第68話「巨人」
「嘘……聖遺跡の魔物が同じ遺跡内の魔物を襲うなんて、聞いたことが……」
目の前で起きている光景が信じられない。
そんな声を発したのはレイさん。
彼女は小型種と戦うべく足を踏み出したところだった。
前方では先陣を切ったセシリーさんが小型種たち相手に剣を振るっている。
そのセシリーさんと連携を取りながら的確に小型種の急所を突いていくのはジークとヒルギスさん。
二人ともキュリエさんがお膳立てした戦闘でコツを掴んだようである。
アイラさんは横合いの通路から現れた数匹の小型種に応戦していた。
一方、俺は剣を振りかぶりながら一足に聖剣を持った小型種へと接近。
小型種も俺を迎え撃つべく剣を振りかぶる。
聖素を流し込まれた聖剣が俺を襲う。
が、容易に見切ることのできる軌跡。
向かってくる剣を軽くいなす。
それから勢いをつけるべく身体を横に旋回させ、そのまま小型種の首を刎ねた。
首から上を失った小型種は崩れ落ちると溶けはじめた。
溶け方は聖遺跡の魔物と同じ。
とはいえ二年のレイさんが『聞いたことがない』と口にした以上、この聖遺跡ではイレギュラーな存在であると考えるべきか。
いや、それよりも今は気になることがある。
もし本当にこいつらが地上を目指しているのだとしたら――
「随分とあっさり倒すもんだな」
振り向くとキュリエさんが感心した顔で見ていた。
褒めてくれているらしい。
「それを言ったら……あっちの方がすごくないですか?」
俺が顔を向けた先には迫りくる小型種を華麗に切り捨てていくセシリーさんの姿。
動きが以前と比べて一層洗練されているように見える。
より舞踏めいて映る、というか。
『――が、これでは、あまりに美しすぎる』
ヒビガミはセシリー・アークライトの剣をそう評した。
あの評のせいで彼女が剣の型を変えてくるかとも思っていた。
けれど剣の型は変えず、今まで作り上げてきた自分の『型』をそのまま磨いていくことにしたようだ。
『わたしはわたしなりの武器を、わたしなりに磨いていきます』
彼女の剣の長所はその精密さと流れるような連続性にある、と俺は思っている。
専門家ではないので、それ以上の的確な言葉が見つからないけれど。
「さらに剣に速度をのせることができれば、あの精密さと継ぎ目のない動きは武器になる。相手の反応が追いつかないほどの速さを獲得できれば、相当やりづらい相手となるだろう」
力を貸す必要がなさそうだと判断したのだろう、キュリエさんが戦闘態勢を緩めた。
「剣の太刀筋が見えていても、速すぎればわかっていても防ぎきれないってことですか?」
「だな。問題は、あいつの想像する速度に叶う能力を持った剣があるかどうか、かもしれんな」
「なるほど」
「ただ、何より以前ちらついていた迷いが剣筋に出ていない。どころか活き活きしている……あいつ、何かふっ切れたか」
本性をさらけ出したのがよかったのだろうか。
彼女は確かに活き活きと剣を振るっていた。
何より、一緒に戦っているジークとヒルギスさんには悪いけれど、あの中では頭一つどころか二つも三つも抜けている。
それは俺でも理解できるほどの歴然とした差。
もしセシリーさんの動きを真似してみろと言われてもできる気はしない。
俺にはあんな無駄のない動きは不可能だ。
改めて天才と呼ばれる所以の一端を垣間見た気がした。
本人がどう言おうとやっぱり彼女はすごい。
そして彼女は――まだまだ『先』へ行くつもりなのだ。
押し寄せた小型種に対し俺やキュリエさんが前に出るまでもなかった。
横合いの通路から出てきた数匹はアイラさんとレイさんが撃破。
麻呂を追ってきたと思しき奥から現れた小型種は主にセシリーさんによって一掃された。
「あの、キュリエさん」
最後の小型種が溶けて消滅したのを見届けてから俺は声をかけた。
「ん?」
「思ったんですが、もし小型種が地上を目指しているんだとしたら――」
その時、奥の曲がり角から複数の人影がさらに姿を現した。
その人影の中から一人、こちらに向かって駆けてくる。
「あれは……フィブルク班の生徒たち?」
顔ぶれには見覚えがある。
こちらに駆け寄ってきたのは一人の女子生徒。
女子生徒が先頭にいたセシリーさんの手を取った。
「た、助けて! 青くなったゴーレムみたいなのが……あ、あいつらが……!」
後ろに気をやりながら涙ながらに懇願する女子生徒。
見れば防具が所々破損している。
通路の奥に光が見えた。
術式の光だろうか?
