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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い 第一部
42/284

幕間2「マグライの夜」【ヒビガミ】

 王都クリストフィア。


 夜は深く、街は静寂に包まれている。

 大通りから一つ外れた路地にひと気はない。

 クリスタル灯の光が、石畳をほのかに照らしている。


 その路地を、一人の男が歩いていた。


 男は、名をヒビガミという。


 ただ四文字。

 それが、彼の名である。


 ヒビガミは、さらに道を曲がり、曲がり、曲がる。

 段々と人の気配が希薄になっていくのがわかる。

 寝静まる者たちの気配すら、今は遠い。


 そして辿り着いた一角。

 寂れた空気。

 もはや周囲にクリスタル灯の光はなく、ただ、冴え冴えとした月の光だけが、その一角に差し込んでいる。


 この小綺麗な王都にも『闇』は存在する。

 掃き溜め、とでも言おうか。

 あまり都市の住民が近寄らないような場所だ。


 だから――


「人目を忍ぶには、もってこいか」


 にやり、とヒビガミは口の端を歪める。


 ――見つけた。


「……あれか」


 眇められた視線の先。

 一人の男が、腰を下ろしている。


「だから、もっといい傷薬を持ってこいって言ってるだろうが!」


 大男が、痩せぎすの男をどやしつけた。


「ひぃ、す、すみません、アニキっ!」


 大男の子分とおぼしき男が、こけつまろびつ、夜闇の中へと消えていく。


「ちっ……他のやつらも戻ってきやしねぇ……使えねぇカスどもが……くそ、しかし痛ぇぜ……あのアークライト家の娘め……ふざけやがって……いつか必ず、痛い目にあわせてやる……それと、あのガキと、亜人種の娘もだ……」


 悪態をつく大男は、全身に包帯を巻いていた。

 が、その処置は雑だ。

 ところどころ、包帯がほどけている。


 ――ほぅ。


 と、包帯から覗いた傷口に、ヒビガミは興味を惹かれた。

 まだ真新しい、刃による傷口。

 その傷口は、ヒビガミから見ても感嘆に値するものだった。


 ほとんど寸分たがわず、傷口をなぞっている――。


 あの傷をつけた者は、いかほどの腕前なのか。

 俄然、ヒビガミは興味が湧いてきた。

 だが今は、その前に――


「己か……第6院の者とやらは?」


 突如暗がりから姿を現したヒビガミに、大男は狼狽の色をみせた。


「な、なんだてめぇは!? どこから現れやがった!?」

「その傷……誰につけられた?」

「……何ぃ? 殺されてぇのか、てめぇ?」


 触れられたくない話題だったのだろう、大男が憎悪を込めてヒビガミを睨みつけた。

 が、まるで怯むことなく、ヒビガミは、カッカッカ、と乾いた笑いを漏らす。


「なるほど……死に急ぐか」

「……あ?」


 にぃ、とヒビガミの口元が緩む。


「殺されるのは――己の方かもしれんぞ?」

「なっ――」


 先ほどの言葉から、あの傷をつけた者が『アークライト家の娘』とやらであろうことは、容易に察せられた。

 それだけの情報があれば、十分。

 一応、聞くだけ聞いてみただけだ。


 ヒビガミは、腰の刀の柄に手をかける。

 大男が、立てかけてあったモールに手を伸ばした。


「や、やるのか!? てめぇ、どうやらおれが第6院の出身者と知っているようだが……それでもやるのか!? あぁ!?」

「カカ……だからいいのよ。おれは、第6院の者を追っているんだからな」

「な……にぃ?」

「しかしなぁ……第6院の話題自体が忌み嫌われているのか……己の話を聞き出すのに、幾分手間取ったぞ」

「そんなことよりおまえ、わかってるのか? 第6院の人間を敵に回すことが一体、どういうことか――」

「阿呆か、己は」

「なっ……!」


 僅かに顔を出した刀身が、月光を受けて鈍く光る。


「その第6院を敵に回すから、いいんだろうが」


 大男の顔には焦りが走っている。

 何も知らなかったんだな、とヒビガミは哀れに思った。

 第6院の出身者を名乗るということは――つまり、自分を引き寄せてしまうということなのに。


「さ……やろうか」

「くっ……!」


 やむなしといった顔で、大男がモールを構える。


 ――悪くない。


 筋肉も戦闘用に仕上がっている。

 習熟度も、そう低くはない。

 が、


 ヒビガミはそこで、抜きかけていた刀身を、鞘におさめた。


 今ほどヒビガミが戦闘に使おうとしていた刀は、愛刀『無殺』。

 刃引きをし、著しく殺傷力を削いだ刀だ。


 ヒビガミは『本気で戦う時』のみ『無殺』を使う。

 が、それ以外の相手には、


「己には、こいつでいい」


 もう一本の刀を、するりと抜き放つ。

 月光の下に現れたのは、漆黒の刀身。

 と――抜かれた直後、その刀身が、青白く発光をはじめる。


「おれと出会った不運を哀れんで……二つ、忠告してやる」


 ヒビガミが、刀の切っ先を大男に向ける。


「こいつは、妖刀『魔喰らい』といってな……周囲の魔素どころか、触れた者が取り込んだ魔素すら喰らっちまうっていう、なかなかに難儀な刀なのよ……ああ、この国じゃあ魔素は、聖素と呼ぶんだったか……ま、どっちでもいいがな」


