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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
57/284

第53話「第6院の男」

 突如現れた男。

 何者だ?

 それはわからない。

 だが、わかったこともある。


 男の発言。

 セシリーさんを見る目。

 放たれる戦意。


 ――敵。


 俺はそう判断した。

 ならばまずは拘束――禁呪。

 と、俺が口を開いて詠唱に入りかけた時、


「セシリー様を頼む、クロヒコ!」


 ジークが馬車のドアを蹴破り、外れたドアごと車外へ男と飛び出した。

 見れば彼の手には壁にかけてあった剣が握られている。

 ジークはそのまま、男と共に視界から姿を消した。


「バントン、そのまま行け!」


 外からジークの声。

 セシリーさんが外れたドアの部分から身を乗り出した。


「バントン、止めてください!」


 彼女の手には鞘におさまった自分の剣がすでに握られている。

 まさか外に出る気なのか?


「セシリーさん!」


 が、セシリーさんは俺の呼びかけには応えない。


「いいえお嬢様! このままここを離れます!」


 バントンさんが声を張り上げる。


「ジークを放っておけというのですか!?」

「セシリーさん!」


 今度は強い調子で呼びかけた。

 セシリーさんが振り向く。


「俺がいきます! 剣がなくても、俺には禁呪がありますから! おそらくあいつの狙いはセシリーさんです! あなたは逃げた方がいい! あいつは何か、やばい感じがします!」


 が、そこで。

 馬車が速度を落とした。

 すると、俺とヒルギスさんが制止する間もなく、セシリーさんが車外へ飛び出した。

 俺とヒルギスさんも仕方なく彼女を追って外に出る。


「じ、ジーク様……」


 狼狽したバントンさんの声。

 馬車の前方。

 そこには、額から血を流すジークを片手で抱えた、あの男が立っていた。


 男は限りなく黒に近い、深みのある赤色の服を着ていた。

 着流し、というのだったか。

 いわゆる時代劇に出てくるような侍――というよりは浪人に近いか――を連想させる出で立ちだ。

 その姿はこの王都にあって、ひと際異彩を放っているようにも映る。


「…………」


 男に片腕で抱えられたジークさんは気を失っているようだった。

 もう一方の手には黒い刃の……あれは刀か?

 その刀身は薄っすらと青白い光を放っている。


 男がニヤリと笑った。


「カカッ、そう怯えるな。おれは己らの敵じゃあない。馬車を止めるために少々脅かしたことは、謝罪するが」


 馬車を引いていた二匹の馬が、まるで男に怯えるようにして、動きを止めていた。

 男の視線を辿るに、どうやら今の言葉は馬に放たれたものらしい。


「そこの御者もだ。おれの目的は、あくまでそいつだからな」


 黒い刀身がセシリーさんへと向けられる。

 俺は周囲を素早く確認した。

 ここは確か街の中心に近い広場だったはず。

 ミアさんと散策した時に通った記憶がある。

 しかし、こんな人の往来が激しい場所で……。

 昼下がりということもあり、当然すでに多くの人が集まってきている。

 騒ぎを聞きつけてやって来た者もいるようだ。

 中には「あれってセシリー・アークライトじゃないか?」などと囁き合っている者も多い。

 …………。

 は、ともかく。


 男を、ターゲッティング。


「我、禁呪ヲ――」

「待って」


 禁呪を発動しようとしたら、腕を掴まれた。

 ヒルギスさんだった。


「ヒルギスさん?」

「あなたの禁呪は前に見たから知ってる。でも、確認させて」

「?」

「ジークを巻き込まない保証、ある?」

「それは――」


 検索。

 検索、検索。

 …………。

 あの男は今、ジークさんを腕に『抱えて』いる。

 つまり身体的に密着しているわけだ。

 その場合、禁呪は『同一の対象』とみなすのか?

 ブルーゴブリンの時はどうだった?

 あの時、密着していたブルーゴブリンはいたか?