次にベオザさんと生徒が二人、姿を現す。
最後列で追手の相手をしていたようだ。
「…………」
俺は生徒の数を確認する。
八人。
ざっと見たところ戦闘に支障をきたすレベルの負傷者はベオザさんを含め七人。
というか、最初に駆け寄ってきた女生徒だけがかろうじて防具破損のみで済んだようだ。
皆、疲労し切った顔をしていた。
身体は傷つき歩くことも辛そうである。
治癒術式を使う余裕もなかったようだ。
どうにか歩くことはできるようだが……。
そんな彼らの表情に一様に漂っているのは絶望感。
一体、何があったのだろうか?
小型種程度ならばベオザさんがいればどうにかなりそうだが。
…………。
やはり巨人か。
口から血を流し汗で全身を濡らしたベオザさんが、男子生徒に肩を借りながらこちらに近づいてくる。
目に生気がない。
血管が手に痛々しく浮き上がっていた。
どれほどの術式を描いたのか。
指を動かすことすら辛そうだ。
まさに限界といった様子である。
突きあたりの曲がり角から小型種がぞろぞろと現れた。
ベオザさんたちから奪い取ったものだろうか、剣を手にしている小型種もいる。
「キュリエさん」
俺はキュリエさんに意図を込め呼びかける。
彼女は息をつく。
「ま、仕方あるまい」
まずは俺たちで、ベオザさんたちを追ってきている小型種たちを倒――
「アイラぁ!」
背後から声がした。
この声は……麻呂?
いつの間にか来た方向とは反対側、十数メートル先まで麻呂が歩いていた。
「おれに、ついてこい!」
「え?」
アイラさんは何を言われているのか理解できない顔をする。
「な、何言ってるのフィブルク!? ていうか、アタシたちから離れないでよ!」
「うるせぇ! おれはもう地上に戻る! だが『今の』おれじゃあのバケモンどもに遭遇したら勝てるかわからねぇ! だからアイラ、おまえが一緒に来い! 追っ手はあいつらに任せる!」
「ちょっと何よそれ!? アンタだけ先に逃げるっていうの!?」
「に、逃げるんじゃねぇよ! い、一時的に体勢を立て直すだけだっ……!」
「そんなの駄目に決まってるでしょ!? みんなアンタのために戦ってくれたんだよ!? なのに自分だけ先に逃げるっていうの!?」
「う、うるせぇうるせぇ! なんだ!? おまえはおれよりも……そこの異国から来た男を選ぶのか!?」
麻呂が顔を怒りに歪ませ俺を指差す。
「はぁ!? 意味わかんないわよ! どうして今そんな話になるわけ!?」
「……お、おまえらだ!」
憎悪の表情で俺とキュリエさんへ順番に指先を突きつける麻呂。
「おまえらが獅子組にいたせいで何もかもがおかしくなったんだ! おまえらがいなけりゃ、おれは今まで通り楽しくやれてたんだよ! おまえらのせいで何もかもがつまらなくなった! 気に入らねぇ……気に入らねぇ気に入らねぇ気に入らねぇ!」
「ふぃ、フィブルク……アンタ……」
麻呂……フィブルクが眉間に皺を寄せ俺を睨みつけた。
「とくにてめぇだ……クロヒコ! てめぇが一番うざったいんだよ! てめぇがこの学園に来たことそのものが何かの間違いだったんだ! てめぇの何もかもに腹が立つ! 死ね……死ねよ! 死ね! さっさと――死ね! この学園から消えろ!」
ぴきっ、と。
遺跡の地面に亀裂が入った。
音の発生源を見る。
キュリエさんの踏み込んだ足の下に罅が走っていた。
――うっ。
背筋に悪寒が走った。
彼女の表情が。
形容しがたいほどの強い殺意に満ちていたから。
「助けになんて行くなよ、アイラ?」
キュリエさんが凍りつくような声音で言った。
「あいつは放っておけ。あいつにかまうな。これが私にできる、最大限の譲歩だ」
「きゅ、キュリエ……」
「正直、今すぐにでも首を刎ねてやりたい気分なんだよ。今まで色々と屑は見てきたが、あそこまで自覚のない屑も珍しい」
今にも剣でフィブルクの首を刎ねそうなキュリエさんを俺は宥めた。
「ま、まあまあ、キュリエさん……あいつも今は興奮しているんですよ。ええっと、俺なら大丈夫ですから」
「……なぜだ? なぜそんなに平静でいられる?」
