第34話「出立の準備」
あっという間にルノウスレッドを発つ日はやってきた。
「ふぅ……」
荷物の再確認を終えてひと息つく。
「いよいよ今日、出発か」
不安もあるにはある。
だけど向こうにはシャナさんやローズさんもいる。
知った顔がいるなら心強い。
「クロヒコ様〜? 準備の方はいかがでございますか〜?」
下からミアさんの声。
「あ、今行きますっ」
荷物を持って一階へ降りると、薄手の外套を身に纏ったミアさんが待っていた。
「それでは、まいりましょうか」
ニコッと微笑むミアさん。
外套の下に着ているのはメイド服ではない。
ただ、メイド服も持ってはいくそうだ。
「ミアさん、けっこう荷物が多めなんですね」
彼女は大きな背負い袋を担いでいた。
「はい、何が入り用になるかわかりませんから。この荷袋に入るものは、できるだけ詰め込んでまいりましたっ」
背負い袋をちょいっと押し上げるミアさん。
一方、俺の荷物はかなり少ない。
武器と衣類。
あとはちょっとした日用品くらいだ。
「重くないですか?」
「大丈夫でございます。これでもわたくし、意外と体力があるのですよ? 亜人種ですし」
ふむ。
亜人種は確か身体能力が少し高いんだったか。
とはいえ、
「ミアさん」
「はい」
「俺の荷物と交換してください」
「え?」
きょとんとするミアさん。
彼女のことだ。
きっと断ってくる。
察した俺は、彼女の背負い袋をスルッと奪い取った。
「あっ――ク、クロヒコ様!?」
「ミアさんのことだから……自分のためよりも、俺やキュリエさんのために持っていくものの方が多いんでしょ?」
「え? あの、それは……」
図星のようだ。
反応でわかる。
「だったら俺にもこの荷物を持つ権利はありますよね?」
素早く肩ひもを調整して背負い袋を担ぐ。
鍛えているおかげか重くはない。
けど《重み》はわかる。
恐縮するミアさん。
「ありがとうございます……その、気まで遣っていただきまして」
「それこそ気にしないでください。馬車に積み込むまでなら大した距離でもありませんし。それに――」
緩い空気で俺は言った。
「俺がミアさんに、いいとこ見せたいんですよ」
ミアさんが眉を八の字にする。
困っている雰囲気。
だけどその口もとは綻んでいた。
「もう、クロヒコ様ったら……」
ミアさんが苦笑しつつ俺の荷物を手に取った。
彼女がペコッと頭を下げる。
「それでは馬車までの間、荷物をよろしくお願いいたしますね」
「ええ、任せてください」
愛らしく首を傾けてミアさんがにっこり笑う。
「それでは今度こそ、まいりましょうか?」
*
「おはよう、二人とも」
家を出ると、マキナさんがいた。
「マキナ様!?」
ミアさんが困惑した声を上げる。
「まさか、ここへいらっしゃるとは思わず――」
「いいのよ、ミア」
マキナさんが手で制す。
家の鍵を掛けて俺は駆け寄った。
「見送りに来てくれたんですか?」
「正門の方だと私以外の見送りも多いでしょうしね。落ち着いて話せないと思って。ここで挨拶を終えたら、私は仕事に戻るわ」
頭を下げるミアさん。
「不在の間、ご迷惑おかけいたします」
マキナさんが苦笑する。
「別にあなたのわがままでここを離れるわけじゃないでしょ? 向こうでのことだって私の侍女としての重要な務めなのだから、謝る必要なんてないわよ」
「は――はい! 精一杯、がんばってまいります!」
ミアさんは真面目だなぁ……。
優しいし。
謙虚だし。
気立てはいいし。
家事は完璧だし。
料理は上手だし。
淹れてくれるお茶も、美味しいし。
それにその……可愛いし。
何気にというか、やはりというか、隠れ男子ファンが学園内にそこそこいるという話もチラホラ耳にする。
うーむ。
意外と狙っている男は多いのかもしれない。
「クロヒコのこと、頼んだわよ」
「ルーヴェルアルガン滞在中も、全身全霊でクロヒコ様にご奉仕いたしますっ」
侍女の決意を受け止めたマキナさんが、柔らかに微笑む。
「よろしい」
*
正門へ行く前、俺たちは女子宿舎に立ち寄った。
宿舎前で待っていたキュリエさんと合流する。
「では、行くか」
俺たちは三人で正門を目指して歩き始める。
途中、俺は後ろを振り返った。
「ミアさん……?」
途中から彼女の速度が落ちていた。
今は並んで前を歩く俺たちの少し後ろをついてきている。
なんだか控えめな空気があった。
キュリエさんが速度を落としてミアさんの隣に移動する。
「どうした?」
恐縮するミアさん。
「お、お二人のお邪魔になってはいけないと思いまして」
「私たちにそんな気を遣う必要はないぞ。私たちは別におまえの主人でもないんだし」
「その……」
俺とキュリエさんをチラチラ見比べるミアさん。
「二人きりのお時間を邪魔してしまうのは、野暮かもと思いまして」
