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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
50/284

第46話「それを彼は絶望の淵と呼ぶか」

「これは……」


 茶色の鞘に入った長い剣。

 戦闘授業で使っていたものよりは、やや短いだろうか。


「抜いてみろ」


 キュリエさんに言われ、鞘から抜いてみる。

 すると、刀身が姿を現した。


「おぉ……」


 鞘を置き、柄を握ってみる。


「…………」


 うん……握り心地も、悪くない。

 身体の変化のおかげだろうが、さほど重さは感じない。

 ……ん?


「刃の部分が、薄っすら光っているように見えるんですけど……これは?」


 俺の質問に、キュリエさんが答える。


「特殊なクリスタルで刃を上手く研ぐとな、切れ味が鈍りにくくなるんだよ。薄緑の部分は、その加工が施されてる部分だ。ああ……これは聖素が扱えなくとも効果はあるから。そこは安心しろ」

「へぇ……」


 その美しい刃に、思わず息が漏れる。


「まあ、この加工技術を持ってる職人ってのが、また希少なんだがな……うっかり素人が手を出すと、刃の方が駄目になるらしい」

「…………」

「どうした?」

「……これ、お金足りました?」

「なんだ、そんなことか。ああ、足りたよ。……ほら、釣りだ」


 銅貨を二枚、渡された。


「お釣りまで……」

「運よく堀だし物が見つかったってだけさ。それに、これでも一応、一人旅をしてきた身だからな……何かと、小さな交渉事には慣れてる」

「その、ありがとうございます」

「礼なんていらんよ。別に、あの金で聖剣や魔剣を買ったってわけじゃないし」

「はは……まあ、聖剣や魔剣は、俺には縁がないものですからね」


 聖剣と魔剣については、授業で習った。


 聖剣とは、クリスタルが埋め込まれた剣のことだ。

 刀身などに埋め込まれたクリスタルに聖素を流し込むことで、切れ味など、剣における様々な能力を高めることができる――それが、聖剣である。


 一方、魔剣とは、刀身などに魔術式が彫り込まれた剣のことだ。

 彫り込まれた術式に聖素を流し込むことで、特殊な術の力を纏った剣と化す――これが、魔剣である。


 この聖剣と魔剣、説明だけ聞くと『なんだ意外と簡単に作れそうじゃないか』と思えてくる。

 実際、俺も最初はそう思った。


 が、クリスタルの加工師に言わせると、聖剣も魔剣も、実は奇跡的なバランスで成り立っているものらしく、人の手で聖剣や魔剣を作り出すのは、ほぼ不可能なんだとか。

 過去、幾人もの人間が聖剣・魔剣の作製を試みたが……そのどれもが、聖素を流し込んだだけで、剣そのものが崩壊してしまったのだという。

 特殊な素材に、埋め込むクリスタルの適性、術式の位置……作製には、他にも様々な要因が立ちはだかっていると聞いた。


 ただ……『終末郷には聖剣や魔剣を作製することができる鍛冶師がいる』――そんな噂もあるらしいが……まあ、これは今は関係のない話だ。


 重要なのは、両方とも、聖素が扱えなければその真価を発揮できないということである。

 聖剣、魔剣なんてカッコイイ響きの剣には憧れもあるが……残念ながら、仮にそれらを俺が持っていたとしても、宝の持ち腐れになってしまう。


 何より、


「…………」


 剣を、前方にかざす。


 キュリエさんが、俺のために見繕ってくれた剣。


 俺には、これで十分だ。


「悪いが、防具にまでは手が回らなかった。だから防具は、聖遺跡会館で借りてくれ。運よく攻略中にクリスタルでも見つかったら、その時に整えよう」

「わかりました」


 キュリエさんが、模擬試合用の剣を手に取る。


「じゃあ、そろそろはじめるが……今日は本腰を入れた打ち合いは短めにして、残りは、その剣を使って軽くやることにしよう。……悪いな、剣の調達が、当日になってしまって」