 駄目だ。

 あの時はとにかく生き残るのに必死で、そこまで覚えていない。

 いや、でも大丈夫だ。

 第二界まで発動させなければいいんだから。

 そうだ。

 おそらくヒルギスさんは第二界の槍のことを危惧しているのだろう。

 第一段階を終えたら、自動的に第二段階に移ると考えているに違いない。

 だが禁呪は第一段階で止めることができる。

 そう。

 鎖での拘束だけなら……。


「ヒルギスさん、安心してくださ――」

「そうだな、まずは名乗るとするか」


 男が再び話しはじめた。

 声に反応し俺とヒルギスさんが男の方を向く。

 男の声は低くざらついた声だった。


「おれはヒビガミという。己との仕合いが望みだ、セシリー・アークライト。第6院の昔なじみを探していたら己のことを知ったものでな。あの男の傷は絶品だったぞ。カカッ……しかし傷の上をさらに刃でなぞるとは、己もえぐいことをする。その精神は、尊敬に値する」


 男が話している途中。

 セシリーさんの表情が、固まった。

 今の傷の話は殺されたあの大男のことだろう。

 それは推察できる。

 つまり目の前の男が例の殺人事件の犯人であろうことは、想像にかたくない。

 しかしセシリーさんの表情を一変させたのは『その部分』ではなかったはずだ。


『第6院の昔なじみを探していたら』


 第6院の昔なじみ。

 確定ではない。

 男はただ『昔なじみ』と口にしただけだ。

 それでも、今の言い方は――


「あなたはまさか、第6院の出身者なのですか?」


 やや震えがちに、セシリーさんが尋ねた。


「相違ない」


 男――ヒビガミは認めた。

 あっさりと。


「ただ、証拠はないがな。過去の話ならいくらでもできるが、己らに語ってもおそらく無意味だろう。おれの身元を保証できるのは、まあ、第6院の者くらいか。が――そんなことは、どうでもいいことだ」


 ヒビガミが刃をくるりと上下逆さにし、セシリーさんに突きつけ直した。


「おれと仕合え、セシリー・アークライト」


 ヒビガミがジークに視線を向けた。


「もしおれと全力で仕合うのなら、この男は返してやる。もし仕合わない場合は――己がおれに殺意を向ける理由を、この場で作ってみせるが?」


 ヒビガミがジークの首筋に刃をあてた。


「やめなさい!」


 刺すように言って、セシリーさんが二本の剣を同時に抜き放った。

 鞘が石畳の上に落ちる。


「いいでしょう。どうせあなたとは、戦うつもりでいましたし」

「カカッ……物わかりがいい女で助かったぞ。この男は今はまだ発展途上だが、なかなかに伸びしろがある。物怖じせずおれに向かってきたのも評価に値する。正直ここで殺すには惜しいと思っていたところだ。そらっ」


 ヒビガミが、ジークを地面に放った。


「!」


 あの男とジークが離れた!

 今だ!


「クロヒコ、待ってください」

「我――え?」

「『それ』は、待ってもらえませんか?」

「セシリー、さん?」


 あ。

 彼女の口の端が微かに吊り上っている。

 それは、湧き上がってくる感情を必死にこらえているかのような。

 さらにその表情は彼女が時折浮かべる『あの表情』で。


「あの男が第6院の出身者だとするなら、これはわたしにとっても絶好の機会なんです」


 セシリーさんの手にした双剣に埋め込まれたクリスタルが、淡く発光をはじめる。


「わたしは最低かもしれません。確かに今まではジークの身の安全が最優先でしたが……それが消えた途端、わたしはこの状況を、またとない好機と感じてしまったのですから」


 彼女の白い顔には薄っすらと汗が浮かんでいる。

 いや。

 その顔は青ざめてすら見える。

 彼女は何を恐れているのだろう。


「全力が、出せるんです」


 セシリーさんがヒビガミを見据えた。


「これまでわたしには、自分の全力をぶつけられる『敵』がいませんでした。幼い頃からわたしには『敵』が不在だったんです。模擬試合の時だってそうです。肉親にも教官にも同じ学園の生徒にも――わたしの全力は、ぶつけられない。そんなわたしが思いつく『全力をぶつけられる敵』は……聖遺跡の魔物くらいでした。学園に入学を決めた理由の一つも、実は聖遺跡の魔物と戦えるからというのがあったんですよ?」


