたいなニュアンスに聞こえるような……。

 気のせいか?


「フン……いいんだよ。それに、おまえは別に何も悪いことをしてないだろう。胸を張れよ」


 宥める調子でそう言った後、一転、キュリエさんは申し訳なさそうな表情になる。


「それより私こそ……盗み聞くような真似をしてすまなかった。部屋の前で待っていたら、聞こえてきてしまってな……今さら遅いが、やはりすぐに立ち去るべきだったよ。私の方こそ謝るべきだ。改めて、すまなかった」

「いえ、そんな、キュリエが謝る必要なんて――」


 予想外の反応だったのか、たじたじとするセシリーさん。


「なあ、セシリー」


 頭を上げたキュリエさんが、前に出る。


「私にこんなことを言う資格があるとも思えないが――それでも、一つだけ」

「……キュリエ?」


 訝るような声を出したセシリーさんの肩にキュリエさんの手が置かれた。

 そして肩に手を置いたキュリエさんは、清々しさすら感じさせる表情で言った。


「おまえになら、安心してあいつを任せられる」

「――え?」


 振り向くセシリーさんの目は、皿のように丸く見開かれていた。

 キュリエさんも笑みを残しながら振り向く。

 どこか寂しげに思えたのは、気のせいだっただろうか。


「交代……だろ?」

「え、あ……はい」

「じゃあまた後でな、セシリー」


 困惑の尾を引きつつも、セシリーさんは無言で頷いた。

 そして部屋を出ていった。

 ドアが閉まる。

 次に訪れたのは、静寂だった。


 俺は、頭の中がごちゃごちゃになっていた。

 それはそうだろう。

 あのセシリーさんから、いきなりあんなことを言われたのだから。

 告白……。

 告白、だったんだろうか?

 彼女は言った。

 一人の女として、と。

 …………。

 なんだろう。

 ぼんやりとしていたものが急速に鮮明な像を結んでいくような、この感覚――揺らぎ続けて不確定だったものがたった一つの言葉によって急速に収束していく、この感覚は……。


 それに……キュリエさん。

 さっきの言葉。

 任せられる、と彼女は言った。

 任せられる。

 俺の中の不安と彼女の言葉が繋がる。

 やっぱり、キュリエさんはノイズの件が片づいたら――


「おーい、クロヒコ」


 不意に呼び掛けられて声の方を見ると、キュリエさんがベッドに寝そべっていた。


「何をぼーっとしている? するんだろ、揉み療治」

「……はい」


 結局。

 俺はマッサージをはじめた。

 が、すぐに手が止まってしまった。

 レベル2にすら到達しないままに。


「あんなこと言われた後だもんな。しかも相手はあのセシリー・アークライト……やっぱり、気が気じゃないか」


 寝そべったままキュリエさんが言う。


「お見通し、ですか」

「さすがに、あれを聞いてしまってはな」

「正直……すごく、びっくりしました」


 俺はキュリエさんの腰から手を離した。

 キュリエさんも身体を起こす。

 すでに、マッサージをする雰囲気ではなくなっていた。


「女の子からあんなこと言われたの、生まれて初めてだったんで」

「そう、なのか?」

「だって……俺ですよ?」

「おまえなぁ……」


 キュリエさんが呆れた顔をする。


「いや、そう思うに足る理由も一応、あるにはあるんですよ。セシリーさん、俺を好きになった理由を色々と挙げてくれたんです……でも、それって俺以外の男でもできることのような気がして」

「まあ、そうなのかもしれんがな」

「でしょ?」

「だが――」


 キュリエさんが部屋のドアの方を見た。


「『できる』のと『やった』のの間には、とても大きな隔たりがあるぞ」


 諭すように言うと、キュリエさんは姿勢を正した。

 自然、つられて俺も姿勢を直す。


「クロヒコ、これから少しきついことを言う」

「は、はい」


 すぅ、と息を吸ってからキュリエさんは言った。


「あまりセシリーを、馬鹿にするな」

「お、俺は馬鹿になんて――」

「してるさ。さっきのおまえの言葉はそういうことだ。あいつは……セシリーは、そんな誰にでも靡くような女じゃない。私にはわかる。だが、さっきのおまえの言い方だと……まるで、機会さえあればセシリーは誰にでも惚れたみたいに聞こえる」

