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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
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第42話「神に愛されし少女」

「おい、あれって」

「せ、セシリー・アークライト? ……と、誰だ?」

「ほら、例の……」

「ああ……あれがセシリー・アークライトの誘いを断ったっていう、禁呪使いか」

「でも誘いは断ったんでしょ? なのに、手なんか繋いじゃってるけど……」

「セシリー様、まだ諦めてないんじゃないか?」

「なんにせよ、うらやましい……お、俺だって、禁呪を覚えられれば……」

「……習得方法って、教えてもらえたりできないのかな?」

「それが簡単にできないから、セシリー様はご執心なんじゃないの?」

「特定の男との交際なんて、おれは認めん! だってセシリー様は、学園の共有財産みたいなものだろ!?」

「ぐずっ……せ、セシリー様が、おれ以外の男と……ひ、密かに憧れてたのに……」

「しかし、何度見てもお美しい……その上、強く、知的で……まさに、神に愛されし少女だな」


 本棟の廊下を通り過ぎる際に聞こえてきた、生徒たちの言葉。

 確かにマキナさんの言う通り『禁呪使い現る!』の報が、『禁呪使い、セシリー・アークライトの誘いを断る!』の報にかっさらわれた感はある。

 それだけ、セシリー・アークライトという人物は注目の的なのだ。

 学園のアイドル、といっても過言ではないのかもしれない。

 

 俺は、隣でバスケットを開けているセシリーさんを見る。


「…………」


 ま……この人なら、常に話題の中心にいるのも納得だよな。


 俺は今、セシリーさんと並んで噴水の縁に腰かけていた。

 とはいえ、ここは生徒たちの憩いの場である噴水広場の方ではなく、本棟の裏手側にある、小さな壊れた噴水の方である。

 周囲には樹木が生い茂っており、さらには曲がった木の枝葉が屋根を作るような形で噴水を覆っているため、噴水自体が見えづらくなっている。

 隠れる、という意味では絶好の場所かもしれない。


「さ、どうぞ」


 セシリーさんがバスケットを差し出してくる。

 中に入っていたのは、軽くトーストしたパンに、チーズとトマト、薄切りの肉を挟んだもの。

 これは……サンドイッチかな?


