第72話「雑音」
キュリエさんと同じ第6院の出身者。
その男が一体――
「俺になんの用だ?」
ロキアはくつろいだ様子で答えた。
「なぁに、ちょっと話をしてみたくてな。ヒビガミの――」
俺は不安げに見守るミアさんを一瞥した。
「悪いけど、話がしたいなら外で頼めないか?」
親指でドアを示す。
「それは多分、彼女に聞かせるような話じゃないから」
ヒビガミの話題。
彼女に余計な心配をかけさせかねない。
「クロヒコ様……大丈夫、なのですか? 今その方、だ、第6院と……」
気遣わしげなミアさんに笑いかける。
「心配しないでください。すぐ戻りますから」
笑みを消してロキアに向き直る。
「じゃ、行こうか」
ロキアは口元に笑みを残したまま無言で頷いた。
先にロキアから外に出てもらった。
そして俺も続き、外に出た。
あたりにひと気はない。
近くの雑木林が夜風を受けて静かに揺れていた。
他に目につくものといえば女子宿舎の窓から漏れる明かりと、同じく宿舎の煙突からたなびく煙くらい。
家を囲む柵にロキアが腰かけた。
「なかなか落ち着いてやがるな。思いやりもある。こいつは想像よりも――って、何をブツブツ言ってやがるんだ?」
「――第九禁呪、解放」
「あ?」
ロキアの四方に次元の穴が現れた。
鎖がロキアを拘束。
「あぁ!? おい、なんだこりゃあ!?」
「安心しろ。その鎖は今のままなら拘束するだけだ。危害を加えるつもりはない――今のところは。それとこんなことをしておいてなんだけど、俺に敵対の意思はない――これも、今のところは」
第6院の出身者。
俺や周囲の人間に害を及ぼす人物かどうかは未知数。
が、甘い顔をしつつも不意打ち、なんてのは普通にありうる。
ミアさんへ何もしなかったのも俺を油断させるための布石かもしれない。
若干の迷いはあったが……結局、先手を打つことにした。
ただ、有効かどうかは不安が残る。
ヒビガミに巨人と、いとも簡単に鎖を断ち切る相手と連戦だったからな……。
この男も容易に鎖の呪縛から抜け出すかもしれない。
そんな危惧も残っているが――
「いい! 出るな!」
ロキアが声を上げた。
「ここはテメェの出る幕じゃねぇよゴズト! こいつは今のところオレを傷つける気はねぇ!」
誰かに呼びかけている?
ゴズト?
近くに仲間が潜んでるのか?
周囲を警戒する。
いるとすれば……そこの雑木林か?
「悪ぃな。あいつは場の空気ってもんを読むことができなくてよ」
先ほどのロキアの言葉が引っかかった。
「……どうして俺があんたを傷つける気がないと思った?」
「ククク……わかっちまうんだよ。わかっちまうもんはしょうがねぇだろ?」
「わかるものなのか?」
「今のテメェには敵意も殺気もねぇからな。が、オレを『敵』と判断したなら迷わず攻撃を加えるだろうこともわかる。目が告げてるぜ? ま、安心しな。オレも危害を加えるつもりはねぇからよ――つーより、テメェに危害を加えようもんなら、オレがキュリエに殺されちまう」
敵意がない。
それは目の前の男も同じだった。
ロキアは抵抗する素振りどころか拘束を解こうとする素振りすら見せない。
手ぶらであることからまず真っ先に術式使いである可能性を考えた。
が、もし術式を使おうと試みてもあの鎖に拘束されている限り使用は不可能。
さらに術式を発動しようとした場合、鎖の性質をわかっていない者ならば戸惑う反応を見せるはず。
あの時のマキナさんのように。
そしてそのような反応を見せたなら『敵意あり』とみなしてこちらも遠慮なく攻撃に思考を移せる……そんな腹づもりだったのだが。
