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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
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第51話「休聖日と訪問者たち」

 鼻孔をくすぐる微かな匂いと空腹感で目が覚めた。


「……ん」

「あら、ようやくお目覚めのようね」

「……おはようございます」


 なんとなく、挨拶を返したが。

 室内には朝独特の静謐な空気が漂っていた。

 クリーム色のカーテンからは朝の光が漏れ出している。


「…………」


 ああ、そうか。

 昨日は聖遺跡会館の医療室に泊まったんだっけ。


「って、学園長? どうしてここに?」

「おはよう、クロヒコ」


 ベッドの横の椅子に学園長がちょこんと座っていた。

 ちなみに、足が微妙に床に届いていない。

 服装は今日もゴスロリチックな服装である。


「あれ? ミアさんまで?」


 マキナさんの隣にはエプロンドレス姿の獣耳の女の子――ミアさんがいた。

 見渡してみると、医療室にいるのは俺以外だと彼女たちだけだった。

 はて?

 あのおじいさんはどこにいったんだろう?


「おはようございます、クロヒコ様」


 医療室だから配慮をしたのか、声量を抑えてミアさんが挨拶した。


「あ……おはようございます」


 ベッドの横にはキャスター付きのワゴン。

 その上には銀色のボウルみたいな蓋が並んでいた。


「朝食でございます」


 ミアさんがにこやかに銀色の蓋を取る。

 ぎっ、と椅子を引きずってマキナさんが少し前に出た。


「話は、食べながらでいいから」


 自身も蜂蜜入りのミルクに手をのばしながら、ちらりとマキナさんが医療室のデスクを見やる。


「とりあえずここにいた医師には少し席を外してもらったわ……私たちが来た時には、寝ていたけれど」


 あのおじいさん……まさか、あれからずっと寝ていたのか?


「で」


 居丈高な感じに、マキナさんが腕組みをした。

 …………。

 が、床に足が届いていないせいか、微妙に威厳が放たれていなかった。

 ま、そこは気にしないでおこう。


「何やら、大変だったみたいね」


 ん?

 てことは、


「キュリエさん……ちゃんと伝えてくれたんですね」

「ええ。何があったかは大方彼女から聞きました。まずは、無事でよかったと言っておくわ」

「ご心配おかけしました」

「それを言うならミアに言ってやってちょうだい。ねえ、ミア?」

「あ、えーっと、そのぅ」


 顔をボッと赤くしたミアさんが、俯き気味に両手の指先をつんつんする。

 口元のぎこちない笑みが、微弱に震えていた。


「昨日なんて、大変だったのよ? 学園長室に駆け込んでくるなり『クロヒコ様が! クロヒコ様が〜!』って、大騒ぎだったんだから」

「あぅ……申し訳ございません。昨夜は、取り乱してしまいまして」

「ま、私もその時にはもうキュリエ・ヴェルステインからクロヒコのことは聞いていたから、とりあえず二人で様子だけでも見に行こうかって話になったのよ。で、会館の医療室に向かったの。そうしたら、ねえ?」


 マキナさんがミアさんを見上げ同意を求める。

 ミアさんは困ったように眉尻を下げた。


「いつの間に到着されていたのか、キュリエ様が医療室の前に立っておりまして。『今日はクロヒコを休ませてやってほしい』と、窘められてしまいました……お恥ずかしい限りです」


