第73話「来訪者」
最高の失敗作。
甘すぎた。
それら表現が物語るものは――誤算、だと思えた。
当初の目的こそ達成したものの、ある思わぬ誤算によって失敗とみなさざるをえなくなった。
そんな印象を受ける
誤算というのがなんだったのかは知らない。
知らないが――
失敗作なんて言い方は、好きじゃない。
失敗作なんて言葉を突きつけられた人間がどう思うか。
俺自身元々『失敗作』みたいなものだった。
心ない言葉をかけられたこともあった。
だからそれは――辛いことだ。
「終末郷の孤児院を作った人間からすれば私たちは失敗作なんだとさ。だからまあ……そうなんだろうな」
彼女の表情に刻まれているもの。
それは諦念を超えた達観。
「それに元々私は第6院の中ですら浮いていた気がするし……存在として、どこか間違っているんだろう。この学園に来てもずっと感じている。私は……ここでも異物に過ぎないんだよ」
異物。
さっきロキアが俺に放った言葉の中にもその単語は含まれていた。
「居場所が、ないんだ」
キュリエさんの口元が寂しげに緩む。
けれど、彼女はそれが寂しげな笑みであることに気づいていない風だった。
「だから私は、ノイズからあの女の居場所を聞き出したら――」
「いなくなったり、しないですよね?」
ノイズ探しが終わったら。
彼女はこの学園に残る意味がなくなるのではないか。
生まれた不安が、際限なく膨らんでいく。
胸の中が不安で満ちていく。
「クロヒコ……?」
ある日。
キュリエさんが欠席して。
学園にも姿はなく。
宿舎の荷物がなくなっていて。
どこを探してもいなくて。
書き置きが、残っていて。
ありえそうで……不安になった。
「急に俺の前からいなくなったり、しませんよね?」
今度は俺が聞く番だった。
キュリエさんは答えない。
その口元が――答えを探して彷徨っているかのように見えた。
だから俺は、
「俺が作るってのは、なしですか?」
「何がだ?」
「キュリエさんの、居場所を」
「おまえが、作る?」
「居場所がないっていうなら俺が作るってのは……駄目、ですかね?」
居場所がないなら、作ればいい。
「それじゃあ、駄目ですか?」
自分が異物であるという感覚。
それは自分が感じていることでもある。
その異物感から派生して生まれてくるのは――孤独感。
ふと我に返った時。
ある意味では自分はとても孤独な存在なのだと感じる。
この世界で暮らす人々との間に一枚、見えない薄い壁が存在している。
そんな感覚。
類似する感覚を彼女がずっと味わってきたと、するならば。
苦笑を作る。
「もしキュリエさんが異物感を覚えているなら……きっと似た者同士なんですよ、俺たちって」
ちょっと照れが出はじめた。
「だ、だから似た者同士の俺なら、その感覚を分かち合う居場所になれたりもするのかなぁ、って」
「ああ、そういえばおまえ、この国の出身じゃなかったな」
「…………」
「クロヒコ?」
「実は、違うんですよ」
「違う? 一体、何がだ?」
俺は苦笑いを浮かべたまま、
「ずっと黙ってましたけど、実は俺、東国の人間じゃないんです」
と言った。
「どころか、この大陸の人間でもないんですよね」
「そう、なのか」
「もっと遠いところ……多分この大陸の人が誰も行ったことがないところから、来ました。経緯は……話すと複雑なんですが」
「……なるほどな。得心がいった。時折混じる訛りが聞き慣れないものだと感じていたんだが……そういうことだったか」
「だからその……俺にも自分が異物だっていう感覚はちょっとわかるかなぁ、って」
フン、とキュリエさんは口元を綻ばせる。
「やっぱり優しいやつだな、おまえは」
暫しの沈黙がおりた。
「あ、あの、キュリエさん」
「ん?」
「人って……変われると、思うんです」
渇きはじめた喉を潤すべく唾をのみ込む。
「も、もちろん、そんなすぐには変われないと思います。けど、変わろうと努力していたらいつか変われるんじゃないかって……俺はそう思っていて……だから居場所がないなんて思い込まなくても、変わろうとし続ければ、居場所だってきっと……その、できるんじゃないかなって――」
キュリエさんが感慨深そうに自分の手を見つめた。
「人は変われる、か……」
「すみません……なんか、偉そうに」
はぁ。
俺ではここらあたりが限界か。
もっとこう、少年漫画の主人公みたいにかっこよく言えれたらいいんだけど。
「わかった。おまえには必ず一言、断ってから行く」
「え?」
キュリエさんのその言葉に、がっくりと頭を垂れていた俺は顔を上げた。
「黙っていなくなったりは、しない」
「キュリエさん……」
「必ず、そうする」
そう言ってもらえて嬉しかった。
だけど。
その言葉は同時に、
目的を終えたらこの学園を去るであろうことを、暗に伝えていた。
*
ベッドに寝転がりながら天井を見上げる。
「どうしたもんかな」
誰にともなく呟く。
時刻は深夜。
すでにキュリエさんは宿舎へ帰っている。
部屋には俺一人。
あの後、俺はミアさんが用意してくれていた夕食を食べてから風呂に入った。
というか。
風呂場から出てから、俺は自分の浸かっていた湯がキュリエさんが入った湯であることに気づいた。
そして籠の中に綺麗に畳んであったバスタオルが彼女の使用後であることにも気づいた。
あのバスタオルを使用するのは許されるだろうか?
