第38話「夕食」
「マキナさん?」
「あなたが帰ってきたら私を呼びに来るよう、ミアに言いつけておいたの」
マキナさんの斜め後ろに控えるミアさんが、ぺこりと頭を下げる。
「事前にお知らせせず、申し訳ありませんでした」
「あら、ミアが謝ることはないわよ。クロヒコを驚かせようと思って、私が黙っているようミアに言ったのだから」
マキナさんが着席を勧める。
「さ、座って、クロヒコ」
俺は、彼女の対面の席に座った。
目の前には、骨付き肉やらマリネ風の魚料理など、食欲をそそる料理が並んでいる。
「お腹が空いているでしょうから、食べながらでいいわよ。……さて」
次にマキナさんが浮かべたのは、労いの表情。
「まずは術式授業での禁呪のお披露目、ご苦労さま」
「本当に、あれでよかったんですか?」
一呼吸置き、マキナさんが答えた。
「禁呪の存在を隠そうとした理由は、いくつかあったわ。あなたの身の安全を考慮したのもあるし、私の目的を達成するための隠し玉として取っておきたかったというのもあった。それから――」
やや自嘲気味に、マキナさんは口元を綻ばせた。
「所在が判明している他の禁呪の呪文書を、持ち主たちから掠め取りやすいかと思ったの」
「他の禁呪……」
第『九』禁呪というからには、他の禁呪があるのだろうとは思っていた。
…………。
少なくとも、他に八つはあるわけだ。
「他の禁呪の呪文書の所在で今わかっているのは四つ。ちなみに昨日と今日で改めて情報を集めてみたけど、特に新しい情報はなかったわ」
マキナさんが四本の指を立ててみせた。
「一つは、軍神国ルーヴェルアルガンが所有」
最初に、人差し指が閉じられた。
「それから、ギュンタリオス帝国に二つ」
次に、中指と薬指が同時に閉じられた。
「そのうち一つは……帝国が管理しているわけではないようだけど」
そう言い添えてから、最後に小指が閉じられる。
「そして残りの一つは、終末郷の三大組織のうちの一つが所有しているようね」
言い終えると、学園長は小さな拳をそっとテーブルの上に置いた。
「入手を試みるにも、まあ、どれも手こずる相手ばかりよ」
大陸の北東――ルノウスレッドの北に位置する、軍神国ルーヴェルアルガン。
大陸の半分を領土に持つ西方の大国、ギュンタリオス帝国。
どちらも、教養の授業で出てきた国の名だ。
で、そこに終末郷か……。
「それに……仮に禁呪使いの存在が明るみに出ていなくとも、どこかの段階で私が禁呪の呪文書を集めているという情報が入れば、帝国もルーヴェルアルガンも、何かあると勘づくでしょうしね」
もし秘密裏に集めようと思っても、やはり国外となると、その難易度は跳ね上がるのだろう。
マキナさんが肩を竦める。
「何より、禁呪使いがいることを隠すために、あなたが禁呪の使用に制限を受けながら聖遺跡攻略を行う、というのもね……。そもそも聖素が扱えない時点で、当初の『変わり種の呪文使い』の線も、無理になったし」
学園長が、テーブルの上で腕を組み合わせる。
「ところで、その聖遺跡だけれど」
その表情は、少し厳しい。
「あなた、もう攻略に行ったんですって?」
ぐっ。
「……はい」
「私はてっきりクラリスのところに行くかと思っていたから……そこは、私の読み違いだったわ」
俺は、縮こまって返す。
「クラリスさんのところには……明日行こうかと」
気持ち的に、すべてにおいてキュリエさんのことが優先になっていたからなぁ……。
自分の行動については、色々と反省すべき点がある。
「一応聞くけど……装備や道具は?」
俺が自戒を織り交ぜながら説明すると、マキナさんは呆れ顔で肩を落とした。
「まったく……まあ、反省はしているみたいだから、死刑だけは勘弁してあげるけど」
「反省してなかったら、死刑だったんですか!?」
「ええ……男として」
「男としてっ!?」
「そんなことより」
あっさり『そんなことより』で俺の疑問を流し、マキナさんが続けた。
「あなた、セシリー嬢からの攻略班への誘いを断ったんですって?」
「知ってるんですか?」
ため息をつき、マキナさんは組んだ手の上に額をくっつけた。
「……知ってるんですかも何も、この話、学園内ではもうかなり広まってるわよ? 明日の昼あたりまでには、学園中の人間が知ることになるでしょうね。正直、『禁呪使い現る』の報がかき消えそうなくらいだわ」
「そ、そうなんですか?」
「一介の生徒があのセシリー・アークライトから誘いを受けただけでも驚愕に値するのに、まさかその誘いを断る人間がいるだなんて……驚かない方が、どうかしてるわよ」
組んだ手の向こうから、マキナさんの顔の上半分だけがひょっこりと現れる。
半眼で、じーっと俺を見ている。
「率直に聞くわ。どうして、断ったの?」
…………。
ここは、はっきりと言おう。
「……他に、組みたい人がいたんです」
「一ついいかしら?」
「はい」
「そのあなたが組みたいっていう生徒も、セシリー嬢に頼んで彼女の攻略班に入れてもらえばよかったんじゃないの?」
「いえ……それは難しかったと思います」
一応、そのことを考えないではなかった。
ただ、今キュリエさんとセシリーさんが仲良く攻略班を組むというのは……やっぱり、難しい気がする。
あの放課後のやり取りを思い出すと、どうしても。
「そう……で、その生徒は、セシリー嬢よりも魅力的なの?」
「魅力的……ですか? えーっと、その、どう答えたらいいものか……」
「……その生徒、名前を聞いても?」
「キュリエ・ヴェルステイン、という生徒です」
マキナさんの眉が、ぴくっと動いた。
「……女子?」
「え? そうですけど……」
「ふーん……その子、美人?」
「?」
美人かどうかって、重要なのか?
