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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
77/284

第70話「プレゼント」

「――きてください、クロヒコ様っ」


 誰かに身体を揺すられている。


「ん……」


 ミアさん?

 つまり……今は朝ってことか。


「う〜ん……」


 だが駄目だ。

 異様に眠い。

 顔が枕から離れてくれない。

 眠気に抗えない。

 かなりの疲労が身体に残留している。

 どうにか起きようと試みるが無意識が必死に抵抗してくる。


「昨晩のクロヒコ様ご本人がおっしゃった通り、まるでベッドから離れる気配がありません。ご自分のことを大変よくわかっていらっしゃるのですね……さすがでございます」


 ミアさんが感心した声で何やら言っている。

 俺の話をしているようだ。

 なんの話だろう?

 ぐぅ。


「し、仕方ありません。これは予期されていた事態……し、失礼いたします! ミアは昨晩のクロヒコ様のご指示に従います! ふ、ふぅぅ〜っ……!」


 生暖かい吐息が俺の耳朶をくすぐった。


「ひゃぁっ!」


 たまらず俺は跳ね起きた。

 ミアさんの笑顔が出迎える。


「あ……おはようございます、ミアさん」

「はいっ。おはようございます、クロヒコ様っ」


 笑顔から一転、不安げに口元に手をやるミアさん。


「あの……今の起こし方で大丈夫だったでしょうか?」

「ばっちりです! 助かりました!」


 俺はぐっと親指を立ててみせた。

 どうやら敏感ポイントである耳に刺激を与えた方がよいかもしれないと昨夜伝えておいたのは正解だったようである。


 昨夜は風呂からあがった後、俺はすぐ自室のベッドへと向かった。

 湯に浸かったおかげか張りつめていた気も完全にほぐれ、リラックス状態。

 で、そこから急速に襲ってきたのは抗いがたい眠気だった。


 ベッドに向かう前ミアさんから『明日の朝、また参ります』と言われた俺は、もし普段起きる時間になっても起きていなかったら強引にでも起こしてもらえないか、と頼んだのである。

