第41話「EATER」
自分でも驚くほどのスピードで加速した斬撃。
微かに虚を突かれた顔をしたキュリエさんが、素早く剣を振り上げる。
刃と刃が触れ合う。
そして、次の瞬間――
「――っ!」
俺の剣撃は、いとも簡単にキュリエさんの後ろへ受け流された。
バランスを崩し、たたらを踏む。
「っと……!」
そのまま倒れ込みそうになるのを、どうにか踏みとどまる。
「すまない。普通に受けるつもりが、つい……後ろに流してしまった」
そう言った後、キュリエさんは訝しげに俺を見た。
「おまえ、剣術の経験はないんだったよな?」
体勢を立て直す俺に、キュリエさんがそんなことを尋ねた。
「ないです」
「ふむ……確かに、剣術を学んだようには思えない、が」
そう独りごちると、キュリエさんの目が何かを推し量るものになる。
そして、
「……そうだな、もう少し打ち込んでみろ。今度はちゃんと全部受け止めてやるから。それと、手加減はするつもりだが、私からも軽く打ち込むぞ」
「わかりました。……では、お願いします」
再び、剣を構える。
キュリエさんも剣を構え直す。
「ああ、それと、一つ言っておく。私はあのアークライト家の娘と違って、まともな剣術など学んだことはない。すべて、我流だ」
キュリエさん、構えこそさっきと同じだが……空気が、違う気がする。
「だから、変な癖がつく可能性もある。もしちゃんとした剣術を学びたいなら、あの教官に教えてもらった方がいいぞ。私の剣はいわば、生き抜くためにがむしゃらに振るっていた中で、自然と作り上げられたものだからな」
「俺は――」
柄を握る手に力を込める。
「キュリエさんから、学びたいです」
「……わかった。いいだろう」
土の上の砂利が、ざりっ、と靴の裏で擦れる。
「いきます」
集中力をたかめる。
そこから、
剣を振りかざしながら、再度、俺は間合いを一気に詰めた。
放った刃は、下方から緩やかなカーブを描きキュリエさんの腹部へ――その一撃を、彼女の剣が危なげなく受ける。
がきっ、と硬質な音を響かせた互いの刃が、十字を形る。
それで攻勢を止めず、俺はキュリエさんに、剣を打ち込み続ける。
すべてを、ぶつけるつもりで。
きっとこの人なら全部、受け止めてくれる。
そんな安心感が、俺を包んでいた。
だから……不格好でもいい。
とにかく今は――全力を、ぶつける!
――どくんっ。
剣を振る速度が、上がっていく。
なんだか、楽しくすらなってきた。
こみ上げてくる、喜び。
と、互いの剣身がぶつかり、弾き合った直後、キュリエさんの方から打ち込んできた。
俺は咄嗟に刀身を引き、その鋭い一撃を受け止める。
――重い。
それが、彼女の攻撃を受けた感想。
柄を握る手が、僅かな痺れを覚える。
「――っ」
…………。
よし、今度は、俺から――
その時。
――喰ラエ――
……え?
喰ら、う?
何、を……
――喰ラエ。
「――――」
何かが、『変わる』。
俺の剣が、
まるで、
キュリエさんから、
浴びせられる、
剣撃を、
絡めとるかのような、
そんな感覚の、
モノニ――。
喰ラエ、喰ラエ――喰ラエ!
さらに鋭利さを増した俺の斬撃が、旋風のような勢いを持ちはじめる。
「っ!? おまえっ……!?」
戸惑いを帯びたキュリエさんの声。
楽しい――楽シイ。
心地いい――心地イイ。
剣と剣の響き合う音が、感触が、実に、実に――心地ヨイ。
刹那――キュリエ・ヴェルステインの剣筋が、変化をみせる。
モット『先』ヲ喰ワセテクレルトイウノカ。
ナラバ――
「――っ、……チッ!」
次の瞬間。
ひと際高い、金属音が鳴った。
「…………」
直前に俺が放った横薙ぎ。
「……あ、れ?」
振り切ったはずの剣が……くるくると、修練場の隅の地面の上で、プロペラのように回っていた。
そして目の前では、いささか厳しい表情をしたキュリエさんが、同じく剣を振り切った姿勢で、俺を凝視している。
……えーっと?
「おまえ……本当に、剣を使った経験は皆無に近いんだな?」
「というより、模擬試合の時が、はじめてというか」
「……嘘では、ないようだが」
キュリエさんが構えを解き、剣を下げる。
「まあいい。今日は、ここまでにしよう」
拍手がした。
「いや、お見事」
イザベラ教官だった。
「というか君たち、普通にAランク組、いけたんじゃないの? ふふ、それともぉ」
イザベラ教官が邪推めいた表情を浮かべる。
「ひょっとしてぇ、二人っきりになる口実が欲しかったのかしらぁ? はたから見てると、君たちって、すごく信頼し合っている風にも見えるわよ? 何? お二人さんってば、そういう仲なの?」
「違います。……妙な勘繰りはやめてください」
即座に否定するキュリエさん。
まあ、確かに教官の言っている『そういう仲』ではないけど……深い信頼は、これからがんばって築いていきたい所存である。
…………。
ん?
