第28話「サイクロプス」
学園の食堂は本棟一階の東側にある。
食堂の中は二階まで吹き抜けになっていて、非常に開放感のある空間だ。
印象としてはクラシックなお洒落カフェの規模をそのまま大きくしたような感じだろうか。
縦長の窓からは、白色の光が差し込んでいる。
パンを齧る。
もぐもぐ。
食事の形式は、いわゆるビュッフェスタイルというやつだった。
料理が出ている時間は一時間。
木製のトレイに皿やらカップやらを載せ、好きなものを取っていく形である。
この形式だと自分で量を調節できるのがありがたい。
また、大皿の中身がなくなったら食堂の人によって補充がなされる。
二階席を見る。
食堂の隅の階段を上がっていくと、そこには小聖位――簡単に言えば学内の成績ランキング――が100位以内の者だけが使える二階席と、彼らのために用意された特別な食堂がある。
さらに二階席の別室には、10位以内の者だけが使用できる食堂もあるらしい。
このあたりの説明は、朝の時点で受けていた。
芋のスープを飲む。
うん……うまい。
一階の食堂でも十分だな。
そもそも、食事ができるだけでありがたい。
俺は一人席に座り、淡々と食べ物を口に運んでいた。
模擬試合が終わり解散となった後、キュリエさんに声をかけようと――あわよくば一緒に昼食をとらないかと誘おうと――思ったのだが、気づくと彼女の姿はなかった。
ざっと食堂を見渡しても、キュリエさんの姿は確認できない。
どこにいったんだろう?
で、一階席なのだが……。
ある一角が、大変騒がしい。
人でごった返している食堂の中でも、ひと際人が集まっている場所があった。
どこかというと、それはセシリーさんが食事をしている席、および周囲である。
二階席からわざわざ降りてくる生徒もいて、やはり彼女はどこにいっても注目の的らしい。
多分、あの人だかりの中には上級生もかなりの数が混じっている。
人の壁に阻まれて、セシリーさんの姿は確認できない。
一方、俺は一人黙々と料理を食べる。
もぐもぐ……。
…………。
うーむ。
ボッチですなぁ。
ま、慣れてるけどさ。
と、一人の生徒が、
「ここ、いい?」
対面の椅子の背に手をかけ、俺に尋ねた。
「え? あ、どうぞ」
アイラさんだった。
「ありがと」
礼を口にして、アイラさんが椅子に腰かける。
彼女はトレイを手にしていなかった。
「アイラさん、昼食はとらないんですか?」
「え?」
「その、トレイがないので」
「ああ……昼食はあっちの席でとってたから」
苦笑するアイラさんが指で示した先を見ると、こっちの横長のテーブルとは違う円テーブルがあった。
そこには、育ちのよさそうな男女が五人腰かけていて、ぽっかりと一つだけ席が空いている。
「あのテーブルについてるのは他の組の同学年の生徒と、それから上級生。家の関係でつき合いがあってね。それで、お昼も一緒にってわけ」
「なるほど」
アイラさんの家ってすごいらしいから、学年に関係なく、貴族出身の他の生徒とのパイプも太いのだろう。
ただ、彼女が口にした『つき合い』という部分に、ややネガティブな響きを感じたのは気になったが。
けど、どうして俺のところに来たんだろう?
