第60話「暗い部屋にて」
アイラさんから貰った地図を見る限り、貴族の別邸などは主に王都の南東地区に集まっているようだ。
アークライト家もその例に漏れず南東地区に位置している。
「なんか高級住宅街って感じだなぁ」
俺は地図を片手に南東地区をうろうろしていた。
ここまでジョギング感覚で走って来たが、ほとんど疲れはなかった。
…………。
さすがにもう気のせいでは済まされないだろう。
明らかに俺の身体能力は飛躍的な向上をみせている。
おそらくは禁呪の影響だろうけど、今後控えているマグマ巨人(と勝手に命名してしまっているが)の討伐を考えればむしろ喜ぶべきことだ。
一旦立ち止まって周囲を見渡す。
大通りの周辺は中小様々な建物がひしめき合っていたが、ここら一帯は土地を広々と使っている屋敷が多い印象だ。
その多くが門や柵に囲まれており、庭の手入れも行き届いている。
「うーん、このへんのはずなんだけど」
手元の地図には家が一軒一軒細密に描き込まれているわけではない。
とはいえ地図に描かれた丸印を見る限りアークライト家はそれなりに大きいようだから、目にはつきそうなんだけどな。
誰か通りすがりの人がいたら聞いてみようか。
なんて思っていたら、
「失礼、少しよろしいでしょうか?」
と声をかけられた。
「はい?」
「先ほどから何かお探しのようですが、この地区にお住みの方ですか?」
声をかけてきたのは衛兵だった。
接し方がいやに丁寧なのはここが貴族の多い地区だからだろう。
万が一相手が名のある貴族の息子だったりしたら迂闊に無礼を働くわけにはいかない、といったところか。
学園には貴族の子も多く通っているというし。
「いえ、俺はこの辺の人間じゃないです」
「では……何をしに?」
この辺りの人間じゃないと知ってか衛兵の顔に訝しげなものが走る
「アークライト家の屋敷を探しているんですが、いかんせん初めて来たもので……よかったら屋敷の場所を教えてもらえませんか?」
「『初めて来た』だと?」
途端、衛兵の顔が厳しいものへと変化する。
あれ?
まずかったかな。
「貴様、怪しいな。おれもこの地区の警備についてから長いが……どうもおまえは貴族には見えん。思い出そうとしてみたがやはり見覚えもない」
「俺はルノウスレッド学園の――」
「その制服、本物か?」
衛兵が腰の剣に手をかける。
「そもそもアークライト家になんの用だ?」
「俺はセシリーさ――ええっと、アークライト家のご息女の知り合いです。同じ組の生徒ですよ。名前は相楽黒彦。セシリー・アークライトに会いにきたんです」
「……それをアークライト家の者は?」
「いや、知らないと思いますけど……」
額に皺を刻み衛兵が俺を睨みつけてくる。
明らかに不審がられてるな……。
もしかしてここって、貴族ではない一般人が気楽に足を踏み入れていいような地域ではないのだろうか?