しっかり仲間を待機させていたのか。
手抜かりのない男である。
…………。
一応、警戒は怠らずにおこう。
「で、あんたはこの学園に何をしに?」
「キュリエと同じ目的、とでも言っておくべきかな」
間髪入れずに答えが返ってきた。
「つまり、ノイズを探しに?」
「ほぉ」
ロキアが皿のように目を丸くした。
「あいつ、ノイズのことも話したのか。テメェ、よっぽどキュリエに信頼されてやがるな。フハハハ……あのキュリエとヒビガミから気に入られる人間なんざ、生まれて初めて出会ったぜ」
「そんな驚くようなことなのか?」
それにキュリエさんはともかくヒビガミから気に入られても……あんまり嬉しくないぞ。
「わかってねぇな。自分が最強すぎて世の中つまらんとぶつくさうるさかったあのヒビガミがだぞ? なんと生涯の宿敵を見つけた上にそいつに愛刀まで託したっていうじゃねぇか。で、その生涯の宿敵とやらにひどく興味が湧いてな?」
「それで俺に会いに来た?」
「ああ。持久戦になりそうなノイズ探しの、暇潰しにな」
ノイズ探し、か。
この男もノイズという人物を追ってこの学園に来た。
ノイズ・ディース。
一体何者なのだろう?
そしてロキアは聞いてもいないのに色々なことを喋った。
例の留置室を壊した男がゴズトであること。
そのゴズトでは頼りないと判断してロキア自らが学園に出向いたこと。
ノイズを追っている理由は盗まれた愛剣を取り戻すためだということ。
自分が終末郷の三大組織の一つ『愚者の王国』のリーダーであること。
「今の、そんなあっさり俺に話してよかったのか?」
「あ? 礼儀だよ、礼儀。ま、あえて自分から秘密を明かすのは相手の信頼を勝ち取るにゃあ有効な手法だ。秘密の共有は信頼を生むからな。ったく、どいつもこいつもチョロすぎるぜ」
それを口にしたらせっかくの信頼度もご破算な気がするんだが……。
なんだかフワフワして掴めない男だ。
「しかし、これが例の禁呪ってやつか。テメェ、本当に禁呪使いなんだな」
興味津々といった顔でロキアが自分を拘束する鎖を見下ろす。
「まあ、一応」
それになんだろう?
鎖に拘束されながらも、あの落ち着きっぷり。
やっぱり終末郷で名のある組織を率いているだけあって、大物なのか。
「にしてもテメェ――嫌な目をしてやがる」
「え?」
嫌な目?
「最悪な目といってもいい」
「…………」
俺の知ってる少年漫画の主人公なら大体『よい目をしておる』とか老師的な人に言われるはずなんだが……よもや嫌な目をしているなんて言われるとは。
ひどすぎる。
「フフフ……なるほどな。ヒビガミがご執心なのもわかる気がしてきた。こいつは精神の中枢が純粋なゆえに、危険なんだな。確かに方向性を与えてやれば一気に化ける可能性はある……どっちにもな」
何を言ってるんだ、こいつ?
「あ、あんたは一体俺の何を知ってるっていうんだ?」
「これでも人を見る目にゃ自信があんだよ。言っただろ? わかるんだよ、オレにはな。そして――」
ロキアのその笑みに込められているのは、歓喜に近い感情。
「テメェは正しく道を間違えれば、最高の邪悪になれる可能性がある」
正しく道を間違えるって、なんだよ……。
しかも最高の邪悪って。
別に正義の味方になりたいわけではないけど、最高の邪悪なんてものになるつもりはないぞ?
「禁呪のせいかどうかは知らねぇがテメェからは何か不吉な感じがするぜ。異物、っつーべきかな。どう表現すべきかわからねぇが……そうだな、本来ここにいないはずの存在、とでも表現するべきか?」
「…………」
本当になんなんだ、こいつ?
