第79話「もう一人の男」
「ふぅ、ようやく一息って感じだなぁ」
昼食を終えた俺たちはいよいよ湯につかりに行くことにした。
といっても男性と女性の湯場は別々。
混浴もあるらしいのだが、こちらは予約制なのだという。
客によっては連れ合いや恋人と一緒に入りたいがパートナーの肌を他の異性に見せるのは嫌だ、という人も多いため、事前に予約をし貸切の形で一つ湯場を借りるらしい。
そんなわけでシーラス浴場には少々値が張るものの、いくつか貸切にできる湯場があるんだとか。
ここでさすがと言わざるをえないのはアイラさんだ。
どうにか一つ、夜から朝にかけての時間おさえたらしい。
…………。
おさえたこと自体はすごい、のだが。
混浴はさすがにハードルが高すぎるような……。
別の意味でのぼせ上って気絶しないか心配である。
何しろ女子陣があのメンバーだもんな……。
結局、ジークと隅っこで固まってるのがオチな気がする。
反面、今いるここ……つまり男湯はある意味ほっとする、というか。
上を仰ぎ見ればそこに広がるは青空。
つまりここは露天風呂。
シーラス浴場内では、ほとんどの室内浴場の外に露天風呂が併設されているようだ。
ちなみにこの露天風呂には俺しかいない。
時間帯もあるのかもしれないが、それにも増してここは湯場の数自体が多い。
そのため客は各湯場に分散しているのだ。
特に上流貴族に多いのだとレイ先輩から聞いたが、親しくない人間と湯場で肩を並べるのを嫌がる客も少なくないんだとか。
なので客は人の少ない湯場を求め、結果として各湯場に分散してしまうわけだ。
そんなことが可能なのもシーラス浴場の敷地の広さあってのことだろう。
さて。
現在俺が浸かっているお湯だが……これは、聖樹から流れて来る水を引き、温度などを特殊な術式機で色々調整したものなんだとか。
だから純粋な意味での『温泉』とは言い難いのかもしれない。
聖樹のおかげでクリストフィアは水資源にも恵まれている。
教養授業でそう習った。
王都に住む人々が聖樹を拝みたくなるのも頷ける。
が、同時に信仰の対象から流れてくる水を温泉代わりに使うのもどうなんだろう、という気もするが。
俺は男湯と女湯を隔てる一枚の高い木の壁を見上げた。
今この壁の向こう――つまり女湯にいるのは女子陣。
さっきから時折声が漏れ聞こえてくる。
向こうはなんだか楽しそうな雰囲気である。
…………。
一応湯に潜って穴の一つでもないかと確認はしてみたが、そんなものは存在しなかった(発見したのは術式機だけだった)。
仮にあったとしても……まあ、どうもしないが。
「なんにせよ、やっぱ露天風呂っていいなぁ」
独り呟きながら湯を囲む岩に寄り掛かり、空を仰ぎ見る。
異世界の空。
ユグドラシエの空。
だけど空だけは、前の世界と変わらないように映る。
「…………」
振り返ってみれば、本当に妙な経験をしているものだと思う。
山に行ったら謎の白い光に包まれ、目覚めたらキュリエさんに出会って。
聖樹を見て。
再び気を失って。
目を覚ましたらリーザさんに出会って。
そしたら性格の悪い衛兵さんに連行されて。
マキナさんとひと悶着あって。
クラリスさんが現れて……そして、禁呪を覚えた。
それからマキナさんの誘いで聖ルノウスレッド学園に入ることになった。
ミアさんと出会った。
セシリーさん、ジーク、ヒルギルさんと出会った。
第6院と終末郷のことを知った。
マキナさんに家を貸し与えてもらった。
初登校。
キュリエさんとの再会。
模擬試合。
術式授業での禁呪お披露目。
初めての聖遺跡。
キュリエさんとの攻略班成立。
聖遺跡攻略。
ブルーゴブリンの群れとの戦い。
ヒビガミとの戦い。
禁呪王との出会い。
セシリーさんの本音の吐露。
アイラさんの提案からはじまった巨人討伐作戦。
第八禁呪。
ロキア。
ノイズ・ディース。
聖樹騎士団。
四凶災。
そして今……シーラス浴場にいる。
「なんか、すごいよな……」
しかもその間たくさんの人たちと知り合うことができた。
そして今、俺は日々を楽しいと感じている。
やるべきこと。
解決すべきこと。
考えることはたくさんある。
それでも――
何かのために自分が動けているんだっていう手ごたえがある。
前に進んでいるという実感がある。
ぐっ、と拳を握り込む。
「俺、変われたのかな……?」
「人ってのは変わるもんじゃねぇ、気づけば変わってるもんなんだよ」
「うん、案外そういうものなのかも……って――」
え?
