第55話「聖樹の国の禁呪使い」
「クロヒコ、無事か?」
ヒビガミから視線を離さずキュリエさんが尋ねた。
「ええ、無事です」
「セシリーは?」
セシリーさんは何も答えない。
頭を垂れたまま押し黙っている。
「セシリーさんは……」
セシリーさんを一瞥するキュリエさん。
「言わなくていい。何があったかは……なんとなく呑み込めた」
キュリエさんの声音が話しながら鋭さを帯びていく。
その鋭さが向かう先には、嗤うヒビガミの姿。
「キュリエよ。今まで己どこで何を――ぬっ」
ヒビガミが言い終わらぬうち、キュリエさんが連続で突きを繰り出す。
「カカッ、腕が鈍っていないようで何よりだ、キュリエ!」
「黙れ」
続けざまに放たれる怒涛の突きをヒビガミは避け、払う。
そして地面にざぁぁっと足を滑らせながら一旦、二人が間合いを取った。
「その剣――聖魔剣リヴェルゲイトを持ち出してきたということは、やる気だな? いいぞ、さあ使え。おれが手にしているのは『無殺』だ。今なら魔素は集められる」
「何? 聖素が使えるだと!?」
ここぞとばかりに声を上げたのは一人の衛兵だった。
「よくわからないが今ならば聖素が使えるようだ! おい後列、術式を――」
「少し口を閉じていろ、泥人形ども」
「――うっ」
息苦しさすら覚える冷たい声をヒビガミから向けられ、衛兵の顔が急速に青ざめる。
「そんなにも命がいらんか、己らは。忠告したはずだ。おとなしくしていれば生かしておいてやると。ここで己らを瞬殺する手間など大した手間ではないが、生憎おれは無駄に人を殺す趣味も、弱者をいたぶる趣味も持ち合わせておらん……が、もし邪魔立てするならば、それを思い立った一秒後には死んでいると思え!」
ヒビガミの一喝で衛兵たちは皆竦み上がってしまった。
と、そんな中。
キュリエさんの手にしている剣――聖魔剣リヴェルゲイトのクリスタルが光を放ちはじめる。
「もういい、おまえは休んでいろ。むしろその状態で参戦されたら、おまえが心配でこっちも動きがとりづらい。あとは私に任せておけ」
キュリエさんがそう言ったのは、俺が禁呪の詠唱のため口を開き、落ちていた聖剣を取りに向かおうとした時だった。
「ヒビガミは――私が殺る」
キュリエさんから放たれているのは鋭利に研ぎ澄まされた殺気。
あの模擬試合の時に垣間見せたものとは次元の違う殺意。
本気でヒビガミを、殺す気だ。
さらに聖魔剣の輝きが増し続ける。
そしてキュリエさんがまばゆい光に包まれる。
あまりの光量に手をかざす。
なんだ?
そして光が収まると、そこには――
純白の鎧に身を包んだキュリエさんが、立っていた。
ドレスアーマー、とでも表現すべきだろうか?
甲冑部分は穢れのない純白。
スカートや腕の裾部分には金色のラインが走っている。
頭の兜には薄い青の羽根飾り――それこそ、まるで北欧神話に登場する戦乙女を彷彿とさせるような出で立ち。
蒼き刀身を囲む白く発光する刃は、聖素によって作られた刃だろう。
え?
変、身……?
目にする者は皆、先ほどのヒビガミの威圧を忘れ、別の意味で声を喪失しているようだった。
誰もが思ったはずだ。
――美しい、と。
そして、神々しいと。
どうあがいても目を奪われてしまうほどの、神話の域とも呼ぶべき、凛とした気高さ。
「『術式魔装』……その姿にはやはり、さすがのおれも見惚れざるをえんな。眼福というやつだ」
聖魔剣を両手で握り、ゆっくりと後ろに振りかぶるキュリエさん。
その動作だけで周囲にキラキラと粒子めいた聖素が舞う。
「『魔喰らい』を抜かなかったこと……後悔するなよ?」
「ここで『魔喰らい』を抜くだと? 馬鹿な、それこそ後悔するさ。抜いてしまっては、その姿のキュリエ・ヴェルステインとやれんのだからな」
「ヒビガミ」
「ん?」
「――ここで、終わりだ」
キュリエさんが剣を振るった。
リィン、と心地よい風鈴の音にも似た清冽な音色が響き渡った。
え?
俺は目を瞠った。
剣先が、伸びた?