 しゅんとした様子で、ぺたんと耳を伏せるミアさん。


「クロヒコ様のことを考えたら、わたしの行動は軽率なものでございました。申し訳ございません、反省しております」


 ぺこりとミアさんが頭を下げる。


「そんな、軽率だなんて。そこまで気にかけてもらえて、嬉しいですよ」


 はは、と俺は照れ隠しに苦笑を浮かべる。

 これほど心配してくれる人がいるってのは幸せなことだ。

 ただ、ミアさんに心配をかけないために強くなるって決めたのに、こうして心配をかけてしまったのは反省しなくてはなるまい。

 …………。

 って、


「学園長?」

「はい、あーん」


 じゃがいも? を刺しているフォークが、俺の口へとじりじり近づいていた。


「何を、しているんです?」

「無事に戻ってきたご褒美に、この私が食べさせてあげるわ。疲れているのでしょう? ほら、ありがたくお食べなさいな」


 ぐいっ、と小さなじゃがいもを突きだしてくる。


「ん? このじゃがいも……何やら甘い匂いが」

「――っ」


 学園長の顔がさっと紅潮する。

 それから、ごまかすように口を尖らせた。


「こ、これは林檎……私が、切ったの」

「そ、そうでしたか。それは、失礼を」

「…………」

「…………」

「……食べる?」

「……いただきます」


 ぱくっ。

 …………。

 うん、味はいい。


「ふぅ、もういいわ。あとは自分で食べなさい」


 照れた風に一つ鼻を鳴らしてから、学園長はフォークを置いた。

 俺は一度朝食に視線を落としてから、ミアさんを見上げた。


「じゃ、いただいても?」

「はい、どうぞ召し上がってくださいませ! あ……ご自分で食べられますか? ご所望でしたら、わたくしがクロヒコ様の口までお運びしますが」

「だ、大丈夫ですよ! 自分で食べられますからっ」


 後ろ髪ひかれる思いだったが、ここは我慢。

 自分で食べれるのにミアさんにそんなことをさせては、彼女の善意を利用しているみたいで気が引ける。

 ただ腹は減っていたので、俺はすぐ料理に手をつけた。

 そして、


「ふぅ……ごちそうさまです」

「相変わらずいい食べっぷりね。ミアも作りがいがあるんじゃない?」

「はい、クロヒコ様の食べっぷりを見ていますと、わたくしも嬉しくなってきます!」

「ですってよ? よかったわね」


 ども、と会釈する。


「お褒めに預かり、光栄です」


 さてと、とマキナさんが時計を見た。


「キュリエ嬢からある程度のことは聞いたから、わざわざここで昨日のことを蒸し返すつもりはないわ。今日のところは、ここらで退散するとします。ミア、これを下げてちょうだい」

「はい、かしこまりました」


 ミアさんはお辞儀をしてからワゴンを引き、方向転換した。

 と、そこで止まって、


「あ、クロヒコ様」

「はい?」


 やや躊躇うような間があってから、ミアさんが言った。


「お気持ちは嬉しいのですが、普段はわたくしへのご配慮は必要ありません。つまり、ご帰宅するかしないかをわたくしに一々伝える必要はございません」

「でも」

「いいのです。わたくしが好きでやっていることですし、クロヒコ様がお帰りにならなかった日は夕食と朝食を置いて、適度な時間に帰りますから。もちろんこうしたいという要望がございましたら、遠慮なくおっしゃってくださいね?」

「あの」

「あはは……クロヒコ様は、お優しいですから。わたくしの方からこう言わないと、きっと気遣いで疲れ果ててしまいます」

「そんなこと――」

「クロヒコ様」

「は、はい」

「キュリエ様は、とても気持ちのよいお方ですね」


 そう言って柔和な笑みを残すと、ミアさんはワゴンを押して出て行った。


「いい子でしょう、ミアは」


 ミアさんを見送りながら、マキナさんが言った。

 俺は首肯する。


「ええ、本当に」


 学園長が立ち上がった。


「ま、私から伝えておくことがあるとすれば、確かに今年は聖遺跡の様子が例年と違うようだから少し気をつけなさい、ってところかしらね。それと、あまり心配を――ん……まあそうね、この際かけてもいいわ」


 しょうがないわね、とでも言いたげに笑みを零すマキナさん。


「ええ、心配くらいなら、存分にかけてちょうだい。あなたの好きなようにやるといいわ。多少の無理が必要な時もあるでしょう。その代わり――絶対に死なないこと。いいわね?」


