第69話「第八禁呪」
壁を抉りながら襲いくる巨人の右拳を左腕で受ける。
ずんっ、と重い衝撃がのしかかる。
が、耐えられない威力ではない。
――今度は、こっちからだ。
左腕に力を込め引き絞る。
巨人が今度は左の拳を繰り出してきた。
俺は迫りくる拳に握り込んだ左手をぶつけた。
互いの拳が衝突。
微かに亀裂の走る音。
蜘蛛の巣状に亀裂走ったのは、巨人の拳の方。
俺はさらに力を込め前方へ拳を押し出す。
異形と化した左腕の肘あたりの穴から黒い霧が勢いよく噴出する。
同時に拳の勢いが増す。
さらに力が増す感覚。
「オ、オォォオオオオオオオオ……っ!」
ぼろっ、と。
耐え切れなくなったように巨人の腕が崩壊する。
先日マキナさんに連れ添ってもらい試用をした際、この腕で聖遺跡の壁を殴ってみた。
いとも簡単に壁をぶち破ることができた。
この左腕はおそらく今の俺が持つ武器の中では最も威力の高い攻撃手段だろう。
しかも腕に力を溜めて開放することで、拳を急加速させることもできる。
もしこれが通用しなかったらと一抹の不安が脳裏をよぎったが――
――これなら、いける。
俺は再び構えを取る。
あくまで次の攻撃に移りやすそうな姿勢をとっただけ、ではあるが。
当然武術の心得などあるわけもない。
それでも、この状態ならばスペックだけでごり押しできそうな気がする。
何より今の状態。
自分が考える以上に身体が動いてくれている。
崩落した巨人の拳が復元されていく。
自己修復能力。
これほどのスピードで再生するのか。
その速度に驚かされる。
小型種の再生速度とは比べものにならない。
つまり……弱点を突かなければ倒すには至らないわけか。
キュリエさんが分析に従うなら弱点は二点。
狙うは、頭部か心臓部――。
巨人が天井を破壊しはじめる。
さらに両腕を鞭のように振り回し周囲の壁も破砕する。
自分が動き回りやすい環境を作ったようだ。
それでも俺の足場は幸いにして無事だった。
床を踏みしめる。
そして、第九禁呪を詠唱しながら巨人の頭部目がけて飛びかかった。
この状態だと身体能力も底上げされている。
跳躍力も格段に跳ね上がっていた。
第九禁呪の鎖が巨人を拘束。
その間に巨人との距離を、一気に詰める。
鎖が巨人に引きちぎられる。
が、もう懐へ届く――
巨人の右フックが横合いから襲いかかった。
狭い空間から解き放たれたせいかスピードものっている。
襲いくる拳を左腕で殴りつける。
拳と拳が衝突する。
やはり攻撃力はこちらが上。
肘の先まで亀裂が伸び、巨人の右腕が砕け散った。
しかし今の衝突によって跳躍の勢いが殺されてしまう。
俺はより強く拳を握り込む。
――試用した時のことを思いだせ。
力の込め具合で勢いは調整できたはず。
ぐぐっ、と溜めを作る。
そして、ここから一気に解き放つイメージ――
黒い霧状のものが肘から勢いよく噴出する。
どんっ、とジェットエンジンのような加速が起こる。
急加速。
拳に引っ張られるような形で加速しながら巨人の頭部へと軌道をとる。
右腕を修復中の巨人は左腕で顔を咄嗟にガード。
再び俺は腕の角度を変え霧を噴射。
軌道を変え――狙いは、心臓部!
「なっ――!?」
が、巨人が身体を捻って攻撃をそらした。
俺の拳は巨人の身体の一部をえぐったものの、目標とした部分を捉えることはかなわなかった。
そしてすぐにえぐられた箇所の修復がはじまる。
意外と素早い。
思ったよりも巨人は『動ける』ようだ。
少なくとも鈍重ではない。
適当な足場がなかったため、宙に放り出された俺は眼下に見えていた一つ下の階層に着地した。
巨人を見上げる。
首に深々と刺さっている『魔喰らい』のおかげか、あれ以上聖素を吸収してパワーアップすることはなさそうだ。
何度か巨人は首の刀を抜き取ろうとしている。
だが深く突き込んだおかげか取れないようだ。
すでに砕いた巨人の右腕は再生していた。
瞬時の復元でないとはいえ驚異的な再生速度。
ならば、
――再生速度を超えるスピードで、攻撃を叩き込めばいい。
踏み潰そうと襲いかかる巨人の足裏に向かって俺は左拳を突き上げる。
がこっ、という感触。
次の瞬間、巨人の左足が砕ける。
そして、ここからは攻撃の手を休めない。
俺は裂帛の気合いを上げ左の拳を間断なく叩き込み続けた。
巨人の足を徹底して殴り続ける。
足は元に戻ろうとするが俺の攻撃に巨人の修復速度が追いつかない。
たまらずといった様子で、ずしぃんっ、と膝をつく巨人。
が、まだだ。
攻撃を、繰り返す。
引いては殴り、引いては殴りを繰り返す。
殴る、砕く、殴る、砕く、殴る砕く、殴る砕く殴る砕く、殴る砕く殴る砕く殴る砕く殴る砕く殴る砕く殴る砕く、殴って殴って――砕き続ける!
