第50話「再会」
地上に戻ると、すでに日は落ちていた。
辺りはすっかり暗くなっている。
広場の人の数もまばらだ。
学園に広まった噂の影響も大きいのだろう。
転送装置で地上の広場に戻った俺たちは、まず転送先の床を囲んでいる檻の外へと出た。
キュリエさんのおかげで魔物は一匹もついてきていない。
魔物がいないことを見てとった衛兵たちが、待機場所に戻っていく。
その際に視線がチラチラとこちらへ向けられた。
「おい見たか? すげぇ美人が二人も」
「一人はほら、アークライト家の」
「ああ、そうか。しっかし、うらやましいパーティーだな」
「隣のガムール族の娘も悪くないな」
「あの銀髪の子、いい身体つきしてるよなぁ」
衛兵たちのヒソヒソ話が聞こえてくる。
「男ってのは馬鹿なもんだよな。ま、気持ちはわからんでもないが」
自戒を込めるように言ったのは俺を担いでいるジークさ――ジークだった。
檻から出た俺たちは今、聖遺跡会館へ向かっていた。
「魅力的な人って嫌でも気になっちゃいますからね。男のサガってやつですかね?」
「クロヒコ」
「はい?」
「おれには、敬語も必要ない」
「あー、えー……わ、わかったよ、ジーク」
「よし、これでより友人っぽくなったな!」
カラカラと笑うジーク。
ジークベルト・ギルエス。
思っていたよりも、気安い一面を持った人物だった。
「楽しそうで、けっこうなことだな」
キュリエさんが隣に並んだ。
なんだか、むすっとしている?
「まあいいさ。ところで、クロヒコ」
「なんでしょうか?」
「これはどうしたんだ?」
俺の剣を持ってくれていたキュリエさんが示したのは、晶刃剣ではなく、あの緑色のゴブリンの身体から出てきた短剣だった。
そういえば。
地上に戻ることに夢中ですっかり忘れていた。
「あ、これはですね」
俺は手に入れた経緯を説明した。
説明が終わる頃、俺たちは聖遺跡会館に到着。
会館に入ると俺はロビーのベンチに座らされた。
それから今度は、皆で短剣を検める。
「これは……『聖魔剣』?」
「そのようだな」
セシリーさんの後にジークが続いた。
「『聖魔剣』?」
聖剣と魔剣は知っているけど、聖魔剣ってなんだ?
「聖魔剣というのは、クリスタルが埋め込まれていて、かつ術式が彫り込まれた剣のことだ」
回答を口にしたのは、ベンチ横の柱に寄りかかるキュリエさんだった。
彼女の言うように、短剣の剣身には青いクリスタルがギザギザに埋め込まれ、加えて面妖な術式が彫り込まれている。
また、その刃も片側がギザギザになっていた。
そういやこの凹んでる部分で何度もブルーゴブリンの斧を受け止めたっけ。
しかしこの形、鍵のようにも見えるな。
「聖剣と魔剣の特徴を両方有す聖魔剣の能力は、聖剣や魔剣の比ではない。その分、使いこなすのに莫大な聖素を必要とするがな」
なんかキュリエさん、まるで使ったことがあるかのような口ぶりだ。
…………。
ふと、初めて彼女と出会った時に目にした剣を思い出す。
布にくるまれていた一本の剣。
今彼女が腰に差している長剣とは、少し長さや幅が違う気もする。
もしかして、あれって――。
「ふむ、聖魔剣か」
そこでジークが、唸りながら言った。
「一説では聖剣と魔剣の元となった剣とも聞くが……クロヒコが見つけたのは、確か第五階層だったな? そんな階層で聖魔剣が見つかったなんて話、初めてだ」
「聖魔剣ってそんなに珍しいもの――なのか?」
思わず『珍しいものなんですか?』と言いかけてしまった。
まだ慣れないな……。
「そうだな。聖魔剣はこの王都にも数えるほどしかなかったはずだ。聖樹騎士団に二本、城の宝物庫に一本、だったか」
「聖魔剣は数も使い手も少ないので、あまり資料や情報がないんですよ」
とセシリーさんがつけ加えた。
なるほど。
聖魔剣については大体わかった。
しかしどのみち俺は聖素が扱えない。
つまり持っていても力を引き出すことはできない。
だから、
「その聖魔剣をどうするか、キュリエさんに任せてもいいですか?」
「私にか?」
「ええ。ご存知の通り、俺には扱えませんし。それに珍しいものなら、どこかに売ればそこそこの金にはなるんでしょう? そのお金で俺の剣を修理するって手もあるかな、と。ただ、キュリエさんなら使いこなせると思うので、使えそうなら武器として使った方がいいかと」
「ふむ」
「何より武器周りについては、キュリエさんの方が詳しいですからね」
暫し考え込んだ後、うん、とキュリエさんは一つ頷いた。