「いや俺、元が元なんで……悪く言われたり蔑まれるのには慣れてますんで」
「慣れてるって、おまえ……」
俺は苦笑する。
別に自分は聖人ってわけじゃない。
慣れているとはいえ、もちろんあんな風に言われれば嫌な気分にはなる。
でも今は……地上に向かっているというイレギュラーな魔物の方が先決だろう。
それは今、自分のことなんかよりも大事なことのはずだから。
「アイラさん」
「え?」
「すみません、ここは任せます」
「任せるって……?」
「悪いですけど、俺は今フィブルクにつき合っている余裕がないです。だけどアイラさんがあいつを助けたいっていうなら止めません。そしてアイラさんの行動を否定もしません。あなたが『イイやつ』なのは、知ってますから」
「クロヒコ……」
「だけど俺は――」
思い浮かべるのはマキナさんやミアさん、そしてこんな俺に優しくしてくれた人たち。
魔物が地上に出たら彼女たちにも危険が及ぶ可能性がある。
俺は今それを防ぐべく行動しなくてはならない。
「な……何をてめぇは余裕顔で無視してんだ!? おいクロヒコ! いつからてめぇはそんな偉くなったんだよ!? あぁ!? そもそもてめぇが周りにちやほやされてんのは禁呪を覚えたからだろ!? それを何勘違いしてやがんだ!? おれにはわかる! おまえは……大したやつなんかじゃねぇんだよ!」
「ああ、そうだよ」
「――なっ」
「俺は大したやつじゃない。自分でもよくわかってるさ。だから必死に変わろうと努力してるし、自分にできることをしようとしてる。ま、禁呪があったおかげで何かと得してるとは思うけどな」
言ってから俺は、さて、と口元に手を当てる。
考えろ。
どうする?
ベオザさんたちは戦える状態じゃない。
だが彼らに関しては放っておくわけにはいかない。
小型種の数は不明。
ブルーゴブリン戦の経験を鑑みれば少なく見積もるのは危険だろう。
ここは……攻略班を分けるか?
真っ先に地上へ戻ってマキナさんたちに伝える組。
第一階層の聖遺跡の入り口で魔物の地上行きを阻止する組。
ベオザさんたちを守りながら地上への帰還を目指す組。
そして――これが俺の考えた一つの可能性。
本体、あるいは司令塔が巨人なのだとすれば。
巨人を倒せば小型種も消え去るとすれば……巨人を倒す組が必要となる。
これで四つ。
この四つに攻略班を分ける。
どうだろう?
このメンバーならやってやれないことも――
「クロヒコ、おまえ生まれは貴族か!? 違うよな!? はっ! どうせどこの馬の骨とも知れねぇカスの血が流れてんだろ!?」
フィブルクが叫んでいる。
だが気にしている余裕はない。
一度、周囲の状況を確認。
セシリーさんは重傷のベオザさんに治癒術式を試みつつも大変冷たい顔でフィブルクを見ていた。
しかし俺が、大丈夫ですから、と示す意図で笑いかけると、もうっ、みたいな顔をして口を尖らせた。
ちなみにジークもヒルギルさんもレイさんも、フィブルクを見る目は冷めたものである。
自分たちを見捨てて一人逃げたフィブルクへ注がれる元フィブルク班の生徒たちについては言うまでもあるまい。
…………。
逆にこの状況であそこまで敵意を向けさせるってのも、すごい才能な気もするが。
は、ともかく。
俺は再び通路の奥を眺めた。
さらに他の通路の様子を窺う。
まだ他の小型種の姿は見えない、が。
もう別ルートから地上に向かっている小型種はいるのか?
わからない。
うーむ。
そうだな……とりあえずキュリエさんに相談してみるか。
考えた案を話してみようと俺が口を開きかけた時だった。
「フィブルク! アンタいい加減にしなさいよ!?」
たまりかねたとでもいうようにアイラさんが声を上げた。
そしてフィブルクの方へ歩み寄ろうと一歩踏み出す。
見ると、きつく拳が握り込まれていた。
雰囲気からして……あれは殴るつもりか?
「!」
俺は咄嗟にアイラさんの肩を掴み歩みを止めさせる。
「止めないで、クロヒコ……さすがにアタシ、今のは許せな――」
「違う、何か――」
次の瞬間、
どがぁんっ!