「う、ぉぉおおおおぉぉぉぉおおおおおおおおっ!」
ここで終わらせる。
俺は休むことなく拳を繰り出し続けた。
さすがに息が苦しくなってくるが、連続で放たれる攻撃は確実に巨人の再生速度を上回っている。
そうして拳を叩き込み続けた結果、巨人の左の下半身がついになくなった。
一本足となった巨人がバランスを崩し前へ身体をぐらりと傾がせる。
巨人は左腕を突き、どうにか身体を支えた。
そこではたと気づく。
再生速度が……落ちてきている?
どことなく身体に走る青白い線も細くなってきているような――。
巨人が口をあんぐりと開けた
口内に光が集まっていく。
しかし……今度は線が太くならない。
そうか。
おそらく修復には聖素が必要。
けれど『魔喰らい』が刺さっているせいで必要量の聖素を身体に溜めこめないのだ。
巨人の左腕を殴る。
ついに支えを失った巨人の身体が、のしかかるように倒れ込んでくる。
「――とどめだ」
再び左腕に力を込めた。
そして――
突きあげた拳が、巨人の心臓部にめり込んだ。
肘から黒い霧を噴射する。
ずどんっ、と拳がさらにめり込む。
俺の腕はつけ根まで巨人の左胸を貫いていた。
手ごたえ。
「オ、オォォオオ、オオォォォォ……」
巨人の唸りが次第に低くなっていく。
身体に走る線が細くなりオレンジ色に戻っていく。
そして巨人は崩壊しながら倒れ伏した。
最後には、腕を突き上げ肩で息をする俺だけが残る。
「なんとか、やれたか……って、そうだ! キュリエさん!」
妙に静かだからすぐに意識が向かなかった。
俺は『魔喰らい』を回収してから慌てて跳躍し、上の階層でまだ無事な足場に着地。
そして……第二界を閉界した。
俺の左腕が元に戻る。
第八禁呪の第二界を解いたのは、すでに戦いが終わっていたからだった。
「はは……」
思わず笑いが漏れた。
目の前にはすでに剣を鞘に納めたキュリエさんの姿。
ふぅ、と顎の汗を服の袖で拭っている。
彼女が俺に気づいた。
「おまえ……その様子だとやったみたいだな。私も今しがた倒したところだよ」
「キュリエさん、普通に倒しちゃったんですね」
「そっちよりはやわかったからな。私一人でもどうにかなった」
どうにかなった。
その一言で、済んじゃうんだもんなぁ。
聖素の使用が阻害されてても問題なしか……。
やっぱり別格だ、彼女は。
にしても……どうやって倒したんだろう?