聖素の刃が、ヒビガミの身体に届く距離まで伸びたのだ。
一方ヒビガミは身を屈め襲いくる光の刃をかいくぐった。
ん?
刀で受け止めずによけた?
あの刃……ひょっとすると刀では受け止められないのか?
光の刃はさらに伸びてヒビガミを追跡。
ヒビガミは追いすがる光の刃から逃げつつ、キュリエさんへ接近を試みた。
が、今度は光の刃が鞭のように飛び回り剣撃の盾とも呼ぶべき空間を形成。
ヒビガミは接近かなわず後方へ飛び退く。
逃すまいとするかのように、キュリエさんが剣を一振り。
剣から切り離された聖素の塊が槍めいた姿を形成――ヒビガミへ襲いかかる!
「ぬっ!? これは初見か!」
迫りくる槍を素早く動き回り避けるヒビガミ。
が、その光の槍もまたヒビガミを自動追跡。
ヒビガミがさらにスピードを上げる。
「カカカカッ! こんな技を隠し持っていたかキュリエ! しかし――やはり己はいいな! セシリーなんとかというどこぞの甘犬と違って、しっかりとおれを『殺し』にきてる! それだよキュリエ! 己のよさはそこよ! いつでも『人でなし』に戻れる! 甘さを瞬時に打ち捨てられる! よかろう! ならばおれも――」
その時。
ヒビガミの顔に黒い血管が浮かび上がった。
白目は黒へ。
黒目は赤へ。
そして手の甲にも、黒く力強い根が浮き上がる。
カッ、とヒビガミが嗤った。
「己に――応えようではないか」
「フン……さっさと消えろ、この戦闘狂が」
「カカカッ、そう嫌ってくれるな、キュリエ。安心しろ。案外6院の連中の安寧の時は、近いかもしれんぞ?」
「……何?」
刹那、ヒビガミの姿が消える。
否――消えたのではない。
目で捉えられぬ速度で移動したのだ。
移動の際に踏みしめた石畳が罅割れるため、ヒビガミの位置が完全に掴めないわけではないが――。
だとしても、その速度は異常である。
だがキュリエさんには見えているらしい。
よくわからないが、互いに接近したり離れたりしながら攻防を繰り返している……ようだ。
ほとんど俺には視認できない。
二人の戦いはそれほどまでに次元を異にしている。
これが、第6院の出身者同士の戦い……。
誰もが唖然としたまま動けずにいた。
そもそもあんな戦いに、どう混じれというのだ?
と、
「いいだろう、ここまでだ」
ヒビガミが動きを止め、姿を現した。
「行き場のなかった火照りはおさまった。カカッ、今も力を伸ばしているようでけっこう。ふむ、術式魔装も以前よりもよく使いこなせているようだ」
「おまえにしてはいやにあっさりだな、ヒビガミ。なんだ? 少し丸くなったか?」
「その言葉、そっくりそのまま己に返したいところだがな」
「フン」
剣を後ろに流し、構え直すキュリエさん。
「『仕合え』だとかわけのわからんことを言って迷惑をかけにくる、その悪癖は変わらんな。が、私の周辺の者に手を出すのはやめてもらおうか……死にたくなければな」
「ん? サガラはともかく、そこの愛玩人形も己の知り合いだったのか?」
「…………」
ヒビガミの視線の先。
そこには地面に両手を突き、俯いたままのセシリーさんがいる。
「カカッ、今の言葉で一層怖い顔になったということは……なるほど、あの甘犬もお仲間というわけか」
キュリエさんが怪訝そうに尋ねた。
「おまえまさか……私の関係者だと知らずに手を出したのか?」
「そもそも己がいるとは思っていなかった」
「……何?」
「おれは6院出身者の情報を聞きつけてこのクリストフィアに来た。が、ここに来て最初に切り捨てた男は偽者だった上、得た情報がどうも実像を結ばなくてな。つまり、おれが得た情報ではキュリエ・ヴェルステインに『結びつかなかった』わけだ。おかげで『誰』なのか特定ができなかった。……ふむ、そうか。つまりこれは――」
ヒビガミが歯を見せ、愉悦の表情を浮かべた。
「この王都に……己以外にも『誰か』いるというわけか?」
「…………」
「ああ、ひょっとして己は『そいつ』を探してここに?」
「……さあな」
