第75話「命を燃やし尽くした者」
「当時、おれは八剣に名を連ねていた。あの頃、ディアレスはまだいなかったな」
「私も団長本人の口からこの話を聞くのは初めてですね」
特にディアレスさんへ反応を返すことなく団長は続けた。
「ある時、一つの町が何者かに襲われた」
淡々と言いながらカップに手をつける団長。
「終末郷に近いわけでもない町だったから、最初は野盗か何かだと思われた。そこで近隣の城塞都市の兵士たちが派遣された。が、彼らは数日経っても戻ってこなかった。次に調査隊が出された。しかしその調査隊も戻ってこない……そして最終的に、王都の聖樹騎士団本部にまで話が回ってきた」
団長は一度紅茶で唇を湿らせた。
「向かった者が一人も戻ってこない。これは異常なことだ。調査目的の者、逃亡を試みた者すら誰一人戻っていないわけだからな」
確かに異常だ。
「異常さに気づいた副団長のクリスは、もう少し様子をみるべきだと団長に進言した。が、当時の団長は無能でこそなかったものの、良くも悪くも善性に満ち溢れた男でな。公私において綺麗ごとを並べ立てるのが得意だったから、団員や国民の人気は高かったが……まあ、そんな男だから『今すぐ町へ救出に向かうべきだ』と言って、自分を含む、副団長と聖樹八剣を中心とした調査隊を編成した。おれたちはすぐにその街へ向かうこととなった」
団長の視線がカップの中へ注がれる。
「今になって思えば……もう少し慎重になるべきだったんだろうがな」
表情にちらつくのは悔恨。
「騎士団に過信があったのは認めざるをえない。めでたい男だったが団長の剣の腕は確かだったし、副団長のクリスは誰よりも強い術式使いだった。おれも多少なりとも力には自信があったしな。何より戦争も終わっていたし、王都も平和だった。皆、聖遺跡攻略以外での活躍の場を欲していたのかもしれん」
暫し口を噤む団長。
仕切り直すようにカップを置いてから彼は続けた。
「ともかくそうして俺たちは数日かけて問題の町へ到着した。町の周辺の所々には死体があった。中には驚愕の表情を浮かべたまま死んでいる者もいた。そして町へ入ったおれたちを待ち受けていたのは――さらなる死体の山と、四人の男だった」
「四人?」
疑念の声を上げたのはキュリエさんだった。
「たった四人か?」
「信じられんか? だがこの名を聞けば納得がいくだろう。その四人の男は――」
一拍置き、団長は言い放った。
「『四凶災』と呼ばれる男たちだった」
キュリエさんの座る椅子の脚底が床に擦れ音を立てた。
彼女が唾をのみ込んだのがわかった。
「まさか……あなたは戦ったことがあるのか? あの四凶災と――」
ふん、と団長が口元を綻ばせる。
「まあ聞け。今はクリス・ルノウスフィアの話だ」
四凶災が一体なんなのかこの場で聞いてみたい気はした。
けど話の流れを切ってしまいそうなのでやめておいた。
後で聞いてみることにしよう。
団長は口元の笑みを消すとテーブルの上に右腕をのせた。
「結果だけ言えば……団長以下、聖樹騎士団は四凶災に歯が立たなかった。団長は最初に殺された。殺した男は『二番目に強そうだと思ったから他の兄弟に先に殺されないうちに殺した』と言っていたな。一番は長男に譲るつもりだったらしい。が、その一番と評されたクリスは相手が悪いとみて即座に撤退を命じた。その際に問題となるのが……誰が最後尾で四凶災を喰いとめるかだ」
つまり、
「そこで残ったのが――」
「クリスと……おれだ」
団長の脳裏には当時の光景が蘇っているのだろうか。
彼の表情には愛おしさの残滓と諦めが混在していた。
「クリス・ルノウスフィアも団長とはまた違った意味で善性の人……一言でいえば、優しすぎたんだな。本来あの状況ならば副団長であるクリスの生存を優先させるべきだ。だが彼女は団員たちへの思い入れが強すぎた。おそらく本当の家族のように思っていたんだろう。だから自分の命を捨ててでもあいつらを逃がしたかった。団員たちも……ああ言われては、逃げてでも生き残ることを優先せざるをえなかっただろうしな」
「それでもあなただけは残ったのね」
黙って聞いていたマキナさんが不意に口を開いた。
団長は皮肉げに口の端を歪めた。
どこかふてぶてしさが漂っている。
「副団長サマのお優しい言葉がおれには響かなかったというだけさ。善性団長サマの信奉者が多かった当時のお花畑騎士団の中じゃ、おれはひねくれ者だったからな。副団長に一番多く小言を言われたのもおれだった。それが今じゃ騎士団長……世の中、わからんもんだな」
皮肉っぽく言うものの団長の口元には笑みがあった。
伝わってくるのは口から放たれた言葉とは裏腹な感情。