 聖剣とも魔剣ともその性質を異にする、あやかしの刀。

 妖刀。


「だから、己が術式や呪文の使い手なら、それに頼ることはできねぇ。己の剣の腕のみが、頼りとなるわけだ」


 この『魔喰らい』は、鞘におさめていたとしても、微弱ながら周囲の魔素を喰らい続けている。

 そして腰に下げている本人は、その魔素吸収の影響を、最も強く受ける。

 だから持ち主が魔素に頼ることは、ほぼ不可能と考えてよい。


 そしてヒビガミは――そもそも、魔素が扱えない。


 そのため『魔喰らい』を使うデメリットが、まるでない。


「で、もう一つ――」


 ひゅっ、と黒い影――ヒビガミが駆けた。


「あ?」


 大男の眼球がヒビガミを捉えた時には、すでに、ヒビガミは男の背後に立っていた。


「第6院の出身者などと、気安く名乗らん方がいいぞ? ……おれが、来てしまうからな」

「くっ!」


 大男が身体を急旋回させる。

 モールが重々しい唸りを上げ、大気を切り裂く。

 そして、大男の放ったモールの一撃が、ヒビガミを捉え――


「ぐ、ぇ? え? ――あ?」


 大きな違和感が、大男の顔面に浮かぶ。

 次の瞬間――


 大男が胸元から、盛大に血しぶきを上げた。


 そして、そのまま膝を突くと、大男は糸が切れたように、前のめりに倒れ込む。

 地面に、血が広がっていく。


「カッ」


 ヒビガミが、短く嗤う。

 それから、大男だったものを見下ろしながら、胸元から出した布で、血を丁寧に拭き取る。


「カカ……阿呆め。安易に、第6院の名など出すからだ。しかし――」


 刀を鞘におさめたヒビガミは、顎の無精ひげを撫でた。


「第6院出身者の噂は、どうも昨日から今日にかけて、この王都では錯綜している節があるが……どうしたことだろうなぁ、こいつは?」


 絶命した血塗れの死体が倒れ伏す暗がりを、ゆらりと後にするヒビガミ。

 と、そこでヒビガミが振り向く。

 その視線の先には、肉の塊と化した大男の死体があった。


「……己が第6院の、出身者だと?」


 カッ、と一つ乾いた笑い声を上げると、物言わぬ死体に向かって、ヒビガミが言った。


「おれの記憶が正しければ――あそこに己は、いなかったがなぁ?」


 カカカカカカカッ、と高笑いを上げながら、ヒビガミは再び、闇の中を歩きはじめた。


          *


 寝静まった王都の路地裏を歩きながら、それにしても、とヒビガミは思う。


 先ほど生きていた大男は『死』を迎えた。


「…………」


 つまらんな、とヒビガミは思う。


『死か……「死」は、いつか、おれが殺す。できることなら、まず、仕合いたい』


 今でも『死』はつまらぬものだと感じる。

 だからヒビガミは、『死』をいつか殺すべき『悪』だと思っている。


 自分の剣は、人を生かし、活かすべきものであるべきだ。


 死は、ただ終わるだけのものである。

 今では、仕合う価値すら感じない。

 方法があるならばいつか『殺す』つもりだが……現在も、その方法がわからない。

 ゆえに――放置。


 反面、『生』は素晴らしい。

 常に戦いを与えてくれる。

 自分に――宿敵を与えてくれる。


 そう。

 ヒビガミにとって、


 相手を生かし続け、よき宿敵として活かし続けることこそ――悦楽なる地獄。


 仕合って、仕合って、飽きたら殺す。


 だが、宿敵として期待できない者は、即座に殺す。

 仕合いにも満たぬ塵芥どもは、適当に殺す。


 とはいえ、戦えぬ者を殺す趣味はない。

 降りかかる火の粉は払うが、戦えぬ罪なき善人を殺す趣味を、ヒビガミは持ち合わせていない。

 どころか、よく生き、よく働く者を、ヒビガミは尊敬すらしている。


「…………」


 腰に刺さっている『無殺』の柄に手をかける。


 ここ最近――愛刀『無殺』を振るっていない。

 

 伸びしろという意味では……やはり、宿敵に最適なのは第6院の者だろう。


「カカ……しかしおれも、あいつらに随分と嫌われたものだ」


 殺さず、活かし続けるべき、愛しいはらからたち――。


「こんなにも――おれはおまえらを、愛しているというのになぁ!」


 未来への期待に満ちたヒビガミの笑い声は、王都の一角に、こだまのように響き渡った。

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