第59話「ホルン家の娘」
「前にも一度こうして食堂で向かい合って座ったことあったわよね」
食堂に到着した俺たちはテーブルを挟んで対面に座った。
本棟の食堂は授業後もしばらく開放されている。
お茶をしながら駄弁っている生徒の姿も多い。
異世界といってもああいう部分は日本の学生と変わりがない。
「アンタも好きなの、それ?」
アイラさんが俺の前に置いてあるコップを指差す。
コップの中身は蜂蜜入りのミルク。
彼女に奢ってもらったものだ。
で、アイラさんの前にも同じものが置いてある。
「最初に飲んで以来、気に入っちゃいまして」
「あ、そうなんだ?」
誰も聞いてなどいないだろうに、アイラさんは内緒話でもするように声を潜めた。
「実は、アタシも大好物なのよね」
はにかみながらコップを手に取りアイラさんが心底嬉しそうに口をつける。
それからほっぺたに手を当てて至福の表情を浮かべた。
「ん〜、最っ高! この一杯のために生きてるって感じよね!」
どんっ、と勢いよくコップをテーブルに置くアイラさん。
「…………」
将来のんべえにならないか心配になってしまった。
「さて、クロヒコくん」
む?
「ん? 東国ではあんまり親しくない人に丁寧に接する時、名前とかの後に『くん』とか『さん』とつけるのが礼儀だって聞いたんだけど……アタシ何か間違えてる?」
それは……俺にはわからない。
確かクラリスさんは親しみを込める意味があると言っていた。
一方ジークはよそよそしさがある呼び方と捉えていた。
で、アイラさんは『あんまり親しくない人に丁寧に接する時』だと言っている。
思い起こせばマキナさんも俺がこっちの世界に来たばかりの頃、一度だけ『クロヒコくん』と呼んだことがあったけど。
こっちの世界の使い方は知らないが、東国の文化は人によって微妙に解釈が違うらしい。
まあどれも間違ってはいないか。
元いた世界基準ではあるけど。
…………。
ただ、俺が気になったのはそこではなくて、
「アイラさんに名前で呼ばれたのが初めてだったので。ちょっとそこに反応しちゃっただけです」
「あれ? そうだったっけ?」
そう。
今までは『アンタ』と『禁呪使い』だった。
「あと俺のことは『クロヒコ』でいいですよ。まあ、アイラさん次第ですけど」
「『クロヒコ』でいいの? 東国の人っていきなり名前だけで呼ぶと不快になったりしない?」
俺は苦笑する。
「みんな『クロヒコ』って呼んでるじゃないですか」
変なところに気を遣う子なんだな。
「ならアタシも『アイラ』でいいわ」
「え?」
「はい、ではさっそく言ってみましょう」
手を打ち鳴らすアイラさんに促される。
ええっと。
「……アイラ?」
「はい、よくできました」
するとアイラさ――アイラは椅子の背に肘をつくと、へらっと笑った。
「いやね? 実はアンタの『アイラさん』ってなんかよそよそしいなぁって思っててさ」
「そうですか?」
「呼び方に気安さがないもの」
「アイラさんは気安い方だと思いますけどね。あ、話しやすいって意味でですよ?」
初めての会話はちょっとアレだったけど。
「…………」
「アイラさん?」
「ほら、もう忘れてる」
「あ」
うーむ。
ジークは男同士だったせいか意外とすんなり馴染んだが……彼女相手だと、やっぱり違和感が。
「すみません、ちょっとずつってことでいいですか? なんか変な感じがして」
「むー、まあアンタがそう言うなら仕方ないか。強制するのも悪いしね」
多少不服そうだったが、アイラさんは了承してくれた。
「でもアタシは『クロヒコ』って呼ぶわよ?」
「ええ、どうぞ」
そこで切り替えるようにアイラさんが、ぽんっ、と手を合わせた。
「では改めて、本題に入らせてもらうわね」
彼女が腕をテーブルの上に載せる。
「実は今アタシたち、聖遺跡攻略の仲間を集めてるの」
「アタシ『たち』?」
「前に家同士の関係で同級生や上級生と組んでるって言ったでしょ?」
ああ、この食堂の円テーブルに座っていたあの人たちか。
初めて聖遺跡前広場に行った時にも目にしたな。
「でね、アタシたち先日九階層まで到達したんだけど」
「え? もうですか?」