きっと彼はクリスさんに小言を言われることも嫌いではなかったのだろう。
彼は右手で、さっきのように左腕のつけ根をおさえた。
「この腕を失ったのはその戦いの中でだ。おれの左腕をもぎとったのは……確か『四凶災』の四男だったか。残ると決断した時には、すでに片腕は失っていた」
感情が端々で顔を覗かせるものの団長の語り口には乱れがない。
感極まって言葉がつまることもない。
俺なんかじゃ想像もつかないほどの様々な感情にけりをつけてきたのだろう。
「だからまあ、おれは足手まといだったのかもしれんがな。結局、おれは何もできず一撃で四凶災の長男に殴り飛ばされ、かろうじて意識を保ってはいたものの、すぐに戦闘不能に陥った。そして、クリスは――」
団長の視線がマキナさんを捉える。
「ルノウスフィアの血脈が持つ固有術式『ミストルティン』――それを命がかき消えるまで使い続け、果てた」
この話はすでに知っているのだろう。
マキナさんは睫毛を伏せたまま微動だにしない。
「あの術式は一撃放つだけでもそれなりの負荷がかかると聞いている。それをクリスは何度も、しかも連続で、絶え間なく使用し続けた。壮絶とはああいう姿のことを言うのだろう。口から血を吐き、鼻から、目から血を流し……それでも命が尽きるまで使い続けた。それでも四凶災の身体には――いくつかの浅い裂傷がついただけだった」
しかし、と団長はマキナさんから視線を外す。
「不思議なのはその後だ。四凶災は命を燃やし尽くしこと切れたクリスの死体を四人で囲み、何やら会話をはじめた。会話内容は聞こえなかったが、会話を終えると長男が近寄ってきておれにこう言った。『この女の覚悟と我々の身体に傷をつけたことに敬意を表し、おまえたちを見逃してやる』と」
背筋に薄ら寒いもの走った。
四凶災が放った『見逃してやる』という言葉。
その言葉の直前の『おまえたち』の『たち』には、現在進行形で逃げていた聖樹騎士団員たちが含まれていたと推察される。
追いつき、皆殺しにする予定だったのだ。
おそらく遠くから様子を窺おうとしてもあっという間に見つかり殺されるのだろう。
逃亡を図っても追いつかれ殺されるのだろう。
自分たちより弱い者であっても殺す。
背を向け逃げる者であっても殺す。
単純に――
殺すために、殺している。
しかも気が遠くなるほどの強さ。
聖樹騎士団すらものともしないほどの。
「その後おれの片腕の止血と応急処置を終えると……いともあっさりと、四凶災は町を去った。最後に『その女、丁重に埋葬してやれ』とおれに言い残してな」
いつの間にか室内の空気が緊張感を孕んでいた。
皆、黙って話に耳を傾けている。
「今でもあの時の四凶災の目的がなんだったのかはわからん。様子からして聖樹騎士団を待ち構えていた風でもなかった。むしろおれたちが来たことを意外がっていたからな。しかも送り込まれた要塞都市の兵士と調査隊は一人残らず殺されていたにもかかわらず、町の住人の一部は無傷で生かされていた。彼らは乱暴もされていなかった。後に理由を聞いても、彼らもいまいち自分たちが生き残った理由がわからないみたいだった」
そこで団長は一度言葉を切った。
「そんなわけで、おれは町の生き残りたちに助けられてどうにか生きながらえ、なんとか王都へ戻ることができた。騎士団の連中も無事……クリスの遺体も王都に戻った。そうして……クリスの遺体は、王都で丁重に埋葬された」
団長は顎を上げると中空で視線をとめた。
「生きていたら一年後には騎士団を引退しこの学園の学園長になる予定だった……彼女の親族からのちにそう聞かされた。その半年後だ。クリスの妹が学園長になるらしいと聞いて、複雑な気持ちになったものだ」
そんなことが、あったのか。
マキナさんにお姉さんがいたことは知らなかった。
当然すでに他界していたことも。
俺の方から家族のことやきょうだいのことを尋ねたことはない。
聞くつもりもない。
話したいことは彼女のタイミングで話してくれればいいと思っているからだ。
…………。
この話も、マキナさんが遮らなかったということは彼女が知る時期だと判断したのだろう。
マキナさんは紅茶を優雅にひと啜りすると、カップを置いた。
「つまりあなたは私が姉の復讐のため……四凶災を殺すための武器として、禁呪使いであるサガラ・クロヒコを手元に置いていると言いたいわけね? 禁呪の力ならば、あの怪物たちを倒せると」
「否定はしない」
返答に窮することなく団長は答えを返した。
復讐。
つまりマキナさんは姉の復讐のために俺の禁呪の力を使って四凶災を殺そうとしている?