 情けない話ではあるが、本当に疲れていて翌朝自分で起きられる自信がなかったのだ。

 思っていた以上に……第八禁呪第二界の負担は重かった。


「――っと」


 ベッドから降りて足をつくと、腿のあたりが軽い筋肉痛になっているのがわかった。

 左腕も少し重い感じがする。


「だ、大丈夫でございますか?」

「ええ。ただちょっと疲れが残ってるみたいで」

「ご無理はなさらないでくださいね?」


 言ってからミアさんが丁寧にお辞儀した。


「それではミアは朝食の準備をしてまいります。クロヒコ様はごゆっくり準備をなさってください」


 退室したミアさんがトタトタと階段を降りる音が耳に届く。

 ちゃっちゃと登校準備を終え、俺も下へ向かった。

 それからミアさん手製の朝食を胃袋におさめた。

 食事が終わると、いつものように二人で後片づけを終える。


 なんとも穏やかな朝だ。

 昨日聖遺跡で起こったことが嘘のようである。


 まだ登校時間まで余裕があった。

 せっかくなので前々から聞こうと思っていたことを聞いてみることにする。


「ところでなんですが」


 言いながら俺はミアさんに椅子を勧めた。

 礼を口にし、スカートの位置に気を配りながら対面の椅子に腰を下ろすミアさんが溌剌と返事をする。


「はい、なんでございましょうっ?」

「ミアさんの好きなものってなんですか?」

「わたしの好きなもの、でございますか?」


 きょとんとするミアさん。


 実は昨日聖遺跡で巨人や小型種を倒した際、その身体が溶けて消えた場所にいくつかクリスタルが残っていた。

 ブルーゴブリン戦の時は色々あって回収し損ねたのだが、今回はちゃっかり何個か回収していたのである。

 そのクリスタルはキュリエさんに預けてある。

 彼女が時間を見つけて換金してくれるとのことだ。


 で、そのクリスタルの換金によって得たお金で、前々から考えていたマキナさんとミアさんへの日ごろの感謝を込めたプレゼントをしようと思ったのである。

 サプライズ的に渡したいのでプレゼントのことは黙っているつもりだが、何か好きなものがあるならできれば聞いておきたい。


「そ、そうでございますね……わたくしは……」


 膝に手を揃えて置き、ミアさんが恐縮そうに肩を小さくする。

 へなり、と彼女のケモノ耳がへたった。


「く、クロヒコ様――」

「はい?」

「ですから……ミアはクロヒコ様が、好きで、ございます……」


 ぼっ、と俯き気味のミアさんの顔が真っ赤になった。


「え?」


 …………。

 俺?


「ぁぅ」


 モジモジするミアさん。

 ええっと、


「に、人間以外だと……どうでしょうか?」


 俺は頬に熱を感じながらも苦笑を浮かべつつ尋ねた。


「ひぇ!? に、人間以外……? あ……そうでございますよね!? いやだ、わたくしったら――」


 何かを察したらしいミアさんがきゅっと目を瞑って狼狽する。


「申し訳ございません! クロヒコ様のご質問の意図を何か勘違いしてしまったようで……」


 うーむ。

 さすがにこれは説明した方がいいかもしれないな。

 そう思い俺は質問の意図を彼女に伝えることにした。


「日ごろの感謝を返すための贈りもの、でございますか?」

「ええ」

「そうでございましたか……変なことを口走ってしまい、重ね重ね申し訳ありません」

「いえいえ、こっちこそすみませんでした。聞き方が曖昧すぎましたね」


 ミアさんは口元を自然と綻ばせると、噛み締めるような表情で胸元に手を当てた。


「わたくしなどのために贈りものなど……お気持ちだけで十分でございます」

「でも俺がプレゼントしたいんです。どうか、俺のわがままだと思って」


 頭を下げる。


「そ、そんなクロヒコ様、お顔を上げてくださいませっ」


 ミアさんのことだから似たようなことを言うだろうことは想像できていた。


「ぇぅ、で、でしたら、ですね……その、ミアは……クロヒコ様にお任せいたします」

「俺に任せる、ですか?」


 ミアさんの表情に込められている感情は信頼に似たものだった。


「はい。クロヒコ様がわたくしのために選んでくださったものならば、どんなものだろうと嬉しいです」

「な、なるほど」


 天使か、この人は。

 ふーむ。

 しかしこれは逆にハードルが上がった感もある。

 つまり俺のチョイス力が試されるわけで……。

 でも。

 せっかくああ言ってくれてるんだ。

 ここは俺なりに精一杯考えてミアさんへの贈りものを選ぼう。


「曖昧すぎて回答としては不適切でしょうか……?」

「大丈夫です。ええっと……では期待しすぎない程度に楽しみにしていてください」

「かしこまりました。お心遣い、感謝いたします」


 にこっと笑いかけるミアさん。


「で、この際なので聞いておきたいのですが……マキナさんの好きなものってわかります?」


 マキナさんにプレゼントを考えていることもさっき伝えておいた。


「マキナ様の好きなものでございますか」


 そうでございますねぇ、とミアさんは宙に視線を彷徨わせる。


「マキナ様への贈りものでしたら、服が喜ばれるかもしれません」

「普段着ているような?」

「はい。マキナ様は陶磁器人形が着ているような服がお好きですので」


 確かに普段ゴスロリっぽい服を着ているしな。


「ですが服となりますと高価なものも多いですから……そうございますね、服に合う服飾品などよろしいかもしれません」

「なるほど、服飾品ですか」

「はい」


 そうかぁ。


「わかりました。ちょっと考えてみます」

「ですがマキナ様も、クロヒコ様からいただいたものならばどんなものでもお喜びになると思いますよ」

「……そうですか?」

「はい。ですので、あまり詳しいご嗜好などはあえて話さずにおきますね? きっと『クロヒコ様がご自分で考えてお選びになった』というのがマキナ様にとっては嬉しいでしょうから」