「わかった。そういうことなら、任されるとしよう。さて――」
キュリエさんが顔をカウンターの方へ向ける。
「装備の返却やら何やらを済ませたいところだが……どうだ? 動けそうか?」
「ええ、なんとか」
ベンチから立ち上がる。
どうにか歩けるくらいには回復しているようだ。
「この後、私はクロヒコを会館の医療室へ連れて行く予定だが、おまえたちはどうする?」
そう尋ねられたセシリーさんたちは、今日はこのまま帰ると答えた。
今は俺を静かに休ませてあげたいから、とのことだ。
その配慮がありがたかった。
「それではクロヒコ、また明日様子を見にきますから。今日は、ゆっくりと休んでくださいね?」
「はい。今日はありがとうございました、セシリーさん。この借りも、いつか返しますから」
「ふふっ、ではいつかわたしも『セシリーさん』ではなく『セシリー』と、呼んでくれますか?」
ジークとの会話を聞かれていたらしい。
『おう、わかったぜ、セシリー』
ないな……でもまあ、努力はしよう……。
セシリーさんたちを見送った後、着替えや装備品の返却手続きなどを済ませた。
ちなみに装備品の返却時。
カウンターの担当者はボロボロになった装備を見て、ほぉー、と声を上げた。
「なかなかの激戦だったみたいだな」
この人とは顔見知りである。
初めて会館に足を運んだ時にもお世話になった。
「すみません、破損させちゃって」
「何、気にするな。それに何度も言うが、弁償の必要はないからな? どうせ卒業生の置いてったもんだ。何より、生徒が五体満足で戻ってくるのが一番さ。ふむ……しかしあれだな、顔つきも以前より変わって来たし、いい感じなんじゃないか? 美人の相棒もいるみたいだし」
「はは……ま、がんばります」
「おう、どっちも攻略がんばれよ」
「どっちも?」
「決まってるだろ。聖遺跡攻略とあの子の攻略だよ。もちろん、同時攻略なんだろ?」
「…………」
なんてやり取りもあった。
手続きを終えた俺たちは医療室へ向かった。
が、途中。
「――っ」
思わずよろけてしまう。
しかし、キュリエさんが腕で抱きとめてくれる。
「すみません」
「気にするな」
キュリエさんが自然と肩を貸してくれる。
それから俺たちは、暫し無言で歩いた。
廊下は静寂に包まれている。
と、不意にキュリエさんが足を止めた。
そして、
「よく、がんばったな」
と言った。
「あの防具の壊れ方と剣の状態、そしてお前の疲労度を見れば、どのくらいの魔物を相手にしたかは想像できる。遺跡内で、おまえはさらっとやり過ごしたがな」
「…………」
「む? 何をにやついている?」
「帰ってきたんだなぁ、って思って」
「何?」
「さっきふらついた時、ようやく実感が出てきたんです。それで安心したら、身体の力が抜けちゃって」
「そうか」
再び、沈黙。
暗い廊下には俺たちしかいない。
その時、俺の頭の上に手が載せられた。
「強くあろうとするのは、悪いことじゃない。ただ、あまり無理をするな。強くなることは本当の感情を消すことじゃない。そんなところで、強がらなくてもいい。だから――」
くしゃり、と髪が弄られる。
「泣きたいなら、泣いていい」
「…………」
歯を、食いしばる。
助かったんだという実感と、あのブルーゴブリンたちとの戦いの最中必死に抑えていた恐怖が、今さら、ないまぜになって押し寄せてきた。
必死におさえつけてきた感情。
それを表に出すのは、なんだか『弱い』気がして。
何よりキュリエさんが、セシリーさんが、ジークさんが、ヒルギスさんが自分を助けてくれたという事実が、嬉しかった。
胸に熱い何かが灯って、こみ上げてくるものがあった。
「頼むよ。私の前でくらい、たまに弱音を吐いてくれ」
「――はい」
漏れそうになる嗚咽を噛み殺しながら発したその声が、ちゃんと彼女に届いたかは、わからなかった。
*
「まずはゆっくりと身体を休めろ、クロヒコ」
「はい」
「で、私は学園長とおまえの家にいるかもしれないミア・ポスタ? というやつに、おまえがここに泊まることを伝えればいいんだな?」
「すみません、お願いします」
「わかった。じゃあ、私はこれで」
言って、キュリエさんは医療室から出て行った。
俺は今、制服姿で会館の医療室のベッドに寝ている。
傷も塞がっており、体調としてはせいぜいたまにふらつく程度なのだが、今日は大事をとってここに泊まることになった。
まあ、泊まることになったのは医療室にいた医師のすすめも大きかったのだが……。