だが、さっき彼女は誤解だと……。
「そうね。『四凶災』をどうにかしようとしていることは認めるわ……そのための力を私が探していたこともね」
意外にあっさりと。
マキナさんは認めた。
「ただし、姉の復讐のためというのは誤解」
「……ふむ」
「姉は自分の信念に従った行動をしたまでよ。私は彼女の行動を否定するつもりはないし、むしろ尊敬している。もちろん当時は姉の死を知って落ち込んだ時期もあったけれど、いつまでも過去に縛られていては人は前に進めないわ。それに、もし復讐なんていうごく個人的な動機だったなら、私は他人を巻き込んだりはしない。そのあたり、見くびらないでほしいわね」
マキナさんは真っ直ぐ団長を見た。
「それを話した上でもう一度言うわ。私はこのまま四凶災を放置しておくのは危険だと判断しています。このルノウスレッドだけではなく、ミドズベリアに住むすべての人々にとって」
「真意は姉の復讐ではなく、この国……ひいてはミドズベリアのためにというわけか」
「そのつもりよ。……クロヒコ」
「は、はい」
急に話を振られて驚く。
「あなた、四凶災のことは知っていたかしら?」
「実は名前しか知りません……機会があったら聞こうとは思っていたんですが、なかなか機会がなくて」
すごく強い四人組というのはわかったけど。
「この際だから、あなたも知っておくべきかもしれないわね。他の方々は知っているでしょうけど……少しお時間をいただいても?」
マキナさんの問いに皆、無言で頷く。
すぅ、とマキナさんが息を整えた。
「では教えるわ、四凶災について」
*
彼らを語る上で最もわかりやすいエピソードは、やはり帝国との戦いの物語であろう。
ある時。
ミドズベリア大陸の西方から海を渡ってギュンタリオス帝国の軍船がやって来た。
上陸した帝国軍は西端の小国占領を足がかりに、次々と西の国々を打ち倒しそれらを征服していった。
その勢いはまさに破竹の勢い。
勢いは衰えることなく、僅か半年で大陸のほぼ半分がギュンタリオスに征服されてしまった。
が、そこでギュンタリオスの前に立ちはだかったものがあった。
終末郷である。
国家ではないものの決して狭くはない領土を持つ不可解な地帯。
帝国は次にこの地帯へと軍を向けた。
そう。
西方の大国が終末郷の支配へと乗り出したのである。
が、帝国はこの時点で大きく足踏みすることとなる。
終末郷の地理は妙な具合に入り組んでおり、地形を知らぬ者からすれば迷宮めいた場所だ。
また、野営中いつ夜闇から凶暴な住人が襲ってくるかわからない。
どころか昼夜問わず武器を手にし間断なく襲いかかってくる。。
さらに個々の戦闘能力が馬鹿にできない上、一部の集団は何者かが指揮をとっているらしく軍隊並に統率がとれている。
中には明らかに死を恐れていないような者もいて、その残虐性と異常性を合わせ持つ住人たちに帝国兵たちは強い恐れを抱いた。
それでも帝国は今後ルーヴェルアルガンとルノウスレッドの征服の妨げとなるであろう終末郷の制圧をおし進める。
こうして帝国は数か月をかけ、どうにか終末郷の西の周縁部を制圧した。
が、その時だった。
突然、
四人の男が現れた。
彼らはまず周縁部に砦を建設していた帝国兵たちを皆殺しにした。
さらに終末郷を避けて北端と南端に近いルートでルノウスレッドとルーヴェルアルガンへ向け進軍していた帝国軍が、その四人の男たちに次々と襲われ、撤退を余儀なくされる事態が続く。
たったの四人。
たったの、四人である。
帝国兵たちは信じられなかった。
たった四人の人間が戦況をひっかき回すことができるなど、あまりにも常軌を逸していた。
――西の大陸で常勝を誇る帝国軍がたった四人の人間にいいようにやられている。
これが伝聞であれば馬鹿げていると誰もが一笑に付したであろう。
しかしその目で見てしまったらもう信じるしかない。
どんなに信じがたい存在であっても、存在するものは存在している。
存在して、しまっている。
彼らは何者なのか。
ミドズベリアの者ならばその四人については十分な心当たりがあった。
その名も知っていた。
四凶災。
まるで冬眠から覚めたように不意に現れ、虐殺をし、またどこかへと帰っていく。
災害。
そう。
彼らは災害のようなもの。
ミドズベリアの者は誰もがそんな風に彼らを捉えていた。