「そんなものですか」

「そんなものでございます」


 ふふっ、とミアさんは微笑んだ。


 そうだな。

 今日あたり暇がありそうだったら本人にもちょっと探りを入れてみるとしよう。


 そうこうしているうちに登校時間が近づいてきた。

 俺はミアさんの見送りをうけながら家を出て、学園へと向かった。


          *


 心地よく晴れ渡った空の下。

 キュリエさんと落ち合い、昨日のことを適度に話題にしつつ俺たちは本棟へと向かった。

 教室に入るとセシリーさんたちやアイラさんはすでに登校していた。

 彼女たちと挨拶を交わしてから俺とキュリエさんも席につく。


 昨日の件はすでに知れ渡っているらしい。

 クラスメイトたちの俺たちを取り巻く空気が若干変化しているのが感じられた。

 ただ、向けられているのはどちらかといえばポジティブな感情。

 悪い気はしない。

 しばらくするとヨゼフ教官が入ってきて、登時報告へと移る。


 主な伝達事項は二つあった。

 どちらとも昨日耳にした話の確認と続報に近いものだ。


 一つは聖遺跡の当面の封鎖について。

 先日の巨人と小型種の件をうけ、聖樹騎士団が学園の遺跡の調査にあたることとなった。

 調査が終了し次第聖遺跡攻略は再開されるとのことだが、調査期間については現時点において未定。

 これによりしばらく聖遺跡攻略ができなくなる。

 どのくらいの期間遺跡が封鎖されるかが不明なため、今年は例年に比べ聖遺跡攻略の成績を前期評点として多く換算できない可能性が出てきた。

 学園側は今年の前期評点をどうするか検討中とのことだ。


 もう一つはこの獅子組に関係すること。

 獅子組初の死亡者にして退学者、フィブルク・マローのことである。

 教官の説明によると、本日彼の親がフィブルクを引き取りに来るらしい。

 ちなみに実力が足りないと判断されたのだろう、獅子組にいたフィブルクの取り巻き連中は幸か不幸かフィブルク班からは切り捨てられたようだ。

 そういえばフィブルク班の中に彼らの姿はなかったな……。

 おかげで彼らは命拾いしたともいえるが。

 ただ現在、強力な後ろ盾を失った彼らはやや肩身が狭そうだった。


 その後は普通に教養授業へと移った。

 いつもの授業風景。


 それにしても。

 もし聖遺跡の封鎖が長く続くとしたら俺の小聖位はどうなってしまうのだろう。

 戦闘授業は特例組。

 術式授業は聖素が扱えないため実技での評価は望めない。

 最も評価点として重視される聖遺跡攻略を頑張ろうとしていた矢先に、聖遺跡は封鎖。


 俺は姿勢を正して黒板を見据える。

 となると教養授業のテストやら何やらでがんばらなくてはならない……のか?

 が、頑張ろう……。


 こうして気合いを入れつつも、その日の授業はつつがなく終了した。


          *


「というわけで皆さん、先日はありがとうございました」


 椅子を引き立ち上がり、アイラさんが深々〜と頭を下げた。


 放課後。

 巨人討伐のため結成されたアイラ班の面々は食堂に集まっていた。

 まあ祝勝会というか、慰労会みたいなものである。

 アイラさんが緊張気味に続けた。


「と、当初想定していた作戦内容とはかなり違った事態となりましたが、皆さんのおかげでどうにか最悪の結果は回避されたように思います。えー、これも皆さんが協力してくれたおかげです」