「あ……」


 フン、とキュリエさんは鼻を鳴らして微笑した。


「もちろん、おまえにそんなつもりがなかったことはわかるよ。ただ……あいつは『おまえだから』勇気を出して告白したんだってことも、ちゃんと汲んでやってほしい」

「キュリエさん……」

「幸せになってほしいんだよ、おまえたちには。そしておまえとセシリーなら、きっと幸せになれると思うんだ」


 キュリエさんがゆっくりと睫毛を伏せた。


「変な気分だよ。今まで私は、誰かの幸せを祈ったことなんてなかったんだ。なのに今、私は誰かの幸せを祈っている……これが、不思議と悪い気分じゃなくてな」


 …………。


「キュリエさん、俺――」

「ほら、続き」


 再びキュリエさんが寝そべった。


「せっかくおまえの揉み療治とやらを楽しみにして来たんだ。私を……気持ちよくしてくれるんだろう?」


 この話はここまで。

 彼女の表情が、言外にそう告げていた。


「……わかりました」


 俺は彼女に近づき腰に手を添えた。

 そして、ゆっくりと力を入れていく。


「ん……ふ、ふ〜ん、なかなかいいじゃないか。おまえ、もし聖樹士になれなくても、こっちでやっていけるんじゃないか?」

「…………」

「……クロヒコ?」


 俺は、ぐっ、と微かに指を押し込んだところで手を止めた。


「キュリエさん」

「ん?」

「俺、嫌ですから」


 言葉が返ってくるまでに、僅かに間があった。


「……何がだ?」

「あなたが心から笑っていない未来なんて……俺、嫌ですから」


 キュリエさんからの反応はない。

 俺は続けた。


「俺、みんなに幸せになってほしいです……できることなら自分が好きな人たち、全員に」

「……その気持ちはわからんでもない。が、終末郷で育った者として言わせてもらう。みんなが幸せになるような未来なんて――」

「わかってます。これが俺のエゴだってことも。理想論にすぎないってこともね。世の中、そんなに甘くない。だけど俺、簡単に諦めるつもりもないですから」


 呆れたと言わんばかりにキュリエさんが息をつく。


「まったく……救えん馬鹿だな、おまえは」

「けど……それくらい馬鹿にならないと、できないことってのもあるでしょう?」

「……かもな」

「だからキュリエさん……自分は別に幸せにならなくてもいいみたいなこと、言わないでくださいよ」

「――――」


 キュリエさんの肩が、微かに震えた気がした。 


「俺はあなたにも、幸せになってほしいんですよ」


 暫しの間があって、キュリエさんが口を開いた。


「……頼むよ、クロヒコ」

「え?」


 彼女の声には、様々な感情が込められているような気がした。


「私をあまり……困らせないでくれ」

「キュリエ、さん?」

「…………」


 結局。

 キュリエさんの揉み療治は、あまり捗らなかった。


          *


「わひゃひゃひゃひゃひゃひゃ! あっ、あは、あははははははっ! あはははは! うひゃひゃひゃひゃ! ひぃぃ! あっはっはっはっはっは――!」

「ちょっ、アイラさんっ……そ、そんなにくすぐったいですか?」

「ご、ごめっ、クロヒコ――け、けど、あはははは! あひゃひゃひゃひゃひゃ! ひーっ、待って! 死んじゃう! あ、アタシ、このままだと、わひゃひゃひゃひゃ、わ、笑い死んじゃうよぉ――――!」


 で、数分後。

 俺とアイラさんはベッドの上で正座で向き合っていた。

 互いに申し訳なさたっぷりな感じに、顔を赤くして。


「…………」

「…………」


 ある意味、気まずい雰囲気だった。


「ご、ごめんクロヒコ……せっかく揉み療治してくれたのに、アタシ、笑ってばっかりで台無しにしちゃって……」

「いえ、アイラさんは悪くないです。俺の腕が未熟でした……すみませんでした」

「こちらこそ」


 ごつんっ。


「いた」

「あた」


 同時に頭を下げたら、互いの頭同士がぶつかってしまった。


「ご、ごめんっ!」


 アイラさんが両手を合わせて謝った。


「だ、大丈夫だった、クロヒコ……?」

「アイラさんこそ、大丈夫でした?」

「ん、アタシは大丈夫。ほ、ほら、アタシって石頭だからさ――」

「それ、たんこぶ……ですよね?」

「え? 嘘?」


 こそばゆい沈黙タイムが訪れる。

 しばらくして。

 俺たちの表情が、緩い照れ笑いへと崩れていく。


「あははは……な、なんか変な感じになっちゃったね……」

「そ、そーですね……」


 アイラ・ホルン。

 そう。

 なんと、彼女は揉み療治を異様にくすぐったく感じる体質の持ち主だったのである。

 仕方ないので……時間が来るまで雑談することにした。

 といっても、俺が一方的に好きな食べ物などの色々な好みを、根掘り葉掘り聞かれただけだったが。


 で、お次はレイ先輩。

 彼女の揉み療治中に起きたことについては――あまり多くを語るべきではないだろう。

 あえて一言だけ言うならば、年上系キャラの真髄を見た、ということだ。

 ある意味……えらいことになってしまった。


          *


 一通り揉み療治が終わった後、俺は部屋で一人ぼんやりしていた。

 誰も訪ねてこなかったのは、多分セシリーさんやキュリエさんが気をつかってくれたからだろう。

 アイラさんやレイ先輩が訪ねてくることもなかった。


 おかげで……セシリーさんのことをじっくり考える時間ができた。

 が、思い出すだけで急速に顔に熱がこもり……すぐに、思考がトんでしまう。

 セシリー・アークライト。

 見た目については今さら美辞麗句を並べ立てるまでもないだろう。

 中身についても……俺からすれば、むしろあの夜の一件を経てかなり話やすい人となった。

 それ以外の面でも彼女には美点が多い。

 何より――


 セシリー・アークライトは、俺のことを異性として好きだと言ってくれた初めての女の子なのだ。


 考えれば考えるほど……胸が高鳴ってしまう。

 もしセシリーさんみたいな子が恋人になってくれたとしたら……これはもう夢みたいな話だろう。

 自然、色々な妄想が広がってしまう。

 そして感情のやり場を失った俺は、ベッドの枕をぎゅっと抱きしめた。


「…………」


 な、なんだこれ……?

 変なドキドキが止まらない――。

 ていうか。

 今日の夕食の時、どんな顔してセシリーさんに会えばいいんだろう(ある意味、レイ先輩もだが)。

 と、そこで――


 ふと、キュリエさんの顔が浮かんだ。


 …………。

 すると今度は、なぜか形容しがたい切なさが襲ってきた。

 あれ?

 なんだろう。

 何かが。

 何かが、おかしい。

 そう感じる。

 この正体不明の感情は、一体……。

 …………。


 そして、


「クロヒコ〜、夕食だよ〜?」


 しばらく深い思考に沈んでいると、夕食の時間になったことを告げに、アイラさんが部屋へとやって来た。 

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