「お、おまえ!?」
「よぉ、禁呪使い」
いつの間に俺の隣にいたのは、
ロキアだった。
「な、なんであんたがここに!?」
立ち上がって身構える。
が、ロキアは余裕たっぷりに悠然と構えていた。
「残念ながらオレはどこにでもいるんだよ。いいか? 魔王とは――あらゆる場所に遍在する者のことだ」
「は?」
「フハハハハハ、空疎な冗談だって! 相変わらず真面目かよ、テメェは? 怖ぇよな、ったく」
ロキアが手で、座れよ、と示した。
「警戒しなくていい」
「……ノイズの調査はいいのか?」
「オレは休息のタイミングってもんを心得てるからな」
「は?」
「いいか? 適度に自分を休ませる術を知ってる者が最終的には成功を掴む。世界はそうできてる」
ロキアが仰々しく両手を広げた。
「成功を手にしたくば上質な休息を求めよ、ってな」
「…………」
上手く丸め込まれている気もするが……。
まあいざとなったら禁呪があるし、ロキアは今のところ敵って感じでもないからな。
俺は言われた通り座ることにした。
「でも、やっぱり俺たちにちょっかい出しに来たんだろ?」
俺たち。
俺とキュリエさん。
「察しがよくてけっこう。ま、テメェは意外と一対一になれる機会が少ねぇからな。だがここなら、さすがにキュリエの邪魔も入んねぇだろ」
「……後で、キュリエさんにも会うのか?」
笑みの中に心外さを込めるという器用な真似をしながら、ロキアがバシャバシャと水面を叩いた。
「フハハハ、馬鹿言うんじゃねぇよ! ノイズの件がなけりゃあ顔も拝みたくねぇっての! なんでせっかくの休息日にまであんな嘘くせぇ美人と顔を合わせなくちゃなんねーんだ!」
ぶぇっくし! と隣の湯からくしゃみが聞こえた。
どうしました、キュリエ? というセシリーさんの気遣わしげな声が続けて聞こえてきた。
「ロキアは、キュリエさんのこと嫌いなのか?」
「あ? 別に嫌いじゃねぇよ。まあ格別好きってわけでもねぇが……オレたちは切っても切れねぇきょうだいみてぇなもんだからよ。言うなれば、呪いだな」
第6院、か。
「あのさ、ロキア」
「ん? キュリエの昔話でも聞きてぇのか? だったら最高に笑える話があるぜ?」
ひぃっくし! とまた隣からくしゃみが聞こえた。
だ、大丈夫? と今度はアイラさんの心配そうな声が聞こえてくる。
「いや……本人が話したくなったら聞くのが筋だと思うから、それはいい」
「反吐が出るほど殊勝なこった。じゃあ、なんだ?」
「ノイズ・ディースって、どういうやつなんだ?」
「あぁ、ノイズか……なんだ、あいつに興味があんのか?」
「ん……まあ、な」
「そうだな……あいつは一言で言えば『死にたがり』か」
「死にたがり?」
「なんでもノイズ曰く、このユグドラシエじゃ日々素晴らしい『劇』がそこかしこで起きている……が、自分の存在があまりにも『劇的』すぎるせいで、いつも自分の存在がその劇を台無しにしちまう」
ロキアはやや芝居がかった語調で続けた。
「そこでノイズは考えた。自分が舞台に立つと『雑音』になってしまうのなら、自分が劇を見る側に回ればいい。観客席に座ればいい。だが問題はここからだ。ノイズはひどくわがままだ。だからたまに他の役者を騙って舞台へと戻り、舞台上の装置に勝手な悪戯をする。舞台を――劇的にするために」
「巨人討伐の流れをお膳立てして、目立たない程度の生徒に化けそれを観察していた……か」
つまり自分は目立たないようモブ化して、状況の観察を楽しんでるって理解でいいのか?