 俺たちは円テーブルを囲んで座っていた。

 席の位置は時計回りに、十二時の位置にアイラさん、そこから俺、キュリエさん、セシリーさん、ジーク、ヒルギスさん、レイさんとなっていた。

 テーブルの上には食堂で買える料理がいくつか載っている。

 それぞれの前には蜂蜜入りのミルクが置いてあった。

 食堂では昼食時以外でも、無料ではないが食事も可能。

 ただ今日はアイラさんの奢りである。

 最初は皆で出し合おうという空気が流れていたが、アイラさんが頑として譲らなかったため最終的に彼女の奢りになった。


 また彼女としては本当は王都にあるホルン家の屋敷に招きたかったらしいのだが、アークライト家の娘であるセシリーさんを屋敷に招くとなると家的に面倒が起こるかもしれないと憂慮し、食堂での開催としたようだ。


「今日は好きに飲み食いしてください。巨人討伐のための攻略班を勧誘する際に用意していたお金がそっくりそのまま余ってるので、お金のことはどうぞ気にせず。では皆さん、ごゆっくり!」


 妙にかしこまった雰囲気で言い、アイラさんが、ささっどうぞ、と手でテーブルの上の料理を示す。

 軽い拍手が応えた。


「こ、こんな感じで……いいのかなぁ?」


 アイラさんが椅子に腰を下ろしつつ俺に確認してきた。


「いいんじゃないでしょうか?」

「あはは……慣れませんなぁ、こういうのは」


 などと照れ隠しっぽく耳のイヤリングを弄るアイラさん。

 とはいえこのメンバー。

 俺はぐるりとテーブルの顔ぶれを見渡す。


 いぇーい! 盛り上がっていこうぜー! みたいな感じの人がいないので、なんともしめやかな……よく言えば落ち着いた卓だ。

 皆、黙々と飲み物や料理を口に運んでいる。

 食堂で歓談している他の学生たちの方が盛り上がっていた。


「だ、大丈夫だよね? アタシ何か間違ってないよねっ?」


 淡々としたみんなの食事風景に不安を覚えたのか、テーブルに手を突きながらキョロキョロと皆の様子を窺うアイラさん。


「だ、大丈夫ですよ! 盛り上がってますよ!」


 俺は立ち上がって陶器のコップを持ち上げた。


「えーっ、皆さんお疲れさまです! 皆さんの健闘を祝しまして、かんぱーいっ!」

「わーい! おつかれさま〜!」


 こつん、と俺とアイラさんのコップが合わさる哀しい音が鳴り響いた。


「…………」

「…………」

「……おつかれ〜」

「あ、どもです」


 レイさんが俺の方にカップを出してきてくれた。

 で、セシリーさんはというとちょい遅れて身を乗り出してきて、


「はい、お疲れさまです」


 俺のコップに自分のコップを合わせてくれた。

 ふむ。

 なるほど。

 こういうつつましやかな感じですか。

 そうだよな。

 みんなワーッと騒ぐタイプには見えないもんな……。

 ええっとキュリエさんは――

 …………。

 うん、あれは照れてるんだろうな。

 コップを持ち上げかかった手が、踏ん切りのつかない様子で何度も下がっていた。

 こういう場に慣れていないのが如実に出ている。

 いや、かく言う俺も慣れてるわけではない。

 さっきのはアイラさんのフォローに回らねばという使命感に突き動かされた結果である。

 他方、どちらかといえば寡黙なタイプであるジークとヒルギスさんは時折言葉を交わすものの、基本的には静かに食事を楽しんでいるようだった。


「…………」


 ま、これはこれでアリだよな。


「そういえばベオザさんたち、大丈夫だったんでしょうか?」


 アイラさんに尋ねてみる。


「うん。教官から聞いたんだけど命に別状はないみたい。セシリーの治癒術式がよかったんだね。助かった生徒たちは、しばらくすれば復帰できるって」

「そうですか、ほっとしました」


 よかった。

 ベオザさんは悪い人じゃなさそうだったからな。


「しかしまさか聖遺跡が封鎖になるとは思いませんでした」

「うん。アタシも巨人討伐作戦がこんなことになるとは夢にも思わなかったよ。ただでさえ二つの攻略班で勝負みたいになっておかしくなったのに、さらには階層を上がってくる未知の魔物だもん。でも――」


