第7話「誘い」
「……はい?」
学園の生徒?
「別世界から身一つで来たのなら、住む場所がないどころか、無一文なのでしょう?」
「それは――」
確かに、その通りだった。
「それとも、何かあてがあるのかしら?」
「……いえ、ないです」
若さ溢れる肉体と、得体の知れない妙な鎖を呼び出す力はゲットしたが……。
そうだ。
俺、これからどうやって生活していけばいいんだろう?
本当にやりたいことを見つけるのも大事だが、その前に、まずは腰を落ち着ける場所を探さなくてはなるまい。
しかし、当然といえば当然だが、その腰を落ち着ける場所を得るためのツテや金の持ち合わせはない。
さっき確認したところ、ポケットの財布にはぴったり千円札が六枚入っていたが……この世界ではおそらく紙切れ同然だろう。
もちろんこっちの世界には、実家なんてものも存在しない。
「…………」
ここにきて浮上してきたのは、あまりにも現実的な問題だった。
住む場所と、生活するための金。
さて、どうしたものか……。
と、まるで俺の心中を見透かしたかのように、学園長が微笑みかけてきた。
「あなたは元々、新入生と間違われて運び込まれたんだったわよね?」
「……ええ、そうらしいですけど」
「ならこの際だから、本当にこの学園の新入生となって生活してみてはどうかしら?」
「この学園の、生徒として……?」
「生活面も可能な範囲で援助するわ。どう? なかなか魅力的な提案だと思わない?」
今の俺が立たされている状況を考えれば、確かに魅力的な提案だった。
生活面の面倒を見てくれるということは寝泊りする場所をあてがってもらえるということだ。
寝起きする場所が得られるだけでも、ただ放り出されるのに比べたら天と地ほどの差がある。
最初は不運かとも思ったが、案外この学園の近くに飛ばされたのは幸運だったのかもしれない。
迷うことは……ないか。
「わかりました」
「というと?」
「この学園の生徒として、俺をしばらくここに置いてください」
学園長は満足げに頷いた。
「けっこうよ」
うーん。
なんだか上手く絡めとられている気もするけど。
しかし背に腹はかえられまい。
それに、一応『しばらく』って文言もさりげなくつけ加えておいたしな。
永久に留まるとは、言っていない。
「では、入学のための手続きやあなたの身元証明等については、私の方で処理しておきます。安心して。私の権限をもってすれば、本来存在しない人間を存在していたことにするくらい、造作もないことだから」
本来存在しない人間を存在していたことにする……学園長って、そんな力があるのか。
この人一体、何者だ?
「…………」
にしても……学生かぁ。
まさかこんな形で再び学生生活を送ることになろうとは、夢にも思っていなかった。
ただ、これから学生生活を送ることを考えると、見た目が若返ったのは僥倖だったといえるかもしれない。
いや、この世界の学生がみんな前の世界と同じように若いのかどうかはまだわからないけど……。
まあ、とにもかくにも。
生活基盤が安定しそうな流れになっていることについては素直に喜ぶべきだろう。
とりあえず現実的に生きるか死ぬかの苦悩に直面することは避けられたようだ。
「ちなみにこの学園って、どういうところなんです?」
前の世界で通っていた教育機関とはまったくかけ離れた機関なのか、あるいはさほど変わらない場所なのか、一応確認しておいた方がいいだろう。
せめて、なんのために存在する学園なのかだけでも聞いておきたいところだが……。
確かあの衛兵さんは、候補生がどうこう言ってた気がするけど。
「聖ルノウスレッド学園は聖樹士候補生を育成する学園よ。そうね……どこから説明したものかしら」
「い、一般的に知ってないとおかしいことくらいでいいです……その、基礎教養的な?」
多分……一気に詰め込むとすぐ忘れる。
俺の脳はあまり優秀ではない。
てか、優秀だったら前の世界であんな風にはなってないだろうし……。
「基礎教養、ね……待って? 別世界から来たということは……この世界の名前も知らないってことよね?」
「世界に名前がついてるんですか?」
前の世界じゃ、世界は『世界』としか呼びようがなかった気がするけど。
まあ、あえて言うなら『世界』にあたる言葉は、前の世界では『地球』になるのかな……?
「この世界の人間は、自分たちの住む世界のことを『ユグドラシエ』と呼んでいるわ。元々、この世界を創造した神の名ともいわれているけれど」
ユグドラシエ、か。
北欧神話大好き日本オタクとしては、どうしてもその名から連想してしまうのはあの有名な大樹だが……。
ふむ。
となると、もしかして戦乙女的な方もいたりする?
もし俺が成長し優秀な戦士になったとして……死んだら、ヴァルハラ的なところに導いてくださるんでしょうか?