「大丈夫です。すぐに、慣れてみせますよ」

「フン……いい意気込みだ。では――やるぞ」

「はいっ」


 それから俺は、キュリエさんと模擬試合用の剣で打ち込み合いをした後、加工された長剣を使って、軽めに剣を合わせた。


「…………」


 ……俺の剣の腕も、上がってきていると思う。

 本当に強くなっているかどうかは、実際に聖遺跡で魔物と戦ってみてから判断すべきなのかもしれないが……なんとなく、強くなった気はする。


 そう感じられるようになったのも、やはり、キュリエさんの鍛え方が上手かったからだ。

 彼女は毎日、着実に段階を踏みながら、次のレベルへ俺をいざなっていた。

 それは俺でもわかった。


 自在に剣のレベルを上げたり下げたりできるのは、彼女が凄腕であることの証拠だろう。


 さらに最近は……キュリエさんの強さの底知れなさを、より味わっている。

 これは、俺が前よりも強くなったからこそ、彼女の『強さ』を感じることができるようになったのだろう。

 以前、キュリエさんは『一人でも二十階層くらいまでなら余裕だ』と言っていたが……実際、本当に一人でいけるのかもしれない。


 一方、例の『感覚』のコントロールに関しては、昨日より明らかに上達しているのが実感できる。

 こっちは剣の腕に比べると『やれる』という確信が強く持てるようになった。


 あの『力』の恩恵はしっかり享受しつつ――自分の意識を持続させる時間は、昨日よりも長く。

 意識を切り離してから次の行動に移るまで時間は、昨日よりも短く。

 

 …………。

 うん。

 いける。


 これなら――禁呪に頼り切らずとも、きっと聖遺跡で戦える。


 戦闘授業が終わった後、俺は、確かな手ごたえを感じていた。


          *


 本日の昼食は、今日の聖遺跡攻略の打ち合わせをしながら、キュリエさんと食堂でとることになった。


 とりあえず第四階層を目指しつつ、途中現れるであろう魔物と戦ってみて、俺の成長具合を確認する。


 それが本日の目的だと、彼女から告げられた。


「そういえば今日からセシリーたちも、聖遺跡に潜るらしいな」


 骨つき肉をワイルドに齧りながら、キュリエさんが言った。


「俺たちも、負けてられませんね」


 じーっとキュリエさんが俺を眺める。


「な、なんですか?」

「……一つ聞いておきたいことがあるんだが、いいか?」

「ええ、どうぞ」

「禁呪の方は……その、どれくらい使える?」

「どれくらい、と言いますと?」

「あれがどういうものなのか、私はよく知らない。で……つまり、だな……使用することで、どのくらいおまえに負担があるのか、疑問に思ってな」


 あ、もしかして……俺のこと、心配してくれてるのか?