 アイラさんが俺とキュリエさんへ感謝を込めた視線を飛ばした。


「親玉の巨人は二人が倒してくれたからね。すごいよ、ベオザたちでも敵わなかった巨人をたった二人で倒しちゃうなんて」

「キュリエさんが先に弱点を分析してくれてたおかげですよ。それに俺は、禁呪の力に頼っての勝利ですし」


 …………。

 とはいえ。

 巨人を前にして思うところはあった。

 あの時――巨人が出現し立ちはだかった時。

 最初に湧き上がった感情は、恐怖。

 そして俺は背筋に冷たいものが走るのを感じながらこう思った。


 ――ヒビガミは、どれほど強いというんだ。


 巨人と相対したころで、改めてあの男の化物じみた強さを認識した気がした。

 あの男との一戦以来、俺の中にある一部の感覚がひどく鈍化しているのはなんとなく感じていた。

 脅威に対する感覚が鈍くなっている、というか。

 それが巨人や小型種を相手にしたことでより実感できた。

 小聖位上位どころか学園最強の術式使いですら歯が立たなかったという巨人。

 それと対峙してもまるで巨人に『恐れ』を抱かなかった。

 むしろ三年後の決着を言い渡された男が遥か高みにいることを痛感させられただけだった。


 一瞬にすぎなかったが、俺はヒビガミの底の知れなさを味わった。

 あれ以来、ものの見え方が一部変わってしまっている。


 次に出てきたのは、どうすればいい? という焦りだった。

 あの男に勝つためには何をすればいい?

 誰と戦えばいい?


 俺は隣に座る、この席の中ではヒビガミを最もよくしる人物に視線をやった。


「ん? なんだ?」

「キュリエさん……どうすれば俺、ヒビガミに勝てますかね?」

「真っ向勝負でか?」

「はい、真っ向勝負で」


 組んだ腕をテーブルの上に置き、ふむ、とキュリエさんが視線を落とす。


「まずはあいつの強さに近づくために、今のおまえより強いやつらと戦って実力を上げる。で、その上で、あいつより強いやつと戦ってそれ以上の実力をつける、ってところか。大雑把に言えば、そんな感じだろうな。悪いが……私にはこれくらいしか思いつかん」


 真っ向勝負という注文に応えるなら今くらいシンプルな方法しかないのだろう。


 問題は、その方法が実際に可能かどうかだ。

 今の俺より強い人間を見つけるのは非常に簡単だ。

 まずキュリエさんがいる。

 このまま彼女に鍛えてもらえれば今よりは強くなれるだろう。

 けど、


「ヒビガミより強い相手ってなると、どうなんでしょうか?」

「あいつより強い相手か。どうかな……6院の連中が真っ向勝負でやり合ってヒビガミに勝てるかといえば、私の持つ記憶だと微妙なところだ。それに今、誰がどこにいるのかすらわからんしな」


 淡々とキュリエさんは続けた。


「所在がある程度わかっている名のある強者といえば……ヒビガミも挙げていた『黒の聖樹士』ソギュート・シグムソス、ルーヴェルアルガンの神罰隊隊長ローズ・クレイウォルはこの大陸でも有名だ。それ以外だと……帝国の特攻亜人兵団の『双子』に、同じく帝国の『武神』ガルバロッサ・ギメンゼといったところか。だがヒビガミを唸らせる相手となると、やはり――」