 俺は力強く頷いた。


「はい、約束します」

「ん、いい返事よ。それじゃあ、私はそろそろ行くわね」

「あの、マキナさん」

「ん?」

「授業って、途中から出てもいいんですよね?」

「何を言ってるの? 今日は『休聖日』でしょ?」

「きゅうせいじつ?」

「だから授業はお休み。生徒たちは街へ繰り出すなり聖遺跡に潜るなり、好きに時間を使える日じゃない。……ああ、知らなかった?」


 ざっと説明を受けたところによると、どうやら、この世界でも七日で一週間となっているようだ。

 で、前の世界の日曜日にあたる日が休日――『休聖日』というわけである。

 あー、そうか。

 入学式が休聖日にあって、それからちょうど一週間経ったわけか。


「あなたも大分『ここ』に慣れてきたみたいだし、死なない程度にがんばりなさい。さ、次は『あなた』の番よ?」

「ぎくっ」


 ドアの前で取っ手に指を添えたマキナさんが、ドアの向こうに呼びかけた。

 がらり、とドアが開く。


「す、すまない……盗み聞くような真似をしてしまった」


 キュリエさんだった。

 両手で何か皿のようなものを持っている。


「気にすることないわよ。つまりあなたは彼のことが心配なのでしょう? 昨日も言ったけれど、あなたは腕もたつようだし、彼の力になってあげてちょうだい。では、失礼」


 そう言って学園長は髪を靡かせながら、颯爽と出て行った。

 入れ替わりにキュリエさんが入ってくる。


「本当に何者なんだ、あの学園長は……っと、お、おはよう、クロヒコ。身体の調子はどうだ?」

「すこぶる良好です」

「そうか。で、これなんだが」


 差し出されたのは、スープだった。

 …………。

 なんか紫と緑がまだら模様に混じり合った、世にも奇妙な色のスープ。

 

「あの、これは?」

「ああ、薬草なんかが入ったスープだ。私が作った。飲んでみてくれ」

「……は、はい」


 皿を受け取る。

 そして改めて、スープに視線を落とす。

 ごくりっ。

 においは特にないが……。

 しかしこの色……いささか勇気がいるな。

 だが、せっかくキュリエさんが作ってくれたんだ。

 見た目で敬遠するのも悪いし、何よりここで飲まないのは失礼にあたる。

 それに薬草って言っていたから身体にはいいのだろう。

 仮に味がアレだったとしても、良薬口に苦しと言うしな。 


「…………」


 いざ!

 俺は皿を傾け、ぐいっとスープを飲んだ。


「……ん?」


 あれ?

 普通に美味いぞ?

 塩気が多めな濃厚コーンポタージュスープみたいな……はっ!

 キュリエさんが不審げな目でこちらを見ている!?