「ふっふ〜ん、しかしキミもなかなかやるじゃないか、サガラ・クロヒコ殿や」
キュリエさんを見送った後、ニヨニヨしながらそう言ったのはリーザさんだ。
「断っておきますけど、リーザさんが思ってるような仲じゃないですからね?」
医療室に入ってから、興味がつきないといった様子で俺とキュリエさんに視線を注ぎ続けていた人物。
リーザ・ロゴスタ。
この世界に来て俺が二番目に出会った人で、彼女はこの学園で医師をしている。
また、俺が禁呪を最初に使った現場を目撃したうちの一人でもある。
彼女は、授業後しばらくは学園本棟の医療室にいるらしいが、ある時間を過ぎると、学園からこちらの聖遺跡会館の方へ移ってくるらしい。
「そうかい? 私には実に仲睦まじ〜く見えたがね?」
「だったらいいですけどね」
俺が飲んだ青色の液体の入っていた容器を流しに置いてから、リーザさんはベッド横の椅子に座った。
ちなみに青色の液体は栄養ドリンクみたいなものだったらしい。
「はっはっはっ、いいねいいねぇ、若者は。……けっ」
「『けっ』って……リーザさん、まだ若いじゃないですか」
「甘いなぁクロヒコ。十代と二十代にはね、致命的な隔たりというものがあるのだよ!」
「……ま、わからなくはないですけど」
最近いよいよ実感がなくなりつつあるけど、俺も一応『元二十七歳』なわけで。
その感覚はまあ、わからなくもない。
初めて会った時と同じ白いローブを着たリーザさんが、椅子をくるりと回す。
「いやぁ、学園長からお達しが出ていたから、私からキミに会いにいくってわけにもいかなくてねぇ。まあ、入学したことや生活ぶりは、学園長やイザベラから聞いていたんだがね?」
どうやらイザベラ教官とは知り合いらしい。
歳も同じくらいなんだろうか。
「そんなわけでね、キミが怪我の一つでもして医療室に来てくれやしないものかと、毎日お祈りしていたのだよ」
「俺、もう寝ますね」
「冗談だ、冗談だってば! あ、いや、本当は休ませた方がいいんだろうがね……そうだな、もう休むといいよ、うん」
「いえ、別に話すくらいはできますけど」
掛布団をかぶりかけていた俺は身体を起こす。
そこでリーザさんが、うぉほん、と咳払いした。
「そういうわけにもいかん! ていうか寝ろ! 寝たまえ! 己の身体を労りたまえ! ほら、さっさと寝た寝た!」
「きゅ、急にどうしたんですかっ?」
「あの子……綺麗だけど、なんか怖いぞ?」
「?」
冷や汗をだらだら垂らすリーザさん。
その指先が示す方向を見やる。
「きゅ、キュリエさん!? 何してるんですか!?」
リーザさんの指が示した先には、ちょっと開いたドアの隙間から不機嫌そうに室内を覗くキュリエさんの姿があった。
「その女、知り合いみたいだが……」
ぼそり、とキュリエさんが言った。
気のせいだろうか。
彼女の身体から、どんよりと淀んだオーラが漂っているような……。
「話に花を咲かせるのもけっこうだが……私はできれば、休んでほしいぞ」
「わ、わかりました、寝ます! もう寝ますから!」
俺は布団をかぶった。
「わ、私も寝る! いや、もう帰る! なんなんだあの生徒は!? 怖い怖い! 殺気だよ、あれは! わはははは! ではクロヒコ、私はもう帰ります! ていうかもう交代時間だし! じゃあね〜!」
そそくさと帰り支度を済ませると、リーザさんは慌ただしく部屋から出て行った。
「おわ、リーザ、どうしたんじゃっ?」
「そこの女子生徒が怖いんで帰ります! お先に!」
「女子生徒? はて、そこには誰もいないようじゃが……」
「はぇ!?」
「ふぉっふぉっふぉ……さては、リーザの気持ちはまだ女学生でしたという落ちかの? おまえさんなら大丈夫じゃ、まだまだいけるぞい」
「どどど、どこに行ったんだ、あの子!? はっ!? まさか精霊!? 精霊なのか!? クロヒコを守っている女精霊!?」
なんて会話が、部屋の外から聞こえてきた。
「あの子も優秀ではあるんじゃがのぅ……どうも男に縁がなくて、行く末が心配じゃわい。っと、生徒がおったか」
言いながら部屋に入って来た白いローブの老人は、机の上の紙に目を走らせた。
「ふむ、泊まりか。まあゆっくり休みなさい。わしも、そろそろ寝るでな」
しばらくすると老医師は机に突っ伏し、ふごーっと寝てしまった。
「…………」
そんなわけで俺は、リーザさんと入れ替わりでやって来た老医師と、会館の医療室で一夜を過ごしたのだった……。