 キュリエさんが双眸を細める。  


「『終末女帝』か『四凶災』の、どちらかだろうな」


 確か強くなり過ぎた己に絶望するヒビガミが敵として『期待できる』と口にしたのが、その二つの単語だった。


「前から聞こうと思ってたんですけど、その『終末女帝』と『四凶災』って有名なんですか?」

「まあな。ただ『終末女帝』に限っては存在そのものが疑問視されている。言うなれば、神のような存在なのかもしれん」

「すごそうな話してるけど……なんの話? アタシも『終末女帝』と『四凶災』は知ってるけど……ヒビガミって? 人の名前?」


 アイラさんが躊躇いつつ話に入ってきた。


「ヒビガミとは、とても嫌な性格をした人のことです」


 ヒビガミという人間を短く的確に表現したセシリーさんが、にっこりと微笑む。

 おぉぅ……そういや彼女にとっては苦い思い出に通ずる人物だったっけ。

 ここでヒビガミの話題はまずかっただろうか?


「お気になさらず。もう済んだ話ですから」


 心中を察したらしい、セシリーさんが事もなげに言った。


「ふーん……そいつ、悪いやつなの?」


 アイラさんが目をぱちくりさせながら聞いた。

 あの事件について詳しくは知らないらしい。

 どころか『殺人事件の犯人』=『ヒビガミ』も結びついていないのだろう。

 で、


「悪いやつだ」

「悪いやつですね」

「悪いやつです」


 キュリエさん、俺、セシリーさん。

 三人の返事がほぼ同時に重なった。

 そして何気に勢いに乗りきれなかったジークがぼそっと「悪い……やつだ」と続いた。

 ジトーっとした視線のヒルギスさんに「……照れるくらいなら言わなければいいのに」とツッコまれ、ジークは、ボシュッ、と真っ赤になった。

 それからヒルギスさんが「……わたしも同意見だけどね」とつけ加える。


「ははは……なんかすごい嫌われてるんだね、その人」

「フン……この世にあいつのことが好きな人間なんざいてたまるか。あいつは迷惑しか振りまかない男だ」


 キュリエさんがさらにヒビガミを腐す。

 なんだろう。

 彼女にだけ存在する、このヒビガミに対して何言っても許される感。

 昔なじみの強みってやつだろうか。

 しかし本人もこんなところでこうも悪しざまに言われてるとは思ってないだろうな……。


「それより昨日の巨人や小型種が落としたクリスタル、ここに来る前に換金を済ませてきたんだが」


 キュリエさんがクリスタルのことに話題を切り替えた。

 聖遺跡が封鎖されたといっても会館の方は一応まだ開いている。

 どうやら昨日のうちに換金を済ませてしまったらしい。

 さて、肝心の換金の結果だが。

 巨人が残したクリスタルがなかなかの質と大きさだったためけっこうな金額になったらしい。

 で、朝二人で登校がてら話し合った結果、換金で得たお金は皆でわけることにした。

 のだが、


「あ、その話アタシは辞退」

「ボクも」


 アイラさんとレイさんが続けざまに辞退を申し出た。


「ど、どうしてですか?」


 俺が困惑すると、


「ああ、わたしも辞退します」

「セシリー様に同じ」

「右に同じ」


 セシリーさんたちまでもが辞退していく。

 理由を問い質してみたところ、単純にお金には困っていないからとの回答が返ってきた。

 アイラさんが、もう勧誘合戦で大量の資金が必要になるわけでもないしね、とつけ加えたが……。


「でも、これはみんなで――」

「家に頼れるわたしたちはともかく、クロヒコやキュリエは現時点だと聖遺跡攻略以外でお金を稼ぐ手段がないのではありませんか? そして、その聖遺跡は現在攻略再開の目処が立っていない」


 セシリーさんが聞いてきた。


「それは……」

「一番換金率がよかったクリスタルにしても巨人が落としたものなのでしょう? その巨人を倒したのはお二人ですし、巨人を倒さなければ今回こうして皆が無事にいられたかどうかわかりません……受け取る権利は十分かと思いますが?」