「ん? クロヒコ?」
と、そこにタイミングよく通りかかったのは、
「ジーク?」
「ひょっとしてセシリー様に会いに来たのか?」
ジークだった。
「そこの男、ジークベルト様のお知り合いで?」
「ああ」
衛兵の問いにジークが頷く。
と同時に、ジークは目の前で起きていることを察したらしい。
「彼はセシリー様のご学友でもある。昨日悪漢に襲われたセシリー様のことが心配で様子を見に来たんだろう。セシリー様は今日、学園を休まれたから」
「なるほど、そういうことでしたか」
「彼の身元はおれが保証するよ」
ジークがそう言うと衛兵はすぐさま態度を改め、俺に儀礼的な短い謝罪をし去って行った。
「助かったよ、ジーク」
「なに、気にするな。しかし災難だったな」
「やっぱり場所柄的に他の地区と比べて警備が厳しいのか?」
「それもなくはないが、昨日のこともあってアークライト家の周辺は特に警備を厳しくさせていてな。ところでおまえは、セシリー様の様子を見に?」
「ああ。ただ……恥ずかしながら屋敷の正確な位置がわからなくて」
「アークライト家の屋敷はそこの坂を上がってすぐだ。他の屋敷より少し高い位置にあるから、初めてだとわかりづらいかもな」
俺はジークに連れられてアークライト家の屋敷へ向かった。
歩きながら俺はジークに尋ねる。
「今日休みだったけど、セシリーさんの様子はどう?」
うん、とジークは弱ったように一つ頷いた。
「昨日からずっと部屋に篭り切りでな……食事すらとっておられない。ヒルギスから聞いたところによると、昨日の事件から今まで水一杯しか口にしていないらしい」
「そうか……」
「すまなかったな、おまえになんの連絡もしないで」
「気にするなよ。ジークも大変だっただろうし」
それからジークは『自分とヒルギスはセシリー様のことが心配で自主的に休むことにした』と俺に説明した。
セシリーさん……やっぱりショックが大きかったんだな。
「だがな、気を患っているとはいえセシリー様が今も屋敷で無事にいられるのはおまえのおかげだ、クロヒコ。感謝する」
「どうかな……俺も自分が最善の行動がとれたのかどうかはわからないよ。もっと俺が早くセシリーさんを止めていればこんなことにはならなかったのかもしれない。その点、責任は感じてるんだ」
「ヒルギスから昨日の話は聞いている。おまえとキュリエがいなかったら、セシリー様はヒビガミとかいう男に攫われて終末郷に連れて行かれたかもしれないと」
ジークは口元を厳しく引き結んだ。
その表情からは自責の念が見て取れた。
「おれの力が足りなかったばっかりにセシリー様を危険に晒してしまった……おまえたちがいなかったらと思うとぞっとするよ。何より、自分のふがいなさに腹が立つ」
「俺だってヒビガミに勝てたわけじゃないさ。今回はあいつの気まぐれで見逃してもらったようなもんだし。たまたま運がよかっただけだよ」
「それでも結果的にセシリー様が最悪の事態に陥らなかったのはおまえやキュリエが頑張ってくれたからだろう。この礼はいつかさせてもらうよ」
「じゃあ前に聖遺跡で助けてもらったのをチャラにするってことで、どうだ?」
ジークが意外そうに目を丸める。
「そんなことでいいのか?」
「友だちと貸し借りって、あんまりしたくないからさ」
口元を綻ばせるジーク。
「ふっ、わかった。ならこれで貸し借りなしだな」
「おう」
そんなことを言い合っているうちに、俺たちはアークライト家の屋敷に辿り着いた。
*
「これはこれはっ、あなたがセシリー様をお救いくださったサガラ・クロヒコ様でございますかっ」
屋敷に入るなりメイドさんの出迎えを受けた。
アークライト家の外観はいかにもな『古いヨーロッパのお屋敷』といった感じだった。
見たところやや縦に長い二階建ての屋敷のようだ。
華美な装いこそないものの、品を感じさせる落ち着いた印象である。
また周囲の家と比べると敷地はひと回り広く思える。
庭もよく手入れされていて、途中、ちょうどバントンさんが花に水をやっているところに出くわした。
軽くバントンさんに挨拶をしてからジークの後に続き、俺は屋敷に入った。
そこでエプロンドレス姿の女性の出迎えを受けたわけだ。
「ああ、失礼いたしました。わたくしはこの家で召使いをしております、ハナと申します」
ハナさんが自己紹介する。
年はバントンさんと同じくらいだろうか。
温和そうな顔立ち。
恰幅がよく、髪には白髪が混じっている。
どこか安心感を覚える空気を持った女性だ。
「サガラ・クロヒコです。セシリーさんにはお世話になっています」
「さあさ、是非ともお嬢様に会ってあげてくださいませ。きっとクロヒコ様でしたら、セシリー様もお会いになってくださるはずですわ」
過度な期待をされているようだが……どうだろう?