「ま、それはいい。なあ、どうだ? テメェ……オレのところに来ねぇか?」
「は?」
「フハハ、わかれよ。『愚者の王国』のメンバーにならねぇかって誘ってんのさ」
「な、なんだって?」
「オレの下につけなんてケチくせぇことは言わねぇ。力がついて周りの連中も認めりゃあテメェが王になったっていいんだ。いや、最終的には終末郷を総べることだって可能かもしれねぇぜ? ああ、三年後にヒビガミとやるんだろ? あそこならヒビガミと戦う準備をするための相手にゃ事欠かねぇぜ? 修行がてら、存分に気に入ったやつを殺せばいい」
「ちょっ、ちょっと待ってくれよっ」
だから何を言ってるんだよ、こいつは?
「そうか、他にも報酬が必要ってか? なんだ? 金か? それとも人間か? 望むなら女でも男でも、綺麗どころを用意してやるぜ?」
「な、なんで急にそんな話になるんだよ? この短い間に一体、俺のどこに価値を見出したっていうんだ?」
「あの二人……ヒビガミとキュリエがテメェにご執心だって事実がまず、その価値を担保してんだよ。まあ、こうして面を突き合わせて話してみるまでは、オレもテメェの凄さはよくわかってなかったがな……だが、もうわかった」
ロキアは嬉しそうだった。
「禁呪をその身に宿しているってだけじゃない。テメェは最高の外道になれる素質がある。その、純粋さゆえにな」
何を言っているのかよくわからない。
純粋?
俺が?
しかも、最高の外道って……。
クックック、とロキアが愉快げに笑う。
「その自覚のないとこが、すべてを証明してるじゃねぇか――ん?」
「ヒビガミより先に私に殺されたいようだな、ロキア」
刺すような鋭い声。
俺とロキアの視線は声のした方へ――声は雑木林の方から。
「ぐっ」
雑木林の中から、棺桶を担いだ男が苦しげな呻きと共に飛び出してきた。
そして男は前のめりに倒れた。
男はスキンヘッドで、口ひげを生やしている。
あの大きな棺桶を背負えるだけあって体格はいい。
ちらっと見えた顔の感じからするとそれなりの年のようだが……。
おそらく彼がゴズトという男だろう。
ロキアとは違い制服は着ていなかった。
「す、すまん、ロキア」
そんな謝罪を口にするゴズトの後ろから現れたのは、
「言ったはずだな? ノイズ探しのために動く分には見逃してやるが、クロヒコに手を出したら承知しないと?」
制服姿のキュリエさんだった。
冴え冴えとした月めいた冷たい表情をしている。
「ま、待てよキュリエ! 見ての通りオレは禁呪で拘束されてんだぜ!? それにな……オレはサガラ・クロヒコと接触しないとは一言も言ってねぇ」
にやり、とロキアが笑う。
「『サガラ・クロヒコを傷つけたり、嫌な思いをさせるつもりはねぇ』と言ったんだぜ?」
「減らず口を……大丈夫か、クロヒコ?」
「大丈夫です。何もされてません」
「……そうか。ああ、禁呪はもう解いてもいいぞ。こいつが妙な動きをしたら私がすぐに片づけるから」
「わ、わかりました」
俺は第九禁呪を解いた。
そして鎖が消えた後、
「ええっと、その、悪かった……」
俺はそうロキアに声をかけた。
「あ? 何がだ?」
制服を整えながらロキアが首を傾げる。
「いや、話も聞かずに禁呪を使っちゃったから」
「ああ……気にすんな。テメェの行動は間違っちゃいねぇよ。むしろなんの気構えもなしにホイホイついてきてたら、それこそ失望してたかもしれねぇ」
「あんた……イイやつだな」
「は?」
「俺も話してみてなんとなくわかったよ……あんたは、そんな悪いやつじゃない」
「クロヒコ!?」
キュリエさんが珍しく素っ頓狂な声を上げた。
一方、
「フ……フハハ、フハハハハハハハハ!」
ロキアが高笑いを上げた。
「このオレが『イイやつ』だと!? おい聞いたかキュリエ!? こいつ今このオレを『イイやつ』だと言ったぞ!? 終末郷でも恐れられる『愚者の王国』の『魔王』をだ! 一体どこをどうしたらオレが『イイやつ』に見えるんだ!?」
ニィ、とロキアは口の両端を大きく弧に歪めた。
牙のように尖った歯が覗いている。