「ルノウスレッドでは定番ですが、チーズ入りサンドパンです。お口に合うかどうかは、わかりませんが」


 一つ手に取って、食べてみる。


「あ、美味しい」


 素材もいいんだろうけど、何より……具材のバランスが絶妙、というか。


「ふふ、よかった。早起きをして作った甲斐がありました」

「え? じゃあこれ……セシリーさんの手作りなんですか?」

「はい」

「料理、するんですね」

「わたしがこれを作ると、父や兄が喜ぶもので。男の人はこういう料理が好きなのかな、と」


 ……むしろ、重要なのは『セシリーさんの手作り』という点な気もするが。


「これもどうぞ……ハーブティーです」


 バスケットの中には、銀色の小さな水筒が、二つ入っていた。

 蓋部分のカップにハーブティーを注いでから、セシリーさんがカップを手渡してくれる。

 俺は礼を述べ、受け取ったハーブティーを飲んだ。

 そしてサンドイッチを食べる――と。

 ……あ。

 このハーブティー……このサンドイッチに、絶妙に合う。

 味が引き立つ、というか。


 俺は勧められるまま、あっという間にサンドイッチを平らげた。


「ほとんど俺が食べちゃいましたけど、よかったんですか?」


 結局、セシリーさんが食べたのは二つだけ。


「ええ、わたしは小食ですから」


 そう言って、セシリーさんは両手で、お上品にハーブティーを飲む。


 それから、少しまったりとした時間が流れた後、空のカップを包み込む両手を膝の上に置いたまま、おもむろにセシリーさんが切り出した。


「いささか不躾な質問になりますが……一つ、お聞きしても?」

「昼食のお礼です。なんでも聞いてください」

「では……」


 セシリーさんの長い睫毛が、ゆっくりと伏せられる。


「キュリエ・ヴェルステインと組みたいと思ったのは、なぜです?」

「そうですね……組みたかったから、ですかね。……正直、今の俺には、そうとしか」

「彼女に強い魅力を感じた、ということですか?」

「ざっくりと言えば、そうなるかもしれません」


 セシリーさんが、カップを縁に置く。


「つまり、それは――」


 そして縁に両手を突くと、彼女が上半身をこちらに乗り出してきた。


「あなたに彼女よりも『魅力的だ』と感じてもらえれば、わたしにも勝ちの目がある……そう解釈しても、いいんでしょうか?」


 ……なんか迫られてるみたいで、顔の温度が上がってくる。


「あ、あの、俺からも一つ、聞いていいですか?」


 空色の瞳を丸くし、セシリーさんが首を傾ける。


「? ええ、どうぞ」

「セシリーさんは……禁呪使いとしての価値を見い出しているから、俺によくしてくれるんですよね?」


 と、セシリーさんが身を引き、人差し指を薄い桜色の唇にあてた。

 そして、視線を宙に向ける。


「うーん、そうですねぇ……まずは一昨日の夜に出会った時、それから模擬試合の時……あなたに何か底知れぬものを感じて、興味を持ちました。……禁呪使いとしてのあなたが欲しいというのも、まあ、嘘ではありませんね」


 ……だよな。


 そのあたりのことは以前ジークさんが軽く触れていたが、もう一度だけ、本人に尋ねてみたかった。


「ただ――」


 首を傾けたセシリーさんが、流し目を送ってきた。


 ……その目は、何度か見たことがある。

 花の精めいた愛らしさを持つ彼女は、時折このような、気を尖らせた狐を思わせる目をすることがある。

 妖しく蠱惑的だが……どこか危うさも秘めている、そんな感じの目。


「今は少々……サガラ・クロヒコという一個人に対して、興味が出てきました」

「一個人に、ですか……?」

「ええ」


 気圧され気味に、思わず俺は、僅かに身をのけ反らせた。


 唾をのむ。


 と、取り直すように一息ついたかと思うと、セシリーさんが、姿勢を元に戻した。

 先ほどの研ぎ澄まされたような雰囲気は、すでに霧散している。


「……少し話を変えましょう。クロヒコは……わたしのことを、どう思いますか? 変に気を遣わず、感じたままを言ってくださって結構です」


 そこで、場の空気をほぐすように、セシリーさんが苦笑を浮かべる。


「……と、言われても、なかなか難しいかもしれませんが」

「そうですね……」


 俺は少し考えてから答えた。


「人並み外れた美しさを持っていて……しかも強くて、賢くて、才能にも恵まれていて……完璧な人、といった印象でしょうか」

「……なるほど」

「気に障ったようなことを言ってたら、すみません」

「いえ」


 物思いにふけるような顔で、セシリーさんが視線を落とす。


「完璧、天才……先ほど、廊下で何やら話していた生徒たちの中に『神に愛された少女』などと言っていた者がいましたが……ただ、神に愛されるのも、そう楽ではないんですよ?」


 セシリーさんが、頬に垂れた薄いレモン色の髪を撫でる。


「幼少の頃、両親や兄たちをはじめ、周囲の者たちはわたしの容姿をほめそやしました。当然、中には世辞も混じっていたでしょうが……まあ、誰だって、見た目を褒められて悪い気はしません」


 ふっ、とセシリーさんが自嘲の笑みを零す。


「ただ……一つ問題がありましてね。わたしが何かを失敗したり、できなかったりすると、周囲の者が口々に『セシリーは可愛いのだから、できなくても何も問題はない』と言うのですよ」


 くつくつ、と俯きがちに微笑むセシリーさん。


「おかしな話ですよね? 可愛ければ失敗をしても許される? ……そんな馬鹿な話、あってたまるもんですか」


 彼女の調子に、刺々しいものが混じる。


「だから幼いわたしは『可愛くて、なんでもできる少女』を目指すことにしました……それはもう、がむしゃらに。外見ではない部分を褒めてもらいたい。わたしのがんばりを見てもらいたい。……特に、父と兄に」


 両手を縁につき、セシリーさんが空を見上げる。


「すると気づいた時には、完璧、天才……さらには神に愛されし少女などと、もてはやされるようになっていました。正直、戸惑いましたよ。努力を認められるどころか、誰もが、セシリー・アークライトはなんでも持っていて、なんでもできると思うようになっていたのですから」