去年の卒業生の到達階層が十九階層であることを考えるとすごいスピードに思える。
ただ、上級生と組んでいることを鑑みれば特段驚くことでもないのかもしれない。
ちなみに俺は一応五階層まで到達している。
「うん。未到達生徒を入れてる割には早い方かな? ま、アタシなんだけどね?」
「未到達生徒?」
「あ、知らない? 聖遺跡ってね――」
アイラさんの説明によると、聖遺跡は既に踏破した階層の攻略が比較的楽になる傾向があるらしい。
具体的には下層へ続く階段が見つかりやすくなるんだとか。
この現象を生徒たちは『聖遺跡が選ばれし者を呼び込む』と表現しているという。
で、この学園の生徒が同じ学年で固まりやすくなる原因はここにある。
聖遺跡はその階層へ未到達の生徒が一人でも攻略班に混じっていた場合、がくんと攻略速度が落ちるのだ。
だからどうしても欲しい人材と思わない限り上級生は下級生――特に新入生を誘おうとは考えない。
上級生が下級生を誘うのはアイラさんのように家同士の繋がりがあるとか、それでも攻略班に入れる価値ありと判断した場合だけなのである。
不思議には思っていた。
攻略経験豊富な上級生と組むのを考える生徒がもっと多くてもいいはずなのに、獅子組には同級生同士で組む者が異様に多かった。
なるほど、同じ学年で固まりやすくなるのにはそんな理由があったわけだ。
さて。
話はここからである。
「未知の守護種、ですか?」
「うん……実はね、今ほとんどの攻略班の生徒が九階層で足止めを食らってるのよ」
「つまり、その守護種のせいで?」
辛辣な顔でアイラさんが首肯する。
「アタシたちがその守護種と戦うかどうか迷っていた時のことなんだけど……そこに別の攻略班が来て『何ボサッと作戦会議してんだ? おこぼれなんてやらねーぞ? お先』ってその守護種のいる部屋に入って行ったのよ。けどアタシたちは何か嫌な予感がしたから、転送装置で地上に戻ったの。そしたら――」
その守護種のいる部屋に入って行った生徒たちが、眠りに落ちた状態で転送されてきていたらしい。
アイラさんたちより先に。
つまり先に入った攻略班はアイラさんたちが帰還するよりも早く守護種に殺されたことになる。
「その攻略班には、小聖位十位と十二位もいたのよ」
小聖位は学園内ランキングのようなものだ。
教養科目も含まれるから一概には言えないが、まあ、ほぼ強さのバロメーターと考えていいだろう。
その小聖位の十位と十二位がいてもまるで歯が立たなかった――ということは、
「かなりの強敵、ですね」
「ええ。マグマから生まれた巨人みたいな魔物なんだけど……聖遺跡の魔物図鑑には載っていないし、同じ攻略班の上級生に聞いてみても知らないって言うし……なんか不気味なのよね。だから挑むのに躊躇しちゃって」
「話が見えました。つまりアイラさんたちは、その守護種を倒すためのメンバーを集めているわけですね?」
「そういうこと。とはいえ、知っての通り聖遺跡は大所帯になりすぎると魔物の出現数も上がってしまう。でも今回はある程度の人数が必要になるだろうから……匙加減が難しくて」
「ん? もしかして守護種の部屋には未知の魔物だけじゃない?」
「察しがいいわね。その通り。部屋を覗いた時、マグマ巨人の子供みたいなのが何匹もウロウロしてるのが見えたの」
未知の魔物の他に雑魚モンスターもいるわけか。
「で、十五階層の魔物を簡単に倒せる禁呪の力ならいけるのではと?」
「回りくどい言い方はしないわ。うん、つまりはそういうこと」
ふむ。
どうしたものかな。
…………。
「俺としては、力を貸すのはかまいませんよ」
「え!? いいの!?」
「ただしパートナーに相談してからですけど」
「そ、それはもちろん! アンタのパートナーって……キュリエ・ヴェルステイン、だよね?」
「パートナーとしては一応、話し合っておかないとですから。でも前向きに考えます」
「うん、わかった! じゃ、こっちも日取りとか決まったら伝えるから! いやぁ、よかった〜っ」
テーブルに上半身を投げ出し、アイラさんが緊張の切れたように息をつく。
「?」
