幕間3「魔王」【キュリエ・ヴェルステイン】
クロヒコと別れた後、キュリエは学内の廊下を一人で歩いていた。
ひっきりなしに生徒たちが廊下を行き来している。
授業が終わった直後はいつもこんな感じだ。
が、
――ここでは人目につきすぎる。
キュリエは方向を変え、ある場所へと足を向けた。
そこはセシリーから教えてもらった場所だった。
キュリエが目指しているのは生徒たちが多く集まる噴水広場の方ではなく、本棟裏手にある壊れた噴水のある一角だ。
目的の場所に到着する。
以前も何度か足を運んでみたが、相変わらず閑散とした場所だ。
噴水を囲む壁は風雨に晒され変色し、さらに所々崩れ落ちている。
剥き出しの地肌。
樹木も長らく人の手が加わった様子はない。
長い間放置されてきたことが容易に窺い知れる有様。
まさに打ち捨てられたという表現の似つかわしい場所だった。
日の光もあまり届いていない。
そのような場所であるためか、普段から足を踏み入れる生徒はほとんどいないようだ。
生い茂る樹木に遮られ本棟の窓からこちらはほぼ見えない。
さらに壁で囲まれているのもあって人の目に入る確率は低い。
クロヒコと二人で食事や密談をするならおすすめの場所ですよ、とセシリーが口にしていたのを思い出す。
「…………」
いや、今はそんなことを考えている場合ではない。
「さて――コソコソとつけ回すのも終わりにしたらどうだ? 目障りで仕方がない」
キュリエがそう口にすると一人の男が壁の陰から姿を現した。
「目障りときたか。で、そいつは褒め言葉なんだよな?」
姿を現した男は制服の上着の前を開いていた。
中に着ている黒色の服がだらしなく覗いている。
耳にかかる程度の長さの髪は深い藍色。
瞳は薄い銅色。
三白眼に近い目をしている。
背はキュリエよりも少し高いくらい。
顔立ちは比較的整っているといえる。
が、彼の作り出す一種の邪悪さを湛えた表情が、美青年という表現を奪い去っていた。
「おまえか、ロキア」
「オレだよ、キュリエ」
ロキア。
キュリエと同じ、
第6院の出身者。
――なるほど、ヒビガミが言っていたのはこいつのことだったか。
キュリエはヒビガミが口にしていた言葉を思い出す。
『得た情報がどうも実像を結ばなくてな』
ノイズとロキア、そこに偽者までが加わったことで、ヒビガミの中の人物像は相当ぼやけてしまっていたに違いない。
そこにはキュリエの情報も断片的に混じっていたかもしれない。
さしものヒビガミも、まさか第6院出身者がこの王都に三人以上もいるとは考えなかったのだろう。
ただそれ以前に気になるのは、そもそも誰がヒビガミにその情報を渡したかなのだが……。
ロキアは噴水の前まで行くと縁に足を掛けた。
「しかしテメェも来てたとはな、『銀乙女』。やっぱアレか? ノイズを追ってか?」
「……まあな」
「わからねぇな。オレはクソノイズがくすねやがった愛剣を取り戻すために来たが、テメェはなんでノイズを追ってる?」
「おまえの知ったことじゃない」
どうやらロキアは愛剣をノイズに奪われたらしい。
ロキアの愛剣は二本。
確か『名持ち』の聖剣と魔剣だったはずだ。
キュリエは自らの記憶を探ってみた。
ロキアの愛剣……名は聖剣ラーフェイスと魔剣ファルヴェティ、だったか。
聖剣、魔剣、聖魔剣。
これらには剣のどこかに剣名の彫り込まれた『名持ち』であるものと、そうでないものがある。
そして『名持ち』は他のものと比べて能力が高い。
また、ロキアは昔から聖剣と魔剣を一本ずつ持って戦うことを好む傾向があった。
ちなみに聖剣と魔剣を一本ずつ選ぶ理由は本人曰く『その方が熱いからに決まってるだろうが!』とのこと。
が、キュリエには何が『熱い』のかさっぱりわからなかった。
「それより……例の制服が盗まれた事件の犯人だが、あれはおまえか?」
「はっ、当然だろ?」
悪びれもせずロキアは認めた。
ロキアが噴水の縁の上に立つ。
「そろそろ必要になると思ってな。学園内でノイズ探しをするなら、こいつがあった方が動きやすい」
「……おまえ一人か?」
「いや、仲間が一人いる。今は王都のとある場所に隠れさせてるがな。そいつは老けすぎてて学生じゃ通らねぇし、何より学園側に顔が割れてるからよ」
