第31話「キュリエとセシリー」
「だ、第6院だと……? お、おまえ、馬鹿か……!?」
キュリエさんを見上げる麻呂の顔に、僅かな恐怖が走った。
「馬鹿? 何がだ?」
泰然としたまま、キュリエさんが答える。
「い、いや……それ以前にそんな話、誰が信じると思う? おまえが、第6院の出身者だと?」
「フン……そうだな、無理に信じる必要はない。ただ――第6院の出身者を名乗るようなやつと、おまえは攻略班を組みたいと思うか?」
「……くっ」
「第6院について多少なりとも知っているのなら、そこの出身者だと口にするようなやつと、関わり合いにはなりたくないだろ?」
他の生徒の反応を確認したかったのだろう、麻呂が、静まり返った教室の中を眺めやった。
生徒たちは、誰も口を開こうとはせず、じっと押し黙ったままである。
ただ……明らかに皆、居心地悪そうな顔をしていた。
早く終わってくれ。
彼らの顔は、そう告げているようでもあった。
「……くそが」
麻呂が舌打ちをし、立ち上がった。
そして、動揺しつつも身構えている取り巻きたちに、
「おい、行くぞ。こんなシケた空気の教室に、いつまでもいられるかよ」
と言った。
教室から出ていく時、麻呂が振り向き、キュリエさんを睨みつけた。
「これでおまえ、もうこの組じゃ孤立決定だ。いや、学園中から無視されるかもな。もう攻略班への誘いなんか来ると思わない方がいいぜ。ああ、それから覚えとけ……そのうち、この借りは返す」
そう言い残し、麻呂は取り巻きたちと教室から出て行った。
扉が閉まる。
こうして、教室を支配していた緊張がようやく解けた……かに思われたのだが。
「彼――フィブルクの態度に問題があったのは、事実です」
そう口にしながら段差を下りていく、一人の女子生徒。
「彼の誘いを断るためにあえてあのような発言をしたというのも……まあ、理解できないわけではありません」
セシリーさんだった。
ちなみに俺も下りていこうとしてたんだけど……その途中で、セシリーさんが話しはじめた。
「…………」
今のセシリーさんからは、なんだか、横から口を挟みづらい空気が発されていた。
ジークさんが困った顔で額をおさえているところを見ると、おそらく彼も、今のセシリーさんを止めることは難しいと感じているのだろう。
段差を下り切ると、セシリーさんが、キュリエさんの前に立った。
「ですが――第6院の出身者だと名乗るのは、あまり感心しませんね」
キュリエさんとセシリーさんが向かい合う。
セシリーさんの方が少し背が低いので、彼女がキュリエさんを見上げる形になっている。
「おまえは……」
「セシリーです。セシリー・アークライト」
キュリエさんを見るセシリーさんの瞳には、相手を射抜くような鋭さが宿っていた。
……昨夜、あの大男が第6院の出身者だと名乗った時と、とてもよく似た雰囲気だった。
「もし何か気に障ったのなら、悪かったな……私は、もう帰るよ」
身を翻しかけたキュリエさんの前に、セシリーさんが素早く立ち塞がった。
「あなたには一つだけ、忠告しておきたいことがあります」
若干面倒そうな顔をして、キュリエさんが息を漏らす。
「……セシリーお嬢様には、私の何がお気に召さなかったのかな」
セシリーさんが、相手を貫かんばかりの視線を、キュリエさんに向けた。
「安易に第6院の名は、出すべきではないと思います」
「……そうかもな」
「先日も第6院の名を脅し目的で使った男を目にしました。確かに第6院の名は、相手を脅かすのにはよい材料なのかもしれません」
「誰かは知らんが、そいつも馬鹿な男だな」
「ええ、同感です。わざわざ第6院の名を持ち出すなど、賢いとは思えません」
「ああ、全面的に同意するよ」
「……あの場を切り抜けるための方便ならば、他にもあったのではないのですか?」
ようやく得心いったというように、キュリエさんが鼻を鳴らした。
「フン……なるほどな、そういうことか。第6院の出身者だという私の言葉を、おまえはあの場を切り抜けるための方便だと思ったわけか」
「……違うのですか?」
「まあ、そう思ってもらってもけっこうだよ。別に信じてもらう必要もない。しかし――」
キュリエさんの口の端が、微細に吊り上がった。
そんな彼女の目にはどこか、相手を皮肉るような感じがあった。
「どうも名門アークライト家のご令嬢とやらは、いささか物事に対する考えが甘いお方らしい」
「……わたしの考えが甘い、ですか。よろしければそう思った理由について、詳しくお聞かせ願っても?」