「あははは……何気にアンタを引き入れられるかどうかが一番の懸案事項だったのよね。アタシたちって家のしがらみもあって、見境なく小聖位の上位陣に声をかけるってわけにもいかないからさ」
顎をテーブルに乗せたまま、ふぃ〜、と疲労感たっぷりに息を吐き出すアイラさん。
「しかも『禁呪使いの子はアタシに任せて!』なんて大見得を切ってきたんだけど、いざとなったら不安になっちゃってね……それによくよく考えてみたらそんなに親しいわけでもないし、模擬試合の時にもあんな態度取っちゃったし……」
アイラさんがくすぐったそうな微笑みを浮かべた。
「でもアンタ、やっぱりイイやつだよね?」
うっ。
…………。
今の笑顔には思わず心臓を鷲掴みにされてしまった。
というか、セシリーさんの陰に隠れている感があるけどこの人って何気に相当可愛いんだよな。
小さな整った顔。
赤いさらさらの髪。
ぱっちりとした勝気な目。
すっと通った鼻筋。
きりっとした眉。
耳のイヤリングがどことなく残るあどけなさを適度に打ち消していて、若々しいエネルギーの中にも微かな色気を感じさせる。
何より愛嬌があるし、話していると他の人とは違う種類の安心感を覚える。
心地よい気楽さ、というか。
…………。
赤面した俺は照れをごまかすために話題を振る。
「あ、アイラさんは、聖遺跡攻略に前向きなんですね?」
「ん? まあね」
「今年は例の噂のせいで、行きたがらない生徒も多いって聞きますけど」
アイラさんは上半身を起こすと、視線を伏せ、カップの表面を指先で撫でた。
「だって、しょうがないわよ」
「…………」
「それにセシリー・アークライトだって、それくらいじゃめげないだろうしね」
アイラさんが問いかける視線を俺へ向ける。
「アタシとセシリーの関係は知ってるんだっけ?」
「模擬試合の時に教官が話してるのを少し聞いただけですけど。家同士で競争? みたいな感じになってるのかなってレベルの認識です」
眉尻を下げるアイラさん。
「間違ってはいないわね」
と、アイラさんが組んだ指の先を絡めたり解いたりしはじめた。
「前も話したかな? アタシってホルン家の才媛とか言われて持て囃されることも多いんだけど、根っこは凡才なんだよね」
「そうなんですか?」
「そうだよ。だから小さい時から才能のある人たち以上に努力しなくちゃいけなかった。それでも才能のある人たちはどんどんアタシよりも上に行っちゃって……だから、いつも一人で焦ってばっかりで」
そう話すアイラさんの表情はしかし、自分の今の状況を受け入れている感じだった。
「けど……家の人間は諦めるのを許してくれなかった。だからアタシは必死に努力を続けた。努力する天才には絶対に追いつけないことを、どこかで理解しつつもね。でもそれって……けっこう辛いんだ」
努力する天才。
やはりセシリーさんのことだろうか。
しかし話題が昨日の事件に移らないところを見ると、アイラさんは今のセシリーさんの状態を知らないようだ。
本当についさっき聖遺跡から戻ってきたばかりなのだろう。
アイラさんが自嘲めいた笑みを浮かべる。
「あのね? アタシって元々は臆病な性格の子だったんだ。みんな、昔から勝気な性格だったって思ってるみたいだけど」
アイラさんが天井を見上げた。
「これでもアタシなりに、けっこうがんばってるんだけどなぁ」
笑みこそ浮かべているが、なんだか寂しそうにも見える。
「って、何言ってんだろうね、アタシってば」
取り繕うようにからっと笑いながら頭に手をやるアイラさん。
「あれ? なんで愚痴になっちゃったんだろう? あははは……ほんとどうしてかな? アンタって話やすいからかな?」
「アイラさん」
「ん?」
「俺一人でも、例の未知の魔物の攻略には協力しますから。だから――」
俺は蜂蜜入りミルクを一気に飲み干し、コップをテーブルに置いた。
「絶対に倒しましょう、その魔物」
「え? う、うん」
今の話を聞いて、この人の力になりたいと思ってしまった。
何より彼女は、まだ禁呪使いだと明かしていなかった頃の俺に対し真摯に接してくれた人間でもある。
あの時、俺は嬉しかった。