しかし自分の存在が『劇的すぎる』って……なんていうか、すごい自信だ。
でも、
「『死にたがり』ってのは、どういうことなんだ?」
ノイズ・ディースが、いわゆる『劇的』ではない人間に化け、そして事件の渦中に紛れ込み観察するのが趣味な人物であることは、まあなんとなくわかった。
だけどその『趣味』と『死にたがり』が、いまいち繋がってこない。
むしろ死んでしまったら、肝心の『劇』の観察ができなくなってしまうのでは……。
「あいつは誰かが自分を『劇的』に殺してくれることを望んでるのさ」
「ドラマチックに死にたいってことか?」
「そんなようなもんだ。とどのつまり、あいつは『劇』中で最高に輝いた人間に自分を殺してもらいたいんだよ。自分にふさわしい『死』を得るためにな。だからあいつは……自分が死ぬべき舞台を、今も飽きずに探している」
ああ、なるほど。
ようやくつながった気がする。
つまり――
「ノイズにとっては自分が死ぬのにふさわしい舞台に立つ役者の第一候補が、第6院出身者ってわけか。で、その中の最もお眼鏡にかなった人物に自分を殺してほしいと」
「オレはそう踏んでる」
なるほど。
それであの学園にキュリエさんやロキア、ひいてはヒビガミを呼び寄せたってわけか。
うわぁ……なんつー面倒くさいやつだ。
ヒビガミの亜種みたいなやつだが、ある意味ヒビガミよりタチが悪いかもしれない。
「けど、なんで聖ルノウスレッド学園だったんだろう?」
「舞台としてふさわしいと思ったんだろ。そもそもあんな頭のネジのぶっ飛んだ女の考えなんて、オレみてぇな人間のクズにゃわかんねぇよ」
「ふーん……でもなんとなく、ノイズの人物像がわかったよ。ありがとな」
あ。
そうだ。
せっかくだからディアレスさんのことも聞いてみようかな。
「あのさ、聖樹騎士――」
「おい、オレからも一つ聞いていいか?」
ロキアが俺の首に手をまわしてきた。
「そっちが聞くばかりじゃ、フェアじゃねぇよなぁ?」
「わ、わかったよ。俺に答えられることなら」
「物わかりがよくてけっこう。で、テメェ……あの女どもの中から誰を選ぶんだよ?」
なんだって?
「は?」
「だから、キュリエ・ヴェルステイン、セシリー・アークライト、アイラ・ホルン、ミア・ポスタ……ええーっと、テメェに好意を持ってんのは大体こんくらいか? 誰か忘れてる気もするが……ま、いいか。で、どいつがいいんだよ?」
「ど、どうしてみんなの名前を知ってるんだよ?」
「おいおい、オレは学園の情報を調べてんだぜ? 当然テメェの身の回りも調べてる。あんまりオレの情報収集能力をなめねぇ方がいいな」
歯を剥き出しにしてロキアが嗤いかける。
「決めかねてんなら、暫定でもいいぜ? 誰が一番だ?」
「し、質問の前提が間違ってるだろっ」
「何がだ?」
「何がって……俺が選ぶとか、そんな……」
「あ〜? 自分が選ぶなんておこがましいとでもいうのか? テメェ、それまさか本気で言ってるわけじゃあねぇよな? もし本気だとすれば……こいつはとんだ大罪だぜ?」
「俺は……」
「はっきりしねぇなぁ。それとも――」
ロキアはまるで何もかもを見透かしたかのような目で、俺の目を覗き込んだ。
「壊れちまうのが怖ぇか、今の関係が」
「……え?」
ロキアが蛇のように双眸を細めた。
「そうだな……幸せの話をしようか」
「幸せの話? い、いきなりなんの話だよ?」
「まあ聞けよ。さて、人間にとって幸せとはなんだと思う?」
俺は少し考えてから答えた。
「うーん、衣食住が足りていて、その他の欲求がすべて満たされること……とか?」
マズローの五段階欲求みたいな?