キュリエさんが、少し予想外だったという顔をする。
「ほぅ……おまえ意外と、血気盛んな性格なんだな」
「少なくとも、あなたよりは冷静なつもりですよ。それで、返事の方は?」
「……聞きたいのか?」
「ええ、是非とも」
二人の間に、ぴんと張りつめた糸のような緊張感が漂う。
ふぅ、とキュリエさんが息を落とした。
「おまえ、さっき私がフィブルクとかいう男に絡まれている時に、割って入ろうとしただろう」
「……それが何か、いけないことなのでしょうか?」
「悪いとは言わないさ。まあ、多分おまえは根っこの部分が優しいんだろう。そして優しいことは、決して罪じゃない」
「…………」
「だが、どこかで慢心していないか?」
「慢心?」
「ああ。そうだな……例えば、その何事も自分が介入すれば解決できるはずだという考えは、捨てた方がいいかもしれないぞ」
セシリーさんの表情が、そこで僅かに強張った。
「そんな考えは……ありませんが」
「……それと模擬試合の件にしても、あまり褒められたものではない」
「模擬試合?」
「おまえは本来、双剣使いらしいな? だというのに、平等主義なのかどうかは知らんが、よくわからん理屈で一本で戦うことを選んだだろう? あれも危うい」
セシリーさんが、視線を逸らした。
「あれは……」
「ある意味、フィブルクとかいう男とは逆なんだろう。おまえの場合、なまじ相手の力量を推し量れてしまうことが、厄介なのかもしれないな。自分の力量と比較した上で、相手が自分より力量が劣っていると判断したら、多分、どこかで甘い面が出てしまうんだ」
「わたしは決して、甘い面など――」
「ただ……それだと、いつか足元をすくわれかねないぞ」
「……それは」
セシリーさんが俯き気味になって、ぎゅっ、と自分の細い身体をかき抱いた。
「フン……」
キュリエさんは今度こそ踵を返し、教室の扉に手をかけた。
「まあ、今私が言ったことなんて気にすることはないさ。所詮は組の爪はじき者の戯言だ。だが……一つだけはっきりと言えることがある」
セシリーさんが顔を上げる。
キュリエさんが言った。
「仮におまえみたいな女が終末郷に足を踏み入れたら、一日ともたないだろう」
「――っ!」
そこでセシリーさんが、あからさまな反応を見せた。
「私からも一つ忠告しておくよ。終末郷にも第6院にも、せいぜい関わらないことだ」
そう言ってキュリエさんは教室から出て行こうとしたのだが、
「待ちなさい」
と、セシリーさんが呼び止めた。
「もしあなたが本当に第6院の出身者だというのなら……いい機会です。わたしと、戦いませんか?」
「……悪いが、おまえにかまっている暇はない」
「どうですかね? わたしが『推し量った』限り、あなた相手なら――すぐにでも終わらせることができそうですが?」
「ほぅ……すぐに、か」
「ええ、すぐにです」
「フン、そうだな……いつか第6院の連中相手につっかかって酷い目に遭う前に、ここで身の程を教えやるのも――」
「ストーップ!」
突如、男の声が混じり込む……ていうか、俺の声だった。
「そ、そこまで! そこまでで、ストップにしましょう!」
俺は二人の間に入って、両の掌をそれぞれに向けていた。
「クロ、ヒコ?」
セシリーさんが、目を丸くする。
俺は脂汗を滲ませながら、にかっと、ぎこちない笑みをセシリーさんに向けた。
「ここまでにしましょう、セシリーさん。きっと今のはほら、売り言葉に買い言葉ってやつで、二人ともついヒートアップしちゃったんですって! けど、よくよく考えたら、二人が喧嘩する理由なんか、ないじゃないですか! ね?」
それから少し、間があった。
と、セシリーさんが、目を閉じて何か考え込んだ後、ゆっくりと目を開いた。
彼女の口元には、いつもの微笑が戻ってきていた。
「……そうですね、クロヒコの言う通りです。すみません、終末郷や第6院の名が出たせいで、わたしも少々我を失っていたかもしれません」
「セシリーさん……」
よ、よかった……。
「フン……私は、もう失礼するぞ」
と、キュリエさんがドアを開け、そそくさと出て行ってしまった。
「あ、キュリエさ――」
「あの、クロヒコ」
「え?」
キュリエさんを追おうとした俺を、セシリーさんが呼び止めた。
「少し、いいですか?」
「すみません、セシリーさん、俺――」
キュリエさんを、追いかけて――
「聖遺跡の攻略班……わたしと、組んでいただけないでしょうか?」
しばらく、何を言われたのかわからなかった。
「……へ?」