 手元の聖剣を器用に一度くるりと回してから、セシリーさんが双剣を構えた。


「ですが、ついに『敵』が現れた」


 ヒビガミが刀を持ち替えた。

 黒い刃の方をおさめ、もう一本の、鉄めいた色の刀を手にした。


「ましてや本当にあの男が第6院の出身者なら……相手としては申し分ない。ここであの『第6院』とやれるなら……むしろわたしにとっては、思わぬ幸運といっていい」

「…………」


 この『危うさ』だ。

 以前彼女が言っていたように、この内に秘めた負けん気の強さみたいなものが本来の彼女の地なのだろう。

 けど、


「駄目です」

「クロヒコ?」


 ヒビガミを見る。


「セシリーさんがあいつに勝てる保証はありません。何より相手の力量もわからないんですよ? 危険すぎます。もしやるにしても、おれたち全員で力を合わせてやるべきです」

「クロヒコ」


 セシリーさんが顔を背けた。


「あなたは前に、わたしに恩義を感じているようなことを言っていましたよね? 模擬試合の時や、聖遺跡でのことで」

「セシリーさん」 


 何を言わんとしているのかはわかる。


「もちろん恩を着せるつもりなどありませんでした。が、もし――もしあなたがわたしに恩を感じているなら、今ここで何も言わずやらせてください。それで、今までの貸し借りを清算としましょう」