「顔が割れているだと?」
「以前からこの学園も含め王都を調査させてたんだが、そいつ、捕まりやがったんだよ」
「……まさか破壊された学園の留置室とやら、おまえらが関係しているのか?」
「ああ。そいつが自力で脱出した時、派手にぶっ壊したみてぇだ」
ロキアがゴキッと首を鳴らした。
「しっかしこの学園、意外と侮れねぇ。その仲間を捕まえたのが、聖樹士でも教官でもなく、ここの生徒だってんだからな」
さらにゴキリッとロキアが首を鳴らす。
「捕まえたのはベオザって生徒らしいが……ゴズトのやつを捕まえるたぁ、なかなかのモンだ」
ベオザ。
食堂でフィブルクたちと一緒にいたあの男だ。
確かこの学園で最強の術式使いだと耳にした記憶がある。
「なんでもゴズトのやつ、そのベオザって生徒には勝てねぇと判断して、その場では一旦白旗を上げたんだとよ。ククク、終末郷の名折れもいいところだよなぁ?」
ロキアが送り出した人物ならばそれなりの強者のはず。
その男に白旗を上げさせたのだから、ベオザという男、一応学園最強の名に恥じぬ人物ではあるようだ。
一方、捕まったゴズトは不幸だったといえるだろう。
どういう経緯で戦うに至ったのかは知らないが、よりにもよって相手が小聖位第一位の生徒だったのだから。
「ってわけで、やっぱ他の連中じゃ荷が重いみてぇでな。そこでいよいよ先日、このオレがオレによって投入されたってわけだ」
ロキアが嗤って見下ろしてくる。
「しかし尻尾を出さねぇだろ、あのクソ女?」
「のようだな」
クソ女とはノイズのことだろう。
「こいつは長期戦になるかもな。だがよ、あの女おそらく自分でも気づいてねぇが――」
ロキアが言葉を切る。
そして周囲へ目を滑らせた。
「案外、今もどこかで見てるのかもしれねぇな? オレとテメェが会ってる光景なんざ、あいつにとっちゃ劇的だろうしよ」
先の口ぶりから察するにロキアにはノイズを炙り出す策があるらしい。
が、
「で――」
今はそれよりも目の前の同郷人に問いを投げかけるのが先だった。
「私に何か用なのか、ロキア?」
突き放す調子でキュリエは言った。
同時に殺気を身に纏う。
ロキアが双眸を細め口の端を吊り上げた。
「おいおいよせよ……オレじゃテメェに勝てねぇのは知ってんだろ? 弱い者イジメはオレだけが持つ特権だ。他のやつがするのは感心しねぇぜ?」
「ほざけ。さっき目障りだと言ったはずだ。ノイズを探すくらいなら見逃してやるが、もし今の私の生活に干渉するつもりなら――ここで叩き潰す」
刺すような殺意の篭った声。
あまりクロヒコには聞かれたくない声だった。
「フハハハハ、怖ぇなキュリエ……だが見ろよ? オレは手ぶらだぜ?」
「私も武器はないが――素手と術式で十分だ」
「いやそういうことじゃなくてな!?」
慌てふためきながらロキアが両手を振る。
「だからオレはテメェとやりに来たわけじゃねぇんだって! って、おいおい!? つーかテメェ本気でやるつもりじゃねぇか! いくらなんでも健在すぎんだろ、キュリエ・ヴェルステイン! やっぱテメェ怖ぇよ! 色々と話が通じねぇ!」
「……消えろ」
キュリエが言うと、ロキアは自らを落ち着けるように息を整えた。
「ま、まあそう邪険にすんなって……ただオレは、少し興味があっただけなんだよ」
「興味だと?」
ロキアが舌を出して嗤った。
「ああ。今日テメェと一緒にいた、あの男にな」
「――っ」
「確かそう……サガラ・クロヒコ、とかいったか?」
ロキアが腰を屈める。
目線の高さがキュリエと合った。
「あいつ何モンだ? オレにはあの『銀乙女』がすっかりメロメロになってるように見えたんだが……おい、ありゃあどういう冗談だ?」
メロメロ……。
文脈からして『好意を持っている』の同義語だろうか。
ヒビガミや他の連中も大概だが、ロキアは昔から特に妙な言い回しを好むところがあった。
キュリエもその独特の喋りに関しては半ば諦めている。
なので日ごろから理解できない部分は聞き流すことにしていた。
「おまえには関係のない話だ」
「ってわけにもいかねぇさ。6院の人間としちゃあな。噂によればあいつはヒビガミとやり合ったんだろ? どころか、追い返したって聞いたぜ?」