疑問に思って聞いてみたところ、
「聖素の濃度が薄いとはいえ身体に練り込めないわけじゃないからな。もちろん負担は増えるが。ただ残念ながら術式魔装を使用できるほどの聖素は集められなかったから、術式はせいぜい戦闘補助程度だったかな……そんなわけで、弱点をひたすら攻めて倒した」
とのこと。
さらっと『弱点をひたすら攻めて倒した』なんて言ってのけてますけど……その弱点を攻めるのに、俺はけっこう苦労したんですがね。
「それよりおまえは大丈夫なのか? すごい汗だぞ?」
「あははは……実は新禁呪の第二段階はキュリエさんの術式魔装と同じで、身体への負荷が大きいみたいでして」
「そうか」
ぽんっ、とキュリエさんが俺の腰を叩いた。
彼女の口元は微かに緩んでいた。
たまに彼女が浮かべる、優しい顔だ。
「お疲れさま」
「え……あ、どもです。その、キュリエさんも」
「ん」
なんだろう。
ねぎらってもらえたのが、なんだかとても嬉しかった。
*
あまり的中して欲しくはなかったが、俺が予想した通り小型種は地上を目指していたらしい。
アイラさんとレイさん、ジーク、ヒルギスさんの四人は途中で遭遇した小型種を倒しながらどうにか上階層を駆け上がり聖遺跡の入口に到着。
アイラさんとレイさんはそのまま地上へ。
残ったジークとヒルギスさんはのぼってきた小型種を撃ち漏らすことなく倒した。
転送装置を使わなかったのは、転送まで五分〜十分かかる上、昨今の遺跡の異変に伴い異種が押し寄せてくる可能性があるのを憂慮したからだそうだ。
階層が三階層と浅いこともあって、階段の方が危険が少なく早いと踏んだようである。
で、俺とキュリエさんが巨人を倒した頃と時を同じくして小型種はぱたりと姿を現さなくなったようだ。
このあたりも予想が当たっていてほっと一息。
巨人を倒しても無限に小型種が湧き続けるのだとしたら大変なことになっていただろう。
で、セシリーさんたちはというと。
こちらは転送装置で帰還した。
まず彼女たちの場合、アイラさんたちと別れてすぐに転送部屋を見つけたのが何より大きかった。
加えて、ベオザさんを含む旧フィブルク班の生徒らが負傷と疲労で歩くのも辛そうな上、移動速度自体も著しく遅かったので三階層分歩かせるのはセシリーさんもできるなら避けたかったようだ。
またアイラさんたちとは違い急ぐ必要もなかったので、セシリーさんは転送部屋に入ると先に応急処置的に深い傷を負った生徒を治癒術式で治療したそうだ。
そして彼女たちは転送装置を起動し地上に戻った。
ちなみに押し寄せた魔物たちは、セシリーさんがすべて倒したらしい。
これらのことは別れた組のメンバーたちからのちに聞いたことである。
しかし討伐作戦やフィブルクたちとの勝負がこのような事態になるとは誰も予想もしていなかった。
とはいえ、
地上に小型種が溢れ出すこともなく。
旧フィブルク班の生き残りも無事に帰還。
もちろんアイラ班も全員無事。
巨人も倒せた。
結果だけ見れば、上々といったところではないだろうか。
それから、バシュカータとフィブルクを含む聖遺跡内で死亡した生徒たちだが……彼らは眠りについた状態で聖遺跡広場の転送場所へ転送されてきたらしい。
聖遺跡の蘇生転送はちゃんと機能したようである。
が、バシュカータ、フィブルクおよび死亡した生徒たちは学園の規則に従うなら退学措置が取られるはずだ。
しかも少なくとも二年は眠りから覚めないとされているので、現在まで確認されている最短期間で目覚めたとしても彼らと再会するのは二年後になる。
また、今回の一連の巨人関連の出来事で決して少なくはない数の小聖位上位陣が退学となった。
これほどの短期間でこの数の小聖位上位が退学するのは学園の歴史の中でも珍しいことらしい。
中には名のある貴族の子もいたようだ。
たまに聖遺跡内で自分の子供が『死亡』した場合、学園側の管理がなっていないと理不尽に怒鳴り込んでくる親もいるのだとか。
事態を把握した後、マキナさんが普段以上に面倒くさそうなため息をついていたのが印象深かった。
この世界にもモンスターペアレントみたいな人がいるのだろうか?
さて。
巨人を倒した後のことだが、俺とキュリエさんはあの後すぐに地上まで駆けあがった。
そして入口でジークやヒルギスさんと合流し小型種が来ないかしばらく待ってみた。
が、待てども小型種は現れない。
しばらくすると風紀会の人たちと衛兵がやって来た。
俺たちは巨人を倒したことで小型種が消えた可能性があることを説明した後、彼らにその場を任せ地上に戻った。
聖遺跡広場には教官たちの姿が多く目についた。
休聖日とはいえ、彼らの多くは学園の敷地内に住まいがあるので招集は比較的早く行えるようだ。
また多くの生徒は避難させられたようだが、広場には生徒会と思しき人たちの姿が確認できた。
俺たちは教官たちに事情を説明。
その説明中、マキナさんがアイラさんたちを連れ立って会館から姿を現した。
そうこうしているうちにセシリーさんたちも転送場所へ送られてくる。
ベオザさんたちはリーザさん付き添いのもと、会館内へ運ばれていった。
