第35話「戦闘」
ゴブリンは、小斧を手にしていた。
ぎょろり、と赤い目が俺を捉える。
……来るのか?
柄を両手で握り込む。
「……っと、そうだった」
まずは禁呪がこの聖遺跡内でも使用可能なのかどうかを、試すんだった。
ええっと、
ゴブリンを対象に指定。
「我、禁呪ヲ発ス、我ハ鎖ノ王ナリ、最果テノ獄ヨリイデシ万ノ鎖ヨ、我ガ命ニヨリ我ガ敵ヲ拘束セヨ――第九禁呪、解放っ!」
禁呪が発動。
ゴブリンの周囲に、赤い断裂が出現。
「ギ? ギギ?」
突如自分を取り囲むように出現した穴に、慌てふためいた様子のゴブリン。
その穴から飛び出した複数の鎖が、ゴブリンをすぐに拘束する。
よし。
聖遺跡内でも、禁呪は使用可能のようだ。
で、こっちは――
「我、鎖ニ繋ガレシ獄ノ咎人ヲ貫ク、黒キ魔槍ニヨル罪殺ヲ欲ス、第九禁呪――第二界、解放っ!」
さらに穴が四つ現れ、何本もの黒い槍がゴブリンを貫く。
噴き出す、青い血。
「ギ、ギェアアアア……! ガッ……!」
ゴブリンの息の根が止まる。
そして、ゴブリンの死体が溶けていく。
……目は赤いのに、血は青いんだな。
気が昂ぶると、目は色が変わるってことなんだろうか。
その時だった。
「ギギャァ!」
一匹のゴブリンが、小斧を振りかざして飛びかかってきた。
「え? うわっ!」
最初に出てきたやつ後ろに、もう一匹いたのか!
いつの間に穴から這い出てきたんだ……!?
気づかなかった!
そ、そうだ、禁呪――
「我、禁呪ヲ発ス、我ハ鎖ノ――」
すでにゴブリンは、眼前まで迫っている。
だ、駄目だ、間に合わ――
「――く、そぉっ!」
俺は手にしていた剣を、しゃにむに、力いっぱい前方へ突きだした。
ざくっ、という手ごたえ。
突きだした剣は、ゴブリンの腹を貫いていた。
が、それでもゴブリンは口から血を吐きつつ、小斧を振りかぶる。
「くっ……」
ぐりっ。
刃が、肉を抉る感触。
「こ、のぉぉおおおおおおおお――!」
俺は突き刺さった剣を、そのまま逆袈裟気味に、思いっきり力を振り絞って、振り上げた。
「グガァァアアアア!」
ゴブリンの腹から左肩にかけてが、ぱっくりと割れる。
噴出した血が、俺にパタパタと降りかかる。
「ガ……ガガ……ギギギ……ギ……」
ゴブリンのうめき声は小さくなり、そして……沈黙した。
直後、ゴブリンの身体が溶けはじめる。
俺の頬についた血もしゅわしゅわと煙を上げて消えていく。
ややくすぐったい感触はあるものの、血に強い酸のような危険性はないようだ。
「……ふぅ」
一つ、息をつく。
びっくりした……。
「…………」
にしても――
剣を握りしめる手に、視線を落とす。
魔物とはいえ、それなりの大きさの生き物を殺すってもっと色々な感情が湧き上がってくるものだと思ってたけど、意外と何も感じないもんだな……。
って、それを言ったら、サイクロプスの時だってそうか。
…………。
いや。
むしろ俺――
どくんっ。
さっきの刃で肉を切り裂く感触――あれを、俺は。
俺ハ――
禁呪ナンカヨリモ、ヨッポド――
どくんっ。
心地イイト、感ジテ――
ドコロカ、
モット、殺シタイト――
「……えっ?」
もっと……殺したい?
あれ?
俺、何考えてんだ?
そりゃあ、これから聖遺跡を攻略するなら、たくさんの魔物を仕留められるに越したことはないけど……。
「…………」
そ、そうだな、禁呪が聖遺跡内で使えることもわかったし、今日はそろそろ戻るとするか!
俺は地上に戻るため、来た道を引き返すことにした。
……のだが。
見つけてしまった。
下の階層へ降りる、階段を。
経緯は、こんな感じだった。
来た道を戻っていたつもりが、どうも途中で迷ってしまったらしく、仕方がないので俺は上へと通じる階段を求めて第一階層内をうろうろしていた。
パーティー同士を聖遺跡が分断しているという噂が本当なのかどうかはわからないが、その間、誰とも出会わなかった。
しばらく歩き回ってはみたものの、一向に上へ戻る階段が見つかる気配はない。
疲れや焦りで、思考力が弱っていたのだろうか。
たまに視界に入るドアの向こうに上へと通じる階段があるのでは……そう考えた俺は、ついにドアを開けてみることにした。
そして最初に開いたドアの先にあったのが、下へと続く階段だったのである。
…………。
腹も減っている。
装備のことも考えれば、今の状態でさらに下へ潜るのは得策とはいえないだろう。
だが――
あと一階層くらいなら、さして変わらないのではないか?
いやいや……どうしたんだ、俺。
入る前に『遺跡に喰われる』危険性について、聞いたばかりじゃないか。
…………。
けど、どうだ?
俺には禁呪がある。
さっきも剣でゴブリンを仕留めた。
だったら、あと一階層くらい――。
こうして俺は、
黒々と口を開ける階段の先の闇へ向けて、一歩、足を踏み出し――
「おい」
「……え?」
不意に後ろから声をかけられ、咄嗟に振り向く。
「あ」
で、俺に声をかけた相手も同じく、
「あっ……」
と言って、口元を手でおさえた。
しまった、とでもいうように。
俺は後ろに立っていた人物を目にし、驚きを隠せなかった。
「きゅ……キュリエ、さん?」
そう。
俺に声をかけた人物は、キュリエ・ヴェルステインだった。