 うーむ。

 換金したお金はミアさんやマキナさんへのプレゼントを買う資金としてあてにしていたからなぁ……。

 しかも空気的に……もう受け取るしかない感じだ。

 みんなの顔が『遠慮なく受け取れ』と露骨に言っている。


「わかりました……では、ありがたくいただきます」

「では私も遠慮なく。正直、私もそれほど懐が温かいわけではないのでな」


 そんなわけで今回の換金したお金は俺とキュリエさんで半々ということになった。


 さて。 

 場の空気も時間と共に和んできたのだが、そろそろ予定していた終わりの時間が近づいてきた。

 今は大体午後の四時ってところか。

 料理もあらかた片づいている(レイさんが意外と大食家だったのが驚きだった)。

 もう少し聞きたかった『終末女帝』と『四凶災』の話はそのうち機を見計らってキュリエさんあたりに聞いてみよう。


「えー、ところで、なのですが」


 場を締める空気の中、アイラさんが不意に切り出した。


「来週の休聖日の前日、可能なら予定を開けておいてもらえると助かるのですが」

「その日に何かあるんですか?」

「実はシーラス浴場に人数分の部屋をとっておりまして」

「シーラス浴場?」


 なんだろう?

 名前からするにお風呂屋さんか何かだろうか?


「あ、クロヒコは知らないかな? シーラス浴場っていうのはね――」


 アイラさんから軽く説明を受けた。

 シーラス浴場とは貴族向けに作られた温泉宿のような施設のことらしい。

 反応を見る感じキュリエさん以外は知っているようだ。

 この王都に住む者にとっては名の知れた場所なのだろう。


「そんなわけで、みんなにのんびりしてもらいたいなぁと思いまして。ちょっとホルン家のツテも使ったんだけどね。あ、もちろんお金のことは気にしないでね?」

「いいんですか? 今日のこれもあなたに甘える形になってしまいましたが」


 セシリーさんがそう言うと、


「いいのいいの! アタシが好きでやってるんだから! ていうか、その、さ……」


 照れ臭そうにアイラさんが頬をかいた。


「嬉しかったんだよね。あんな風にみんながアタシの味方をしてくれて……だから、何かの形でお礼がしたくて。そういうわけだから、何も言わずに受け入れてくれると嬉しい、かな?」