「ま、よかろう。今のおれには関心の埒外の話だ」
「フン、妙なこともあったものだな。第6院が『関心の埒外』だと? おまえらしくない言葉だな、ヒビガミ。それともようやくつまらん仕合い遊びに飽きてくれたのか?」
「近い」
「?」
ヒビガミがニヤリと俺に笑いかけた。
「おれは6院の連中よりも、そいつがいい」
「……な、に?」
そこでキュリエさんの声に初めて微かな動揺が走った。
「サガラだよ。サガラ、クロヒコだ」
「クロヒコ、だと? クロヒコが一体どうしたというんだ?」
「端的に言えば――」
ヒビガミが刀の切っ先を俺に向けた。
「惚れた」
「なっ……ほ、惚れ――な、なんだとっ?」
狼狽するキュリエさん。
「おいおい……勘違いしてくれるなよ? 色恋の話じゃあないぞ」
「……ま、紛らわしい表現をするな」
「カカカッ、なんだどうしたその乙女のような反応は? 揶揄のつもりでつけられたはずの『銀乙女』は、本当に乙女になっちまったのか? カカカカッ、これは珍しいものが見れたものだ!」
「う、うるさい! それよりどういうことだ? なぜクロヒコが――」
「なあ、キュリエよ」
ヒビガミが深々と息を吐いた。
その落ちたため息には諦観が宿っていた。
「おれは、強くなりすぎた」
それは初めてヒビガミの口から耳にした絶望を帯びた声。
「フン、悪いがそんな悩みは私の知ったことじゃない。さっさと消えろ」
「まあそう言うな。これを話したら今日は消えてやるさ」
ヒビガミが周囲を見渡す。
「そろそろ人が集まりすぎたからな。正直、人ごみは好きじゃあない」
納刀するヒビガミ。
同時に目の色が戻り、黒い血管が消えていく。
それを見たキュリエさんの身体が再び光に包まれた――かと思うと、迸る光が消えた時、彼女は元の黒いドレス姿に戻っていた。
「キュリエ」
ヒビガミがやや気落ちした調子で呼びかけた。
仕方なしといった風にキュリエさんが息をつく。
「なんだ?」
「おれの相手に値する人間は今この世界に、どれほどいる?」
「さあな。知らん」
「『黒の聖樹士』ソギュート・シグムソス? それともルーヴェルアルガンの『神罰隊』隊長ローズ・クレイウォルか? まあ帝国にも細々としたのがいるようだが……いまいち、ピンとこない」
ヒビガミが天を指差す。
「とすると、期待できるのは『終末女帝』と『四凶災』くらいだが……こいつらはどこにいるのか見当がつかんときている。だとすれば、恐るべき潜在力を秘めた6院の連中に賭けるしかあるまい。そうだろう?」
「なんなら聖遺跡にでも潜ってみたらどうだ? あそこの最深部を目指していけば、相手になる魔物がわんさかいるだろう。そして二度と地上に出てくるな」
「カカカッ……聖遺跡には拒まれたよ。おれが考えないとでも思ったか? ちゃんと試したさ。が、聖遺跡はおれを『受け入れなかった』。あの聖遺跡が『生きている』という噂はどうも本当らしいな。というわけで、おれは行き詰った」
「…………」
「と、思っていたらだ」
ヒビガミがその指先を、天から俺へ向けた。
「なんとそこにいるじゃあないか。己ら6院を超える、逸材が」
「それがクロヒコ、だというのか?」
キュリエさんも驚いたように俺を見た。
「おう。ついに、光明がさした」
その時、
「おお、聖樹八剣だ!」
反射的にだろう、見物人が声を上げた。
見ると、馬に乗ってこちらに向かってくる薄緑色のラインが走った白い服を着た男女の姿が見えた。
三人。
白髪の初老の男性。
眼鏡をかけた黒髪の男。
もう一人は……翼? を生やした金髪の女性だった。
三人は向かい合うキュリエさんとヒビガミの数メートル前で下馬した。
彼らは陣形を取るように立つと、剣の柄に手をかける。
と、眼鏡の男が蔓をくいっと上げた。
「なるほど、そこの小汚い男が例の殺人事件の犯人ですか。そこまでです。おとなしくしてもらいましょうか」
「というわけで、聖樹八剣はもう下等へ墜ちたな」
ヒビガミが言った。
なんだって?
下等へ墜ちる?
どういう意味だ?