そしていつしか人々は彼らを『四凶災』と呼ぶようになる。
皇帝ギュンタリオス三世は四凶災をどうにか殺すよう将軍たちに命じるが、送り込んだ強者すべてが返り討ちにあった。
一部では帝国の誇る『武神』ガルバロッサ・ギメンゼと特攻亜人兵団が本国で北部蛮族との戦いに出ており、彼らがいれば勝てたとの説もある。
が、四凶災を目にして生き残った者は皆、口を揃えて『アレらを相手にするくらいなら武神や特攻亜人兵団を相手にした方がまだマシだ』と語った、などという逸話も残っている。
神出鬼没な四凶災の殺戮は止まらない。
ついに彼らを殺すことを諦めた皇帝は一転、彼らを召し抱えることにした。
そして遣いの者を用意した。
ほぼ全員、殺された。
どんな金額を提示しても殺された。
どんな美女を用意しても殺された。
どんな地位を保証しても殺された。
どんな好条件を出しても殺された。
どんな交渉をしかけても殺された。
そもそも理由がわからなかった。
なぜ帝国を対象として暴れまわるのか。
虐殺を繰り返すのか。
帝国に恨みでもあるのか。
交渉にあたった者の中に一人生き残った者がいた。
しかし彼は見るも無残な姿になり果てていた。
身体こそ無傷だったものの以前とは比べものにならぬほどやせ衰えていた。
眼窩は落ちくぼんでいた。
常に何かに怯えているような顔。
彼は言った。
『違うのです。彼らは「そういうもの」ではないのです。彼らは彼らの理の中でだけ生きているのです。だから彼らに交渉事は通じません。彼らには「彼ら」しかいないのです。他は豚です。私たちが、豚なのです』
そう語った翌日。
彼は口から脳天へ剣を突き刺し、自ら命を絶った。
四凶災については大陸の人間に問うても誰もが口を揃えて同じことを言う。
四凶災には理由なんてないのだと。
だから彼らは、災害のようなものなのだと。
結局。
帝国は大陸の半分を征服したところで戦争に自ら終止符を打った。
否、打たざるをえなかった。
むしろ戦争をやめる直前には、いよいよミドズベリアの中央分都市に出没するようになった四凶災の相手で手一杯となっていた。
帝国はルノウスレッドとルーヴェルアルガンに停戦を申し入れた。
帝国は両国に多額の金を支払った。
それから数日後、四凶災はぴたりと活動を止める。
それでも帝国は四凶災を恐れた。
再び東方の国の征服に乗り出せば再び『彼ら』が現れるのではないかと。
一方、ルノウスレッドやルーヴェルアルガンの民の中では四凶災を救国の英雄と崇める者まで現れた。
ただこの四凶災と帝国の話は、もはや真偽すら定かでない伝説の色合いを濃くしているのやもしれぬ。
伝説は人を惹きつける。
人から人へと渡る。
称賛という装飾を、施されて。
畏怖という装飾を、施されて。
人々の都合のいいように次第に改変されていく。
求められる物語へと改変されていく。
こうして出来上がるのは人々が求める『伝説』。
だから細部までがすべて真実と合致しているかどうかは、やはり定かではない。
そんな伝説には事欠かない四凶災ではあるが、実は彼ら自身についてわかっていることはとても少ない。
一つは終末郷で生まれた存在であるらしいということ。
もう一つは彼らは昔アングレン四兄弟と呼ばれていたらしいということ。
だが、どちらも確証は得られていない。
つまり何一つわかっていないともいえる。
確実にわかっていることがあるとするならば……それは、彼らが人並み外れた力の持ち主であるということくらいであろう。
*
「確かに結果だけを抽出するならば、四凶災はギュンタリオスによるミドズベリア征服を食い止めたわ」
説明を終えると、マキナさんはそうつけ足した。
「彼らが活動をやめた時期も、見ようによってはギュンタリオスの東方征服阻止が目的だったようにも映る。だけど……本当にそうかしら?」
「つまりルノウスレッドやルーヴェルアルガンの人たちが都合よく解釈しているだけかもしれないってことですか?」
俺の質問にマキナさんは頷いた。
「私はそう思うの。英雄視する人たちは四凶災の牙が自分たちへ向かないと思い込んでいる……いえ、思い込みたがっているように見える。時折遠い場所で起こる虐殺は『災害のようなもの』の一言で済ませて見ないようにする……けれど、では一国の手を煩わせるほどの力を持つ彼らがもし自分たちの国を滅ぼそうと動き出したら、果たしてその時は『災害のようなもの』で済ませられるのかしら?」