…………
結局、バスタオルは新しいものを持ってきた。
うん。
こういう時こそ紳士的理性は忘れちゃいけない。
男には超えてはならない一線が存在するのだ。
で、風呂から上がり自室に戻った俺はベッドの上に寝ころんでぼんやりと天井を眺めていた。
「何か、いい手ないかな」
キュリエ・ヴェルステイン。
できることならこのまま彼女と一緒に学園生活を過ごし、一緒に卒業したい。
だが今の俺では力不足。
彼女をこの学園に引き留めておくほどの『理由』になれてはいない。
さっきの俺の願い。
完全には届かなかった。
残ってほしい。
その気持ちは、伝わったみたいだったが……。
どうしたら彼女は学園に残ろうと思ってくれるのだろう?
…………。
ノイズがいつまでも捕まらなければいい?
いや。
それは違う。
彼女の望みが叶わないことで俺の望みが叶うのなんて間違っている。
だからは俺はキュリエさんの望みを叶えるための助力を惜しむつもりはない。
問題はノイズを捕まえたキュリエさんが最初の目的を果たした、その後だ。
もし『あの人』とやらを探すために、キュリエさんがルノウスレッドを去るのだとしたら――
「…………」
その時は俺も彼女について行き、この学園から去ることになるのだろうか?
わからない。
「ま、とにもかくにも、まずはノイズを捕まえることが先決か」
ノイズ・ディース。
未だにその目的が判然としない第6院の出身者。
それとなく今日キュリエさんに尋ねてみようかと思っていたのだが……さっきはそんな雰囲気じゃなかったもんな。
それにキュリエさんは、できれば俺を巻き込みたくないみたいことを言っていた。
だから詳しく話してはくれないかもしれない。
だとすると……案外ぽつぽつと学園に出没しているらしいロキアに会って聞いた方が早いか。
あの掴みどころのない男の顔を思い出す。
ロキア、か。
俺が欲しいみたいなこと言ってたけど、あれもなんだったんだろう?
『テメェは正しく道を間違えれば、最高の邪悪になれる可能性がある』
「…………」
最高の邪悪、なんて言われてもなぁ。
それをいったらヒビガミの方がよっぽど素養がある気がするけど……。
ヒビガミ――そうだ。
あいつとの戦いのことも考えていかなければならないんだ。
俺は前よりも強くなっている、とは思う。
巨人との戦いでも強くなっている実感は得られた。
だが、最も実感できる要素は、以前と比べ『あの感覚』――『獣』を遠くに感じるようになったことかもしれない。
どうもあの『獣』は俺が戦いにおいて切羽詰まった時……ピンチと感じる時に現れる気がする。
俺の中に生まれる危機感に引き寄せられているのだろうか。
今になって思えば『獣』が意識に近寄ってくるのはいつも余裕のない時だった。
ゆえに、ブルーゴブリン戦では意識をのみ込まれないよう意識をしっかり保つのに苦労した。
それが巨人との戦いにおいては、ほとんど必要なかったといっていい。
それはつまり――俺が巨人を脅威だと感じていなかったということなのだろう。
だから、強くはなっているんだ。
強くはなっている。
が、強くなればなるほど――やはり、よりヒビガミが遠く感じる。
どうすればあの男に勝てるようになる?
当面はキュリエさんに鍛えてもらう予定だが……。
その先は、どうすればいい?