フィブルクの背後の床が宙にはじけ飛んだ。
「……え?」
何事かとフィブルクが後方を振り向く。
そこには、
上半身前のめりになった巨人がいた。
「う、うわ、うわぁぁああああああああ!? な、なんでこいつがここに!?」
「きょ、巨人……!? こいつまで上の階層にのぼってきたっていうの!?」
アイラさんが驚愕に目を見開いた。
咄嗟に逃げようとしたフィブルクがその場で躓く。
それから倒れてうつ伏せになった後、顔を上げて俺たちを見た。
「おい、なんとかしろ!」
その目は一度アイラさんを捉えてから、俺とキュリエさんへ。
「お、おまえらならなんとかできるだろ!? ここは敵味方関係ねぇ! まずはこの巨人をどうにかしろ! 禁呪を使え! 助けろ! おれを助けろぉ! おれを助け――」
フィブルクが恐る恐る振り向く。
背後で巨人が、腕を振りかぶっていた。
「た、助け――」
ずんっ! と。
巨人の腕が、縋るように手を伸ばしたフィブルクを、叩き潰した。
「きゃっ!」
アイラさんが手で目を覆い隠した。
「フィブルク……どうして、あそこまで……」
苦々しい顔でフィブルクだったものを見ながらアイラさんが唇を噛む。
…………。
わからない。
今の自分が、どんな気持ちなのか。
聖遺跡の『死んでも蘇る』という性質上、目の前で起こったフィブルクの『死』をどう捉えるべきなのか俺にはわからない。
「…………」
いや。
今はなんの感慨も湧かないことに拘泥している場合じゃない。
俺は巨人に改めて意識を向ける。
見た目は小型種をそのまま大きくした感じだ。
黒々とした身体に走る青白い線も同じ。
丸い脳天や背中が天井に擦れ、ぱらぱらと石の粒が身体に降りかかっている。
あの感じだと……九メートルくらいはあるだろうか。
巨人は俺たちに狙いを定めたようだ。
「オォォオオオオオオオオ――――」
吠えたけりながら迫ってくる。
階層と階層の間にある床を殴打で破壊しながら巨人が接近してくる。
「我、禁呪ヲ発ス――」
まず俺は第九禁呪を発動させた。
次元の裂け目から現れた鎖が巨人の上半身を拘束。
巨人は拘束を解こうとする。
かなりの力だ。
サイクロプス以上か。
このままだと、拘束が解かれる――。
ぐっ、と手に力を込めた。
「くそっ……」
長くはもちそうにないな……。
「あ、アイラさん、一つ提案があるんですがっ」
「う……うん」
今の状況が危ういことは理解できているのだろう。
アイラさんは首を振ってから表情を引き締めた。
どうにか気を取り直したようだ。
「何?」
「ここで、班を分断すべきだと思うんですが」
「分断?」
「ええ」
もがく巨人に気を払いつつ、俺はアイラさんにさっき考えた案を素早く伝えた。
セシリーさんたちにも聞こえるように。
「……なるほどね。うん、わかった。アタシも賛成。そうだよね。あいつらが地上に出る可能性があるなら対処しなくちゃね。できることを……しなくちゃ」
アイラさんの決断は早かった。
近くで聞いていたキュリエさんがすかさず提案する。
「ここには私とクロヒコが残る。戦力的に高い者が巨人の相手をすべきだろう。地上での被害が出ることを考慮すると、遺跡内で倒せるに越したことはない」
「そうだね。ここで議論するには時間もないし。アタシもそうすべきだと思う。セシリーたちもそれでいい?」
「仕方ありませんね。この場ではクロヒコとキュリエが巨人の相手として適役であるのに、異論を差し挟む余地はないでしょう。他の人選はどうします?」
「おまえに任せていいか、セシリー?」
信頼を込めた声で問いながらキュリエさんが聖魔剣を抜き放つ。
セシリーさんが、ふっ、と微笑んだ。
「では……任されましょうか」
セシリーさんが手早く指示を出しはじめる。
「アイラとレイは先に地上へ向かって学園長および生徒会、風紀会へこのことを報告してください。聖樹騎士団へは学園長から連絡が行くでしょう。その後、可能であれば遺跡の入口で小型種の地上行きを阻止する組の援護へ。ジークとヒルギスはこのまま遺跡の入口へ向かって小型種を極力地上へ出さないよう迎撃。わたしはベオザたちを守りながら上階を目指します」
「セシリー様一人で、彼らをですか?」
ジークが心配げに声をかけた。
確かに一人の女子生徒を除き旧フィブルク班はまともに戦闘のできる状態ではない。
「報告役が一人だと伝達が遅くなる心配があります。また一人だと、もしその人物が目的の達成が不可能な状態に陥った場合、そこで終わりです。だから万全を期して報告役は二人必要だと判断しました。ある意味、一番大事な役目ですからね。そして――わたしとベオザたちの全滅は仮に起きえても『作戦に支障はない』。これで間違っていませんよね、キュリエ?」
にこやかに問いかけるセシリーさんに、キュリエさんは鼻を鳴らした。
「フン……上等だ。が、おまえがいれば全滅はないだろう。小型種相手ならな。安心しろ、あの巨人は――私たちが、ここで仕留める」
その言葉を皮切りに、皆それぞれの役割を果たすべく動きはじめる。
合わせて俺は第二界の詠唱を終える。
「――第二界、解放!」
黒い槍が巨人を貫いた。
が、深く刺さらない。
堅い。
しかも……槍が押し戻されている?