「先ほど『先日』来たと言っていたが……おまえ、ヒビガミが暴れていた時は王都にいたのか?」
「馬鹿にすんな! そんなの一時的に退避したに決まってんだろうが! あんなバケモンと誰がやり合うってんだ! あいつとは死んでも戦いたくねぇ! 人を見てから物を言いやがれ!」
キュリエは迷った。
クロヒコとヒビガミの関係を明かすべきかどうか。
素早く頭を回転させる。
そして、
「追い返したどころじゃない。ヒビガミはクロヒコのことを、生涯の宿敵と認めたらしいぞ?」
「なっ――んだっ――と!?」
ロキアが縁から足を踏み外しそうになった。
慌てて体勢を立て直しながらロキアが驚愕の表情をキュリエに向ける。
「あ、あのヒビガミがか!? テメェ、それ冗談なら笑えねぇぞ!?」
「冗談ではない。その証拠に、ヒビガミは三年待つといってクロヒコに『魔喰らい』を託した」
「『魔喰らい』を!? 第6院にいた頃からあいつが大事に持っていたあのクソ刀をか!?」
「そうだ」
クソ刀とはひどい言いようだが。
キュリエが二人の関係を明かすことにしたのは、ヒビガミのお気に入りともなればロキアも手が出せないと思ったからだ。
実際、ヒビガミを本気で怒らせたい第6院出身者など一人もいまい。
そして案の定、ロキアはヒビガミを恐れているようだった。
これで下手に手を出すような真似はしないだろう。
「そ、そうか……なるほど、ならテメェがご執心なのもわかる気がするぜ」
「しかもサガラ・クロヒコは禁呪使いでもある。それは知っているか?」
「禁呪? 禁呪って……あの禁呪のこと言ってんのか?」
どうやら知らなかったらしい。
「ああ」
キュリエは一抹の歯がゆさを覚える。
不思議とクロヒコのことをロキアに自慢しているような感覚になったからだ。
「へぇ……禁呪使い、ねぇ」
ロキアが親指で喉仏を触りながら考え込む。
喉仏を触るのはものを考える時のロキアの癖だった。
「だったら、ヒビガミに対抗できるのも頷けるか。しかしさっき見た時は……顔つきは悪くねぇが、そんな強ぇ男にゃ見えなかったがなぁ……」
キュリエはむっとした。
「あいつは根が優しいやつなんだよ。普段は牙を隠しているだけだ」
「わからねぇな。根が優しいなんて時点で、ヒビガミなら甘犬だなんだと吐き捨てそうなもんだが」
「……事実は事実だ。別におまえに信じてもらわなくても私はかまわん」
「ほー?」
ロキアは興味深そうにキュリエを眺めた。
「なんだ?」
「テメェ、そのクロヒコって男に気があんのか?」
「……知らん」
「ククク、フハハハハハ!」
ロキアは腰を落とした姿勢のまま愉快げに膝を打つ。
この流れにキュリエは既視感を覚えていた。
「まさかあの『銀乙女』に春が来やがるとはな! 世の中わからねぇもんだぜ!」
やはりヒビガミと似たようなことを言う。
そんなに自分は変わったのだろうか。
何やら恥ずかしい気分になってくる。
「だ、だから知らんと――」
ロキアが制するように両手を突き出した。
「わかったわかった。オレも知らねぇ。何も知らねぇ。他人の色恋沙汰になんざ興味はねぇし、テメェは異性としちゃあオレの好みでもなんでもねぇ」
「おまえに異性として見られたいと思ったことなどない」
「テメェが美人じゃなけりゃ、ちったぁ惹かれたのかもしれねぇがな」
ロキアは俗に美人と呼ばれる女を嫌う傾向があった。
美人を目にすると第6院を作った『彼女』のことやノイズのことを思い出すからなのだという。
「ま、おおよそのことは理解した。なに、キュリエ・ヴェルステインの変貌と、そのキュリエが好んで隣に置いてるらしい男に個人的な興味が湧いたってだけの話さ」
フン、とキュリエは鼻を鳴らした。
「用が済んだなら消えろ。このことは学園長には報告しないでおいてやる。ただし、ノイズの件が片づいたらすぐにこの学園から去れ」
「お、おぉ……」
「?」
キュリエは首を傾げる。
「何を驚いている?」
「いや、妙に物わかりがよくなったなと思ってよ……テメェ、ほんとに変わったとこはすっかり変わったんだな」
「――っ、だ、黙れ!」
「ま、まさか照れてんのか!? あのキュリエ・ヴェルステインが!? 正気か!? 己を見失ってんじゃねぇか!? て、テメェまさかノイズが化けてんじゃねぇだろうな!?」
