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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
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第8話「初めての夜」

「何を間抜けみたいに突っ立っているの?」

「え、その、なんというか……」


 学園長室の隣の部屋。

 そこに足を一歩踏み入れたところで、俺はガチガチに固まり、動けなくなってしまっていた。


 学園長の寝室は、全体的に紫を基調とした部屋だった。

 広さは学園長室よりちょっと狭いくらいか。

 今は分厚いカーテンに覆われているが、入って右手側の奥には、バルコニーへと通じているらしい大きな両開きのガラス窓。

 室内はぼやりとした暖色の光で照らされている。

 燭台に似た調度品に嵌め込まれた水晶らしきものが淡く発光していた。

 火を灯したものではないみたいだけど……。

 衛兵さんに連行されている時、廊下で目にしたものと似ていた。


 いや。

 正直そんなことは今、どうでもいい。


「…………」


 なぜだ。

 どうして今、俺は女の子(しかも美少女)と一室で二人っきりになっているんだ。

 一体、何をしたらいいんだ。

 一体、どうすればいいんだ。

 俺は呆然としたまま、アホみたいにドアの前で突っ立っていた。

 しかも、異世界とはいえ、何気に初めて神聖領域とされる『女の子の部屋』に、足を踏み入れてしまった……。

 ふと、甘さの入りまじったラベンダーのような香りが鼻をついた。

 ああ、なるほど。

 さっきのハプニングで学園長と身体が密着した際に感じたにおいはこれだったのか。

 にしても……さっきから胸のドキドキが鳴りやまない。

 薄暗い夜の部屋で女の子と二人きり。

 しかも、あんな可愛くて美人な子とだ。

 ふと、先ほどの学園長室での学園長の言葉が思い出される。


 ――あなたにはある程度、いい目をみさせてあげましょう。


 さっきは『???』な状態だったが、今になって、あの言葉の意味が頭の中でじわじわと拡大解釈されていく。

 いい目って、つまり……。

 いや、落ち着け。

 落ち着くんだ、俺。

 男子たるもの心にヘンタイを飼ってはいても、常に紳士として振る舞わねばならない。

 それにこういうのは、男側の勘違いだったりするのが定石である。

 そうだ。

 無闇に期待して裏切られるくらいなら、いっそ――


「!?」


 心臓が一段と跳ね上がる。

 こっちに背を向けている学園長の丸く白い肩が、剥き出しになっていた。

 ゴスロリ風の服を、脱ごうとしているんだよな?

 男子の前で生着替え、だと……。


「が、学園長! さすがに、それは――」


 ゆっくりと学園長が振り返った。

 悪戯っぽい流し目がこちらへ向けられる。

 その口元には、妖艶な微笑。


「ふーん……これくらいで照れる男なのね、あなたって」

「そ、そりゃあ照れますって! だって、俺――」


 こんな風に女の子と二人きりになるなんて、は、初めてだし。

 俺がどぎまぎしていると、今度は平然とした顔で、学園長が露出した肩をすっと隠した。

 ……ま、まさか俺、何かを試されているのか?


「どうする? 私が着替え終えるまで、部屋の外で待つ? それとも……私に背を向けて待つ?」


 俺はくるりと半回転。


「着替え終わるまで、ここで待ってます!」


 部屋から出たら、そのまま鍵をしめられてしまう可能性もありうる。

 いや、別に鍵をしめられたところで別段なんの問題もないのだが……。

 ふっ、という微笑の漏れる音がした。


「そう。では、少し待っていてもらえるかしら」


 しゅるしゅるしゅる、という衣擦れの音が、耳に入ってくる……。

 この間も、俺の心臓はどっくんどっくん高鳴っていた。

 今振り返ったら、ものすごい光景が広がっているのだろう。

 でも……駄目だ!