 セシリーさんが両手で俺の顔を挟み込むようにして、自分の顔に近づけた。


「――え?」


 微かな息遣いすら感じられるほどの至近距離。

 その吸い込まれそうな空色の瞳が、俺だけをまっすぐに捉えている。

 純然たる彼女の決意が俺の中に流れ込んでくる。

 曇りのない澄み切った表情。

 同時に、異を唱えることを許さぬ表情。


「どうかお願いします。あなたなら、わかってくれるはずです」


 ずるい。

 その言い方も、表情も、ずるい。


 俺は接近していたセシリーさんから逃れ、ヒルギスさんの方を振り向く。

 彼女は黙っている。

 その表情からは彼女の感情は窺えない。

 しかし黙っているということは……止めるつもりがないということで。


 …………。

 くそ。

 俺は、がしがしと頭を掻いた。


「あー、わかりました、わかりましたよ! でも危ないと思ったら、迷わず横やり入れますからね!? セシリーさんに嫌われてもいいから、止めますよ!? いいですね!?」

「ふふっ、ではそうしてください」


 少しいつもの調子に戻って、セシリーさんが微笑みかける。


「それから――」

「ええ、わかっています」


 俺は頷いた。

 今セシリーさんが伝えようとしたことはわかった。

 今のだけは、言葉を交わさずとも互いに了解できた。


『キュリエ・ヴェルステインのことは黙っていよう』


 ヒビガミが『第6院の昔なじみを探していた』のなら、それはおそらく――そういうことだろうから。

 そして、


 セシリーさんが青白い輝きを纏った聖剣を手に、ヒビガミと対峙する。


 一方俺は、隣のヒルギスさんに声をかけた。


「……いいんですね?」

「セシリー様の意思は尊重する。でも危ないと思ったら、わたしも止めに入る」

「はいはい、わかりましたよ」


 もう若干、やけくそ気味だった。


「クロヒコ」

「はい」

「……ありがとう」


 …………。

 まさかヒルギスさんからお礼を言われるとは。

 ちょっと照れくさかった。

 ま、何よりも……セシリーさんに何かあったら、ジークに顔向けできないからな。

 俺は気を失って倒れているジークを見た。

 あの時、ジークから『頼む』って言われたんだ。


「…………」


 野次馬が続々と集まってきても、動じる様子一つ見せないヒビガミ。

 あいつは『仕合い』と言っていた。

 だから『殺し合い』とは限らない……そんな希望的観測が、なくもなかった。

 互いの剣の腕を確かめ合って終わりなら、それでいい。

 ……ま、ないだろうけどな。

 そして、


「お待たせしましました。ヒビガミ、と言いましたね?」

「待ってやったぞ、セシリー・アークライト」

「戦う前に、ジークを移動させても?」

「カカッ」


 ヒビガミが、ジークを再び抱えた。


「あ、何を――」


 セシリーさんが動きかけて、


「うわっ」


 ヒビガミがジークを、俺の方へぶん投げた。

 で、俺はジークの身体をキャッチ。

 勢いを殺しきれず後ろに倒れ込むことにはなったが、どうにか受け止めることには成功。


「いつつ……」

「安堵しろ! 眠ってもらってるだけで、そいつは無事だ! 刹那的に喜ぶといい!」


 無茶苦茶だな、あいつ。

 俺はヒルギスさんに言われ、ジークを彼女に預けた。

 と、その時だった。


「おい貴様ら、何をしている!?」

「こんな街中で剣を抜いて、なんのつもりだ!」

「あれ? 一人は、セシリー・アークライトじゃないか?」


 衛兵がやって来た。

 手には槍、腰には剣をさげている。

 が、


「興を削ぐこと――甚だしいぞ」

「え?」

「あ?」

「ん?」


 駆けつけた三人の衛兵は、一瞬にして切り捨てられた。

 ヒビガミの手には抜き放った黒い刀。

 そしてヒビガミは即時に移動して元の位置に戻ると、黒い刀を鞘にしまいなおした。


「向かってくるならば害とし、命を捨てることとなる。が、向かってこないならば無害としよう。己ら、しかと頭に刻めよ?」


 ヒビガミが観衆へ向けて言った。

 ようやく眼前の光景を把握した野次馬から悲鳴が上がる。

 逃げ出す者も多くいた。

 どよめきも急激に大きくなる。


「安心しろ。何者が駆けつけてこようとも、己との仕合いの邪魔はさせ――」


 一足。

 一足で、セシリーさんがヒビガミに肉薄。

 そのまま加速した聖剣がヒビガミに襲いかかる。

 セシリーさんの初撃。

 その初撃を、ヒビガミが鉄色の刀で受け止める。


「ほぅ」


 少し距離を取って再度、二人は相対する。


「その聖剣、二対の剣か。珍しい。ふむ、ほぼ同量の魔素を同時に流し込まねば、真価が発揮できない剣と見たが――」


 ヒビガミが喜色を浮かべる。


「使いこなすか、それを」


 ヒビガミの言葉に、セシリーさんは斬撃で応えた。

 ここから先は言葉など不要。

 そう言いたげだった。

 流麗とも美麗とも表現できる剣の舞。

 この時ばかりは、好奇心と恐怖がせめぎ合っていたギャラリーたちですらその神に愛されし少女の美に目を奪われていた。


 神に愛されし少女と、異彩を放つ侍が、剣を交わし合っている。


「…………」


 レベルが違う。

 あのレベルで剣を振るえる人間を、俺は他に一人しか知らない。

 そう。

 キュリエさんくらいしか、知らない。


「カカカッ、なるほどこれは期待以上だな! 伸びる! 己は逸材、確定といこうか! カカカカッ、滾らせてくれるじゃないか、セシリー・アークライト! 愛刀『無殺』――おれは己に今、この刀を振るう価値を見ているぞ!」


 ヒビガミは嬉しそうだ。

 それにしても……絵になる、というか。

 セシリーさんの戦う姿はまるで映画のワンシーンみたいで。

 ただ『美しい』という月並みな言葉しか出てこないほどに、それは、あまりにも――


「――が、これでは、あまりに美しすぎる」


 美し……すぎる?

 刀を大きく振り上げてセシリーさんの剣撃を捌いた直後、ヒビガミが目にもとまらぬ速度で聖剣を左右続けざまに弾いた。


「――っ」


 僅かにできた隙をリカバリーするように、セシリーさんが一歩、体勢を立て直しながら後ろに下がる。

 一旦、互いの動きが止まった。

 と、ヒビガミが刀をセシリーさんの顔に突きつけた。


「剣の太刀筋から何から、まるで『邪』がない。唾棄すべきほどに」


 刀の先がセシリーさんの全身を、頭からつま先まで、舐めるようにして滑り落ちていく。


「原石としては不足なしだ。しかし環境が劣悪か。己の才覚を発揮しきれていないな。あまりに太刀筋が『綺麗』すぎる。それから、甘さも捨て切れていない。さらにはその美貌も足を引っ張っている、か」


 動きかけたセシリーさんを牽制するように、彼女の踏み込みに合わせてヒビガミが刀の先をさらに突き出した。

 その動きで切りこむタイミングを見切られていると察したのか、セシリーさんが動きを止める。


「美しくあろうとすることに労力を割いている――無駄だ。時間の地獄的浪費。それでは修羅になること、叶わん」

「……っ」

「そうだなぁ? ここは一つ、己を攫って放り込んでみるか?」

「?」


 顎ひげを撫でながらヒビガミが嗤った。


「終末郷に」

「なっ――」


 思わず声を上げてしまった。

 放り込むだって?