…………。
やっぱりこっちも追々、ちゃんと考えていかないとだよな。
「…………」
キュリエ・ヴェルステイン。
ノイズ・ディース。
ロキア。
ヒビガミ。
第6院の出身者たち。
マキナさんに初めて話を聞いた時は、こんなにも関わり合いになるとは予想もしていなかった。
これからも俺は彼らと関わっていくことになるのだろうか。
キュリエさんとはこれからも、ずっと関わっていけたらと思うけど……。
そんなことを考えているうちに、
俺は、眠りへと落ちて行った。
*
何事もなく、二日が過ぎた。
聖遺跡は未だ封鎖中。
このまま封鎖が長びけば学期末の小聖位評価への影響は避けられない。
そこで学園運営者たちの一部からは、聖遺跡攻略の代わりとして生徒たちが実力を競い合う学内トーナメント戦を行いその結果を評価の材料とする、なんて案が出ているのだとか。
それなら順位がはっきり出るから評価をつけやすいのは確かだろう。
とはいえ聖遺跡が今後も封鎖され続けると決まったわけではない。
今後どうなるかは学園側の動きを待つしかなさそうだ。
俺にできるのは聖遺跡攻略がない分、他で頑張るくらいだ。
そんな俺の方はいつもと変わらぬ日々を過ごした。
せいぜい戦闘授業でのキュリエさんとの打ち合いの時、いつにも増して気合いが入っているくらいか。
ともかく今は強くなるため彼女の力を借りるしかない。
将来ヒビガミと戦うことを知っているせいだろう、彼女も以前よりもさらに真剣に稽古に取り組んでくれていた。
そのキュリエさんにも特に変わった様子は見受けられない。
また二日の間、ロキアが接触してくることはなかった。
学内で彼の姿を見かけることすらない。
どこかにはいるのだろうが。
きっとノイズ探しのために情報を集めているのだろう。
昼食は二日とも、俺、キュリエさん、セシリーさん、ジーク、ヒルギスさんの五人で食堂でとった。
これといって取り決めがあるわけではなく、集まれる人だけ適当に集まって食べるフランクな感じではあるが。
前のようにキュリエさんとセシリーさんと交互に、ということはなくなった。
それからアイラさんだが、どうやら以前攻略班を組んでいた上級生たちと仲直りしたようだ。
上級生たちの方から謝罪と共に復縁を迫られたらしい。
とはいえ勝手に縁を切ったのは上級生たちの方だ。
少々虫がよすぎるきらいもあるが……それでも復縁を受け入れるあたりは、人のよいアイラさんらしいなと思った。
食堂では、その上級生たちと一緒にテーブルを囲むアイラさんとレイさんの姿が目に入ってくる。
放課後は、主にキュリエさんとセシリーさんの稽古に混ぜてもらって過ごした。
ただ、二人はある程度経つと剣の稽古をそそくさ切り上げた。
しばらくすると二人で先に帰ってしまうのだ。
しかも雰囲気的に、何をするのか俺には秘密なご様子で。
手持無沙汰感を覚えた俺は、この二日間、しばらく一人で素振りやイメージトレーニングっぽいことをした後、家に帰ってミアさんと他愛ない会話に興じていた。
あと、せっかくなのでついでにマッサージも少し教えてもらうことにした。
実践を交えながらの丁寧な指導だった。
てか彼女のマッサージを受けてあっさりオチた。
意識が。
もちろん、気持ちよすぎてだ。
ミアさん、すごかった。
俺は思った。
このミアさん直伝のマッサージを体得し、そこに足ツボの知識が加われば……これは最強なのではあるまいか、と。
俺は新たなステージに進みつつあるのかもしれなかった。
そうだな。
シーラス浴場に行った時、この力をキュリエさんやセシリーさんあたりに試させてもらえないか頼んでみよう。
実践で学ばなければ成長しないからな。
で、さらに翌日。
授業後、俺は正門前でマキナさんと並んで立っていた。
「ふーん、ノイズ・ディース、ねぇ」
青空の下、マキナさんが顎に手をやって考え込む。
「例の巨人騒ぎがその人物の仕業であるなら、確かに放置はできないわね」
先ほど時間潰しがてらマキナさんにノイズ探しのことを伝えた。
伝える内容は自分なりに選別したが。
「ただ――」
風に靡く髪の毛をおさえながらマキナさんが口を開いた。
「私は今のところ積極的に協力することはできないわ。つまり、そのロキアって人物の益になるような行動はできないってことね」
「ま、立場上まずいでしょうしね」
例えば生徒のリストを渡すなどの行為は学園長という立場上厳しいだろう。
それに、
「ロキアって人物の信用度の問題もあるでしょうし」
「察しがいいわね。ま、そういうこと。私はロキアという男と会って話したこともないし、キュリエがその男にいいように使われている可能性も否定できないから。やっぱり、第6院の人間となるとね」