 なんかここで振り返ってしまったら、負けな気がする。

 いや、何に負けるのかは知らないけど。

 しかし、ともかく負けてはならない――そんな気がする。

 堪えてくれ、俺の本能よ。


「はい、いいわよ」

「よし、耐えた! よくやった俺! これで俺もついに男の中の男に――って、うわぁぁああああ!」

「何よ?」

「それが、しゅ、就寝用の服なんですか?」

「そうだけれど……ひょっとして、あなたの世界では見慣れないものなのかしら?」

「いえ、リアルには見慣れてませんが、似たようなものなら」

「ま、普段は原則この部屋に人は入れないから、確かにこの格好を誰かに見られることは珍しいけれど……そうね、多少、露出は高いのかもしれないわね」


 学園長は上目遣いに俺を見ると、小悪魔めいた微笑を浮かべた。


「こういうのはお嫌い?」

「め、滅相もございません!」

「はい、よろしい」


 満足げに頷く学園長。

 ……てか、あれだよな?

 こっちでの名称は違うのかもしれないけど、いわゆるネグリジェってやつだよな、あれ。

 俺は改めて学園長を見下ろす。

 ヘッドドレスはすでに取っており、長い黒髪は腰まで垂れている。

 ふむ。

 さっきまでのゴスロリ服と比べると、身体のラインが実にわかりやすい。

 フリル好きなのか、胸元には白いレースのフリルが――

 うっ。

 今、気づいた。

 こ、このアングル……!

 ちょうど背の高さ的に、俺は学園長を見下ろす形になっている。

 そう。

 この位置だと、胸元が。

 絶妙な加減の膨らみを持つ、汚れを知らぬ少女の胸の谷間が。

 上から見ると、物凄い破壊力だ。

 

「……あら? 一体、どこを見ているのかしら?」

「す、すみません! つい!」


 俺は自分の顔面を手で押さえると、きつく目を瞑った。

 なんだ?

 本当になんなんだ、この状況?

 彼女は俺に一体、何を求めているんだ?

 どうしろというんだ?

 これは、い、色仕掛けなのか?


「じゃ、寝るわよ」

「へ?」


 目を開くと、学園長が天蓋つきのベッドの上にちょこんと座っていた。


「ほら、来なさい?」


 学園長はベッドの上にぽっかり空いた自分の横スペースを、ぽんぽん、と叩いた。


「『来なさい』って……え?」

「添い寝してあげるから」

「え!? そ、添い寝ですか!?」

「あら? 嫌なのかしら?」

「そりゃあ嫌ってことは、ないですけどっ」


 添い寝。

 美少女と、添い寝。

 い、いいのかな……?

 いや。

 変わると、誓ったじゃないか。

 うん。

 きっとこれも、俺が変わるための第一歩なのだ。

 …………。

 そういうことに、しておこう。

 

「で、では、失礼します……」


 とりあえず靴と靴下だけ脱ぐと、おっかなびっくり、俺は学園長の布団に足を滑り込ませる。

 ごくり……。

 お、女の子と同衾……いや、正確には『同衾』というわけではないんだろうけど……。

 学園長はというと、俺が布団に潜り込むのを気にした風もなく、ぽてん、と枕にその小さな後頭部をうずめた。

 一方の俺はといえば、ふき上がってきた照れくささをどう処理したらよいのかわからず、結局ごろりと横になり、彼女に背中を向ける形となってしまった。

 いや。

 だって、さすがに学園長の方を向いてたら眠れないだろ……。

 うぅ。

 何もできない。

 むしろ、緊張しすぎて息苦しいくらいだ。

 と、情けなさをひしひしと感じている俺に、学園長が話しかけてきた。


「一応、言っておくけれど――」

「も、もちろん手なんて出しませんよ! 安心してください! これでも紳士の端くれですから!」

「そんなのは当然のことでしょう。もしここで私に手を出したりしたら、死罪よ?」

「ですよねー……」


 しかも相手が学園長となると、色んな意味で犯罪臭がする。


「今この国で……いえ、この世界であなたが実質上頼れるのはこの私しかいないのだから、私の心象を損なうのは賢いとはいえないわね」

「つまりご機嫌取りに終始しろと?」

「まあ……死刑に処される覚悟があるのなら――」


 そっ、と学園長が身体を寄せてきた。


「試してみてもいいけれど?」


 うっ。

 顔面が一気に熱を持つ。


「し、しませんよ!」

「ふふ……さすがは紳士の端くれさん、というところかしら?」


 口を尖らせつつ、俺は振り向く。

 学園長は、愉快げに口元をゆがめていた。

 なんだろう。

 この、いいように弄ばれてる感…。


「まあ正味な話、異世界からの来訪者だなんていう突飛な話を信じた上、衣食住まで提供してくれる人間なんて、そうそう見つからないと思うわよ? それでも、試す気がおあり?」