「まあ、間違っちゃいねぇ。回答としては申し分ない。だが……オレはこう考えてる。人の幸せとは、その者の望みに届くほんの手前の状態が無限に続いている状態のこと、だとな」
「それじゃあ……永遠に望みが叶わないじゃないか」
ロキアが俺の首から手を離し、どしっと座り直した。
「フハハハ、叶わないからこその『幸せ』なのさ。『希望』ってのは、叶ったその時点で大概消え失せちまうもんだからな。そして人が辿りつける幸福の種類には限りがある上、いざ蓋を開けてみたら現実は非情だったってことの方が世の中にゃ多いからなぁ」
「それってつまり、幸福を手にしちゃいけないってことなのか?」
「何事も追い求めてる時が一番楽しいって話だよ」
「なんていうか……意外と小難しいこと考えてるんだな、あんた」
ロキアがこめかみを指差した。
「こういうクソの役にも立たねぇ屁理屈ごっこが、オレは好きなんだよ。しかしテメェが見込んだ通りの男だったようで嬉しいぜ」
「いや俺、小難しい話とか無理なんだけど……」
「黙ってちゃんと聞いてるってだけで、上等なんだよ」
不服げにロキアは顎のあたりまで身を沈める。
「ヒビガミは何を言っても『己の本気を出せ』ばっかりだしよ。ノイズはそもそも人の話をまともに聞くって回路そのものが備わってねぇ。6院の他の連中も、似たような問題しかねぇ連中だ。俺の組織の連中は気こそ悪くねぇが、こういう話をしてると舟を漕ぎ始めちまう連中ばかり……で、あの銀髪暴力女はすぐに威圧するか、手が出――」
「こんなところで何をしている、ロキア?」
「ほらな? こんな感じに――」
声がして。
ロキアが顔を上げた。
「あ?」
そして、静止した。
ロキアの目がゆっくりと見開かれる。
「あぁぁああああああああ!?」
バシャバシャ、とロキアが狼狽した顔で手足をばたつかせた。
「な、なんでテメェがここにいんだっ!? ふざっけんな! ここは……男湯だろうが!」
「きゅ、キュリエさ――」
先の尖った枝がロキアへ突きつけられていた。
その枝を手にしているのは、布一枚を身体に巻いたキュリエさんで……っていうか、え?
なんで?
ここ男湯だよな?
と、飛び越えてきた?
ていうかキュリエさんの身体のラインがはっきりくっきり――じゃなくて!
一気に俺の思考は混乱の渦に叩き込まれた。
どどど、どうすりゃいいんだ!?
お、俺がここで悲鳴上げるのも違う気がするし……。
「ちょっ――何やってんですかキュリエ! そ、そっちにはクロヒコが――」
「キュリエ、は、早く戻ってきなって! 宿の人に怒られちゃうよ!?」
「キュリエ、ボクはキミを尊敬するよ! その発想はなかった!」
隣の女湯から声がかかる。
つーか最後のレイ先輩は一体何を言ってるんだ?
「まあ待てよキュリエ、今日はオレも休息――」
ぐさり。
枝の先が、ロキアの肩部に突き刺さった。
「ぎゃぁぁああああああああ!」
うわ!
刺すのにまるで躊躇がなかった!
血!
血が出てる!
キュリエさん……かなり怒ってる?
「やりやがったな、このクソ女!」
「言ったはずだな? クロヒコに手を出すのは――」
「フ、フハハハハハ! なんだよ、絶好調じゃねぇか! 受付んトコで顔真っ赤にして可愛らしくなっちまってた女は、一体どこに行っちまったんだ!?」
「なっ――おまえ、み、見ていたのか!?」
「ああ見たぜ!? この目にばっちり焼きつけた! つーか誰なんだありゃあ!? どこの貴族の純情箱入り娘だ!? あんなん6院の連中に話してもぜってぇ信じ――」
ぐさり。
ロキアの腕に再び尖った枝が刺さった。
「がぁぁああああああああ!」
「……フン、消えろ」
む?