「うるさい! 消えろ!」
ひょいっ、とロキアが噴水から飛び降りる。
「フハハハ、それもサガラ・クロヒコとやらの影響ってか? こいつは俄然、興味が出てきたな。あのキュリエをここまで変えさせる男がいるたぁ、気候変動級の驚愕、ここにありだ」
「おまえ、クロヒコに手を出したら――」
「わかってるって。ヒビガミとキュリエ・ヴェルステインを好んで敵に回したがる馬鹿なんざ6院にゃいねぇよ。サガラ・クロヒコを傷つけたり、嫌な思いをさせるつもりはねぇさ」
ロキアはキュリエに不敵に笑いかけた。
「ま、ノイズを見つけたらテメェにも報告はするからよ。だから、ノイズをふんづかまえるまでは見逃してくれ」
キュリエは考える。
この男の言はどこまで信ずるに値するだろうかと。
終末郷の三大組織の一つに『愚者の王国』という組織がある。
この組織の者は自らを真の王とし、誰もが『真王』を名乗るという特徴があった。
だから終末郷の外で捕まった者は皆『自分が王だ』と口にする。
そんな『愚者の王国』だが――終末郷で生きる者ならば多くが知っている。
明らかに一人、異質な者が組織の中に混じっていることを。
その者はかつて第6院にいた頃『魔王』と呼ばれていた。
桁違いの魔素の吸収力と放出力を持つが故に、魔素の王と呼ばれた男。
それが『愚者の王国』を統べる王――『魔王』ロキアである。
昔、ヒビガミはロキアという男をこのように評した。
『どうにかしてロキアの道化の皮を剥ぎ取りたいところだが、あいつには利用できる動機の種が何一つない。あいつの根源はおそらく、あいつ一人で完結しているのだろう』
諦め半分といった様子で床を鞘の底で一つ叩くと、ヒビガミは嗤った。
『カカカッ、まったく難儀なものだ。ロキアの動機を作り出すにはロキア自身をよく知らねばならないが、肝心のロキアの心は霞のように捉えどころがないときている。やつにはおれへと牙を剥く怒りが足りん……さて、どうしたものかな』
あの時のヒビガミの言葉をすべて理解できたわけではないが、キュリエにもわかることがあった。
つまるところロキアはヒビガミをもってしても『よくわからない』男なのである。
ただ、ロキアに『動機を作り出す』という意味ではノイズの『ロキアの愛剣を盗む』という動機作りは見事に成功していた。
この策をヒビガミが選ばなかったのはもちろん、せっかくのロキアの力を削いでしまうからだろう。
そんな風にロキアの人物評を思い出しながらも、キュリエは迷っていた。
どうやらロキアはノイズを見つけるための策を持っているようだ。
が、ロキアそのものが危険の種なのではないか……。
キュリエはロキアよりも強い。
しかも今ロキアは愛剣を持っていない。
無力化すること自体は可能。
ここでノイズを見つける策を強引に脅しなりなんなりで吐き出させるのも手か。
とはいえ――問題はロキアの持つ『特質』だ。
戦いが長引くのは明白である。
この学園内で騒ぎを大きくすることが得策なのかどうか、キュリエは測りかねていた。
ロキアは今、キュリエの横を通り過ぎ、雑草を踏みしめながらこの場を去ろうとしている。
キュリエは腕に力を込めた。
――やはりここで消しておくべきか?
キュリエは振り向きざま、ロキアに接近すべく地面を踏みしめた。
不意を突けばあるいは――
が、すでに……ロキアの姿は消えていた。
「…………」
キュリエの心に微かな憤りが湧く。
それは安堵している自分へ向けられたものだった。
ロキアと戦って騒ぎにならなくてよかった――キュリエは、そう思ってしまったのである。
ここで騒ぎを起こせば学園に残れる話がなくなるかもしれない。
何せ相手はあのロキアだ。
騒ぎが小規模で済むとは思えない。
戦いの中で他の生徒が巻き込まれて死ぬようなことがあれば、やはり危険と判断されて学園を放り出される可能性は十分にある。
学園を去ること自体にはなんの未練もない。
が、それはつまり『彼』と別れるということでもあり――
「私は……」
キュリエは握った拳を開き自分の掌を見つめた。
『テメェ、ほんとに変わったとこはすっかり変わったんだな』
先のロキアの言葉を思い浮かべると同時に彼女の脳裏をよぎったのは、自分を変えたかもしれない男の顔だった。