キュリエさんの言っていた自然修復力のせいか。
「くそっ……拘束し切れない……!」
そしてついに――鎖の拘束が解かれた。
巨人は千切れた鎖を振り払うと大口を開けた。
口内に光が集まっていく。
なんだ?
聖素を……集めている?
巨人の身体に走る青白い線が太さを増した。
同時に威圧感も増す。
「オォォオオオオオオオオっ――――!」
空気を震わす咆哮。
――来る。
俺は前方に左手をかざした。
「我、禁呪ヲ発ス――我ハ盾ノ王ナリ、最果テノ獄ヨリイデシ変ズル盾ヨ、我ガ命ニヨリ我ガ手ニ宿レ――」
いよいよ、出番だ。
新禁呪。
「――第八禁呪、解放!」
俺の目の前に赤黒い楕円形の穴が出現。
黒いスライムめいたものが飛び出し、かざした腕を包み込む。
「それが新しい禁呪か?」
キュリエさんが問いかける。
「ええ。これが……新しい力です」
と、手のスライム状の黒いものがダイヤ型の盾と化した。
硬度も一気に増す。
そう。
第八禁呪は『盾』の禁呪。
いささか地味さは否めないものの、今の俺にはある意味ありがたい禁呪ともいえた。
何気にずっと防御面に不安が残っていたからだ。
ブルーゴブリン戦のことを考えても相手の攻撃力次第では一撃で急速に戦闘能力を奪われかねない。
また、一対一ならともかく相手が複数となると避けきれる自信がない。
それこそブルーゴブリンの意識外からの一撃が深手になった苦い記憶がある。
剣で受け止め続けることで剣の本来の力が損なわれるのもブルーゴブリン戦での教訓だ。
その意味では、防御に特化した盾があれば安心して長く戦える。
何より――
俺は右手に施晶剣を握り、巨人へ向けて疾駆した。
キュリエさんが俺に続く。
そこで。
飛びかかってきたキュリエさんへ向けて巨人が拳を突きだした。
俺は左手の盾から一部を分裂させて飛ばし、キュリエさんの前に『盾』を張った。
その盾が巨人の拳をがっちり防ぐ。
ちらっとだけキュリエさんが俺を一瞥してから、宙で身体を捻って巨人の腕を聖魔剣で斬り裂いた。
が、その斬撃は巨人の腕の三分の一ほどを裂いたに留まった。
俺も施晶剣で反対の腕を斬りつけるが負傷と呼べるほどの効果を与えられない。
キュリエさんが着地する。
「自由に移動させられる盾か」
「ええ」
分裂した盾を左腕に戻す。
戻ってきた盾は再び黒い粘液状となって左腕の盾に吸収された。
しかし、とキュリエさんが巨人を見る。
「堅いな」
「あの、キュリエさん」
「ん?」
「その聖魔剣、すごく光が弱いみたいですけど……」
キュリエさんの手元の聖魔剣は前に見た時のようなまばゆい光を放ってはいなかった。
「ああ……どうもこのあたりは聖素の濃度が薄いらしい。多分あの巨人が異常な量を吸収したせいでここら一帯の濃度が薄くなってるんだろう。まあ、元々あの姿になると疲労が激しいからならないに越したことはないんだが……この局面では使いたいところだったな」
ふむ。
俺は再び第九禁呪を詠唱しつつ、彼女に聞いてみることにした。
「さっきから一つ考えていたことがあるんですが」
「考えていたこと?」
「ここで『魔喰らい』を使うと……どうなりますかね?」
「ん……なるほどな」
周囲の術式や聖魔剣の使用を阻害してしまうため基本として『魔喰らい』を使うことは考えていなかったのだが、もはや聖素自体の濃度が薄いのだとすれば……。
使ってしまっても、いいのではないだろうか?