キュリエさん……ちょっと恥ずかしがってる?
枝の刺さった肩をおさえつつ、ロキアは不敵な笑みを崩さない。
…………。
あれ?
ていうかロキアの肩……もう、血が止まってる?
「ククク、しかしキュリエ? クロヒコを守るためとはいえ薄布一枚で男湯に飛び込んでくるたぁ……尊敬するぜ。だがその姿、クロヒコには刺激が少々強すぎるんじゃねぇか?」
「――くっ、危ないから目を閉じていろ、クロヒコっ」
「は、はいっ」
俺は両目を手で隠した。
…………。
あれ?
でも何が『危ない』んだろう?
「で、ロキア……おまえは目つぶしをご所望か?」
「はっ、誰がテメェの裸なんざ見て喜ぶかよ! んなもん直視しちまったらオレの目が腐っちまうだろうが! まだ魔物のケツ穴でも眺めてた方がマシだぜ!」
「……一度、殺しておくか」
「ではクロヒコ、また会おうぜ! そら!」
「きゃ、きゃあっ!」
ん?
今の恥じらいマックスな裏返った声は……キュリエさん、だよな?
「ロキア、き、貴様――」
「クロヒコ、もう目を開けていいぜ! そいつはオレからの手土産だ! オレは目が腐らねぇうちに退散するがな! フハ、フハハ、フハハハハハハ!」
む?
ロキアの気配が……笑い声と共に消えた?
俺は手を取り、目を開いた。
「きゅ、キュリエさん、大丈――」
「――ぁ」
え?
きゅ、キュリエさん――布は?
目の前には。
両手で胸と局部を隠すキュリエさんの姿が……。
見ると……キュリエさんが身体に巻いていたはずの布が、ヒラヒラと青空を背景に宙を舞っていた。
どうしよう?
あ、そうだ。
咄嗟にひらめく。
よ、よし。
ここは男らしく――
「キュリエさん!」
「な、なんだ……?」
「俺をぶん殴って気絶させてください!」
「は?」
「そうすれば意識を失って、当たりどころがよければここ数分の俺の記憶もトぶかもしれません!」
「な――何言ってるんだ馬鹿! できるわけないだろ! それなら……さ、さっさと目を閉じてくれ!」
「あ、そ、そうか」
俺は慌てて目を閉じた。
混乱のせいでひらめきが妙な方向に働いてしまったようだ。
…………。
ほどなくして、
「……もういいぞ」
「はい」
目を開けると、キュリエさんが薄布一枚を身体に巻いた姿で立っていた。
彼女は険しい顔で室内風呂の方を眺めた。
「ロキアのやつめ……まさかこんなところにまで出没するとはな。まったく、油断も隙もない奴だ」
「はは……しかしキュリエさんが男湯に飛び込んでくるのは、さすがに俺も予想外でしたけどね」
「……すまない、不快な思いをさせたな」
「ふ、不快だなんて、そんなっ」
「フン、いいんだよ。私の裸は魔物の、その――ごにょごにょ――より、価値がないものらしいから……」
ロキア……キュリエさん、気にしてんじゃねぇか。
許さん。
「俺はキュリエさんの裸……見たいです」
「そう、なのか……?」
なぜか自分の身体を検めはじめるキュリエさん。
すると彼女は薄布の結び目を指で摘むと、ちらっ、と上目遣いに視線を寄越した。
「み……見て、みるか?」
「え、その――」
と、その時だった。
室内浴場の方に複数の人の気配が。
「あ、キュリエさん! 人が来ました!」
「なんだと――って、そうか、ここは男湯だったな。と、ともかく、あの馬鹿が迷惑をかけた。この詫びは私からいずれする。では、また後でな」
だっ、とキュリエさんは助走もなしに跳躍し、女湯へと戻って行った。
彼女が戻ってすぐ、何人かの男性客が露天風呂に入ってきた。
「あれ? なんか女の子の声が聞こえた気がしたんだけど……気のせいかな?」
「おいおい、大丈夫か? ここは混浴じゃないぞ? きっと隣の女湯のお嬢さんたちが騒いでおったんだろう。ほら、何やら騒がしいじゃないか」
男性客が木の壁の方を指差す。