「なんだそれは……」
「も、申し訳ございません」
なぜか謝るミアさん。
「ミアっ」
キュリエさんがビシッと名前を呼んだ。
バッテン涙目で姿勢を正すミアさん。
「は、はい! どんな罰でも、お受けいたします!」
「前言撤回だ。ルーヴェルアルガンから帰ってくるまで私はおまえのご主人様だ。いいな?」
「はい、キュリエ様っ」
「よし」
仁王立ちで腕を組み、うむ、と頷くキュリエさん。
「では早速、命じる」
「な、なんなりとっ」
「ルノウスレッドへ戻るまでは、私たちに変に遠慮しすぎるのをやめろ」
「――え? あの……」
「今のはあるじとしての命令だ。あるじの命令が守れないなら、おまえはこの国に置いていく」
「わたくしは、その――」
キュリエさんが、ミアさんの頭にポフッと優しく手を置いた。
「ま、今のは少し冗談めかしたが……気を遣われすぎると私もやりづらいんだよ。その、だな……」
少し照れくさそうにキュリエさんが続ける。
「ご主人様である以前に、私はミアを一方的に友人の一人だと思っている。だから……友人がさっきみたいな感じだと、収まりが悪い」
「キュリエ様……」
ミアさんがキュリエさんを見上げる。
彼女はふんわりと微笑んでいた。
春の穏やかな日差しみたいな笑みだった。
「はい――《ご主人様》がそうおっしゃられるのでしたら、わたくしなりに努力いたします……っ」
うーむ。
さすがはキュリエさん。
俺が何か言うまでもなかったようだ。
確かにミアさんは遠慮をしすぎるきらいがある。
もちろん悪い事ではないのだが……。
ただ、もう少し自分を前へ出してもいいのかもとは思っていた。
今回のルーヴェルアルガン行きでそのきっかけが掴めたらいいな、とも思う。
*
「あれ?」
途中、俺は靴紐が切れているのに気づいた。
「クロヒコ様? あ、靴紐が……」
「予備の紐が家にあるので、一度家へ戻って替えてきます。すみません、二人は先に正門へ行っててもらえますか?」
「お一人で大丈夫ですか?」
親指を立てる。
「余裕ですっ」
「かしこまりました……では、キュリエ様と二人で先に行っております。あ、ゆっくりで大丈夫でございますからね?」
「はい、ありがとうございます」
俺は一度家に引き返した。
そして素早く靴紐を交換して家を出た。
と、正門へ向かう途中の道に設置してある長椅子に、ベオザさんが座っていた。
「やあ、クロヒコ」
ベオザさんが立ち上がる。
「待っていましたよ」
「見送りに来てくれたんですか?」
「そうです。キュリエ嬢とミア嬢には、先ほどご挨拶させていただきました」
実は暑期休み中、この人には術式の知識を教えてもらったりしていた。
彼は術式のエキスパート。
術式方面では聖樹騎士団の人たちも一目置いているほどだ。
一方でベオザさんは禁呪に関心を持っていた。
可能な範囲で俺は禁呪の情報を彼に提供した。
もしかすると、俺では気づかなかったことがわかるかもしれないと思ったのもある。
それにだ。
ジークが王都にいない今、彼は仲がよいと言える唯一の同性の候補生でもあった。
ちなみに獅子組の男子からは、
《なんであいつばっかり……! 許せん!》
という空気でなぜか敵視されている。
とはいえ、陰湿なイジメが起こるわけでもなく、露骨に無視されるみたいなこともないが。
しかし見えない壁が存在するのは事実……。
そんな中、ベオザさんは壁を感じさせない気さくな先輩となってくれていた。
ただ、
「相変わらずキュリエ嬢はお美しかったですねぇ! ミア嬢もまた負けず劣らず! あぁ、聖神ルノウスレッドよ! 彼女たちが生きていることに今日も感謝いたします!」
「…………」
美を崇め奉るこのスタンスは、ちょっぴり風変わりだが。
ちなみに彼には婚約者がいる。
かつて美の称賛と恋愛ごとは別モノだと力説された。
でも、あんまり他の女の子を称賛しすぎると婚約者の人が気にしたりしないんだろうか……?
「是非とも今度、彼女たちのあの美しい姿を絵画に――うぐっ?」
「ええい、鬱陶しいですわねっ」
ぐいっ。
瞳をビッグバンさせていたベオザさんを、一人の女子候補生が目障りとばかりに押しのけた。
「貴方の時間はもうお終いですわよ、ベオザ。ほら、さっさとお帰りなさいませっ」
「あれ? ドリス会長……?」
現れたのは学園の現生徒会長、ドリストス・キールシーニャだった。
彼女も、見送りにきてくれたらしい。
出立前の交流も少し描いていきたいと考えております。
また前話は久しぶりの更新でしたが、ご感想やご評価などありがとうございました。しばらく更新をお休みしていたにもかかわらず、まだお読みくださっている方がいると感じられて励みになりました。ありがとうございます。
次話の更新は4/3(火)の19:00を予定しております。




