第37話「出立」
馬車が王都の門を抜けた。
舗装された道がのびている。
このままずっと北上していくそうだ。
馬車にはルノウスフィア家の紋章の他に、聖王家と軍王家の《特貸紋》という紋章が掲げられている。
特貸紋とは、期間限定で使用を認められた王家の紋章のことだ。
使用には王家の許可が必要となる。
特貸紋が掲げられた馬車を襲った場合、襲った者たちは王家に弓を引いたのと同じ罪状に問われる。
つまり、王家を敵に回す。
『大陸に名を轟かせる神罰隊を擁する軍神王は苛烈なことで有名だからね。ルーヴェルアルガンで軍神王を敵に回そうとする者は、まずいないでしょうね」
出発前にマキナさんが説明してくれた。
『ちなみに聖王家の紋章を許可なく掲げて偽物だと判明すると大抵は死罪になるし、これがルーヴェルアルガンだと一族すべてに罪が《残る》のよね。家族や近しい者にも重い罪が及ぶわけ。だから許可なく王家の名を騙る行為は、あまりにも割に合わない行為なのよ』
重罪を課すことで悪用を防ぐ。
だから無許可で紋章を悪用する者は少ない。
無許可で使うとすれば、相当な覚悟が必要だろう。
本人が極刑に処されるだけでなく、孫の代を越えて一族すべてが将来に渡り罪を背負うとなると……たとえ悪人でも及び腰になる気がする。
治安が悪いと聞くルーヴェルアルガンでは、要人を招く際にはこの特貸紋が必須なのかもしれない。
まあ、俺たちが要人かどうかは置いておいて。
「都市の門や関所を抜ける時も、特貸紋の力は絶大だと聞き及んでおります」
ミアさんがそう説明してくれた。
フリーパス的な感覚なのだろうか?
「ただしルーヴェルアルガンの場合、たとえ招かれた客人であっても、特貸紋の使用許可が必ずしもおりるわけではないと聞いております」
今回は聖王家を始めとする各家が動いてくれたそうだ。
「マキナ様によると、今回はユグド様もギアス王子に掛け合ってくれたそうでございます」
くすっとミアさんが微笑む。
「今回のルーヴェルアルガン行きの話を聞いたギアス王子は、あの禁呪使い殿の来訪であればと、二つ返事で快諾してくださったとか」
キュリエさんが口を開いた。
「好かれる相手からはとことん好かれるタチだからな、クロヒコは」
俺は苦笑する。
「逆に、嫌われる相手にはとことん嫌われるタチですけどね」
フィブルクなんかには相当嫌われてたなぁ……。
ベシュガムには反吐が出るとか言われたし。
ユグド王子だって内心では嫌ってるかもしれない。
彼のギアス王子への口利きも、ディアレスさんの口添え効果なのではあるまいか。
とはいえ俺への悪意なら問題ない。
問題は、俺が嫌われることで周りの人間に悪影響がでるかどうかだ。
見過ごせない悪影響が出る時は適切に《処理》しなくてはならない。
馬車は森林に入った。
王都から大分離れただろうか。
最初は俺も移り変わる景色に目を輝かせていた。
しかし今走っているのは、鬱蒼とした森の中にある道である。
風光明媚とは言い難い。
俺は窓際を離れた。
すると、隣に座っていたミアさんがススッと擦り寄ってきた。
「軽く、お食事でもいたしますか?」
俺の耳もとで囁くミアさん。
吐息がかかるほどの距離。
彼女があえて近づいて声を潜めたのには、理由があった。
「すぅ……すぅ……」
今、対面の席ではキュリエさんが寝息を立てている。
近づいて声量を下げたのは、彼女を起こさないための配慮だった。
俺も声量を下げる。
「そうですね……もう少し、あとにしましょう」
「お腹の方は大丈夫でございますか? その……先ほど、クロヒコ様のお腹が鳴っているのを聞いてしまいまして……」
互いにヒソヒソと会話する。
「キュリエさんが起きたら、みんなで食べましょう」
「はい、かしこまりました」
膝の上の編みカゴを布で包み直すミアさん。
さっきの腹の虫の件もそうだけど、ほんとアレコレと気がつく人だ。
やはり侍女生活で培われた気配りなのだろうか?