「だから、何もしませんってば……」


 学園長は睫毛を伏せて微笑を浮かべると、こくりと頷いた。 


「よろしい」


 俺は再び背を向けた。

 やっぱ喰えないよな、この人。

 …………。


「ねえ、学園長」

「何かしら?」

「こんな風にしてくれるのってやっぱり……俺が、禁呪とかいうのを使えるからですよね?」

「……そうよ」


 意外とあっさり認めた。

 潔いといえば潔い。

 と、学園長の指先が、すっ、と俺の背を縦に一筋なぞった。

 一瞬、ぞくりとした。


「だからこうして、慣れないことをしているんじゃない。ああ……ちなみにさっき言いかけたのは、そのことよ。普段の私は誰かれかまわず男を自分の寝所に招き入れるような女ではない……そのあたり、勘違いしてほしくなくて。私にも一応、ちっぽけながらも自尊心くらいはあるから」


 なぞったまま止まっていた指先が、今度はぐりぐりと円を描きはじめた。

 ……くすぐったい。

 少しして、円を描く指先が停止する。


「私もね、これでも色々あるのよ」

「でしょうね」

「あら、まるでわかったような口をきくのね?」

「さっきから見てて、なんか気苦労多そうな感じしますもん」

「生意気」


 きゅっ、と腰のあたりの肉をつねられた。

 しかも捻りまで入れてくるとは……。


 それからしばらく学園長は黙り込んだ。

 そして不意に、ぽつりと漏らした。


「ま、しがらみのない別世界の人間なら、案外いい愚痴の聞き役になってくれるかもしれない……そんな思惑も、あるのかもしれないけどね」

「え?」


 くすっ、と学園長が微笑を漏らす。


「なんにせよ、私は自分勝手な女なの」

「自分勝手な女、ですか」

「それにしても……あなた、思ったよりけっこう話しやすいわね」

「え? そうですか?」


 なんか嬉しいこと言われたぞ。

 が、すぐに背中から面白がるような笑みが。


「今、もしかしたらちょっと脈があるかもって思った?」

「…………」


 なんだ、からかわれただけか……。


「マキナ、でいいわ」

「はい?」

「『学園長』じゃ、些か堅苦しいでしょう?」


 さっきもリーザさんに『マキナと呼んで』みたいなこと言っていたしな。

 名前で呼ばれる方が好きな人なのかもしれない。


「わかりました……ええっと、マキナさん?」

「よろしい」


 うーん。

 なんだか照れるな……。


「今日も、疲れたわ……」


 学園長が体勢を変えた。


「なら、もう寝たらいいのでは?」

「あなたのその間の抜けた声、なんだか子守唄みたいね」


 ひどい。


 にしても、と俺は思った。

 まさかいきなり学生の身分に戻るとはなぁ……。

 背中に学園長……マキナさんのぬくもりを感じながら、自分の置かれた状況について思考を巡らせる。

 まあ、幸運といえば幸運なのだろう。

 異世界初日にして、こんな綺麗な美少女に添い寝してもらっているわけだし。

 ……なんかもう、布団すらいいにおいがするし。

 そして、布団の中で俺の身体が感じているぬくもりがマキナさんのものだと考えると……なんか、こそばゆくなってくる。

 嬉し恥ずかしというか、なんというか。

 しかもこんな至近距離で息遣いまで聞こえてきた日には……ん?

 息遣い?