アイラさんは再び、苦笑を浮かべた。
それも、少し照れくさそうに。
「ええっと……あのさ、さっきはなんていうか……ごめんね?」
「さっき?」
「ほら、戦闘授業でアンタに『あんなの剣術じゃない』とか言っちゃって」
「ああ、あれですか……いえ、アイラさんの言うとおり俺、剣術なんてさっぱりですから。ああ言われてもしょうがないですよ」
「えっと……あれ実はね? そういう意味じゃなかったのよ」
ははは、と微笑の中にばつの悪さ滲ませながら、眉を八の字にするアイラさん。
それから表情をやや沈鬱なものにすると、腕をテーブルに載せ、じっとテーブルクロスに視線を落とした。
「あの時アタシね、なぜだかアンタのこと、怖いと思っちゃって……でね、そんな自分が許せなくて、つい、あんなこと言っちゃったんだ」
「『怖い』って……俺がですか?」
「うん、そう。これでもアタシさ、努力して、けっこう強くなったつもりだったんだ……。でも、アンタのあの一撃を見た時……ほとんどの生徒が笑ってたけど、アタシは、なんか怖くなっちゃって……それで、そんな怯えている自分を認めたくなくて、あんなこと言っちゃったんだと思う」
俺なんかよりもよっぽど強いはずのアイラさんがそんなことを口にするのが、なんだか不思議だった。
アイラさんが拳を、ぎゅぅっ、と握り込む。
「強くなったはずだったのに……心の部分は、全然強くなってなかったんだって……そう思ったら、すごく悔しくなっちゃって」
そういや、あのイケメン教官が家からのプレッシャーがすごいせいで気負いがあるとか言ってたっけ。
俺なんかと違って、色々背負ってるものがあるんだろうな……。
と、アイラさんが椅子を引き、立ち上がった。
その顔には、すでに先ほどの苦笑いが戻ってきている。
「だからまあ、アンタが悪いわけじゃなかったの。それを一言、謝りたかっただけ。ごめんね、食事の途中だったのに」
「いえ、気にしないでください。それに、謝るだなんて……。それこそ、気にすることなんかないですよ。ていうか俺、気にはなってましたけど、気分悪くなったりはしてないですから」
「ふふ……ま、そう言ってもらえると、少し気が楽だけどね……じゃあアタシ、そろそろ戻るから」
去り際、アイラさんが、
「アンタ、けっこうイイやつなのね」
と言ってくれた。
「…………」
でも、それはどうだろう。
少なくとも、人が真剣に戦ってる時に胸に目がいってしまうようなやつのことを、俺は『イイやつ』だとは思えないけど……。
むしろ、俺なんかを気にして謝りに来てくれたアイラさんの方こそ『イイやつ』だと思う。
そして、俺はまた一人黙々と食事を開始し、残った料理を一気に平らげた。
さて――次は術式の授業か。
…………。
うっし。
腹も膨れたことだし……次の授業、気合い入れていくか!
*
「い……一文字も光らん……」
机の上に載っている一枚の紙。
その紙は、生徒が持つ聖素を測るためのものである。
昼休みが終わった後、俺たちは獅子組の教室から魔術教室へ移動した。
魔術教室は、中学校などの理科室のファンタジー世界版みたいなイメージの、そこそこ広い部屋だった。
そこで最初に、魔術式についての授業を一時間ほど受けた。
とりあえず今日の授業で、魔術式のことは大体頭に叩き込めたと思う(ちなみに魔術式は多くの場合『術式』と略されるらしい)。
が、問題はその後の聖素の測定だった。
今、俺がうんうん唸りながら相対しているA4サイズくらいの紙に記されているのが、魔術式こと――術式だ。
禁呪の時と違って、こちらの文字は読めない。
エディア文字というらしい。
いわゆる、ルーン文字みたいなものだろう。
術式は基本として、このエディア文字で書かれた術式に聖素を送り込むことで発動する(ちゃんと最後に発動式が必要となるあたりは、禁呪と似ている)。
また、指先に聖素を集め、宙に術式を描いて発動させる方法もあるらしい。
例えば、マキナさんの場合は、自分の舌に刻まれている術式に彼女が聖素を送り込むことで、魔術が発動する仕組みとなっていたわけだ。
紙には二十列の連なった文字が並んでいる。
この測定は簡単に言えば、聖素を送り込むことによって、この二十列並んでいる文字を何列まで光らせられるか、というものだ。
それによって、その人物の持つ現在の聖素のレベルみたいなものがわかるらしい。
新入生は入学試験で一応最低限の聖素を扱えるかどうかのテストを通過してきているとのことだが、今回の測定は、さらに詳細な測定とのことである。
「…………」
が、俺はいまだに、一文字も光らせることができていない。
周囲を見ると、みんな最低でも二列くらいは発光させている。
教室中に、次々と青白い光が現れる。
セシリーさんに至っては、二十列すべてを発光させて、ぷしゅんっ、と紙が燃え尽きてしまっていた。
アイラさんとキュリエさんも、セシリーさんと同じく、紙が燃え尽きている。
麻呂、ジークさん、ヒルギスさんも、燃え尽きるとまではいっていないようだが、周囲からは感嘆の声が上がっている。
一方……俺の目の前の紙に記された文字は、うんともすんともいわない。
いや、別に紙がしゃべるわけではないんだけど……。
…………。
確か術式授業担当の老教官は、周囲の聖素を感じ取り、一体化し、目的の場所に集め、一気に送り込むイメージだと言っていたが……。
一体化……一体化……聖素を感じて……一体化――
ふん!
「…………」
だ、駄目か……。
やっぱり一文字も光らない。
というか、そもそも聖素を感じ取れてる気がしない。
…………。
ふと、セシリーさんが模擬試合の時、俺をかばってくれた時のことを思い出す。
『そもそもこの学園に入学する際に重要とされる素養は、聖素を扱えるかどうかです』
…………。
うわー、これ、何気にやばくないか?