 セシリーさんを、終末郷に?


「あそこで鍛え上げれば、己はおれの望む修羅に化けるかもしれん。その可能性、皆無ではない。綺麗すぎる太刀筋も、甘さも、美貌を保つ努力も不要。ただ修羅を目指せ、セシリー・アークライト」

「いたぞ! あいつだ!」

「あの男です! あの男が、セシリー様を――」


 観衆が道をあけ、ぞろぞろと衛兵たちがやって来た。

 今度は数十人ほどの人数が揃っている。


「おとなしくしろ!」

「この人数相手だ、諦めろ!」

「カカカ……『どの人数』相手だと?」


 次の瞬間。

 宙に噴き上がったのは、鮮血。

 いつの間に持ち替えたのか、ヒビガミの手には青白い燐光を纏う黒き刀が握られていた。

 糸が切れたように前列の衛兵が血を流し倒れ伏す。

 その数秒間の攻撃で衛兵たちは一気に浮き足立った。


「こ、後列! 術式の援護はどうしたぁ!?」

「駄目です! な、なぜか聖素が集まらず……!」

「聖素が集まらんだと!? 何をわけのわからんことを言っている!?」


 その時――ズバンッ、と。

 ヒビガミの足元に稲妻が走り、石畳が弾け飛んだ。


「カカッ……なるほど、その距離か」


 ヒビガミが死んだ衛兵の槍を蹴り上げ、手に取った。

 それから槍を大きく振りかぶると、街の建物の屋根に向かって投げつけた。

 弾丸めいた速度で一直線に飛んでいく槍の先には、一人の衛兵の姿。

 避けることのかなわなかった衛兵は槍に身体を貫かれた後、屋根から転がり落ちた。


 衛兵たちがたじろぎ、完全に勢いを失う。

 彼らの表情は恐怖に染まっていた。

 ヒビガミが衛兵たちを見渡す。


「終わりか? カカ……おい、だったら連れてこい。聖樹騎士団を連れてこい! いるだろう!? 聖樹騎士団長『黒の聖樹士』――ソギュート・シグムソスが!」

「ぐっ……ソギュート様は現在副団長たちと聖遺跡の攻略中だ……!」

「カカカ、そうか。それは時期が悪かったなぁ。まあソギュート・シグムソスや副団長がおらずとも、もちろん『聖樹八剣』はいるんだろう? 聖樹八剣が全員揃えば、まあ、そこそこいい勝負ができるかもしれんぞ?」