キュリエさんが特殊なだけで本来第6院の人間は簡単に気を許していい相手ではないのだろう。
彼女の判断は間違ってはいまい。
「でも今の話、そこまで私に明かしてよかったの?」
強く吹いた風でスカートがめくれないよう気遣いながらマキナさんが確認してきた。
「むしろキュリエさん本人が、マキナさんに伝えておいてくれって言っていたので」
「そう……まあ、協力はできないけど、そのロキアって男の行動については私も見逃しておいてあげるわ。それに……留置室の男の目的がわかったから、これで仕事が一つ減ったしねっ」
ゴズトについての話を聞いたことで、マキナさんの仕事の一つであった『逃げ出した留置室の男』の件は一段落となったらしい。
…………。
おそらく仕事が一つ減ったからだろう。
マキナさん、まるで隠そうともせず喜色満面であった。
こんなにも嬉しさを表に出すのは珍しい気がする。
責任感もあるし仕事もきっちりこなすけど、本当に仕事自体は嫌いなんだなこの人……。
「で、ヒビガミの件に関する事情聴取も、今日で片づくと」
俺たちは学園の正門からのびる緩やかな坂を見下ろした。
そう。
今日は例の俺とキュリエさんが聖樹騎士団の人から事情聴取を受ける日だった。
で、今は聴取にくる聖樹騎士団員の到着を待っているところ。
「すまない、遅れた」
「あ、キュリエさん」
しばらくするとキュリエさんがやって来た。
授業後、彼女はセシリーさんに捕まって何やら話していた。
一方の俺はやることもなかったので、先に来ていたのだが……。
それにしても。
最近のキュリエさんとセシリーさん。
たまに会話に俺が混ざれる雰囲気ではない時がある。
なんだろうな。
最近、セシリーさんとキュリエさんとの距離を感じることがある。
実際のところ、ここ二日はジークやアイラさんと交わした会話の方が彼女たちよりも多い気がするし。
まさかあの二人……
つき合いはじめたなんてこと、ないよな?
ゆ、百合的な世界に突入したとか……?
むむむ……。
もし仮にそうだとしたら……俺は一体どうしたらいいのだろう?
二人を祝福すべきなのだろうか?
ちらとキュリエさんの横顔を窺う。
「!」
なんと、気まずそうに視線を逸らされた!
え?
あれ?
ひょっとして気のせいじゃない?
百合的云々はともかく、俺……避けられてる?
いつもと変わらぬ日常だと思っていたのは、まさか俺だけ?
ひょ、ひょっとして二人は影で――
『クロヒコのことは、もういいんですか?』
『いいんだよ、あんなやつ……それよりおまえは本当に綺麗だな、セシリー』
『ふふっ、それを言ったらキュリエだって』
『――っ、またすぐにおまえはそうやって……』
『ふふ……すぐ照れるところが本当に可愛いんですから、キュリエは』
『しかしクロヒコのやつ、私たちのこと気づいてるのかな?』
『さぁ? 気づいていないんじゃないですか? そんなことより、ほら――』
『んっ……だ、だからそういうのは、駄目だって言ってるだろ、セシリー……』
『大丈夫。ね? すべてわたしに任せてください……ほら――』
妄想、打ち切り。
「…………」
まさか、な。
ないない。
…………。
けどなんだろう。
一度灯った疑念の炎が、なかなか消えてくれない。
いや、そんな馬鹿な。
ははは……。
俺の勘違いに決まっているじゃないか。
そんな馬鹿なことがあるはずない。
あるはず、ない……。
などと一人悶々としていると、馬蹄の音が聞こえてきた。
「ん?」
人を乗せた一頭の馬が坂をのぼってくるのが見えた。
燕尾服を思わせる白い服。
その服に走る薄緑色のライン。
ヒビガミと戦った時に見た聖樹八剣が着ていた服と同じだ。
おそらくあれが聖樹八剣の制服なのだろう。
あの時現場に居合わせた聖樹八剣の人たちが来るとマキナさんは言っていた。
だが……馬に跨る巨体を持ったその人物に見覚えがない。
「あら、驚いたわね」
意外そうな口ぶりのマキナさん。
坂をのぼり正門を抜けた後、馬が俺たちの前で止まる。
馬には二刀の幅広の大剣がかけられていた。
巨躯の男が下馬する。
「マキナ殿……ご無沙汰、して……おります」
腹に響くような重々しい低音の声。
ゆっくりと静かな語調ではあるが不思議な迫力が篭っている。
昨夜見たゴズトという男も体格に恵まれていたが、彼よりも一回り大きく見えた。
彫りの深い精悍な顔立ち。
厳しく引き結ばれた口元。
太い首。
堅そうな顎。
服の上からでもわかるほどの太い腕。
質実剛健。
そんな印象を受ける男である。
しかしこの顔。
どこかで見覚えがあるような……。
「てっきり現場に居合わせたダビドたちが来るかと思っていたけれど、あなたが来るとは驚いたわね、ヴァンシュトス」
「その予定……だったの、ですが」
む?