「負担はないです」

「だが、例えば、術式を発動させるために聖素を扱うと、大なり小なり疲労する。だからみんな、術式を温存できるところは温存するわけだが……その点、禁呪はどうなんだ?」

「大丈夫ですよ。使って疲れたこととか、ないですし」

「む……そうなのか?」


 あんまり、心配はかけたくない。

 ……疲れないのは、事実だしな。


「ええ。いやぁ、さすがは禁呪ですよね! もしかしたら、使いたい放題であまりに便利すぎるから『禁じられし呪文』だったのかもしれませんよ!?」

「ふーむ……」

「あれ? ひょっとしてキュリエさん……俺のこと、心配してくれてます?」

「ああ、心配だ。……だって、おまえのことだからな」

「…………」


 あっさり、言い切るんだもんなぁ……。

 思わず、こっちが赤面してしまった。

 と、キュリエさんが視線を落とした。


「禁呪について……実は、聞いていいものかどうか迷っていてな……ほら、誰にだって、話しづらいことはあるだろう?」


 ちらっ、とキュリエさんが上目づかいにこっちを窺う。


「ただ……一応おまえの身を預かる立場としては、負担があるかどうかくらい、知っておかねばと思ってな……あー、その、なんだ……」


 歯切れ悪く言ってから、キュリエさんはちょっと口を尖らせた。


「禁呪のことって、おまえとしては触れてほしくない話題だったり……するのか?」

「え? もしかして、遠慮してたんですか?」

「だっておまえ、今まで禁呪のこと、全然自分から話さなかったじゃないか。だから、聞かれたくないのかなと思って……」


 なんと。

 キュリエさんなりに、気をつかってくれていたのか。

 そういえば、言われてみれば彼女の方から禁呪のことを話題に出した記憶が、ほとんどない。

 …………。


 ……例の『感覚』のこととか、禁呪王のこととかは、今はまだあえて話すつもりはないけれど、


「いえ、気にしないでください。話題に出すのは、まったく問題ないですから!」

「そ、そうか……」

「ええ! ですから、じゃんじゃん聞いちゃってください!」

「む……じゃあ、聞くが」

「はい!」


 テーブルに腕を置くと、キュリエさんが興味津々な顔で尋ねてきた。


「あの変な黒い鎖、なんなんだ?」

「……わかりません」

「…………」

「…………」

「使い手なのに、わからないのか」

「……使い手なのに、わからないんです」

「そうか」

「ええ」


 沈黙。


「それ……料理、冷めるぞ。……食ったらどうだ?」

「……あ、はい」

「……美味いか?」

「美味しいです」

「……よかったな」

「……はい」


 本日の昼食はこうして、とても静かに終わった。


 何を聞かれるかと思ったら……そこかー。


          *


「人、やっぱり減ってるなぁ……」


 放課後。

 俺とキュリエさんは、聖遺跡前の広場に来ていた。


 昨日、準備を整えるため聖遺跡会館に来た時も思ったが、明らかに人が減っている。

 原因はやはり……あの噂のせいだろう。


「様子見も、あるだろうがな」


 同じく広場を見やりながら、キュリエさんが言った。


「潜った生徒から情報があがってくるのを待つ、って感じですかね?」

「だろうな……ま、自信のある生徒は、それでも潜るさ。何より、異種や魔物の数程度に怯えていては、聖樹士など、夢のまた夢だろうからな」


 今日のキュリエさんの装いは、制服を着ていないこと以外は、初めて聖遺跡へ潜った時に目にした装いと同じだった。

 小物入れつきのベルト、長剣、そして、到達階層を示す腕輪。

 さすがに今日は、制服ではないようだ。


 一方の俺は、キュリエさんから見繕ってもらった『晶刃剣』(と勝手に俺が名づけた)と、先ほど聖遺跡会館で借りてきた黒革のキュイラス、魔物の噛みつきや打撃を防ぐための小手を装備している。