「おまえ、不味いかもとか思っただろ?」

「み、認めます。正直、思ってしまいました!」

「一人旅をしていたのもあって料理はそこそこできるんだよ。ま……私が誰かに料理を作るのは、珍しいことだがな」

「疑ってすみませんでした!」


 食後の一杯としては、実にいいスープだった。

 本当に疑ってすみませんでした、キュリエさん。


 それから俺たちは軽く雑談を挟みながら(昨日のお礼なんかも混ぜつつ)、今後の方針を話し合った。

 話し合った結果、しばらく聖遺跡攻略は休止。

 少なくとも俺の剣のあてがつくまでは休止となった。

 なので数日は普通に授業を受けながらの学園生活だ。

 その間、キュリエさんは今年の聖遺跡についての情報を集めてみるとのことだが、


「俺も情報、集めてみますよ」

「わかった。できる範囲で調べてみてくれ」

「はい」

「あと、おまえの剣の方は私に任せてほしい。いいか?」

「わかりました。お願いします」


 で、さらにしばらく雑談した後、キュリエさんが興味なさげに言った。


「ところで、なんだが」


 が、明らかに『興味なさげな風』を装っている感じだった。


「おまえの家にいたミアって子、その……とっても可愛かったな」

「可愛いだけじゃなくて、性格もすごくいい人なんですよ」

「…………」

「どうしたんですか?」

「んっと、私は……どうなんだろうな」

「『どうなんだろな』と、言いますと?」

「か、可愛いん、だろう、か?」

「うーん、どうですかね」

「そ、そうか。可愛くは、ないか……」

「キュリエさんは可愛いっていうより、どっちかっていうと美人さんタイプですよね」

「ふ、ふむ」

「たまに可愛い一面が見える気もしますけど……」

「む、そうなのか。私にもそんな一面があるのか。人からそう言われると……存外、嬉しいものだな」


 ふふっ、と。

 微かにではあったが、キュリエさんがくすぐったそうに笑った。


「――あ」


 この人も、こんな笑い方をするんだ。

 思わず声を失ってしまった。

 こういう風に笑うと……素直に『可愛い』と思う。

 普段は、キリッとした感じだから。


「っと、もう昼か」

「あ、本当ですね」


 あっという間に昼になってしまった――そう思ったところで、誰かが控えめにドアをノックした。


「セシリーです、失礼しても?」


 やって来たのは、セシリーさんだった。


「…………」


 ……うぉ。


「? どうしました?」


 空色の瞳を丸くするセシリーさん。

 どうしたかって……その。


 今日のセシリーさんは制服姿ではなかった。


 フリルがたくさんついたワンピースみたいな服を着ていた。

 ふわっとした柔らかい印象もあるが、意外と身体のラインがくっきり出ている。

 こうして見ると、セシリーさんの身体が非常に均整がとれていることがわかるな……。

 失礼な言い方かもしれないが、出来のいいフィギュアみたいだ。

 胸元にはエメラルド色の宝石が嵌ったブローチ。

 黒のタイツはいつも通りだが、服のせいか、いやに可憐さが増している。


 まさに『天使』と言って過言ではないだろう。

 その美しさに思わずひれ伏しそうになってしまうくらいだ。

 確か、セシリーさんって『ルノウスレッドの宝石』って呼ばれていたんだっけか。


「…………」


 と、キュリエさんが自分の服に視線を落とした。

 今日の彼女は、昨日の黒いドレスっぽい服を着ている。

 それから自分とセシリーさんを見比べた。

 なぜか、その瞳が激しく揺れた。

 と思ったら、がっくりと頭を垂れた。

 そして、


「……帰る」


 どよよんとした空気を纏ったキュリエさんが、ゆらりと立ち上がった。


「ど、どうしたんですか、キュリエっ?」


 セシリーさんが困惑しながら、キュリエさんの手を掴んだ。


「お幸せに」

「何を言ってるのかさっぱりわかりませんよ!? わたし、不幸じゃないですよ!?」

「独り言だ。気にしないでくれ。帰る」

「だから、急にどうしたんですかっ!?」


 うーん。

 ひょっとするとキュリエさん……セシリーさんのオーラに気後れした、とか?

 あるいは女子にとっては、セシリーは高すぎる壁なのかもしれない。

 同じ女として――いや、人類として自信を打ち砕かれるのも、わからなくはないが。

 まあ正直『美』という一点においては同じ人類とは思えないもんな……。

 よし。

 ここは、


「キュリエさん」

「なんだ、クロヒコ」

「好きです」

「!? すっ――」

「その服、俺は好きですよ」

「……む」

「人によって、似合う服って違うと思いますし」

「……そ、そうか」


 キュリエさんが、椅子に座りなおす。

 よ、よかった……。


「?」


 セシリーさんは首を傾げつつ、もう一つ椅子を持ってきた。

 …………。

 彼女、どのあたりまで自覚があるんだろう?


「調子はどうですか、クロヒコ?」

「ええ、良好ですよ。もう普通に歩けるはずです」

「そうですか、それはよかった」

「セシリーさんの治癒術式のおかげですかね」


 セシリーさんが、細い手を重ねて膝に置いた。

 彼女の場合、丸椅子に座るその動作や姿勢からも、楚々とした雰囲気が漂ってくる。

 それからセシリーさんは、俺とキュリエさんを順番に見た。


「あの、クロヒコとキュリエにお話があるのですが」

「ええ」


 セシリーさんが両手の指を絡ませながら、いざなうように微笑んだ。


「今日――わたしの屋敷に来ませんか?」

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