キュリエさんが真剣な面持ちで、こちらを観察している。
「あの、何か?」
「さっき私と剣を交わしてみて、どうだった?」
キュリエさんが尋ねた。
「ええっと、感想ってことですか?」
「ああ」
「そうですね……キュリエさんは運動服がとても似合っていて実に美しいなぁ、とか?」
「……真面目に」
いや、真面目に似合っていて、美しいんですけどね……。
は、ともかく。
「うーん、なんていうんですかね? こう、力がみなぎってきたというか、楽しくなってきたというか……うまく言葉にはできないんですけど、そんな感じでした。多分、キュリエさんの合わせ方が上手いんじゃないでしょうか?」
「……そう、か」
口元に手をやり、何やら黙考しながら俺を見るキュリエさん。
そして、
「……ちょっといいか?」
「あの……え!?」
俺は困惑した。
なぜなら、
突然剣を放って近寄ってきたかと思うと、キュリエさんが俺の右腕を両手で揉み始めたからだ。
「きゅ、キュリエさん!? 何を――」
慌てふためく俺をよそに、キュリエさんの長い十本の指が、何かを検めるように腕を触る。
ま、マッサージ?
キュリエさんが、目を瞠った。
「筋肉が、できあがりつつある」
「そ、そうなんですか?」
筋トレなんて、今まで無縁だったけど……。
「だが、いくらなんでも……一日二日で、こんな……」
「あらやだ、ほんと」
へ?
気づくと、イザベラ教官が左腕を触っていた。
「…………」
なんなんだ、この状況?
両手に花的な?
というか、こんな間近に、キュリエさんとイザベラ教官が……。
み、身動きが、取れない。
「……うわっ! あの!?」
なんと今度は、イザベラ教官が、俺の脚を揉みはじめた。
くにくに、と、もものあたりを揉みしだかれる。
「へぇ……何よ、けっこう鍛えてるんじゃない? これなら模擬試合でのあの一撃にも、多少納得がいくわね」
「いや、昨日の時点では、もっとやわかった印象が……」
脚のお触りに、キュリエさんまで加わってくる。
二人の女の人が視線の下で脚を触る状況……なんかこれ、ちょっと妙な気分に……。
「おまえ」
脚を手で触りながら、キュリエさんが見上げてくる。
アングル的に、思わずドキリとしてしまう。
「なんでしょう、か?」
「今日の残りは、素振りや基礎鍛錬にしておけ」
「……わ、わかりました」
そうして、ようやく解放(?)された俺は、修練場で素振りをはじめた。
さらにそこに、腕立て伏せや腹筋などの基礎鍛錬として思いつくメニューを適度に混ぜる。
どれも、キュリエさんの足手まといにならないための……そして、聖遺跡攻略のために必要なもの。
そして、ちゃんとした『目的』をもってやるトレーニングは、なんとも気持ちのよいものだった。
途中でイザベラ教官に素振りのコツなんかを教わったりしながら、俺は素振りを中心に、基礎鍛錬を続けた。
*
透明感のある鐘が、戦闘授業の終わりを告げる。
「ふぅ」
剣を下げ、息をつく。
が、さほど疲労感はない。
むしろ、充実感で溢れていた。
それから俺たちは、後片づけをして、修練場を後にした。
「じゃ、また明日ね……ふふ、君、今日は役得だったわねっ」
ウインクを残し、イザベラ教官は去って行った。
「で、聖遺跡攻略だが」
イザベラ教官を見送った後、キュリエさんが、おもむろに口を開いた。
「私としては、しばらくおまえを鍛えて、それなりになってからと考えていた。あのゴブリンとの戦いを見る限り、禁呪だけというのも、危うい感じがあるからな」
キュリエさんの言うことはもっともだ。
俺としても異論はない。
むしろ俺を鍛えるという手間をかけさせてしまい、申し訳ないと思うくらいである。
「しかし」
と、そう前置いて、キュリエさんが続けた。
「考えていたよりも案外、早く行けるかもしれんな」
「俺、大丈夫そうですか?」
「一応、あと数日は様子を見るつもりだが……私の見立てでは、いけると踏んでいる。まあ、無理をさせるつもりはないさ。ただ、実地でしか学べないこともあるからな」
キュリエさんがそう言うのなら、そうなんだろう。
変な話かもしれないが、俺よりも、彼女は俺のことをわかっている気がする。
だから俺は、今はとにかく、自分を鍛えることにエネルギーを注ぐべきだろう。
「あとは、できることなら、攻略前にもっと聖遺跡の知識を蓄えておけ。いざという時に、知識は役に立つ」