俺は『どうすればいい?』と視線でジークに問いかけた。
すぐに俺の問いかけを察してくれたらしいジークは、屋敷の階段の手すりに緩く背を預け口を開いた。
「おれは下で待っている」
「一緒に来ないのか?」
「おれやヒルギスだけでなく、今のセシリー様はハナと顔を合わせることすら拒否しているからな……過ごした時間の長い者とは会いたくないのかもしれん。ただ、せめて食事だけでもとってほしいところなんだが」
というわけで俺が食事を持っていくことになった。
場所の説明を受けた俺は、パンとスープの入った皿が載った銀色のトレイを持って、屋敷の二階奥にあるセシリーさんの部屋へと向かった。
…………。
なんとなく今の状況、ひきこもりの人間をどうにか部屋の外に出そうってのに似たおせっかい感があるよな……。
ここで『おせっかい』と思ってしまうのは俺自身が元々おせっかいを焼かれる側だったからだろうか(そんなに焼かれた記憶もないが)。
まあ、セシリーさんのケースを自分と同じだと思ってしまうのも失礼か。
「っと、ここか」
両開きのドアの前に立つ。
ここがセシリーさんの部屋か……。
物音は聞こえない。
寝ているのだろうか?
…………。
そうだな、とりあえず呼びかけてみて反応がなかったら一旦下に戻るか。
昨日の今日だからな。
まだ気持ちの整理がついていないかもしれないし。
放っておいてほしいのか。
むしろ少し強引にでも話しかけてほしいのか。
後者ならまだしも、前者だったら今の俺にできることはないだろう。
「セシリーさん、クロヒコです」
呼びかけてみるが返答はない。
「ちょっと様子を見にきたんですが……もし誰とも話したくないのなら、パンとスープだけここに置いて今日は帰ります。食べられそうだったら食べてください」
反応はない。
これは放っておいてほしいパターンかな……。
なら仕方ない。
今日は帰るとしよう。
「じゃあパンとスープ、ここの台に置いておきますね」
部屋の横にちょうどワゴンが置いてあった。
おそらく手はつけられなかったのだろうが、以前もこの上に料理が載っていたのだろう。
俺はトレイをワゴンの上に置く。
それからもう一度セシリーさんの部屋を見やってから、踵を返し、絨毯の敷き詰められた廊下を歩きはじめた。
と、そこで――
扉の開く音がした。
振り向くとセシリーさんの部屋のドアが半開きになっていた。
風か何かで勝手に開いた?
いや、このタイミングでそれはないよな……。
これは……部屋に入れってことでいいのか?
俺はセシリーさんの部屋の前まで戻ってみる。
「セシリーさん?」
声をかけるが返事はない。
俺はワゴンの上の料理を見る。
そうだな。
せめてこれだけでも。
「料理、部屋の中まで運びますね?」
俺はトレイを持つと、ドアを肩で押しつつそっと部屋の中へ身体を滑り込ませた。
…………。
広さは十五畳ってところか。
白の調度品が多い。
部屋の奥には天蓋つきのベッド。
その横にはソファとナイトテーブル? が置いてある。
煌びやかな感じはないが、屋敷同様、上品で落ち着いた雰囲気がある。
部屋は散らかっておらず綺麗なものだった。
が、その様がむしろ無音の部屋をより寒々しい印象にさせている気がする。
で、ベッドの布団の膨らみからすると……セシリーさんはあそこか。
俺はドアの方を振り向く。
ドアが開いたってことは……一度ドアを開けるためにベッドから這い出て、またベッドに戻ったってことだよな?
うーむ。
さっきは入っていい合図だと解釈したが実際はどうだったんだろう?