ヴァンシュトス?
その名前、どこかで聞いたことがあるような気が……。
ヴァンシュトスさんが俺とキュリエさんに一礼した。
「聖樹騎士団の、ヴァンシュトス・トロイア、だ……今日は……よろしく、頼む」
ん?
トロイア?
トロイア……。
あ。
そういえば。
前にセシリーさんが言っていた。
バシュカータ・トロイアの兄が聖樹八剣だって。
てことは……バシュカータのお兄さん!?
「あ、ど、どうも……はじめまして、相楽黒彦といいます」
「……キュリエ・ヴェルステインです」
「そ、そうか……君が、サガラと、キュリエ……か」
目を細めてヴァンシュトスさんが俺たちを見つめた。
何か思うところがあるって感じだ。
「今日はあなただけ?」
マキナさんが聞いた。
「いえ……自分だけ、では……ありま、せん」
ヴァンシュトスさんが坂の方を振り向く。
つられて俺たちの視線も坂の方へ。
すると一台の馬車が坂をのぼってくるのが見えた。
そして馬車は坂をのぼり切ると、こちらも俺たちの前で止まった。
御者が挨拶をした後、馬車のドアが開く。
最初に降りてきたのは、薄いレモン色の髪を持った……ええっと、女性?
いや……男か?
その人物もヴァンシュトスさんと同じ制服を着用していた。
「これは……またもや、意外な人物のお出ましね」
今度のマキナさんの声には驚きが含まれていた。
そして俺の方はというと、再びどこかでその人物を見たことがあるような既視感に襲われていた。
が、こちらはすぐに気づいた。
はっとする美貌に加えて、口元に浮かべた笑みが『彼女』にそっくりだったからだ。
この人はおそらく――
「ディアレス・アークライト」
マキナさんが馬車から降りてきた人物の名を口にした。
ディアレス・アークライト。
セシリー・アークライトの兄。
聖樹騎士団の副団長だと聞いている。
そうか。
あれが、セシリーさんのお兄さんか……。
学生時代、たった三人の攻略班で聖遺跡の到達階層記録を塗り替えた男。
確か彼はセシリーさんが一つの目標としている人物だと――
「え?」
そこでマキナさんが目を丸くし、さらに濃い驚きの声を発した。
彼女の視線は馬車のドアに固定されたまま。
どうやら馬車には他にも誰か乗っていたらしい。
ディアレスさんに続いて出てきた人物が、カツ、とブーツの底で音を鳴らし地面を踏んだ。
男は気品と野性味が同居しているような不思議な雰囲気を持ち合わせていた。
そこに加え、静かながらも薄っすらと滲み出る威圧感。
その鋭い目つきは鷹を思わせた。
漆黒の瞳。
黒いウェーブがかった髪。
鷲鼻。
蓄えられた口髭と顎髭。
さらに異彩を放つのは彼の制服である。
服の感じはヴァンシュトスさんやディアレスさんと同じだが、色が違っている。
彼の着ている制服の色は、黒。
腰には金色の装飾をあしらった黒い鞘におさまった剣をかけていた。
それから――左腕がない。
隻腕。
制服の袖がそよぐ風に靡いている。
この人には心当たりがあった。
黒い制服。
多分この人は――
「聖位第三位ヴァンシュトス・トロイアに、聖樹騎士団副団長ディアレス・アークライト。それに加えてあなたまで来るとは……さすがに予想していなかったわ」
マキナさんが肩を竦めた。
「一体、どういう風のふき回しかしら?」
黒い制服の男は面白くもなさそうに一度周囲に一瞥をくれてから、マキナさんに向き直った。
男が口を開く。
「久しいな、ルノウスフィアの妹」
ヴァンシュトスさんとはまた違った渋みある低い声。
「ええ、お久しぶりね」
マキナさんが黒い制服の男を見上げた。
「聖樹騎士団長、ソギュート・シグムソス」