 セシリーさんの目が、細められる。


「だったら、もう、なんでもできるようになってやろう……わたしは、そう決めたんです」

「…………」

「そして、誰も成し遂げられなかったことをすれば――きっとわたしは、本当の意味で、努力を認めてもらえる」


 セシリーさんを取り巻く空気に、柔らかいものが戻ってくる。


「ふふ、これでもわたし、幼い頃は気性の荒い子だったんですよ? 当時を知らない者は、誰も信じてくれませんがね」

「そうだったんですか?」

「ええ。ただ、周囲の者が淑やかであることをわたしに求めていたので、年を経るにつれて、矯正させられましたが」


 ……煽りに乗せられやすいのは、むしろ、彼女の地が出ているのかもしれない。


「まあ、そんなわけで……『神に愛されし少女』が次なる目標として定めたのは、偉大なる祖父、父、兄を、越えることでした」


 彼女の声には、どこかしら自らを揶揄するような響きがあった。


「少女……わたしは、まず兄を越えることにしました。……ちなみに、わたしが攻略班を三人と決めていたのも、兄がこの学園にいた頃、三人で攻略班を組んでいたからなんです。……この学園における聖遺跡の最高到達階層、知っていますか?」


 それは確か、教養の授業で聞いた気がする。


「二十九階層、でしたっけ? ……って、それってつまり――」

「はい。それまでの最高到達記録だった二十四階層を五階層も上回り、学園に新たな記録を打ち立てたのは、わたしの兄なんです」


 感嘆の息が漏れる。


「なるほど……高い、目標ですね」


 しかもたった三人で、か。


「ですが――そこに現れたのが、あなたです。あなたは、わたしの理想を達成するのに将来、絶対に必要となる……だからわたしは、三人にこだわることをやめて、あなたを攻略班に誘ったのですが……見事に、振られてしまいました」

「す、すみません……」

「ふふ、謝ることはないですよ。それより……これからも、できればわたしと仲良くしてください、クロヒコ。友人として……あるいは、もっと深い仲に、なるかもしれませんが」


 ミルクのような白く細い手が差し出される。

 俺は、こわごわと握手に応じた。


「そう警戒しなくても、とって喰ったりなんてしませんってば」


 冗談っぽく微笑むセシリーさんだが……そういう意味で躊躇したわけではない。

 さっきのは、言うなれば、高価な芸術品に触れるのを躊躇するそれに似ている。


「あの、セシリーさん」


 またもや躊躇いがちに、俺は口を開いた。


「さっきの話……どうして、俺なんかに?」


 ……あんな話、出会って数日の人間にするものじゃない気がする。


「殿方は、女性からの打ち明け話に弱いらしいので」

「へ?」

「母から、そう教えられたんです。……だからまあ、さっきのはわたしなりの口説き文句だったと思ってください」


 曖昧に笑って、セシリーさんが握手を解く。


「さて……まだわたしにも勝ち目があるとわかりましたし、そろそろ戻りますかね」


 んー、と身体を伸ばすセシリーさん。


「…………」


 伸びと同時に身体を反らしているせいで、その形のよい胸が妙に強調され、男ならひゃっほいなシーンだったんだろうが……しかし俺はそんな気分にはなれず、口にするかしまいか迷っていた言葉を、口から出すことにした。


「セシリーさん」 

「はい?」

「あなたの、印象のことですけど」

「ええ、なんでしょう?」

「さっき言ったことは、確かに、俺があなたに感じた印象です」

「あ、もしかして気にしているんですか? ふふっ、気にしてなどいませんから、大丈夫ですよ」

「いえ、実はもう一つ、あるんです」

「?」


 一昨日の夜、セシリーさんが放った言葉が、頭に浮かぶ。


『終末郷……そして忌むべき第6院の出身者たち……どちらも将来わたしが聖樹騎士団に入団したあかつきには浄化するつもりですが――』


 彼女の言う『わたしの理想』が、もし、それだとするならば。


 膝の上で組み合わせた手を、ぎゅっと握る。

 こんなこと、言っていいのか、わからないけど――


「俺なんかが言うようなことじゃないのかもしれませんが……俺は、あなたが、少し心配です」

「わたし、が?」

「セシリーさんは、危ういバランスの台に置かれた、美しいけど、脆いガラス細工みたいな……そんな感じがして」

「…………」

「でも、誰にも台を別の台にしてくれなんて言い出せなくて、ただ、見る者を満足させることだけを考えて……じっと、美しいガラス細工としての役割を、黙って果たしている……そんな風に、見えます」