 それから、攻略道具の入った肩掛け袋。

 もちろん階層を示す腕輪もちゃんとはめている。


 といっても、これらもすべて、キュリエさんに見立ててもらったものなのだが……。


「こうしてると、そこそこ見映えするじゃないか、おまえも」


 フン、と鼻を鳴らし、キュリエさんが俺を眺める。


「え? そ、そうですか?」

「……まあな。おまえ、背丈もあるしな」


 今、俺は背中に剣を背負っているのだが……うん、正直に言うと一度、背中に剣を背負ってみたかった。

 漫画やゲームの影響なのかもしれないけど、俺としては『かっこいい』というイメージがあるのだ。

 その姿を褒められると、なんだか嬉しい。


「重さは大丈夫か?」

「はい、動きに支障はないです」

「そうか」

「むしろキュリエさんこそ軽装ですけど……大丈夫なんですか?」

「まあな……いざとなったら、防御系の術式もあるし。何より四階層程度の魔物の攻撃が、私にあたるとも思えん」

「はは……さすがです」


 ちなみに、防具をガッチガチにかためない生徒は意外と多い。

 もちろん動きやすさを考慮してというのもあるだろうし、キュリエさんが言ったように、防御系の術式があるから、という理由もあるだろう。

 ただ、彼らが軽装を選ぶのは、聖素のことが大きいようだ。


 単純に言えば、比較的肌を露出していた方が、聖素を取り込みやすいのである。

 だから女子なんかは、スカートの探索服を選ぶ者も多いんだとか。

 とはいえ、貴族のご息女も多いという、この学園。

 露出が高い服は『はしたない』とされる向きもあるため、彼女たちもそこは、各人考えてバランスを取っているようだ。


 一方、男子は腕を露出する者が多いんだとか。


 これらは先日知ったことである。

 まあ、前々から少し不思議ではあった。

 危険のある聖遺跡に赴くにしては、やけに軽装な人や、どころか、丈の短いスカートに鎧なんていう、見ようによってはアンバランスとも受け取れる装いの生徒を何人も見かけた。

 だが、聖素の取り込みやすさ云々のことを知ってからは、疑問が氷解した。

 なるほど、あの女子生徒たちの姿には、男心をくすぐる以外に、ちゃんと他の理由があったわけである。


 もちろん、中には防具で身を守ることを優先する生徒だってたくさんいるし、怖がりな人などは、ガッチガチにかためたりもするらしいけど。

 要は……一言でまとめると、人それぞれ、ということになるのだが……。


 で、キュリエさんが今身に着けているのは、黒いドレスのような服だ。

 その服に俺は見覚えがあった。

 そう。

 初めて出会った時に、彼女が着ていた服である。

 確か意識がぼんやりしていた俺が『スタイリッシュな戦闘用の黒いドレス』と表現した服だ。

 これがまた……


「キュリエさん」

「ん?」


 ぐっ、と親指を立てて突きだす。


「その服、尋常じゃないくらい、似合ってますっ」

「……な、なんだ、藪から棒にっ」

「照れなくてもいいですって!」

「て、照れてない! 適当なことを……言うな!」

「…………」

「……おい、何をニヤニヤしている?」

「いえ」


 今、声裏返ってましたよね?