そうか。
四凶災が『そこまでやらない』なんて保証はない。
マキナさんはそれを危惧している。
「ギュンタリオスは今も東方二国にとっては脅威だわ。だけどギュンタリオスの脅威から国を守るのはその国の人々自身であるべきよ。四凶災などという不確実なものに頼るのは、あまりにも危うすぎる」
「しかし四凶災を倒すことのできる者がいない」
団長が口を挟む。
「あなたの苦悩の種はそこだった。だから学園で有望な生徒を見つけ、四凶災を倒すための自前の組織を作ろうとしていた」
団長が俺に視線を飛ばす。
「そんなところに禁呪使いが現れた。あなたは伝説の禁呪ならば四凶災に対抗できるのではと考えた……さしずめ、そんなところか?」
マキナさんは肯定の意思を示した。
「ええ、大方はその通りよ。ただ、表立った自前の組織を作る気はなかったけれど。聖王家や聖樹騎士団と揉めることは避けたいから」
「とはいえ、聖王家が四凶災討伐などという眠れる竜をわざわざ起こすようなことに手を貸したがるとも思えない、か。であるならば、聖樹騎士団も動けないことになる」
難しい顔をする団長。
「普通の人は、その時が来ないと危機感を持って動くことのできない生き物なのよ」
「だからあなたが先に手を打つ?」
「ええ」
「わからんな」
「あら? 何がかしら?」
「なぜあなたがそこまでする? 復讐ではないのだろう?」
僅かな間があってから、マキナさんはゆっくりと答えた。
「この国が、好きだから」
彼女の纏う静謐な空気には一種の温かみが含まれていた。
「これでは……理由にならない?」
室内の者は無言をもって彼女の答えを受け止めた。
それぞれの胸に去来したものがなんであったかはわからない。
だが俺は彼女の口にした理由がまるで抵抗なく自分の中へ入ってくるのを感じた。
「目的を達成するためにもし姉の復讐の方が耳触りがいいのなら、それを利用することすら私は考えています。実際、学園長になる前は『姉の意志を継いで』って言葉を何度も使わせてもらったしね」
改めて団長へ顔を向けるマキナさん。
「けれどあなたには、真意を話しておくべきだと思ったから」
「おれが姉の最期に立ち会った男だからか」
「生前、姉が家であなたの話ばかりしていたからよ」
室内に再び沈黙が下りた。
しばらくして団長が口を開く。
「なるほど……真意は理解した。確かにおれの誤解だったようだ。そこについては謝罪しよう。だが、やはり四凶災のことは忘れた方がいい」
マキナさんが薄っすらと目を細めた。
「それは忠告かしら? それとも――」
「実際に戦った者だから言える。あれは一介の人間がどうこうできる相手ではない」
「だからといって放置しておくわけにはいかないわ。彼らはあまりにも不可解で不確定あるがゆえに、その存在は危険すぎる」
「言いたいことはわかる。だが……勝てるのか?」
「勝つわ。ただ――」
マキナさんが俺を見た。
複雑そうな表情。
「今はまだ……その時ではない、けれど」
「……禁呪か。ところで、その禁呪使いである当人は納得済みなのか? 四凶災のことを知らなかったことからすると、どうやら詳細は伝えていなかったようだが」
「それは――」
不安をちらつかせつつこちらを窺うマキナさんに、俺はぐっと拳を握ってみせた。
そして、
「大丈夫です。相手が誰だろうと俺、マキナさんのためならなんでもしますから」
と言った。
「……クロヒコ」
団長へ向き直る。
「俺は大陸のためとか国ためとか正義のためとかじゃなくて、マキナさんの力になれればいいってだけなんですけどね。もちろんマキナさんが幸せになってくれるのが一番ですけど……その、願いはできる限り叶えてあげたいっていうか」
マキナさんのおかげで俺は今ここにいられる。
それに彼女は思いやりがある人だ。
俺のこともただの道具みたいには思っていない。
今までのつき合いから俺はそう感じている。
そんなマキナさんがもし俺に何かを望むのなら、俺は彼女の力になる。
全力で。
団長が双眸を細め俺を見据えた。
「……なるほど。確かに面白い男だ。だが同時に厄介でもあるな。四凶災と同じで、まともな交渉が通じん手合いか」
へ?