…………。
は、ともかく。
そう。
大樹だ。
二度目の意識喪失の直前に目にした、あの大樹。
鮮烈で、強烈な印象。
迸る神々しさ。
圧倒的な威容。
今も頭に焼きついて離れない。
多分、聞くべきことは他にもいっぱいある。
だが――今の俺が何より知りたいのは、あの大樹についてだった。
「あの、最初にこの世界で目を覚ました時、すごく大きくて神秘的な木を見たんですが、あれは……」
「聖樹よ。あれはこの国の人間にとっては信仰の対象であり、象徴でもあるの」
「聖樹……」
なるほど。
信仰の対象か。
だとすれば、あの神々しさも頷けるというもの。
機会があったら今度じっくり見物してみるとしよう。
「他に聞きたいことはあるかしら? ちなみに明日からのことについては、明日になってから話すわ。そろそろ私も寝たいところだし」
「えっと」
知っておいた方がいいこと、か。
術式のこととか、聖素のこととか、地理のこととか……他にも、聞くべきことはたくさんあるんだろうけど。
でもまあ、やっぱアレだよな。
俺はちょっと間を置いてから、質問を口にした。
「禁呪って、なんなんですか?」
学園長はまつ毛を伏せ、妖しく微笑んだ。
「まあ、やっぱりそれよね」
「あれ、使い方とか間違えるとやばそうな気がするんで。だから、少しでも情報を得ておきたいなと」
学園長は緩く頬杖を突くと、レースのカーテンの向こうに見える闇をじっと見据えた。
「禁呪は……遠い昔に存在したという、禁じられし呪文。ちょっと歴史に詳しいこの大陸の人間ならば誰もが知っているはずよ。けれどその禁呪はあくまで『存在した』とされているだけで、古文書として保管されている呪文書は、歴史的資料としての価値こそあれど、本物だとは思われていない。だから禁呪とは、あくまで架空の神話的モチーフに過ぎない……誰もが、そう思っている」
学園長がこっちを向いた。
「なぜか? 大きな理由は一つ。禁呪が記されているとされている呪文書を『誰も読むことができない』からよ」
「誰一人として、ですか?」
「誰一人として、よ。少なくとも、ここ数百年は」
「数百年……」
「禁呪の記された呪文書は、これまで何人もの言語学者が解読を試みてきたわ。でも誰一人として解読できた者はいなかった。かろうじてわかったことといえば、これはどうやら禁呪を記した呪文書らしい、ということだけ」
学園長が指先でそっと机の表面を撫でる。
「一応古文書として学術的な価値はあるから、禁呪の呪文書はまったくの無価値というわけではないわ。かといって、そこまで厳重に保管されてもいないのが現実だけれど」
机の表面をなぞった指先を学園長は、特に意味もなさそうに検めた。
「まあ、基礎教養としてはこんなところかしら。ああ、それと……あなたの禁呪だけど、基本的に人前での使用は慎んでもらえる?」
やはり無闇に使っていいものではなさそうだ。
「わかりました。以後、気をつけます」
「よろしい」
「ちなみに、使わない方がいい理由を教えてもらっても? 一応、使い手になった身としては理由を知っておきたいんですが」
禁呪を使うことに何かリスクがあるなら、知っておきたい。
だが……学園長から答えは帰ってこなかった。
ん?
顔の前で手を組み合わせたまま、学園長が視線を横に逸らしている……?
何やらバツの悪そうな様子だ。
禁呪って、そんなにもリスクのあるものなんだろうか。
下手をすれば命に関わるとか?
ただ今のところ、特に何か身体に異変があるわけではない。
もちろん、時間差でなんらかの影響が出る可能性はあるが……。
俺は答えを求め、学園長を見つめた。
逸らされていた彼女の視線が、俺を捉える。
「……何かしら?」
「禁呪のことなんですけど……術式、でしたっけ? あれとは何か違うんですか? 例えば……すごいリスクがある、とか」
「……そうよ。禁呪の使用には、とてつもないリスクが伴うわ」
「い、一体どんなリスクが? ……というか、どうしてまた視線を逸らすんです?」
「ん、とね――」
そこで学園長は、言葉に詰まった。
「…………」
あれ?
ひょっとして学園長……実は何もわかってない、とか?
しかしだとすれば、なぜそんなことを――
その時だった。
「ちっ」
消えりそうなほどの大きさの舌打ちが、聞こえた気がした。
学園長……?
「サガラ・クロヒコくん」
「はい」
「あなたにはある程度、いい目をみさせてあげましょう」
「……はい?」
いい目?
いい目って……どういうことだ?
「だから禁呪のことは極力、秘匿してちょうだい。無闇に人に禁呪のことを話すことも、原則として禁止とします」
「は、はぁ……」
「いいわね?」
「…………」
「い、い、わ、ね?」
「……はい」
な、なんだ?
この強引に押し切られた感じは?
戸惑う俺を、有無を言わせぬ表情で睨み据えてくる学園長。
「…………」
と、とにかく学園長は禁呪の存在をあまり他の人に知られたくないらしいな。
まあ、彼女には彼女なりの考えがあるのだろう。
今この世界で俺が実質上頼れるのは彼女くらいなのだから、些末なことで揉めるのもアレだ。
今はおとなしく彼女の言うことを聞いておくとしよう。
本当は禁呪について、色々と人に話を聞こうと思っていたのだが……。
「さて」
学園長が椅子を引いて立ち上がった。
「今日はもう遅いわ。細かい話は明日にして、寝ることにしましょう」
「はぁ」
ていうか、俺はどこで寝ればいいんだろう?
室内で寝れるなら俺は床でも全然オッケーだが……。
とてとて、と学園長が部屋の左側にあるドアの前まで歩いて行く。
ちなみに縦に長い学園長室の左右の壁には、それぞれ一つずつドアがある。
俺から見て左手側のドアの前に立つと、学園長がドアノブを捻る。
ドアが開く。
学園長が、こちらを振り向いた。
「ここが、私の寝室」
「そうなんですか」
「今夜は、ここで寝るのよ」
「はぁ」
「…………」
「…………」
「どうしたの?」
「何がですか?」
「何って……今夜、同室を許すと言っているのだから、さっさと来なさい」
「……へ?」
学園長が、がしがしっと頭をかく。
「ああもうっ、聡いんだか鈍いんだか、よくわからない人ね……! 今夜は私の部屋で一緒に寝ることを許すから、さっさとこっちに来なさいと言っているのよっ! それくらいすぐに理解なさい、このあんぽんたん!」
微かに照れくさげな表情を浮かべる目の前の美少女の口から放たれた言葉を理解するのに、けっこうな時間を要した。
部屋で、一緒に寝る……?
学園長と?
「…………」
え?