「も、もういい! 私は行くぞ! もう行くからな!」


 キュリエさんがスタスタと歩き出す。


「まったく……緊張感がなさすぎなんだよ、おまえはっ」


 ぷんすかと怒るキュリエさん。


「キュリエさんがいるから、安心してるんです」

「あーそうかい! よかったな!」

「ええ、俺……キュリエさんと組めて、本当によかったですよ」


 がくっ、とキュリエさんの膝が曲がった。


「だから、おまえはなぁ……」


 恨みがましい目で、こっちを見るキュリエさん。


「さ、行きましょう、キュリエさん」

「……ああ」


 こうして俺たちは、聖遺跡へと足を向けた。


          *


 キュリエさんの長剣が、ゴブリンの首を切り裂く。


「ギゲ……グ、ゴガ……!?」


 ――後ろから、もう一匹。


 俺は晶刃剣を横に薙いだ。


「ゲ、ガァ……!」


 ゴブリンの胸元がぱっくりと割れ、青い血が激しく噴き出す。


 倒れ伏した二匹のゴブリンの死体が、溶けて消えていく。

 黒い刀身の剣を鞘におさめながら、キュリエさんが言った。


「……ふむ、これなら禁呪や術式がなくとも、しばらくは十分そうだな」


 俺は、手元の剣をじっと見つめる。


 ――軽い。


 そして、以前よりゴブリンに対し明らかに『脅威』を感じなくなっている。

 どころか……ゴブリンの動きが、スローに見えるほどだった。


 ようやく実感が込み上げてくる。


 俺、ちゃんと強くなってるんだ……。


「自分の成長に、戸惑っているのか?」


 俺の内心を察したらしいキュリエさんが、ふっ、と微笑んだ。


「フン……私も驚いてるよ。数日前の聖遺跡でのおまえが、別人に思えるくらいだ」

「……キュリエさんのおかげです」

「だといいがな。それじゃあ、次の階層への階段を探すか」

「はい」


 キュリエさんが歩きはじめ、俺はその後ろ姿を追った。


 それから、俺たちは階段を発見し、二階層へとおりた。

 その間、他の生徒とは出会わなかった。

 聖遺跡の『パーティー同士を分断している』という特性もあるのだろうが、生徒の数が少ないのは、やはり噂の影響もあるのだろう。


 二階層ではツインコボルトと何度か遭遇した。

 ツインコボルトは二匹セットで現れる魔物だ。


 背の低い、犬のような頭を持つ、人型の魔物。

 異様に発達した爪と牙で攻撃をしてくる。


 右耳が大きいコボルトと、左耳が大きいコボルト。

 それらは、右コボルト、左コボルトと称される。


 すばしっこいため、油断すると切り傷や噛み傷を受ける危険性がある……が、


「グ……ギェェ!」

「グ……ゴォ!」


 キュリエさんと俺はほぼ同時に、一刀のもとにツインコボルトを切り伏せる。

 ツインコボルトが溶けていく。


「…………」


 あの『感覚』まで辿り着かずとも、この階層なら、十二分にやれる。

 今のところ、神経を極限まで研ぎ澄まさずとも、やれている。

 それだけ、俺の力が上がっているってことなんだろうか……。


「おまえ、よく私に合わせられたな……これも、鍛練の成果か?」

「だと思います」

「どうだ? このまま、いけそうか?」

「ええ……いけますっ」


 そのままの勢いで、俺たちは三階層を目指す。


 途中、インプや一角蟻などにも遭遇したが、さしたる障害にはならなかった。

 次の三階層では、小サイクロプスやリザードマンとも出くわしたが――これも、あっさり撃破。


 とはいえ、この聖遺跡の神髄は十階層かららしいので、これはまだ、聖遺跡攻略のほんの序の口にすぎない。

 十階層からは、ぐんと攻略難度が跳ね上がるというが……。


 ちなみに統計的には、大抵の生徒は一年間で十階層まで行くのが平均的なのだという。

 で、二年生で、十階層から十四階層の間を、行ったり来たり。

 そして三年生になると、卒業までに十九階層の守護種まで辿り着けるかつけないか、といった具合らしい。


 だから、ここまでが簡単に感じても、それは普通のことなのかもしれない。

 それでも……強くなっていることを実感するのには、十分だった。


 俺は少し前方をいくキュリエさんを見る。


 何より……キュリエさんが、強すぎる。

 正直、禁呪の出番もないほとだ。


 とはいえ、油断は禁物。

 何が待ち構えているか、わからないのだから。


 しかし俺たちは、特に苦労らしい苦労もなく、本日の目的だった四階層へあっさり到達した。