と、学園長が素っ気ない調子で身体を起こし、背もたれに体重を預けた。
「ま、いいけど……で、そのキュリエ・ヴェルステインとやら、かなりの腕と見ていいのかしら? なんたって、あなたにセシリー嬢からの誘いを断らせるくらいなのでしょう?」
「多分、強いんだと思います」
「随分、曖昧な表現ね」
キュリエさんがどれほどの実力者なのかは、正確にはわからない。
セシリーさんより強いのかどうかも。
でも――
「でも、とても頼りになる人です」
「……そう」
ちなみに、キュリエさんの『第6院出身者発言』は、学園長には伝わっていないようだ。
もしくは、誰も本気でキュリエ・ヴェルステインが第6院の出身者だとは思っていないのかもしれない。
ま、これといった証拠もないしな。
でも俺は……本物なんじゃないかと思っている。
なんとなく、だけど。
マキナさんが、じっとテーブルの上を見つめながら言った。
「聖遺跡攻略班の件も含めてあなたの身の安全については手を打つ予定だったけど……どうやら攻略班の方は、私が動く必要はないみたいね」
学園長は、何か手を打ってくれるつもりだったらしい。
何事にも手落ちがない……学園長には、そんな安心感がある。
何より、そんな風に気を回してくれることが、嬉しかった。
そうする理由が、『俺』ではなく『禁呪使い』の方にあったとしても。
と、そこでマキナさんが何かに気づいた。
「ああ、ごめんなさい……少し話に集中しすぎたわね。さ、どうぞ。食べてちょうだい」
そういえばフォークを握ったきり、料理に手をつけていなかった。
「で、では、いただきます」
俺は勧められるままに、料理を口に運ぶ。
……美味しい。
マキナさんも少量ながら、料理に手をつけはじめる。
その食べる姿には、やっぱり上品さがあった。
そして料理が八割ほど片づいたところで(ほとんど俺が腹に収めたのだが)、布ナプキンで口を拭き終えたマキナさんが、つと切り出した。
「で、改めて初日を終えた感想、どうだったかしら?」
はは、と俺は苦く笑う。
「学園のことを把握するのと、慣れようとするので精一杯……といった感じでした」
「そう」
「…………」
「…………」
なんとなく、沈黙した。
何か、何か話題を……!
あ、そうだ。
「あの、マキナさん。ところで、なんですが」
「あら、何かしら?」
「男子宿舎って、空きはなかったんですか?」
「どうにかできなくもなかったけど……男子宿舎だと、私がこうして夜に足を運べないでしょう? それに……『学園長が自ら見出した禁呪使いを訪ねる』のなら、周囲も私がここに通うことに対してさほど違和感を抱かないだろうし」
「はぁ」
「それからもう一度言うけど、あなたの安全については対策をしてあるから安心して。……ミア」
控えていたミアさんが、名前を呼ばれて返事をする。
「はい」
「料理はもう下げていいわ。後片づけをお願い。それが終わったら、今日はもう休んでいいわよ」
俺は腰を上げた。
「あ、なんなら俺、手伝いますよ」
「まだあなたとは話が終わっていないわ。片づけは、ミアに任せなさい」
マキナさんに言われて、俺は席に着き直した。
「はい……」
と、ミアさんがにこりと俺に笑いかけ、軽く会釈した。
その表情は『どうぞ、後はわたくしにお任せくださいませ』という顔だった。
そうね、と言ってマキナさんが二階への階段を見た。
「残りは、二階で話しましょうか」
「二階で?」
「二人だけで内密に話があるから。それじゃあミア、後はお願いね」
ミアさんが、お辞儀する。
「はい、かしこまりました」
「ではクロヒコ、行くわよ」
俺たちは立ち上がり、二階へ行くことになった。
と、その前に――
「ミアさんっ」
「え? な、なんでしょうか、クロヒコ様っ」
「お風呂、ありがとうございました。すごくいいお湯でした。それと……今日の夕食を作ってくれたのもミアさんですよね?」
「は、はいっ……」
「とっても美味しかったです。ごちそうさまでした」
「そんな……もったいないお言葉……こ、光栄でございます!」
ばっ、とミアさんが深く頭を下げた。
「……さ、行くわよ」
「はい」
そして俺は、マキナさんと二階の自室へ向かった。