マキナさんは改めて俺たちから事情を聞いた後、広場のテーブルを囲み教官たちと話し込みはじめる。
そして話し合いの結果、とりあえず夕刻まで聖遺跡広場で様子を見るとの決定がなされた。
当事者である俺たちも一応残ってほしいと言われ、アイラ班は広場に残留。
レイさんだけは遺跡内にいる風紀会と合流した。
キュリエさんは、
「疲れただろうからおまえは休んでいろ。学園長への詳しい説明は私がしてくる」
と言い置いてマキナさんのところへ向かった。
セシリーさんは治癒術式が使えることもあってベオザさんたちの治療のため会館内へ。
ジークとヒルギスさんも彼女に同行した。
そんなわけで途端に手持無沙汰になった俺は一人ベンチに腰をおろした。
ベンチに座りほっと一息をついていると、バシュカータをはじめ聖遺跡内で死亡した生徒たちが転送されてくるのが見えた。
やや遅れてフィブルクも転送されてくる。
彼らは教官や会館の職員たちに運ばれていった。
気が抜けたのもあったのだろう、俺はその光景をぼんやりと眺めていた。
「隣、いいかな?」
声をかけてきたのはアイラさんだった。
「あ、どうぞ」
彼女はマキナさんや教官たちの質問に答えるキュリエさんを見て苦笑した。
「アンタたちと別れた後のことについてはアタシ、出番がなくて」
アイラさんが隣に座る。
まだ何があるかわからないからと、剣と防具はつけたままだ。
「今回はありがとね、クロヒコ。本当にアンタには色々と助けられた」
「アイラさんのがんばりが実ったってだけですよ。俺はその手伝いをしただけです」
「ううん、そんなことないよ。アンタがいなかったらキュリエとセシリーたちが手伝ってくれることもなかっただろうし……残されたアタシとレイだけで、右往左往するだけだったと思う」
「でも俺に『この人の力になりたい』って思わせたのはアイラさんなわけでしょう? アイラさんじゃなかったら協力してたかどうかわからないですよ?」
「ははは……なんていうか謙虚なやつだよね、アンタって」
俺は冗談っぽく咳払いを一つ。
「いえ、八方美人なだけです」
ぷっ、とアイラさんがふき出した。
「何それ?」
「人に嫌われたくないんです。聖遺跡内でも言ったでしょ? 基本的に大したやつじゃないんですよ。だから人からよく思われたいってわけです。ね? 全然『イイやつ』じゃないでしょ?」
卑屈にならないよう極力冗談めかして言った。
アイラさんがまたもやふき出す。
「ふふ、変なの。本当に悪いやつは自分からそんなこと言わないよ?」
ですってよ、セシリーさん?
ふと、表情を戻したアイラさんが宙に視線を放った。
「人からよく思われたい、かぁ」
どこか物思いに耽るような顔。
「あのさ、クロヒコ」
「はい」
「フィブルクのこと、ごめんね」
「フィブルクのこと?」
「あの時アンタとキュリエに嫌な役回りを押しつけちゃったなぁ、って」
ああ、あれか。
「気にしないでくださいよ。それに泥をかぶろうとしたのは俺じゃなくてキュリエさんですし」
「うん……でもね、多分アタシも自分を人に良く見せたいって人間なんだと思う。だからあの場では『イイやつ』になろうとしちゃった……」
口元を綻ばせながらも、自戒するように視線を伏せるアイラさん。
「合理的に考えたら、やっぱりキュリエの言ってることの方が正しかったもん。それを、アタシ――」
「俺は『助けたい』って言ったアイラさんのこと、嫌いじゃないですけどね」
「え?」
アイラさんが顔を上げた。
もしあそこでアイラさんが迷わず『こんなやつさっさと見捨てちゃいましょ!』って言っていたら……少なくとも俺は彼女に対する見方が変わっていたと思う。
なんていうかな……彼女に限ってはむしろ『助けたい』って言葉を聞いてほっとした、というか。
「俺、アイラさんのああいう非情になり切れないところ、嫌いじゃないですよ」
「クロヒコ……」
「もちろん甘さを捨てることも時には必要なんでしょうけどね。でもアイラさん、すぐに頭を切り替えてくれたじゃないですか。あそこで呆然自失にならなかっただけでも十分です。あなたはちゃんと役目を果たしました」
言ってから、あ、と思った。
アイラさんが面を伏せ、ぐっと息を詰まらせたからだ。
な、何かまずいこと言っちゃったかな……?
「あ、その、偉そうにすみません……」
アイラさんが顔を上げた。
笑顔だった。
が、目尻に少し涙が溜まっている。
「……ほんと『イイやつ』だよね、アンタって」
そっ、とアイラさんが俺の手を取った。
そして座った状態のままこっちへ少しすり寄った。
「ありがと」
「いや、そんな」
ち、近い。
しかも腕にちょこっと胸が当たっているんですが……。
「ふふ……それにかっこよかったよ、クロヒコ」
「こ、光栄です」
「あ、あのさ」
すると頬を朱に染めたアイラさんが視線を伏せ躊躇いがちに尋ねた。
「アンタとセシリーの噂って、本当なの?」
「は? 俺とセシリーさんの噂?」
「あれ? 知らないの?」
「……なんか噂されてるんですか?」
よもや……俺たちの腹黒さが学園内にバレかけている?