「キュリエ! 今日のあなたは一体、どうしたっていうんですか!?」
「いや、じ、実は不届き者が」
「まさか、クロヒコが覗きを?」
「違う、あいつじゃない」
「え? てことは、不届き者自体はいたってこと?」
「あ、ああ……うん。追い詰めて名を問い質したところ……………………確か、名をロキアと」
「何よそいつ! 許せない! ロキアね! 名前、覚えたわ!」
「……キュリエ、顔が半笑いだよ?」
「ん? そうか?」
「キュリエ……嘘、ついてませんよね?」
「フン、いいんだよ。どの道、不届き者であることに変わりはないんだ……自業自得ってやつさ」
…………。
いつの間にか覗き魔に仕立て上げられているロキアのことを不憫に思うべきかどうか、俺は暫し考えあぐねていた。
*
風呂からあがった後、俺たちは一度互いの部屋に戻った。
それから十数分ほどしたところで、
「はーい、やってまいりましたよー」
宿着姿のセシリーさんがやって来た。
彼女は部屋に入る前に靴を脱ぎ、靴脱ぎ場に揃えて置いた。
このシーラス浴場の宿泊部屋では靴を脱いであがる。
これも東国式の習わしである。
アイラさん、セシリーさん、レイ先輩は慣れている感じだった。
むしろ俺は部屋に入る前に靴を脱ぐのは当然くらいの感覚だったので、違和感ゼロだが。
が、キュリエさんなんかは最初、違和感があったようだ。
「どうです? 似合います?」
セシリーさんが裾をつまみ、両手を広げてアピールしたのは、自分の宿着姿。
宿着といっても……まあ、ほとんど浴衣なのだが。
薄いレモン色の髪は、普段と同じくうなじのあたりで一つにまとめられていた。
風呂に入って間もないせいか、その髪はしっとりと濡れている。
……しかし何着てもこの人は勝利するよな。
ここまでくると服がセシリーさんに似合っているのか、セシリーさんがすべての服に似合うようにできているのかよくわからなくなってくる。
俺は苦笑する。
「てか、風呂あがった時には着てたじゃないですか」
「クロヒコの個人的な意見をまだ聞いていなかったので」
「似合ってますよ。すごく」
「ふふっ、そうですか」
セシリーさんが俺の部屋に一人で訪ねてきたのは、もちろん揉み療治を受けるためだ。
風呂から出た直後、俺は本日の趣旨をみんなに説明した。
で、一人ずつ交代で揉み療治をすることになった。
「みんな部屋から出ずに待機してましたよ――っと」
ぽふんっ、とセシリーさんが俺のベッドにダイブする。
セシリーさんがはしゃいでる……。
「あれ? 時間は区切ってあるからそれまでは自由にしてていいって、俺言いませんでしたっけ?」
「みんな、心構えをしてるんじゃないですか? レイは……ちょっと違う気がしますが」
「心構えって……」
そんな大層なものじゃない気がするけど。
提案した時も、別に揉み療治に一家言持った人がいる雰囲気でもなかったしな……。
「さ、それでは早速――」
セシリーさんがベッドの上でうつ伏せになる。
「クロヒコの技とやらを、みせてもらうとしましょうか?」
俺は指の準備運動をしながら応える。
「……容赦しませんよ?」
「ふふっ、それは楽しみですね〜」
む。
セシリーさんのこの反応……俺の腕を甘く見ているな?
確かにミアさんから手ほどきを受ける前の俺は、せいぜい足裏のツボを知っているくらいだった。
だがミアさん直伝の技の数々を会得してからの俺は、
『はぁ、はぁ……く、クロヒコ様……完璧……です』
と、師匠であるミアさんからお墨つきをいただくほどにまで成長しているのだ。
セシリーさん。
その余裕に満ち溢れた顔……すぐに驚きに変えて差し上げますよ。
俺はベッドに膝をつき、セシリーさんへにじり寄った。
「では――」
一つ深呼吸をした後……俺は指を揃え、彼女の腰に手を添えた。
「はじめます」