「しかもたった三人ぽっちでのお出ましとは。カカカッ、嗤わせてくれる」
「ふむ……下等とはどういった意味でしょうか? ちなみに私は聖樹八剣、聖位第七位――」
「いい加減身の程を弁えろよ、木っ端ども」
「!?」
低くドスのきいた声でヒビガミが言葉を遮った。
「しかも今さらの遅すぎる到着に加え、まさかその人数で来るとはな。この国の程度が知れるというものだ。カカカカカカッ、なんにせよ死に急いでいることにすら気づかんとは……まったく、救えん木偶の坊どもだ! 聖樹八剣などといっても、所詮は国のお飾りか!」
「なっ――」
眼鏡の男が驚愕に身を震わせた。
「いいか!? もうここに己らの舞台はない! 己らは黙って見ていろ! さもなくば――そこのベルク族は翼をむしり取って血に染め失命! そこの男はその鼻持ちならん眼鏡を叩き割って失命! いち早くおれの危うさを察したそこの老兵は苦しまぬよう一撃で失命としてやろう! それが嫌なら、もう二度とおれの前で口を開くな!」
「ぐっ……」
ヒビガミの大喝に、眼鏡の男は二の句が継げなくなった。
他の聖樹八剣も剣に手をかけたまま抜き放てずにいる。
「おまえなぁ……」
呆れ果てた顔で息をつくキュリエさん。
「カカッ、悪かった。僅かながらも期待していた聖樹八剣が、サガラや己とやった後ではあまりに下等に映ったものでな。さすがのおれも少々苛立ってしまった。まあ、許せ」
ヒビガミが親指で顎をカリカリと掻いた。
「しかしまあ下等といえば、セシリー・アークライトはまったく期待外れだったがな。サガラや己がいなくては、もっとひどい様になっていたかもしれんぞ」
「おい、ちょっといいか?」
呼びかけたのは、俺だ。
「ん?」
「あんた、少し勘違いしてるな」
「ふむ」
「おいクロヒコ――」
「キュリエさん、言わせてください。どうしてもこいつに言っておきたいことがあるんです。お願いします」
「……わかったよ」
キュリエさんは仕方ないといった風に引き下がってくれた。
すみませんキュリエさん。
でもこれだけは言っておきたいんです。
「で、何が言いたい?」
「セシリーさんはな、俺なんかよりもずっとすごい人なんだよ」
「ほぅ」
「あんたはセシリーさんに色々と言ってたけどな……俺はあんたが口にしたようなところが好きなんだ。彼女の剣技を俺は純粋に美しいと感じたし、決して弱いとも思わない。それからあんたは甘いと言ったが、それは彼女の優しさっていう長所なんだ。そんな優しさに救われたからこそ俺は今、ここにいられる」
一度言葉を切ってから俺は続けた。
「それと彼女は確かに美しいよ。けど彼女はその美しさにあぐらをかいてなんかいない。それを自覚しつつ、さらに先へ行くための努力をしている。そんなセシリーさんを俺は尊敬している」
俺はヒビガミを睨みつける。
「何も知らないくせに、勝手なことを言うな」
言い終えると、ヒビガミが口の端をくいと持ち上げた。
皮肉るように。
「己、セシリー・アークライトに惚れてるのか?」
「そうだよ。俺はセシリー・アークライトっていう人間に惚れ込んでる。そのへんはあんたと同じかもな。だからこれ以上の侮辱は許さない」
「なるほど。カカッ、ま、本質は案外そうなのかもしれんな。おれには興味ないが。そこの人形が己の足を引っ張らなければ、別に口を出すつもりもないさ。好きにしろ」
「それと、もう一つ」
俺は指を差し返す。
ヒビガミに。
「もうキュリエさんやセシリーさん、それから俺の周囲の人間に手を出すな」
「約束する義務もないが……それで何かおれに得があるのか?」
「あんたよりも強くなる」
「あぁ?」
「必ずだ。だからあんたは――他には目をくれず、俺だけ見ていろ」
「…………」
ヒビガミが肩を揺らす。
その口から忍び笑いが漏れ始めた。
「言うじゃあねぇか、サガラ。だが気に入った。その心意気、気に入ったぞ!」
ばっ、とヒビガミが指を三本立ててみせた。
「三年だ」
「?」
「月にして三十六月――三年、待ってやる」
「おい何を勝手に――」
「キュリエ。その三年間、サガラに絶命の危機があれば必ず救え」