「だが、そうか……テメェは自分の基準を優先できる人間なわけだ。そういう人間は嫌いじゃねぇ。どうだ? さっきの話、真剣に考えてみねぇか?」
キュリエさんが近寄ってきて、まるで渡すまいとするかのように俺を抱き寄せた。
「……クロヒコに何を持ちかけた?」
「きゅ、キュリエさん、その、あ、当たってますって……」
制服越しに胸が。
「なーに、ちょいとオレの組織に興味がないかお伺いを立ててみただけさ」
「なんだと? 貴様――」
「待て待て。強制はしてねぇし、するつもりもねぇよ。今後もな。だがまあ――テメェとヒビガミを向こうに回してでも、欲しい人材ではあるかもな」
ひゅっ、と。
俺から一瞬で離れたキュリエさんが、ロキアの首を刈り取るかのような鋭い蹴りを放った。
「っと、危ねぇじゃねぇかテメェ! 今、殺す気だったろ!?」
ロキアは辛うじて身体を傾け蹴りを避けた。
「フン……殺しても死なないようなやつが、何を言う」
「はっ、相変わらず嬉しくなるほど恐ろしい女だなテメェは! しかもその服で蹴りなんざしたら見えちまうだろうが……愛しのクロヒコ殿の前ではしたないたぁ思わねぇのか?」
「下着くらい見えたところで……あ、いや――」
キュリエさんはスカートの端をおさえると、不安げに俺の方を見やった。
えっと、あの……見えてしまったのは、事実ですが……。
「へぇ? やっぱ愛しの男の前じゃ恥じらいが出ちまうもんかね? フハハハハ、またもや珍しいもんを見せてもらった。あのキュリエ・ヴェルステインが恥じらいやがった。やっぱ変われば変わるもんだな、人間ってのは」
「……クロヒコは今後も終末郷になど行かん。私が、行かせない」
「あんま過保護すぎるのもどーかとは思うがな。ちょっとした侮辱だぜ、クロヒコがいつまでもテメェに守られてるばっかりの男だと思い込むのはな」
「私は、そんな――」
「んなことより、ノイズの件だがよ」
そこでロキアが話題を切り替えた。
「どうやらクロヒコに話したみてぇじゃねぇか。テメェがクロヒコを巻き込みたくねぇのか巻き込む気満々なのか、いまいちオレにゃあ判断つかねぇんだが」
「俺は……キュリエさんに協力できることがあったら協力したい。だからノイズって人を探すのも、手伝えるなら手伝いたい。だから情報を知りたいと思う」
「クロヒコがそう言ってるってこたぁ、テメェも異論はねぇわけか?」
ロキアの問いにキュリエさんは一瞬の躊躇いを見せつつも、首肯した。
「異論がないわけではないが……事情くらいは話しておくべきだと思ってな」
それから彼女はやや空気を和らげると、ロキアに話を振った。
「そのノイズのことで、一つ気になっていることがあるんだが」
「ん? なんだ?」
「先日聖遺跡に現れた巨人の件は、知っているか?」
「……ま、一応はな。それがどうかしたのか?」
「その巨人の性質が、少し気にかかった」
「あぁ? 性質ぅ?」
「あの異常な聖素の吸収力、まるで誰かさんみたいだと思ってな」
「つまり……オレみたいだったと言いたいわけか?」
二人の視線が交差する。
微かな緊張が流れた。
「いや、おまえの仕業だとは思っていない。が、今日になってある一つの考えが浮かんだんだ。あの巨人は何者かにによって『作り出された』ものなんじゃないか、という考えがな」
「で、その巨人がオレを参考にして作られたと? だとしたら……そんなことができる人物は限られてくるぜ?」
「言わずともわかるな?」
「ノイズか」
「ああ、私はそう考えている」
「なるほど、そうきやがったか」
ノイズならやりかねない。
ロキアはそう言いたげだった。
「なぜ巨人や小型種は聖遺跡の魔物にできないはずの階層移動ができたのか? しかも巨人が従えていた小型種は聖遺跡の魔物を襲っていた。このことから、巨人は聖遺跡の魔物ではない可能性が考えられる。巨人や小型種は聖遺跡にとって異物だったんだ」
「つまりテメェはその巨人どもがノイズによって聖遺跡内で『作り出された』って言いたいわけか?」
キュリエさんが頷いた。
ロキアが喉仏をいじりはじめる。
「目的は……ま、キュリエで間違いはねぇか」
キュリエさんが目的?