料理を取るために開けたのか、はたまた俺の様子を窺うためだったのか。
それとも解釈通り部屋に入っていいという合図だったのか。
…………。
ま、考えてもしょうがないか。
「ここに置いておきますね」
俺はトレイをナイトテーブルの上に置いた。
掛布団から覗くセシリーさんの後頭部が見える。
いつも一つに結ばれている髪はリボンが解け、そのままベッドの上に広がっている。
セシリーさんは黙ったままだ。
手持ち無沙汰になった俺はソファに腰を下ろした。
「あの、もし出て行ってほしかったらヘッドボード――枕の上の板を二回叩いてください」
喋りたくない可能性もある。
まずは黙って待ってみるとしよう。
沈黙が流れる。
時折、部屋の外から生活音が聞こえてくる。
俺は黙って座り続ける。
さらに時間が経過する。
一度だけヒルギスさんが様子を見に来たが、ジークとハナさんに連れられて何も言わず戻って行った。
窓の外が暗くなりはじめる。
部屋の中もそれに合わせて暗さを増す。
室内のクリスタルのライトは灯っていないが、すぐ闇に目が慣れたのでセシリーさんの姿かたちは十分に捉えられる。
と、その時、
「……何を、しに来たんですか」
永遠に続くかとも思われた沈黙を、ぽつりと漏れたセシリーさんの呟きが破った。
「セシリーさんのことが、心配で」
再び沈黙。
そして五分くらい経ってから、セシリーさんが再びぼそっと呟いた。
「ヒビガミが口にしたことが、すべて想像できてしまったんです」
「……何が想像できてしまったんですか?」
「わたしの未来」
「…………」
『型から抜け出せぬつまらん剣を無心に磨き続けてその先に限界を見るもよし』
『甘きに溺れいつか取り返しのつかぬ失敗をおかし破滅するもよし』
『美を追及し権力者どもの愛玩人形に成り下がるもよし』
多分、あの言葉のことだろう。
「どれもありえると思わされてしまったんです。そうしたら、急に怖くなってしまって」
「ならないですよ。あんなやつの言うことを気にする必要なんてないです」
「…………」
また少し黙り込んでから、セシリーさんが話しはじめた。
「ふふ……しかし恥ずかしい話ですよね? 全力が出せる相手にようやく巡り合えたなどと息巻いていたくせに、いざ蓋を開けてみたら相手にもされないほどの弱さ……ついに『敵』が現れた? 自分で聞いて呆れますよ」
「そんなことないです。それにキュリエさんが言ってました。ヒビガミは第6院の中でも強さの次元が違うって。だからあの男に勝てないのは普通なんです。あんなの、誰も勝てませんよ」
「ですがあなたは善戦した上に、未来の宿敵だとまで言わしめたのでしょう?」
「それは……」
ヒビガミは悪いやつだが下手な世辞を口にする男とは思えない。
だからあれは本心なのだろう。
けど、
「きっと禁呪のせいですよ。禁呪の呪文書を集めるみたいなことを言ってましたから、全部の禁呪が使えるようになった俺と戦ってみたいんでしょうね。それに、俺は剣の師匠が優秀ですから」
「ヒビガミとやり合えたのは、キュリエのおかげだと?」
今の言葉だけ少し語調が強めだった。
「え、ええ」
セシリーさんがまた黙り込んだ。
そしてさらに数分して、
「クロヒコはいい人ですね」
と言った。
「はは……そういえば今日もアイラさんに『イイやつ』だって言われましたよ」
「……そうやって」
「?」
「あなたはそうやって、誰にでも好かれようとする」
「え?」
彼女の声に含まれていたのは、どこか責めるような響きで。
「セシリー、さん?」
「あなたは自分に優しくしてくれる人なら、誰でもいいんでしょうね」
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ! 俺は、そんな……」
セシリーさんが身を起こし、こっちを向いた。
俺は息を呑んだ。
服は昨日着ていたものと同じ。
きっと屋敷に到着してからそのまま布団にもぐり込んだのだろう。
目の下には隈ができていた。
それでも彼女の美しさは微塵も損なわれてはいない。
むしろ退廃的な美とでもいうべきものを味方にしているようにすら映る。
ただ――俺が息を呑んだのはそこではなかった。
そう、表情が。
彼女が時折浮かべる、あの表情で。
どこか冷笑的に俺を見るセシリーさん。
「正直に言うと――」
彼女は指先で掛布団の端をつまみながら続けた。
妖しく冷たい、ぞっとするような笑みを浮かべて。
「癪に障るんですよ、あなたを見てると」