「はい、そうします。……で、その、今日のことなんですが」
話題を変えた途端、キュリエさんの眉が顰められた。
「……ああ、アークライト家の娘と昼食だったな。そうか、もうそのことで頭がいっぱいか。いいぞ、さっさと行ってくればいいさ。フン、せいぜい、楽しんでくればいい」
「ではなくて……今日の、授業後の話なんですけど」
「む」
「キュリエ、さん?」
「今のは……その、わ、悪かった」
自分を責めるように、キュリエさんが額に手をやった。
「で、なんだ?」
「実は、図書館に用事がありまして」
「そうか。……ああ、もしかして、禁呪のことを調べに?」
「ええ」
「わかった。予定していた聖遺跡会館での前支度は、明日に回そう」
「すみません」
「何、気にするな。……私は私で、やることもあるしな」
なんとなく、互いに黙り込む。
「ところで、なんだが」
「は、はい」
キュリエさんが、腹のあたりの布地を、くいっと摘まんだ。
「……そんなに似合ってるのか、これ?」
「も、もちろんです!」
「しかし、これはただの運動用の服だぞ?」
「えーっとですね、だからいいというか、なんというか……」
「……なら、仮にだ。二人で会う時に私がこれを着ていたら、おまえは嬉しいのか?」
「に、日常的な空間なら」
「だが、この服は屋内外で激しく身体を動かす時に着るものだろう? なのに、それ以外の時に着て、なんの意味があるんだ? 良質な服なんて、他にいくらでもあるだろうに」
「それはまあ、そうなんですが」
キュリエさんが息を落とす。
「よくわからん……が、まあわかったよ。おまえは、この服が好きなんだな?」
「というより、その服を着ているキュリエさんが、好きというか」
キュリエさんが、ジトッと俺を睨む。
「私だけじゃなく、アークライト家の娘もだろ?」
「それは……」
「正直に」
「……はい」
「フン、まったく……本当に正直なやつだな、おまえは」
「……すみません」
「謝る必要はないさ。それに、正直なことが必ずしも悪いってわけじゃない。……まあ、私も少々意地悪く突っかかりすぎた。悪かったよ」
そんなやり取りをしてから、俺とキュリエさんは別れ、それぞれの更衣室へ向かった。
*
というわけで、俺は制服に着替え、更衣室から出た……のだが、
「では、クロヒコ……約束通り、お昼にしましょう」
「…………」
「あれ? どうしました?」
「……ここで、待っていたんですか?」
「当然です。今日のことは、わたしの方からお願いしたのですから」
なんと、微笑みを浮かべたセシリーさんが、男子更衣室の前で待ち構えていた。
更衣室から出入りする男子生徒たちが「セシリー・アークライトが、なんでここに!?」みたいな顔をしてから、見惚れつつ通り過ぎていく。
「食堂は人が集まってきて落ち着いてお話しできませんから、今日は、外で食べましょう。こうして、昼食はわたしが用意してきましたから」
セシリーさんが、手に提げていたバスケットを持ち上げてみせる。
「天気もよいですし……それで、かまいませんか?」
「ええ、お、俺はかまわないです」
「ふふ、よかった。さ、では、行きましょうか」
自然と手を取り、俺をいざなうセシリーさん。
尻尾のような彼女の髪の先端が、鼻先をかすめる。
清涼感のある、いい匂いがした。
「!」
…………。
今、何か見えたような……。
廊下の角のところから、誰かがこっちを見ていた。
「どうしました?」
「……いえ」
姿を隠した際、宙にふわりと舞った、艶のある銀髪。
あんな綺麗な銀髪の持ち主を、今のところ俺は一人しか知らない……。
「セシリーさん」
「なんです?」
「今日の昼食って……二人きり、なんですよね?」
「ええ、二人きりですよ?」
優しげではあるが、その調子には、どこか頑として譲らないものがあった。
「…………」
三人でという選択肢は、やはりなしだな。
ていうか、セシリーさんは、いつまで手を握っているんだろうか……。
緊張で手汗が出てしまいそうで、とても心配だ。
が、そんな俺の心配をよそに、セシリーさんはぐいぐいと手を引っ張って歩いて行く。
…………。
変な感じだ。
あのセシリーさんに手を引かれながら、こうして校内を歩いている。
今は、ジークさんもヒルギスさんもいない。
確かに、二人きりといえるだろう。
こうして、すれ違う生徒たちの好奇の視線に晒されながらも、俺はセシリーさんに連れられ、本棟の外へ出た。