どういうことだろう?
「そして後で気づいたんだが……あの時、ノイズは聖遺跡内にいたのかもしれない」
「え?」
ノイズ・ディースが、聖遺跡内にいた?
「クロヒコ」
「は、はい」
キュリエさんの視線が俺へ向けられた。
「おまえにはあの巨人、何に見えた?」
「え? 聖遺跡の魔物だと思ってましたけど……」
「まあそうだろうな。聖遺跡の中に出現したのだから普通はそう思うのが自然だ。しかも最近は聖遺跡の異変が噂されていた。未知の魔物が現れても、誰も不思議には思わんだろう」
キュリエさんは記憶を探るようにして顎へ手をやった。
「それでだ。あの時……フィブルクの後、遅れて姿を見せたフィブルク班の生徒たちがいたな?」
巨人と小型種から逃げてきたベオザさんと数人の生徒たち。
彼らはフィブルクの少し後にやって来た。
「直後、真っ先にこっちに駆け寄ってきてセシリーの手を取った生徒がいただろ?」
「え、ええ」
「その生徒は助けを求めながらこう口にした。『青くなったゴーレムみたいなのが』と」
記憶を探る。
うん。
確かにそう言っていた気がする。
あの時は状況が状況だったのもあって特に違和感は覚えなかったけれど……。
キュリエさんが続ける。
「だが皆、討伐作戦の時はずっと『巨人』と呼んでいたはずなんだ」
「そういえば、そうでしたね」
ふむ。
つまりキュリエさんはその女生徒が『ゴーレム』と言ったことが引っかかっているわけか。
けどゴーレムってこの世界ではどんなものなんだろう?
すると、まるで俺が思い浮かべた疑問に答えるかのようにキュリエさんがゴーレムについて話しはじめた。
「確かに呪文詠唱で作り上げる『ゴーレム』というものは存在する。が、今では一般に失われた呪文とされている。さらにゴーレムを連想させる魔物は聖遺跡図鑑には載っていない……なのになぜ、その生徒は『ゴーレム』という単語を使ったのか? 後で気づいて……違和感を覚えた」
「けどそれは、その生徒が単にゴーレムを連想したってだけなんじゃねぇか?」
ロキアが疑問を差し挟んだ。
一理ある。
書物か何かで知っていて咄嗟に口をついて出ただけって可能性は十分ある。
その発言だけを切り取って怪しいと判断するのはやや無理があるかもしれない。
が、そこにはキュリエさんも考えは至っていたらしく、
「かもしれんな」
あっさりロキアの疑問を認めた。
「だが、それだけじゃないんだ」
どうやら他にも違和感の材料があったようだ。
キュリエさんは記憶を探るような顔になる。
「その女子生徒の防具の壊れ方が妙だったんだよ。なんというか……わざとらしい壊れ方、とでもいうかな。しかもその女子生徒だけ、そのフィブルク班の中で唯一、まったく傷を負っていなかったんだ。他の生徒は少なからず傷を負っていたのにだ」
そうだ。
確かにあの女子生徒だけは防具が破損していただけで無傷だった。
あの時は単に運がよかったのだろうと思っていたけど……。
ん?