「……そう、ですか」

「だから、俺がその台を支える手伝いを、できたらいいなって……台を替えることができなくても、支えることくらいなら、できますから」

「…………」

「攻略班を組むのは難しいかもしれないですけど、俺にできることがあったら、遠慮せず言ってください。もちろん、禁呪使いとしてでもいいですから」


 言い終わってから、嫌な汗が出てくる。

 ……俺、何言ってんだろ。

 慌てて、努めて明るい感じを装う。


「す、すみません、なんか変なこと言っちゃって! いやぁ、何を言ってるんでしょうね、俺ってば!」

「いえ……」


 バスケットを手にし、セシリーさんが噴水を離れる。

 華奢な肩と、細身な女性的ラインが際立つ後ろ姿。

 やっぱり、すごく綺麗だ。


 が、その表情は見えない。

 俺は不安になっていた。

 今ので、彼女の気分を害してしまったかもしれない。


 そして、去り際――


 セシリーさんが残した言葉は、こんな言葉だった。


「困りますね、クロヒコ……そんなことを言われたら――ますます、あなたが欲しくなってしまうじゃありませんか」


          *


 昼休みが終わると、次は術式の授業である。


 しかしこの授業、俺は聖素が扱えないので、実技的な内容に移ると、相楽黒彦は一人だけ座学となる。

 サイクロプスと戦った屋外場でみんなが的に向かってサンダーボルトみたいな雷撃をかましている間、俺は、屋内で黙々と本を読んでいた。


「…………」


 まあ、知識は大事だと、キュリエさんも言っていたしな。


 それから、俺の術式授業での第一期の評価をどうするかについては現在、学園側で検討中とのことである。


 ちなみに……昼休みにあんな別れ方をしたセシリーさんであったが、術式授業前には、至って普通に声をかけてくれた。

 が、セシリーさんは微妙にキュリエさんと間合いを測りあっているというか……互いに牽制しあっている感じで、授業中に話しかけてくることはなく、むしろ俺は、ぼっち感を募らせることとなった。

 そんなわけで、術式授業中、気さくに声をかけてくれたのはアイラさんくらいで。

 そのアイラさんは溌剌とした調子で、


『なーにしょぼくれた顔してんのよ、禁呪使い! ほら、元気出しなさいっ!』 

 

 と、元気づけるように、背中を叩いてくれた。


 その時だけ、冷たい空気を纏ったキュリエさんとセシリーさんの息がぴたりと合ったような気がしたのは……多分、気のせいだろう。


          *


 そして術式授業が終わって、放課後。


 俺はキュリエさんに一声かけてから、図書館へと向かった。


 学園図書館は、本棟の東にある。

 本棟と一体にはなっていないが、本棟と図書館は、屋根つきの通路で結ばれている。


 図書館の前まで来た俺は、格式ばった両開きのドアを開け、アーチ状の入口を潜った。


 吹き抜けになった天井の高い図書館の内観が、視界に広がる。


 降り注ぐ半円球のライトの色は、青白いクリスタル灯のものと違い、オレンジ色。

 所々に、観葉植物らしきものが置いてある。

 なんとなく、本読みが集まるクラシックな雰囲気の喫茶店が、そのまま肥大化したみたいな趣もある。


 喫茶店のイメージを与えるのは、ある種のやかましさのせいもあるのだろう。

 図書館といえば『静かにするもの』というイメージが強いが、ここでは生徒たちを含め、皆、ぺちゃくちゃとお喋りをしている。

 一応、図書館について説明は受けている。

 そう。

 ここは、お喋りが許されているのだ。

 確か……本を読むためのスペースは、地下にあるんだっけか。


 とはいえ、俺の目的はクラリスさんに会うことだ。

 早速、案内カウンターっぽいところへ行って、クラリスさんに会いにきた旨を伝える。

 すると、すぐに受付らしき人が教えてくれた。


 クラリスさんは、地下の特別閲覧室にいるとのことだ。

 俺は礼を言って、教えてもらった道順を辿り、特別閲覧室を目指した。

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