しかもせっかくセシリーさんがかばってくれたのに、むしろ聖素がまったく扱えないなんて知れたら――
「あれぇ? あれあれぇ? あれあれあれぇ!?」
……どうやら、一番見つかりたくないやつに見つかってしまったようである。
気づくと、麻呂が俺の測定用の紙を後ろから覗き込んでいた。
その声を聞いて、教室中の視線がこちらに集まる。
「何? え? これ、どういうこと? まさかおまえ、一文字も光らせられないの!? え? え? なんで? どうして? 聖樹士候補生として入学するには最低限『聖素を扱えるか』だよな? そうだよな、セシリーサマ!?」
わざとらしい調子で、麻呂が聞く。
すぐにこちらの状況を理解したらしいセシリーさんだったが、しかし、その問いに対して答えを返すことはできないようだった。
セシリーさんも、まさか俺がまったく聖素を扱えないとは、思ってなかったのだろう。
……ま、そりゃそうか。
この学園に入るには最低限、聖素が扱えないと駄目っぽいし。
普通、まったく扱えないとは思わないよな……。
あぁ、どうしよう……。
まさか俺、このまま退学になっちゃったりするのかな……?
「ねぇなんで? なんでおまえみたいなやつがこの学園にいるわけ!? ほんっとうに意味がわからないんだが!? ねぇ、なんでなの!? どっかにツテでもあったの? ま、そうは見えねぇけどな! 貧乏くせぇ顔してやがるしよ! いやー、意味不明だわ、ほんっと! ねぇねぇ!? どうしておまえ、ここにいるの!? ねぇ、どうして!?」
麻呂の口撃は、さらに激しさを増していく。
くそー、ここまで言うかぁ……。
いっそこいつを一発ぶん殴って、それで退学になってやろうか――。
俺が、そう思った時だった。
教室のドアが、ばんっ、と開いた。
「その理由は、私から説明させてもらうわ」
そこには、厳めしい顔をしたおじさんたちを引き連れた、聖ルノウスレッド学園の学園長――マキナさんの姿があった。
*
「で……俺は何をすればいいんですか?」
俺たちは今、魔術教室の外にいる。
魔術教室は本棟の西端にあって、窓側の引き戸の向こう、その先の屋外には、巨大なバスケットコートのような敷地がある。
でこぼこのない綺麗な地面で、コンクリート? のようにも見えるけど、おそらくは石の地面を平らにならしたものなのだろう。
その地面の上では、ローブを着た魔術教官たちが、手元の書物とにらめっこしつつ、黒いチョークのようなもので、必死に術式を地面に書き込んでいる。
なんだろう?
魔法陣みたいだけど……。
ちらりと見やると、魔術教室の引き戸の前には、獅子組の生徒と、何やら偉そうな態度のおじさま方が並んで立っている。
そして、そこからやや離れたところに、俺は今、マキナさんと並んで立っていた。
地面に術式を書き込んでいく魔術教官たちを眺めながら、マキナさんが言った。
「これから聖遺跡の魔物を、ここに召喚するわ」
「え?」
「その魔物に――禁呪を使いなさい」
「えぇ!?」
思わず声を上げた俺に、生徒とおじさま方の視線が集まる。
俺は声をひそめて、聞いた。
「どういうことなんです? そもそも、禁呪が使えることをなるべく隠すよう俺に言ったのは、マキナさんじゃないですか」
聖遺跡や魔物のことも聞きたいとこだけど、今はこっちを聞くのが先だ。
「少々事情が変わったのよ」
「事情が変わった?」
「ええ……」
と、マキナさんがおじさま方を一瞥した。
俺も、おじさま方をチラ見する。
そして、マキナさんに聞く。
「ていうか、あのおじさま方、誰なんです?」
「端的に言えば、この学園の関係者……ま、この学園において、ある程度の権限を持った人たちよ」
教頭とか?
もしくは、理事会みたいなもん……?