あれ?
そういえば。
もう一つ思い出した。
討伐作戦前。
食堂から出た互いの班が鉢合わせになって、その流れでキュリエさんがバシュカータたちの煽りに耐え切れなくなって口を出したことがあった。
その時、
『いやだ、ていうかあの銀髪の人綺麗だけど怖〜いっ』
そう口にしていたのも、同じ女子生徒だった気がする。
…………。
「ま、私の思い過ごしなのかもしれんがな」
キュリエさんは最後にそう言い添えた。
今の時点では微に入り細を穿った上での憶測に過ぎないかもしれない。
だが、ノイズ・ディースをよく知る同郷者だからこそ、その小さな可能性を捨てきれないのだろう。
ノイズ・ディース。
もし本当にあの女子生徒がノイズだったとするならば。
あまりにも自然に場に溶け込んでいて。
言うなれば――まるで場の雑音になっていない。
目に見える主張もなく。
はっきりとした形もない。
ただし、明確な形がないにも関わらず、確実に存在はしている。
ノイズ・ディースの遊び名は『無形遊戯』。
そう聞いた。
無形のまま、遊び戯れる。
なんとなく、彼女の遊び名の意味がわかってきたような気がした。
するとここで一つの疑問が生まれる。
しかし、なぜわざわざそんなことを……?
ん?
って、待てよ?
「え? でも気づかないもんなんですか? 同じ第6院の出身者なんですよね?」
変装でもしていたんだろうか?
「ああ、おまえには話してなかったな。ノイズはな、失われたゴーレム生成呪文の使い手でもあり――」
キュリエさんが心底面倒そうな顔で言った。
「自分の顔を自在に変えられる変化呪文の使い手でもあるんだよ」
*
あれから少し話し込んだ。
ロキアはこのまま学園内に残って調査を進めるようだ。
一度、学園の生徒のデータや最近の様子などをざっと調べ上げるつもりなのだという。
例えば、ある時期から様子が変わった生徒などがいないかどうか、など。
その情報は主に金銭報酬を中心として、相手の弱みにつけこんだり、相手の望むものを与えたりして得ているんだとか。
ああ見えて意外と手堅く慎重にやっているようだ。
一方、キュリエさんは近々ベオザさんに例の女子生徒について聞いてみるとのことである。
フィブルク班はメンバーをえり好みしたはずだから、素性の知れぬ者を班に加えることはしなかったはず。
となるとノイズがその生徒に成りすましていたことになる。
その成りすましていた生徒の周辺を洗えば何か出てくるかもしれない、という考えのようだ。
ベオザさんたちを救ったキュリエさんならば情報を引き出しやすいだろう。
またキュリエさん曰く、現在のロキアの行動については彼女の生活圏を脅かさないという条件で目こぼししているようだ。
ノイズを捕まえるという目的のために。
で、俺だが、
「時間があったら学園長に話を通しておいてくれ。どこまで情報を出すかはおまえに任せる。あの学園長は賢い。上手く取り計らってくれるだろう」
とのお達しが出た。
「俺がすること、それだけでいいんですか?」
「学園長と上手くやっているおまえだから頼むんだよ。それに……ここまで引き入れておいてなんだが、できればおまえを深入りさせたくない。ノイズを捕まえるのは極力、私とロキアでやるつもりだ」
「俺の力が必要になったら……いつでも言ってくださいね?」
「ああ、その時は頼む」
そんな風に俺たちが話し込んでいると、ついにいてもたってもいられなくなったのだろう、不安げな顔したミアさんがドアから顔を出した。
「あのぉ……ほ、本当に大丈夫でございますか? 先ほど、何か大きな声が聞こえましたが……」
会話はそこで自然と打ち切られた。
すぐに戻りますと俺に言われ、ミアさんは再び家の中へ。