 なのでよろしくお願いします、とアイラさんは頭を下げた。


「…………」


 こう言われてしまってはもう何も言えない。

 みんなも同じようなことを思ったのだろう。

 誰一人野暮な口出しをすることはなく、皆素直に感謝を述べた。


 にしても温泉かぁ。

 なんかワクワクする楽しみなイベントが一つ増えたな。


          *


 慰労会を終えた後、俺たちは食堂を出た。


「この後クロヒコはどうするんですか?」


 この後用事があるというアイラさんとレイさんを見送った後、セシリーさんが聞いた。


「俺もちょっと個人的な用事があるんで、今日はこれで失礼しようかと」

「そうですか」


 やや残念そうなセシリーさん。


「この後何かあるんですか?」

「キュリエに頼んで、これから修練場を借りて剣の稽古をつけてもらうことになっているんです」

「へぇ、キュリエさんに」

「ええ。彼女の方がわたしよりも剣の腕は上ですから。それに剣の師匠としてはクロヒコのお墨つきですし。そのクロヒコもすっかり彼女にベタ惚れですしね?」


 セシリーさんから俺に意味深な視線が向けられる。


「そうですね、俺にとっては尊敬すべき最高の師匠です」

「そういうところてらいなく言いますよね、あなたって……」

「え?」


 はぁ、となぜかため息をつかれた。


「私相手だと変な癖がつくかもしれないからと、一度は断ったんだがな」


 そう口を出したのはキュリエさん。


「押し切られましたか?」

「ああ……というか最近のセシリーの頼みは、特に断りづらい気がする」


 と、キュリエさんの腰へセシリーさんが背後から手をまわした。


「ふふっ、その代わりキュリエには『女の子っぽくなる秘訣』を教えるって言ったじゃないですかっ?」

「ちょっ――おまえ、一体どこ触って――そ、それに、私は女の子っぽくなど――」


 珍しくキュリエさんがうろたえた様子で弁解めいた視線をこっちに寄越した。


「や……その、だな。あー、あれだ……………………なんだっけ?」


 さらに珍しいことに思考がトんでいた。


「キュリエさん、大丈夫ですか?」

「……わからん」


 まるで自己存在が揺らいでいるかのようにキュリエさんが額に手をやった。

 それから彼女は自信を喪失したかのごとく息を落とした。


「ほんとおまえらといると、調子が狂うよ」

「キュリエはわたしたちのこと、嫌いですか?」

「いや、嫌いではないが……」

「ふふっ、キュリエのそういうところ、わたしは好きですよ?」


 諦念めいてキュリエさんは肩を落とした。


「ああ……私もおまえのことは好きだよ。ったく……」

「ではそろそろ行きますか?」

「そうだな」


 少し一緒に歩いてから途中で俺たちは別れた。

 ちなみにジークとヒルギスも修練場へ向かった。

 彼らもついでに剣の稽古をしていくらしい。

 セシリー様の練習相手くらいにはならないとな、とジークが苦笑していた。


 さて。

 一人になった俺は再び歩き出す。

 目指すは学園長室。

 最近多忙そうだから、時間取ってもらえるかなぁ……。


          *


 学園長室の前に辿り着く。

 まずはノック。


「どなたかしら?」

「クロヒコです。今、大丈夫ですか?」

「あら、クロヒコ? ええ、どうぞ」


 促され学園長室に入る。

 見覚えのある内装が出迎えてくれた。

 いつもと変わらぬゴスロリ姿のマキナさんは、目を通していた書類を机の上に放った。

 俺は勧められソファに腰を掛ける。


「珍しいわね、あなたから訪ねてくるなんて。でもちょうどよかったわ。私も伝えることがあったから」

「伝えること?」


 なんだろう?


「例のヒビガミという男と戦った件に関することよ。聖樹騎士団の団員が事情聴取に来る日取りが決まったわ」

「あ、そういえばありましたね」


 後日、日を改めてということになっていたっけ。


「誰が来るかは通達されていないけれど……まあ、当時現場に居合わせたダビドたちが来るんじゃないかしら。私も都合が合いそうなら立ち会うつもりだから、気楽にかまえていなさい」

「ありがとうございます」


 それから今回の聖遺跡で起きた件について少し話した。

 で、話が一段落すると、


「って、ごめんなさい。あなたが私に用があって来たんだったわね」

「あ、そうでした。マキナさんの足の――」


 言いかけて、はっとする。

 待てよ?

 ここで足のサイズを聞いたら靴を贈ろうとしているのがバレてしまうのでは?

 ミアさんは駄目だったが、できればマキナさんにはサプライズで贈りたい。

 ていうか足のサイズくらいミアさんに聞いておくべきだった。

 いや、そもそも『サイズ』って概念はあるのか?

 くっ……どうする?


「足? 私の足がどうかしたの?」

「足……そう、足! 凝ってませんか!?」

「はぁ?」

「ほら、こないだ凝った身体をほぐすとかどうとか言ってたじゃないですか!?」

「あら、覚えてくれていたの?」

「も、もちろんですよ!」

「…………」


 ふぅ、とマキナさんが吐息を漏らした。


「そうね。じゃあせっかくだから、ちょっと揉んでもらおうかしら」

「喜んで!」


 マキナさんが机を離れ、隣の自室へ向かった。

 む。

 あっちの部屋でか。

 いや……むしろこれはチャンスか?


「どうしたの? 来ないの?」

「あ、はい」


 と俺も立ち上がる。


 よし。

 見る。

 ひたすらに、見る。

 マッサージの約束を果たすと同時に、マキナさんの足の大きさを――この目と脳に焼きつけるのだ。


 俺はやや後方からマキナさんの足を凝視しつつ、彼女の自室へ足を踏み入れた。

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