だから恩義には報いたいと思う。
今の俺がアイラさんのためにできることは未知の魔物を倒す手伝い。
それが彼女の道を切り開く一助になるのなら、喜んで協力しようじゃないか。
さて。
キュリエさんからはどうにかして許しをもらうとして、問題は時期だな。
複数で行くとなると、術式を阻害する『魔喰らい』だけではやはり厳しいだろう。
となるとまずは武器の調達か。
「で、報酬なんだけど……どのくらいがいいかな?」
アイラさんが切り出した。
「報酬?」
「ま、アタシたちが主導でやってることだからね。潜ってる時に得たクリスタルの換金で懐も温かくなったし」
「でもこの話、みんなが九階層で足止めを食らってるわけだから、他の生徒には九階層を突破できるってだけで協力するメリットはあるでしょう? となると、報酬なんて必要ないんじゃないですか?」
「あ……」
言われてみれば、という顔をするアイラさん。
普通に払うつもりだったんだ……。
「倒した後も九階層にそのマグマ巨人が出現しない保証はないわけですよね? で、アイラさんたちは大所帯にするつもりはない。となると『是非ともマグマ巨人攻略作戦に参加したい!』って生徒は多いはず。ならばむしろアイラさんたちが『選別する側』になるのでは?」
「むぅ、確かそうかも……」
「こ、攻略班の人たち誰も気づかなかったんですか?」
「たはは……探索から戻ってきたばっかりでみんな頭が働いてなかったのかも」
あるいは金持ちだから『まず金で解決!』って思考にすぐに行きがちなのか。
「で、でもクロヒコには報酬を出すわ!」
「え、でも」
と、アイラさんがテーブルに両手をついた。
「な、なんなら一世一代の色仕掛けも辞さないかまえです! ――ぃでっ!」
頭を下げた途端、ごつん、とアイラさんがテーブルに額をぶつけた。
「……いだぁぃ」
涙声だった。
「何やってんですか……てか、なんで色仕掛けなんですか」
額をサスサスしながら涙目でアイラさんが俺を睨む。
「らって……模擬試合の時アタシの胸、嬉しそうに見てたじゃなぃ」
「…………」
しっかり気づかれていたらしい。
*
飲み物もなくなったので俺たちは一旦食堂から出た。
結局、俺の方の目的は半分も果たせなかったな……。
まあマグマ巨人攻略作戦のメンバーになったことで話す機会は増えるだろうから、今日は聖遺跡の情報はそんな詳しく聞かなくてもいいか。
マグマ巨人のことも聖遺跡の情報といえばそうだし。
セシリーさんのことは……正直、話題にしづらかったが。
才能云々で悩んでいたなんて話を聞かされちゃあな。
少なくともさっきの時点で切り出せる話じゃない。
ただ、これだけは聞いておかないと――
「あの、アイラさん」
「ん? なーに?」
「王都にあるっていうアークライト家の屋敷への行き方って……わかります?」
「わかるけど、アークライト家に用事?」
「ええ」
「ん、わかった。じゃあ教室まで来てくれる?」
*
「いいんですか、これ?」
「いーのいーの、何枚もあるから」
なんとアイラさんから王都の地図を貰ってしまった。
で、現在地とアークライト家の場所に印までつけてもらった。
「ありがとうございます。助かりました」
「これからは仲間でもあるんだから、気にしなくていいって。それより……本当に報酬、施晶剣の修理だけでいいの?」
「むしろ出過ぎた申し出じゃなかったかと不安だったんですが」
「ないない! どころか攻略に必要なものだから、こっちがありがたいくらいよ!」
どうしても報酬は払うと言って聞かないので、俺はアイラさんにあの晶刃剣の修理を申し出てみた。
ちなみに俺は晶刃剣と呼んでいたが基本的には『施晶剣』と呼称されるらしい。
…………。
惜しかった。
「じゃあ今度、その施晶剣を持ってきてくれる?」
「わかりました」
俺たちは本棟を出た。
空を見ると雲が重く垂れこめていた。
「じゃあ、今日はこれで」
「ええ」
「アタシの話……承諾してくれてありがとね、クロヒコ」
「がんばりましょうね、マグマ巨人攻略」
「うん!」
こうしてアイラさんと別れてから、俺は地図を手にアークライト家の屋敷へ向かった。