「八剣は今、こちらに向かっているはずだが……」

「遅い」


 ゆらり、とヒビガミがセシリーさんに向き直った。


「聖樹八剣などという木っ端を待つよりも、おれは一刻も早く――こいつへ修羅の道を、敷いてやりたい」


 ヒビガミが動いた。

 そして、


「――ぅ」


 まさに瞬間移動したのかと見紛うほどの速さで。

 セシリーさんの喉元に……黒い刀の切っ先が、突きつけられていた。


「さあ、終末郷へご案内しようか、セシリー・アークライト」


 その時。

 ずるり、と。

 二本の聖剣がセシリーさんの手から零れ落ちた。


 今のセシリーさんの様子から窺えるのは、萎みかけている自信。

 少なくとも俺にはそう見えた。


 今の肉薄の速度。

 多分さっき切り結んでいた時のヒビガミは本気ではなかった。

 直前に見せたスピードによって明らかになった、歴然たる力の差。

 セシリーさんとヒビガミとの力の距離は――おそらく、あまりに遠く。

 彼女自身もそれを実感として理解したのだろう。

 理解できて、しまったのだろう。

 ここにいる誰よりも。


 だから、


「我、禁呪ヲ発ス、我ハ鎖ノ王ナリ、最果テノ獄ヨリイデシ万ノ鎖ヨ――」


 このあたりが、もう限界だ。

 むしろ俺からすれば遅すぎたという反省すらある。


 禁呪を詠唱しながら俺は、セシリーさんとヒビガミ目がけて走り出す。

 こっちの世界に来た頃より脚力もかなり上がっているのが実感できる。


「我ガ命ニヨリ我ガ敵ヲ拘束セヨ――」


 ヒビガミの視線が走り込んできた俺を捉えた。


「第九禁呪、解放」


 次元の穴が出現。


「――何ぃ? 術式……だと?」


 ヒビガミが目を見開き、周囲に視線を走らせる。


「気は配っていたはずだが……どこからだ!?」


 数瞬ではあるが、隙を作るには十分だった。

 俺は地面に落ちていた聖剣を手にし、申し訳ないと思いつつもセシリーさんを突き飛ばす。


「ヒルギスさん! セシリーさんを頼みます!」


 これで万が一にもセシリーさんが禁呪に巻き込まれる心配はない。

 次元の断裂から鎖が飛び出してくる。


「まさかこれは――己の術式か!? 馬鹿な! この距離で、魔素を使っているだと……!?」


 ぎらついた目が俺を捉え直す。

 黒い鎖がヒビガミに襲いかかる。

 

「カカッ、だが――これは、段違いに面白い!」


 ヒビガミが黒い鎖を次々と切り捨てていく。

 切り捨てていく。


「格段、格別に、面白いぞ! ここにおいて、おれの愉快が極まりつつあるじゃあないか! カカカカカカカッ! なんだこの鎖どもは!? どこより、いでた!?」


 冗談のような光景。

 あまつさえ、


「この裂け目も切れるとすれば――果たしてこれはおれの力なのか!? それともこの妖刀『魔喰らい』の力か!? どうでもいい! どうあれ! どうであれ! なんにせよ! これは――これは予期せぬ、絶好だ!」


 その男の刀は、次元の穴すら、切り捨ててみせた。


 規格外、と評するべきか。

 この男――何か次元そのものが、違うように思える。


 だが、


 驚かない。


 第6院の出身者。

 そうであることを知った瞬間から、一筋縄でいかないことは覚悟している。

 何より、ブルーゴブリンたちを相手にした時も禁呪ですべてがどうにかなるわけではなかった。

 あれはいい教訓になった。


 だから禁呪が通用しない可能性も――織り込み済み。

 俺は聖剣でヒビガミに切りかかった。


「むっ――」


 がきんっ。


 聖剣と刀が交差する。


「しかしなんなんだ己は? セシリー・アークライトの従者か何かかと思っていたが……一体、何者だ?」

「相楽黒彦。見ての通り、ただの学生だよ」

「カカカ、予想外の拾い物だな、こいつは」


 ヒビガミが口の端を歪める。


「にしてもその剣、魔素が使えんと力を発揮せんだろう? だが、ここでは魔素は役に立たんぞ? いいのかそれで? それとも何か? 己には魔素を呼び込む、普通とは違う何か秘策でもあるのか?」


 ギリリッ、と互いの刀身がせめぎ合う。


「あいにく俺は聖素が扱えないんでね。とりあえず切れる剣さえあれば、それでいい」

「ほぅ、そうか。己もおれと同じか。ますます――面白い!」


 聖剣と刀が弾き合い、一度、互いに間合いを取る。

 ちらとセシリーさんの様子を確認する。

 動揺か恐怖か。

 どちらにせよ、戦える状態ではなさそうだ。


「…………」


 とにかく今は時間を稼いでみよう。

 聖樹八剣とやらもこっちへ向かっているというし。

 それに、なんやかやいってもここは国の王都だ。

 騒ぎが大きくなれば、この男もさすがにずっとここにいるわけにはいかなくなるはず。


 ただ、できることなら。

 倒せるなら倒しておきたい。

 キュリエさんの、ためにも。


 緊張しているのか、あるいは喜んでいるのか。

 もし喜んでいるとすればそれは俺自身なのか、それとも、俺の内に宿るモノか。

 顔がじっとりと汗ばんでくる。


「ヒビガミっていったよな? 仕合いたいんだろ? いいぜ、だったら俺とやろう。さあ――」


 俺は口の端を少しだけ吊り上げ、剣の先をヒビガミに突きつけた。


「仕合おうか」

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