うんざりした風に、マキナさんがため息をついた。
「彼らから試験を通過していない生徒を一人ねじ込んだ件――つまりあなたの件について色々と聞かれて……いい加減、ごまかすのがめんどくさくなったの」
「め、めんどくさくなったって……」
「ほんとにあの連中、頭が固くて嫌になるわ……まあ、そういうわけだから、もうあなたが禁呪使いであることを、公にしてしまおうと思ってね」
「え?」
「この際だから、はっきり言うわ。元々、私はある目的のためにあなたを自分の『切り札』として手中に収めておくつもりだった。けれど、もう色々とめんどさくなったから、私は逆に『自分の手元に禁呪使いがいる』という事実を広める方向で、あなたを利用することにしたの」
「は、はぁ……」
「どう? 利用するつもりだったと聞いて、怒った?」
「いえ、俺でよければいくらでもご利用くださってかまいませんが……でも、本当にいいんですか? 禁呪、みんなの前で使っちゃって」
「ええ、かまわないわ」
マキナさんは、ふん、と苛立たしげに鼻を鳴らした。
「ごまかすのは、もうめんどくさいから」
……めんどくさがり屋ここに極まれり、ですね。
「それに、たまたまヨゼフ教官たちがあなたのことを心配しているのを、目にしてね」
「ヨゼフ教官たちが?」
「聞いたわよ。今日のランク分けの模擬試合、特例組になったそうね?」
「恥ずかしながら……」
「まあそれはともかく、ヨゼフ教官と、それからなぜかいつも二人セットでいる男性教官たちがね、あなたについて『いいものを持ってはいるが、どうも組の中で浮いてしまっているから、これから他の生徒たちと上手くやっていけるか心配だ』みたいなことを言っていたのよ。それを聞いて思ったの。今後のことを考えたら、あなたにとっても、禁呪使いであることをアピールしておいた方が色々と得かもしれないって」
「ヨゼフ教官たちが……」
いつも二人でいる男性教官というのは、多分あのイケメン教官たちだろう。
うぅ……なんて温かい大人たちなんだ……。
「それから――」
マキナさんが麻呂を見る。
「自分の本来の力を隠し続けるのも、なかなかに不満が溜まるでしょう?」
「……聞いてたんですか」
「教室に入ろうとしたら、ちょうどね」
つと吹いた風で散りかけた髪を、マキナさんが手でおさえた。
「ああ、あと、禁呪のことを人には『珍しい呪文です』と説明しなさいっていう決まりも、もう気にしなくていいわ。聖素がまったく扱えないのであれば――まさかまったく扱えないとは思わなかったけど――普通に詠唱呪文の使い手だっていう言い訳も通らないしね。だったら、もうはっきりと特例の『禁呪使い』だと明かしてしまった方がいいわ」
「そうなんですか……」
どこか侮蔑の色を宿した目で、マキナさんが再びおじさま方を見た。
「ま、言葉で説明するより、実際に見せる方がてっとり早いでしょう……どうせ皆、その目で見なければ禁呪が使えるということを信じないだろうし。それに今回は、その力をアピールするのに絶好の相手も用意したわ。だから――見せつけてやりなさい」
「だ、大丈夫ですかね……?」
「もしあなたがしくじった時は、私が尻拭いをしてあげるから。そこは安心なさい」
俺は地面にカリカリと術式を書く教官たちを見る。
…………。
よし。
「……わかりました、やってみます」
*
「学園長、準備ができました」
どうやら召喚用の術式とやらが完成したようである。
「ご苦労さま。では、召喚といきましょうか」
そう言って、マキナさんが術式で描かれた魔法陣――術式陣と呼ぶべきか――に歩み寄る。
と、一人の魔術教官がマキナさんに聞いた。
「あの、学園長……本気ですか?」
「あら? 何がかしら?」
「いえ、十五階層からの召喚など……去年の卒業生の最高到達階層が十九階層ですよ? 十五階層の魔物といったら……」
「大丈夫よ、問題ないわ」
「で、ですが、もしものことがあったら――」
マキナさんの声の調子が、やや鋭いものへと変化した。
「もしものことがあれば――私の『ミストルティン』を使います」
魔術教官が驚いた顔をする。
「あ、あの術式を……ですか?」
「それでも、まだ心配かしら?」
「い、いえ……そうですね、わかりました……いざという時に、あなたがやってくださるのであれば、大丈夫でしょう」
「では――召喚術式を、発動させます」
マキナさんを中心として、魔術教官たちが一列に並んだ。
そして――
術式陣が、青白く発光する。
瞬間――大地が、轟きはじめた。
光が、ひときわ強くなる――!
「……どうやら、成功のようね」
魔術教官たちが、小走りで俺の傍を横切っていく。
クラスメイトたち、魔術教官たち、学園の関係者たちが、教室の前で固唾をのんで、こちらを見ている。
そして、術式陣の放つ光で逆行気味になった学園長が、俺の横を通り過ぎていく。
その時、おぉ、とどよめきが起きた。
術式陣から、巨大な白い身体に、これまた巨大な一本角、そして真っ赤に充血した一つ目を持った巨人――いわゆるサイクロプスってやつだろう――が、這い出るようにして、現れた。
「クロヒコ!」
俺はマキナさんの方を振り向く。
するとマキナさんが、まるで号令をかけるかのように、ばっ、と手を振った。
「やってしまいなさい――あなたの、禁呪で!」