森を抜けた頃、キュリエさんが目を覚ました。
なので、三人で車内で軽食を取った。
そうして近くの都市に到着するまで、俺たちは馬車の中でゆったりと過ごした。
*
日も暮れかけた頃、俺たちは地方都市へ入って宿を取った。
俺と御者さんは男同士、相部屋。
女子組も相部屋を取った。
御者さんはロストさんという初老の男性である。
俺は彼と顔見知りだった。
以前ルノウスフィア家の馬車に乗せてもらった時、何度か挨拶を交わしている。
ナイスミドルで、体格はガッシリ。
頬ひげが雄々しい印象。
雰囲気はとても落ち着いている。
口数は少ないものの、穏やかで話しやすい人だった。
ルノウスフィア家での御者歴は長いそうだ。
20代の頃から御者をしているとか。
ちなみに既婚とのことである。
娘が二人いるという。
その夜、宿屋の一階にある酒場でロストさんと軽く食事をした。
「え? ロストさんって、昔ルーヴェルアルガンで傭兵をやっていたんですか?」
「本当に若い頃の話ですけどね。私もまだ十代でした。身寄りのないところを、傭兵団に拾われまして。最初は雑用係だったのですが」
団長から戦才を買われて、自分の部隊を持つまでに出世したそうだ。
「ですがある日、傭兵団が壊滅しまして。あとで知ったところ、私たちの傭兵団の躍進を快く思わない貴族が仕組んだものだったそうです」
二十代前半でそれを知ったロストさんは、たった一人でその貴族の屋敷に乗り込んで復讐を果たしたそうだ。
「私の仕業だとバレはしませんでしたが、このままこの国にはいられないと思ってルノウスレッドへと逃れたのです。それから色々とありまして、最後はワグナス様に御者として拾ってもらったわけです」
ちなみに今名乗っているのは本当の名ではないらしい。
すごい人生だ。
思わず、聞き入ってしまった。
「ワグナス様によると、今回この役目に私が抜擢されたのはルーヴェルアルガンに土地勘があるのと、元傭兵なので、護衛も兼任できるからだと言われました。あとは、その……」
少し照れくさそうにするロストさん。
「長年仕えてくれた私なら、安心して任せられると……ありがたいことにそうワグナス様はおっしゃってくださいました」
いざという時にルノウスフィア家の人間を守れるよう今でも肉体と技は磨いているそうだ。
そのあとは、マキナさんの話になった。
ロストさんは彼女のお姉さんの話もしてくれた。
実を言うと、お姉さんの人となりやルノウスフィア姉妹の関係性は少し気になっていた。
身近な人から見るとどんな感じだったのか。
彼は快く話してくれた。
「なるほど……マキナさんって、昔からお姉さんのことを尊敬しているんですね」
憧れにも近いのではないでしょうか、とロストさんは言った。
マキナさんにとって姉は理想像なのだろう。
セシリーさんは、兄を越えるべき対象として見ていた。
だけどマキナさんは《ああなりたい》という目で見ているみたいだ。
両者は似ているようで違う気がする。
部屋に戻ると決めた時間まで、飲み物を口にしながら、俺は幼い頃のマキナさんの話を聞かせてもらっていた。
お姉さんが生きていた頃はもっと幼い感じだったみたいだ。
また、お姉さんは本当に優秀だったというか、もはや創作上の人物なのではないかと思えるほど人格者だったようだ。
お開きの時間が迫ってきた時、最後に俺はある一つの質問をぶつけてみた。
「ところで、マキナさんの年齢って――」
シィーッと指先を口に当てるロストさん。
その先は秘密です、という意味合いのジェスチャーだった。
うーむ。
ルノウスフィア関係の人間にはその件について箝口令でも敷かれているのだろうか?
ヒビガミとの決着の日までには、探ってみたい気もするが……。
いや、逆にずっと知らない方がいいのかもな。
年齢がいくつだろうと、マキナさんはマキナさんなわけだし。
ロストさんと部屋へ戻った俺は、サッと寝支度を済ませた。
灯りを消して布団にもぐり込む。
意識はすぐに落ちた。
*
翌朝、地方都市を出た俺たちは半日かけて国境近くの村に辿り着いた。
そうしてその村で少し休憩を挟んだあと、俺たちの乗った馬車は、ついに国境を越えてルーヴェルアルガンへと入った。