 この規則的な息遣いは――

 そーっと上半身を捻り、後ろを振り向く。


 マキナさんはこちらに顔を向けたまま、すでに眠りにおちていた。


 すぅすぅと、小動物めいた静かな寝息を立てている。

 俺は改めてマキナさんを観察する。

 しかし、ほんと美少女だよな。

 顔、小さいし。

 睫毛とか整い過ぎだし。

 肌とかも滑らかすぎだし。


「ん――」


 小さく唸ると、マキナさんが眉根を寄せた。

 が、すぐに穏やかな寝顔に戻る。

 これは……本気で寝入っているみたいだな。


「…………」


 音を極力立てないように体勢を変えると、俺は両手を枕にして天蓋の天井を見上げた。

 それから、すやすやと眠る異世界の美少女を横目で見た。

 なんていうか……無防備すぎるよな。

 会ってから一日も経ってない男を自分の寝所に招いて、取引の意図があるとはいえ、一緒のベッドに寝かせて……それで、この寝顔だもんなぁ。

 ある意味、反則だ。


「さて、と」


 俺はそっとベッドから這い出ると、部屋の中にあった横長のソファに寝転がった。

 視線を再び天井へ固定。

 そしてぼんやり天上を眺めながら、今日の起きたを振り返りはじめる。


 死んでもいいやと思って、あの山に登った。

 で、なぜか異世界に飛ばされて、

 目を覚ましたら懲罰房とかいう不穏な名前の部屋にぶち込まれそうになって、

 さらに変な呪文書を読んだら、禁呪とかいう奇妙なもんが使えるようになった。


 そしたら、禁呪を使えるようになったことでマキナさんから誘いを受けて、この学園の生徒として入学することに。

 そして今、学園の学園長であるマキナさんの寝室で、一人ぼんやりと天井を眺めている……。


 ――まるで、夢みたいだ。


 あるいは明日の朝、目を覚ましたら、あの薄暗くてじめじめした俺の部屋の天井が目に飛び込んでくるのかもしれない。

 そう、


 ――ひょっとすると、すべては夢で。


 そんな考えが頭に浮かんだ途端、なんだか怖くなった。

 そこで理解した。

 ああ、そうか。

 戻りたくないって思ってるんだな、俺。

 もう、あの世界には。


「まったく未練がないってのも、なんだかな……」


 それでも一片の郷愁すら感じないのは事実。

 特に自分の周囲の世界に対しては。

 自分の居場所がなかった、あの世界。

 再会したい人の顔など、誰一人として思い浮かばない世界。

 結局、俺は二十七年間――


「そういえば」


 自分の手のひらを見つめる。


「どうして俺、若返ったんだろう?」


 そこで、ある一つの推論が頭の中に浮かんだ。

 そう。

 人間には二つの年齢が存在する。


 肉体年齢と、

 精神年齢だ。


 もしかすると……こっちの世界に飛ばされた際、肉体が精神年齢に引きずられた、とかなのか?

 …………。

 ぽりぽりと鼻の頭を掻く。

 えーっと。

 案外それで説明がついてしまう気がして、怖い。


 だがもしそうだとすれば、俺は肉体だけ年を重ねて、精神はまるで成長していなかったということに……。

 つまり、二十七歳の相楽黒彦とは、半透明な実在とでも呼ぶべき非常に不確かな存在であった可能性が――


「…………」


 アホか。


 はぁ、とため息を吐く。

 やめやめ。

 ま、いいさ。

 仮に精神の成長が十代半ばで止まっていたことがわかったとしても、別に過去に遡って成長分を一気に取り戻せるわけでもないんだし。

 むしろ肉体も若返った方が心機一転、やる気も出るってもんさ。

 そのおかげなのかなんなのか、やけに気力も充実しているし。

 これといって悪いこともあるまい。

 ま、難しいことはまたそのうち考えることとしよう。

 と、そこで、


「……ん」


 不意に、強烈な眠気が襲ってきた。

 実際、今日は色々とありすぎた。

 身体も精神も、疲労が限界にきているのだろう。

 そうだな。

 とりあえず今日は、もう眠るとするか。


 俺は静かに目を閉じた。


          *


 異世界で過ごす初めての夜は、こうして終わりを迎えた。

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[良い点] 設定は面白い。 [気になる点] 衛兵はもちろん、学園長がウザいので読み始めて早々に読む気がなくなってしまった。それから主人公が情けなくて読んでいて少しイライラする。
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