交渉が通じない?
何がだ?
俺、好きだと思った人から頼まれたら案外コロっとなんでも頼まれちゃいますよ?
「ふん、当人に自覚がなさそうなのがまた面白い。さて――」
団長が椅子を引く。
「おれたちはそろそろ、失礼するとするか」
「あら、お帰り?」
「聴取も終わったしな。個々の用件も済んだようだ。ディアレス、あとで聴取の内容をまとめておいてくれ」
「わかりました」
ディアレスさんも立ち上がる。
ヴァンシュトスさんがドアを開けた。
ドアへ向かう団長。
彼は立ち止まると、振り向いて別れの言葉を述べた。
「今日はあなたが復讐心に駆られているわけでないらしいとわかっていささかほっとしたよ、学園長。復讐心による行動は見境がなくなりやすいからな。あれは、身を滅ぼしやすい」
なんとなく団長の言葉を聞いて思った。
なんやかや言って、彼はマキナさんが心配で今日ここに来たのではあるまいか。
もし復讐心によって四凶災を倒そうと考えているのなら、マキナさんを諭そうと。
「個人的には四凶災には関わらん方がいいと思うが……国に縛られた聖樹騎士団の団長であり、かつ四凶災を倒せる力もないおれがここであなたを諭すのはあまりに滑稽すぎるからな。それに、利発なあなたのことだ。十分な勝算の目処が立つまでは動くまい」
「正直、思っていたよりも肯定的な反応でちょっと驚いたわ」
「本音を言うならば――」
団長の目が据わる。
「個人的な復讐心で誰よりも四凶災を殺してやりたいのは、他ならぬこのおれだからな」
静かに睨みつけるその瞳の先に映るのは、過去に相対した四凶災か。
「……だからまあ、聖樹騎士団として動くことはできんが、個人的に何か手伝えることがあれば遠慮なく言ってくれ」
「ありがとう。ところで……あなたから見て、私と姉はどっちが利発かしら?」
「姉だな」
「…………」
即答であった。
憮然とした顔のマキナさんに、団長がドア枠に手をかけ言った。
「大丈夫だ。姉妹とはいえ二人は違う人間だからな。だから……姉と比べて色々と大きくならなくとも、気にすることはない」
ニヒルな笑みの中にも慈しみを覗かせながら団長は退室。
一方。
マキナさんの目には生気が宿っていなかった。
こめかみだけがピクピクと動いている。
マキナさん。
今の団長の表情からわかりました。
あれは普通に励ますつもりで言ったんだと思います……。
ただ、上手い表現が見当たらなかっただけかと。
「か、身体は小さくとも、あ……あなたの心は、お、大きい」
と、ヴァンシュトスさんが空気を読まずに参戦。
「だ、だから……気にすることは、ない」
「あ、ありが、とう」
震え声で礼を述べるマキナさん。
生気が抜けている。
哀しすぎるほどに白目状態。
「それに、騎士団の皆も、むしろ、ち、小さいのが……いいのだと、言って、いた……」
「へ、へぇ……そう、なの……」
「お、おれも……か、かわいらしいと……思う。小動物、は……好き、だ」
悪気ゼロなのが伝わってくるだけに、むしろルノウスレッド学園の学園長はサンドバッグ状態。
さっぱり目が笑っていないマキナさんは口元だけが笑みの形になっている。
「聖樹騎士団の男性陣とはいずれ一個人として決着をつけなければならないようね」
声に温かみがまるでない。
「? あ、あなた、ならば……皆、歓迎する、だろう……」
ヴァンシュトスさんも自分の発言にまるで疑問を抱いた様子はなく、
「で、では……失礼する。お三方とも……息災、で」
と普通に退室した。
ディアレスさんが苦笑する。
「ははは……すみませんねぇ、うちの男どもが」
あなたも『男ども』の一人なのでは。
「ただ団長はともかく、ヴァンシュトスは悪気はあるわけではないので許してやってください」
むしろここは団長のフォローに回るべきところなんじゃないのか、副団長……。