 第一階層からここまでの風景は、さして変わりがない。

 せいぜい、出現する魔物が変わったくらいだ。


『ガーゴイルか。てことはあいつら、四階層まで行ったのか』


 以前、広場で耳にした言葉。

 檻の中を飛び回っていたガーゴイルの姿が、蘇ってきた。

 この階層には、あれが出るんだな。


 周囲へ注意を払いながら、ふと、キュリエさんが切り出した。


「ところでおまえ、学園長に見出されてこの学園に来たんだったな?」

「……ええ、まあ」

「やはりおまえも、聖樹士になりたいのか?」

「聖樹士になりたいというか……成り上がりたい、ですかね?」

「まあ、聖樹士になれば、名誉は得られるからな……ふーん、しかし成り上がりか……私には、よくわからんな」

「ま、とりあえずの目標って感じなんですけどね……」

「例えば……月並みなのかもしれんが、家族を持って平和に暮らす、とかは考えないのか?」

「家族、ですか……」


 家族を持つなんて、考えたことはなかったな。

 …………。


「お、おい、そんな顔をするな……な、何かまずいことでも言ったか?」

「え? いえ、そんな……家族を持つなんて考えたことなかったなー、と思いましてね」

「……そ、そうか」


 その時だった。


「――む?」


 石の床が、振動をはじめた。


 次第に、揺れが大きくなっていく。


「な、なんだ……!?」

「地鳴り……? 中が変化する際の微震動ならともかく、四階層でこんな大きな地鳴りなど、聞いたことが――」


 ――今年の聖遺跡は例年と比べ、どうも様子がおかしい。


 その言葉を、不意に思い出した。


 今日は、ここまで、異種とは出会っていない。

 異様な数の魔物にも、襲われていない。


 やはりあれは噂にすぎなかったんじゃ……そう、思いかけていた。


 だが、あるいは、これも――


「急いで帰還装置を探すぞ……! 今日のところは、もうこれで――」


 言って、キュリエさんが走り出しかけたところで、


 ぐらりっ、と遺跡内が、大きく揺らいだ。


 俺の身体が、大きく傾く。


 次に来たのは――ぞくりっ、という感覚。


 何か、が――


「――キュリエさんっ!」


 俺は素早く体勢を立て直すと、思いっきり、彼女の背中を突き飛ばした。


 つっかえながら前かがみに倒れ込みかけた彼女の後ろ姿が、微かに見えた。


 直後、


 ずどんっ、


 と音がして。


 俺とキュリエさんの前に、石の壁が『出現』した。


 いや――正確には、下から『隆起』した。


「……っ」


 もしあそこで押さなかったら……キュリエさんは……。

 揺れが収まらない中、背筋に、寒いものが走る。


 なんだ、これは……。


 続けて、爆発音。

 音は……俺とキュリエさんを分断した壁の向こうから、聞こえてくる……?

 キュリエさんが、壁を破壊しようとしているのか……?

 もしくは――まさか何か剣だけでは対処できない敵と、戦っている!?


 禁呪――は、駄目だ!

 無機物には使えない!

 くそ!

 他に道を見つけて、なんとか、迂回して――


 ぼろり、と。


「――え?」


 足元が、崩れた。


 飛び退く暇もなく、周囲の床も一気に崩れ落ちる。


 そしてすぐに襲ってきたのは――浮遊感。


          *


「うっ……」


 目を覚ます。


「……ここは? ……うっ」


 遺跡内の、部屋……か?


 確か俺、足元が崩落して……。


 周囲を見渡す。


 赤……い?

 ん?

 周囲の壁が、赤く発光している……?

 赤い、クリスタル?


 なんだ?

 この、暗くて赤い、禍々しい雰囲気の場所は……。


「!」


 何かいる。


 しかも、複数。


 目を凝らす。


 蠢くモノたち……魔物だ。


 青い肌。

 斧に変形した腕。

 真っ赤な、瞳。

 人型。


 知っている。


 異種――ブルーゴブリン。


 異種の名の例に漏れず、ゴブリンとは比べものにならない、凶悪な魔物。

 そのほとんどは九階層で確認されているが、ごくまれに五〜八階層あたりにも姿を現すと、図鑑には載っていたが……。

 いや。

 今は階層は、どうでもいい。


「…………」


 何匹いる?

 暗がりのせいでよくは見えないが……五十?

 あるいは、百……?