口を挟みかけたキュリエさんを、ヒビガミが刺し貫くように睨みつけた。
「もしサガラが死ぬようなことがあれば――己を殺す」
「フン、おまえに言われなくとも殺させなどしないがな。というか、そろそろ消えろ」
「おう、そろそろ消えるさ。いくらなんでも人が集まりすぎだ」
観衆の数は増え続けていた。
もうちょっとしたお祭りみたいな規模である。
中には何が起きているかすらわからず来ている者もいるだろう。
また、聖樹八剣の三人と衛兵はすでに戦闘行為を諦めているようだった。
圧倒的な力の差を感じ取ったのだろう。
「サガラよ」
「なんだ」
「己の力の源、よもやすると禁呪によるものかもしれんな」
「……だったらどうした?」
「集めてきてやる」
「は?」
ヒビガミが俺に背を向けると、抜刀した。
その手には『魔喰らい』。
急に正面に立たれた観衆たちが一斉に身を引いた。
「となると必要なのは禁呪の呪文書か……確かギュンタリオスに一つか二つあると耳にしたことがあるな。いいだろう。ちょうど暇ができた。奪い取ってきてやる」
「な、なんだって?」
「己には、もっと強くなってもらわねばならんからな」
ヒビガミが振り向く。
「一つ聞こう。己、なぜこの国にいる?」
「……強くなって、成り上がるためだ。だからとりあえず……聖樹士になろうと思って」
「カカカッ、その力を持っていながら学び舎の学徒か。よほどの傾奇者か、あるいはただの馬鹿か……が、その単純な動機は気に入った。強くなり、成り上がる。つまらんしがらみで動きが取れん連中よりは、何倍もマシか」
再度ヒビガミが背中を向けた。
「聖樹の国に現れた禁呪使い、か。カカカッ、この国も実に面白い男を抱え込んだものだ。あるいはこの先、己はこの大陸すら動かす存在となるやもしれんな。――ではまた会おう、サガラ・クロヒコ!」
瞬時に、ヒビガミの姿がいたはずの場から消え去った。
市民たちがざわめく。
「あれ? 消えたぞ!?」
「術式か!?」
「どうします隊長!? 追いますか!?」
「ぐっ……わ、我々に指示を……」
八剣に指示を仰ぐ衛兵。
と、八剣の一人――難しい顔をした初老の男が頭を掻きながら言った。
「ありゃあ無理だな。ほっとけ。あっちから去ってくれるってんならありがてぇじゃねぇか。情けねぇ話だが、力の差がありすぎる」
初老の男が俺たちの方を見た。
「とりあえずあの若人たちが追い返したみたいだがな……しかし何者だ、あの少年? あの男、何やら『禁呪使い』とか言ってたが……ああ、そうか。あれが騎士団で、噂になってた――」
と、何かがこちらに飛んでくるのが見えた。
空から何か――。
俺は目を細めた。
なんだ、あれ?
何か……降ってくる?
飛んできた『それ』は俺の目の前に落下した。
布でくるまれた棒状の『何か』。
「待てクロヒコ。私が確認する」
キュリエさんが屈み、布を解く。
「これは……ルノウスレッドの国旗?」
広げてみると、布地に血で文字が書かれていた。
そこには、
『受け取れサガラ 死んだら殺す』
とだけ書かれていた。
この血はおそらくヒビガミ自身のものだろう。
わざわざ自分の身体を傷つけて血文字にしたというのか。
「これを他人に差し出すとは……あいつ、本気だな。ほら」
キュリエさんが『それ』を俺に差し出す。
「もらっておけ」
俺の手にあるのは一本の刀。
確か『魔喰らい』と呼ばれていた刀だ。
ぐっ、と受け取った刀を握り込む。
せっかくだ。
遠慮なく、使わせてもらおう。
「…………」
あと三年。
あと三年で、あいつを超える。
その時。
疲労のせいだろう、身体がぐらっと体勢を崩しかけた――が、俺は踏みとどまる。
見ると案の定、キュリエさんが俺を支える姿勢に入っていた。
大丈夫です、と俺は彼女に笑ってみせた。
そう。
俺は何度もキュリエさんやセシリーさんに支えられた。
打ちひしがれた様子のセシリーさんを見る。
だけど今度は――俺が『支える側』にならなくちゃいけないんだ。
だから、もっと強くなってみせる。
大切な人たちを一人で支えられるくらい、もっと強く。
――強くなってやる。
見上げる午後の空はどこまでも高く、
そして、
青々と澄み渡っていた。