「あのね……その、二人が恋仲なんじゃないかって話なんだけど」
「げほっ、ごほっ!」
お、驚きのあまり気管が……!
「そんな噂が立ってるんですか!?」
「う、うん。でもその反応を見る限りだと……違うの?」
「仲が悪いわけじゃないですけど恋仲はないですよ! てか俺を見てから言ってくださいよ!」
「えっと、最後のはどういう意味かわからないけど……つまり二人は恋仲ではないってこと?」
「そりゃそうでしょうよ……」
「ふ、ふーん、そっか……そうなんだ……」
頬を桜色に染め、何やら嬉しそうなアイラさん。
なんだ?
俺はじーっと彼女を観察する。
と、アイラさんは取り繕うような笑顔を浮かべると、両手で何やらジェスチャーをはじめる。
「あ、あれだよね!? アンタって、は、話やすいよね! 頼りになるし……だからさ、あの……ええっと……こ、今後ともよろしくお願いしますよ!?」
よろしくお願いしますよ?
しどろもどろな調子で言うと、アイラさんは立ち上がった。
そしてぎこちない笑みで俺の肩をぽんぽん叩き、
「じゃ、じゃあね! また!」
と立ち去って行った。
…………。
なんだったんだ?
うぉっ。
なんかテーブルを囲んでいるマキナさんとキュリエさんがこっちをガン見している!?
「……って、あれ?」
広場の入口付近でオドオドとしている人物が俺の目に飛び込んできた。
菫色の髪に獣耳、そしてメイド服。
「ミアさん?」
俺は腰を上げ広場の入口へ向かった。
「あ、クロヒコ様っ……」
助けがきたとでも言わんばかりの顔でミアさんが俺を見つけた。
「もしかして騒ぎを聞きつけて?」
「は、はい! 本日、クロヒコ様が聖遺跡に向かうと聞いておりましたので……その、心配で」
ぎゅっ、と胸元にあてた手を握るミアさん。
「ご無事なのですか?」
「ええ、この通り」
無事な身体を示す。
はーっ、とミアさんが大きく安堵の息を漏らす。
「よかった……もしクロヒコ様の身になにかあったらと、ミアはいてもたってもいられなくなって……」
「ご心配おかけしました」
苦笑しつつ、無事に戻ってくることも大事なことの一つだな、と改めて思った。
それから今日はまだここに残ること、帰りはいつになるかわからないことを伝えた。
かしこまりました、とミアさんは頷いた。
「では、ミアはクロヒコ様の家で休める準備をして待っております」
「ありがとうございます」
「クロヒコ様」
ミアさんが丁寧にお辞儀をした。
「無事に戻ってくださり、ありがとうございます」
「ミアさん……」
ちょっと照れくさそうにしながら、ミアさんは踊る足取りで広場から去って行った。
その後、昼を過ぎたあたりに聖樹騎士団が到着した。
そして夕刻。
聖遺跡は沈黙したまま。
小型種が出てくる気配もない。
日が落ちかけていることもあって、マキナさんが本日はここらで切り上げることを言い渡した。
ここでようやくレイさんを除く俺たちアイラ班は帰宅を許された。
レイさんはまだ風紀会と行動を共にしている。
ちなみに、小耳に挟んだ感じでは学園での聖遺跡攻略はしばらく休止となりそうである。
今までは聖遺跡の異変にさほど危機を覚えていなかった学園側だが、このたびの件を重くみて、当面は聖樹騎士団が中心となり遺跡の調査が行われるとのことだ。
今日は皆が疲れているのもあり、明日の放課後に食堂で軽い祝勝会みたいなものをやることを決めてから、俺たちは広場を出てそのまま帰途につくことにした。
まず自宅に帰るセシリーさんたちと別れ、次にキュリエさんとアイラさんの二人と女子宿舎の前で別れた。
さすがに俺もへとへとだ。
ようやく自宅に辿り着きドアを開ける。
その頃にはすっかり外は暗くなっていた。
「ただいま」
「あ――お帰りなさいませ、クロヒコ様」
椅子に座っていたミアさんが立ち上がる。
「どうされます? まず湯浴みをなされますか?」
ミアさんの笑顔を見てどっと身体から力が抜けた。
「ええ、そうします」
ミアさんは嬉しそうに頷くと、すぐに準備いたします、と言って風呂場へと向かった。
俺は椅子に腰をおろす。
…………。
とにかく疲れた。
今日は、ゆっくり休もう。