 ずしん、と重々しい音が響いた。


 闇に慣れはじめた目が、その巨体を、捉える。


「――っ!?」


 姿形は、ブルーゴブリンと変わらない。

 が、そのサイズは少なくとも、他のブルーゴブリンの四倍はあった。


 巨大種。

 聖遺跡では、ほとんど見かけないというが……。

 しかも、


「異種の……巨大種……」


 俺は素早く、自分の装備を確認した。

 何もなくなっているものはない……が。


「…………」


 背負い袋と、剣の鞘は、置いていこう。

 俺は剣を抜き放つと、背負い袋と鞘を、その場に置いた。


 様子を窺っていたらしいブルーゴブリンたちは、俺が動き出したのを見てか、じりじりと、距離を詰めてくる。


 警戒しつつ、立ち上がる。


 剣を構える。

 そして、


「我……禁呪ヲ発ス――我ハ、鎖ノ王ナリ、最果テノ獄ヨリイデシ万ノ鎖ヨ……我ガ命ニヨリ我ガ敵ヲ拘束セヨ――第九禁呪――解放」


 次元の裂け目から現れた黒い鎖の群れが、真正面からこっちに向かってくる巨大種を、拘束。


「我、鎖ニ繋ガレシ獄ノ咎人ヲ貫ク、黒キ魔槍ニヨル罪殺ヲ欲ス……第九禁呪――第二界、解放」


 続けて――何本もの黒い槍が、巨大種を貫いた。


「グ……ゲ?」


 まるで何が起こったのかわからないといった風に、巨大種はその場に倒れ伏し……そして溶けはじめた。


 全身から、どっと、汗が噴き出る。

 噛みあわなくなりそうな歯を、しっかりと、噛み合わせる。


 まずは、一匹――。


 俺は、ひゅっ、と息を短く吐いて、前方へと駆け出した。

 その際、周囲に視線を走らせる。

 ブルーゴブリンたちは呆気にとられているようだった。


 が、すぐに奇声を上げ、こちらを目指して襲いかかってきた。


 ボスめいた巨大種を倒せば、恐れおののくかとも思ったが……さすがに、そう上手くはいかなかったようだ。


 しかし、その一瞬、ブルーゴブリンどもが呆気にとられている時間を稼げただけでも、十分。


 どうやらここは、大部屋らしい。


 ここで一気に囲まれたら、かなりの劣勢となる。

 だから、巨大種の身体の向こうに見えたあの通路まで――このまま、一気に駆け抜ける!


 溶解する巨大種の死骸の横を、通り抜ける。


 後ろからはブルーゴブリンの群れが追いかけてくる。


 どうにか、阻まれることなく、通路に到達。

 通路の広さは、四階層までの通路より少し天井が高く、やや、横幅が広い。


 息を切らせながら、走る。


 このまま、なんとか出口を見つけて――。


「…………」


 俺は、立ち止まった。


 なぜなら、


 前方から、さらにブルーゴブリンの群れが、押し寄せてきたからだ。


 これで……挟み撃ちにされた、わけだ。


 俺は通路の壁に背を預けた。

 ブルーゴブリンたちも一定の距離を保ち、様子を窺う。


「…………」


 いいだろう。

 やって、やるよ。


 視界に入るブルーゴブリンを、連続でマーカー指定していく。

 ドラッグ&ドロップの要領で一斉に範囲指定でもできたら楽なのだが……どうも禁呪は、こうして俺が一々マーカー指定しなくてはならないらしいのだ。


 そのため、まとめて発動させるとしても、どうしても数に限りが出てしまう。

 しかし、だとしても――


「…………」


 だとしても、俺は必ず、生きて戻る。


 何より今は、まず、キュリエさんの無事を確かめなくてはならない。

 急がなくては、ならない。


「我禁呪ヲ発ス我ハ鎖ノ王ナリ」


 絶対に、帰る。


「最果テノ獄ヨリイデシ万ノ鎖ヨ」


 セシリーさん、マキナさん、ミアさん……そして、キュリエさん。

 みんなの、元へ。


「我ガ命ニヨリ」


 だからそれを阻むやつは、一匹残らず、

 ただ一つの、例外なく――


「我ガ敵ヲ拘束セヨ」


 ――殺ス。


「第九禁呪、解放」

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