ミアさんにこれ以上心配をかけさせるのも忍びなかったし、ノイズの話は彼女に聞かせるような話ではない。
彼女を下手に巻き込みたくない。
キュリエさんもすぐにノイズの話題を打ち切った。
様子からして彼女も俺と同じ思いだったようである。
それにまあ、こんなところで長く話し込んでは女子宿舎の生徒から不審がられるかもしれないし。
「そうだな、今日はここらで消えるとするか……おい行くぞ、ゴズト」
「うむ」
それまで地面の上にあぐらをかいてじっと押し黙っていたゴズトが立ち上がった。
ちなみに彼はこれまで会話には参加していない。
「ま、この学園にいりゃあまたどっかで顔を合わすだろ。怖ぇ銀髪女がいねぇ時にでもまたじっくり話すとしようぜ、禁呪使い」
「……死にたいようだな、ロキア」
「それ、今クロヒコの好感度が下がったぞ!? はっ、そんな強面な女に靡く男がいるかよ! ちったぁ乙女らしくしてみたらどうだ!? あのフェリル族の嬢ちゃんみてぇによ!?」
「……ぅ」
「てわけだクロヒコ! せいぜい怖いお姉さんにゃ気をつけることだ! そもそも美人にゃロクな女がいねぇからな! フハハ、フハハハハハハハハ! じゃあな! また会おうぜ!」
そう勝ち誇った高笑いを残しながら、ロキアはひらひらと手を振りゴズトと共に雑木林の中へと消えて行った。
ぐぬぬ顔のキュリエさんと、俺が残される。
「と、とりあえず、中に入りましょうか?」
「……うん」
「キュリエさん?」
「私……怖いか?」
「さ、さっきは、ちょっと」
「……ぅ」
「大丈夫ですって! キュリエさんが根の優しい人なのはよくわかってますから!」
ええっと……話題を変えなくては!
「そ、そういえばキュリエさんって、偶然ここを通りかかったんですかっ?」
急に雑木林から出てきたけど。
「ん、ああ……おまえの家の風呂を借りようと思って」
「お風呂を?」
「女子宿舎にも浴場はあるにはあるんだが、どうも他の生徒から向けられる視線に慣れなくてな……しかし今日はセシリーたちとの稽古で汗もかいたから、汗を流したくて」
「風呂を貸すくらい構いませんよ」
それに俺の持ち家ってわけでもないしな。
ま、公共財みたいなもんだ。
「すまんな。私は女子宿舎でも浮いているから、いつも奇異な目で見られるんだよ。あの感じにも慣れなくてはと思うのだが……しかしなぁ」
困り果てた風にキュリエさんが息をつく。
「悪意ある態度なら無視できるんだが、向けられるのが悪意ってわけでもないから戸惑うんだよ」
それは憧憬の念を向けられているのではないでしょうか?
キュリエさんって女子にもモテそうだし。
まあ、人となりを知らないと近づきがたい雰囲気を感じるってのはわかる。
だから女子生徒たちも距離感を測れずに、結果、本人から離れた位置で熱視線を送るくらいしかできなくなっているのかもしれない。
キュリエさんが雑木林に入って行き、麻袋を手にして戻ってきた。
着替えは持参してきたようだ。
「じゃあ、行きますか」
俺たちは二人で家に戻った。
そして家に入って事情を告げるとミアさんが、
「では、わたくしは本日はこれで」
と出て行こうとした。
「え? 帰るんですか?」
「あ、湯浴みの準備はできておりますから、ご心配なく。まだ湯も熱いはずです」
「そうじゃなくて――」
「ふふ、わたくしも野暮なことはいたしません。キュリエ様も、どうぞごゆるりと」
「ミアさん、あの――」
「めっ、ですよ、クロヒコ様」
人差し指を立てたミアさんにやんわりとお咎めを受けた。
「へ?」
「わたくしのことはかまいませんが……どうかキュリエ様のご心情、察してあげてくださいませ」
キュリエさんの心情?
「それでは改めて失礼いたします」
にこやかにお辞儀をすると、ミアさんは家から出て行った。
なんだったんだ?