「いい手かもしれんな。試してみる価値はあるだろう」
キュリエさんから許可が出た時、
今度は反対側の床が派手にはじけ飛んだ。
俺たちは同時に振り向く。
さっきまでベオザさんたちが腰を下ろしていたあたりに――巨人がもう一体、姿を現した。
こちらも身体が青白く光っている。
すでにこの一帯には俺とキュリエさん以外の姿はないので、そこは安心だが――
「何体いるんだ、こいつら……?」
「あっちは私がやる。こっちよりは身体に走ってる線が細い。まだあっちの方が刃が通りやすいだろう……こっちを任せてもいいか?」
俺は『魔喰らい』に手をかけた。
「任されます」
互いに背を合わせる。
「『魔喰らい』が通用しなさそうだったら言ってくれ」
「はい」
そして示し合わせたように、それぞれほぼ同じタイミングで巨人へ向かって動いた。
巨人は先ほど放った第九禁呪の鎖を振りほどいた直後だった。
巨人は聖素が力の源のようだ。
以前、鎖の禁呪がマキナさんの術式発動を封じたことがあった。
なので巨人の力を弱めることができるのではと期待したのだが……見た感じ効果はなさそうである。
鎖の禁呪は聖素を扱う器官の入口を塞ぐような効果なのだろう。
すでに取り込まれている聖素を吸収できるわけではないようだ。
となるとやはり――
俺は接近しながら『魔喰らい』を鞘から抜き放つ。
黒い刀身が姿を現した。
刃が発光をはじめる。
迫りくる巨人の一撃を盾で防いで流すと、俺は首もとに狙いを定め『魔喰らい』を振るった。
ざくっ、と『魔喰らい』の刃が巨人の首に埋まる。
と、急激に刃が強く光はじめる。
「オ、オォォオオオオオオオオっ――――!」
取り込んだ聖素が逆流していくのを感じたのだろう。
巨人が吠えた。
――いけるか?
一度刀を抜く。
そして逆手に持ち直し、首に突き刺す。
「オォォオオオオォォオオオオオオオオ――――!」
再び巨人が咆哮。
きいてる?
…………。
違う。
こいつ、さらに聖素を!
吸収力が、より高まって――。
「……っ!」
俺を振り落とそうと巨人が首を振る。
力が弱まっている感じはしない。
見たところ巨人と『魔喰らい』、両者の吸収力は拮抗しているように映る。
くそ。
こいつの取り込んだ聖素を『魔喰らい』で奪えれば弱体化できるかとも思ったが……。
まさか吸収力が『魔喰らい』と同程度だとは。
やっぱりこの巨人、何か異常だ。
十五階層に出るサイクロプスどころじゃない。
それ以上。
何よりも、この堅さ。
この堅さを打ち破るには――。
刀を首に差したまま後方に飛び退ると、俺は地面に着地して巨人と相対した。
「…………」
――やるか。
「我、呪イヲ受ケシ身トナリ、獄ノ腕ニヨル罪殺ヲ欲ス、第八禁呪……第二界、解放――」
左腕の盾が再び粘液状に戻る。
そして――『腕』を包み込む。
「ぐ、ぅ――」
左腕が熱を帯びる。
腕から何かが這い上がってくる感触。
まるで何匹もの細い蛇が腕の内部から身体に這い上がってくるような感覚。
「ぐ、グぐ……ガ……」
左腕が黒い腕と化す。
サイズは明らかに右腕よりも大きくなっている。
禍々しい左腕。
そこだけが魔物の腕でも移植されたかのよう。
薄っすらと黒い瘴気めいたものすら漂っている。
肩のあたりからは黒い血管が俺の身体へと伸びていた。
――力が、流れ込んでくる。
姿勢を低くし地面を踏みしめる。
ビキィッ、と地面が悲鳴を上げた。
根が張ったような感覚を左のこめかみに感じながら、俺は巨人を見据える。
「さ、やろうか――」