疑問符を浮かべつつ、俺はキュリエさんが風呂から出てくるのを椅子に座って待った。
しばらくするとキュリエさんが脱衣場から出てくる。
「これ……借りてよかったかな?」
普段バスタオルに使っている布で髪を拭きながら、キュリエさんが湯気と共に出てきた。
「え、ええ」
「助かったよ。術式機はなくても、ちゃんと熱いいい湯だった。……ん? どうした?」
「あ、いえ……」
なんだろう。
湯上りのせいかやけにキュリエさんが色っぽく見える。
髪はしっとりと濡れていて、時折毛先から雫が垂れている。
顔が熱っぽく上気しているせいか瞳もちょっと潤んでいるように映る。
で、服なのだが。
下着などの中の服は替えたのだろう。
着ているのは見慣れた制服だった。
が、いつもは締まっている上着の前が開いており……その、中に着ている薄い白地の服が水分を吸っているせいで、透けて――。
駄目だ。
見てはいけない。
ここでまじまじと見ては紳士ではない。
俺は強く目を瞑った。
「何してるんだ?」
やけに近くに声を感じて、瞑っていた目を微かに開ける。
「ん? ――うわぁっ!?」
屈んだキュリエさんが俺の眼前で顔を覗き込んでいた。
宝石みたいな綺麗な瞳が不思議そうにじっと俺の瞳を見ている。
ていうか、ここからだと、む、胸元が――。
「きゅ、キュリエさんストーップ! 危ない!」
「危ないって……何がだ?」
「ま、まずは椅子に座りましょう、ね?」
「あ、ああ」
小首を傾げながらキュリエさんが椅子に座る。
俺の隣の椅子に。
てっきり向いに座るもんかと思っていたのだが……。
こ、怖いってなんだよ。
すごく――普通以上、女の子じゃないか。
あのロキアって男、目が腐ってんじゃないか?
と、ふとキュリエさんが浮かない表情をしているのに気づく。
「キュリエ、さん?」
「おまえさ……ロキアのところになんか、行かないよな?」
ぽつりと彼女がそう漏らした。
気にしていた、のか?
俺は苦笑する。
「行きませんよ。キュリエさんが、この学園にいる限りはね」
キュリエさんの口元にも笑みが戻る。
いつものクールな笑み。
「そうか。そう言ってくれて……その、嬉しいよ」
彼女の目元が緩む。
穏やかな沈黙が流れた。
「なあ、クロヒコ」
「はい」
「私がなぜノイズを追ってこの学園に来たか、知りたいか?」
キュリエさんが軽く首を振る。
「いや……話しておきたいんだろうな、私が」
苦笑気味にキュリエさんが許可を求めてくる。
「話しても、いいか?」
「どうぞ」
キュリエさんは前に向き直り、テーブルの上で両手を組み合わせた。
「ノイズはな、終末郷に十三の孤児院を作った女の居場所を知っているらしいんだよ」
元々は十三あった孤児院。
だがその荒廃し混沌に包まれた地で残ったのは第6院だけ。
俺は黙って彼女の次の言葉を待つ。
「おそらくノイズは第6院の中で唯一、あの女の居場所を知っている人間だ。私たちを捨てた、あの女の居所を」
フン、と鼻を鳴らしキュリエさんは続けた。
「まあ、捨てたことについて恨んではいない。あんな場所なら誰だって逃げ出したくもなるさ。ただ……私は知りたいんだよ。あの女が終末郷に十三もの孤児院を作った目的を。私たちをあの地獄で育てようとした、その理由をな」
昏いながらも決意めいたものが灯った瞳を、キュリエさんは虚空へと向けた。
「姿を消す前にあの女が私たちに言った言葉……あれは、今でもはっきりと覚えている」
キュリエさんの目は遠い過去へと向けられていた。
そして彼女は、静かにその言葉を口にした。
「『わたしは最高の失敗作を作り上げてしまった。わたしは、甘すぎた』」