第30話「それを彼女はなんと呼ぶか」【セシリー・アークライト】
クロヒコと分断されてすぐあとのことだった。
背後の壁にヒビの入る音がして、壁が弾け飛んだ。
セシリー・アークライトは咄嗟に振り向く。
キュリエ・ヴェルステインも剣を抜き、振り返りながら構えた。
壁の向こうから現れたのは、
「なんだ、あれは」
大型の魔物。
守護種オークよりも遥かに巨大。
サイクロプス級の大きさだった。
今まで遭遇した魔物とはどこか雰囲気が違う。
身体は人型。
髑髏に肉付けしたような禍々しい相をした頭部。
口だけ奇妙なほど大きい。
さらには、頭部が三つ。
腕も八本。
各腕に巨大な剣を握っていた。
肌は黄土色で赤黒い血管が走っている。
ひと際目を引くのは、身ごもっているかのような異様に膨らんだ腹だ。
「あの魔物……知っているか、セシリー?」
思わず見入っていたセシリーは慌てて答えた。
「い、いえっ……過去の文献にもあんな魔物の記録はなかったと思います。わたしの知っている範囲では、ですが」
その時、
「グ、ぼ……オェ、オゴぇェえエえエえエえエぇ――――ッ!」
魔物が前のめりになって、嘔吐した。
「そん、な!」
セシリーの構えが一瞬、緩む。
それほど衝撃的な光景だった。
三つの口から、大量の魔物が吐き出されたのだ。
まるで、生み出されるように。
吐き出されたのはオークだった。
粘液まみれのオークたちがのっそり立ち上がる。
オークたちは地面に散らばっていた武器を手に取ると、セシリーたちの方を向いた。
「まさかあの魔物が……聖遺跡に魔物を、供給しているとでも?」
各階層にああいった供給用の魔物がいるのだろうか。
わからない。
とにかく――今は敵を倒さなければ。
数分かからず二人で半分以上を斬り倒す。
互いを背にし、三つ頭から注意を逸らさずオークたちと対峙。
「はぁ、はぁ……っ」
ここでようやくセシリーは呼吸を整える。
「大丈夫か?」
「ふふ、これなら聖武祭の決勝の方がきつかったです」
キュリエの呼吸はまだ乱れていない。
さすがだ。
「キュリエ」
「なんだ?」
ふぅ、とセシリーは短く息を整える。
「私を守ろうとか、考えなくていいですから」
「……何?」
「お荷物には、なりたくないんです」
「…………」
「攻略中、戦闘の時はずっと私を守るように動いてましたよね?」
「馬鹿、的外れなことを言うな」
「え?」
「この聖遺跡に入ってからおまえを守ろうと思ったことなど、一度もない」
キュリエが、フン、と鼻を鳴らす。
「おまえを守るんじゃなく、私はずっとおまえに《背中を預けていた》だけだ」
「……キュリエ」
「おまえに死角を任せられると思っているから、私は気兼ねなく前へ出られる――来るぞ、セシリー」
オークの戦闘態勢が、整った。
剣を構え直すキュリエ。
セシリーも構え直す。
「クロヒコが戻るまでしばらく粘ってみよう。ひとまず1ゼムエク(1時間)……それまでに、ここの魔物を駆逐する。それでいいか?」
「――はい」
オークの半分が、ザッ、と出口を固める。
「なるほど、私たちを逃がさんつもりか。ひとまず退路を確保するぞ、セシリー!」
「は、はい!」
二人で死角を補い合いながら出口への到達を阻まんと襲い来るオークの群れを、斬り飛ばしていく。
「ぐ、ゴ……ぉ、ゴ、ごゲぇェえエえエえエえエぇ――――ッ!」
オークを斬り殺しながら進む中、再び三つ頭が嘔吐した。
さらにオークが数十匹増える。
現時点ですでに、百匹は越えているだろうか。
しかも三つ頭は嘔吐しながら、移動を開始した。
部屋の入口へ向かっている。
「チッ……どうあっても、私たちを逃がしたくないらしい」
セシリーは隙を見て三つ頭の足に攻撃術式を放った。
術式は直撃。
ももの肉を削ぐことができた。
だが、
「なっ!?」
術式で負った傷がみるみる修復されていく。
「再生能力まであるというんですか……」
しかも、高速修復。
もはや出口が目視できなくなるほど、そこにはオークがひしめき合っていた。
魔物が、三度目の嘔吐。
半回転斬りで三匹のオークを同時に始末しながら、キュリエが舌打ち。
「底なしの生成能力だとでもいうのか。とすると……生み出す本体をどうにかしないと、ジリ貧になりかねん――」
リヴェルゲイトが発光。
術式魔装。
神々しい白銀の鎧を身にまとったキュリエが、不快な雄叫びを上げ飛びかかって来るオークを斬り飛ばしながら、三つ頭の近くまで駆け抜ける。
急停止からの、跳躍。
襲いかかる八つ腕の剣をキュリエは見事に捌いていく。
そして真ん中の頭部めがけ、射程の長い光刃を振るった。
光の刃が、真ん中の頭部を斜めに斬り裂く。
「キぃィぎィぃエえァぁアあアあアあア――――ッ!」
鼓膜を引き裂くような悲鳴。
「フン、不快な鳴き声の魔物だな……さて、残りの二つもこのまま――」
再び跳躍しようとしたキュリエの動きが、止まる。
「――、……なん、だと」
真ん中の頭部が、もう再生を始めている。
唾を撒き散らしながらオークを斬り殺すセシリーの汗に、一筋の冷たい汗がまじった。
「再生が、速すぎる……」
そして、頭部が弱点でもない。
互いに再び位置取りをし、取り囲むオークの群れと対峙する状態になった。
「オぐゥえッ、グえェ……ぼグぇェえエえエえエえエ――――ッ!」
さらなる三つ頭の嘔吐でオークが増加。
まずい。
このままだと、数で押し切られる。
「キュリエ」
「ああ、わかっている」
二人の頭によぎっているのは、クロヒコのことで間違いない。
「この階層であいつを待つのは、厳しいかもしれん」
「無事、ですよね」
「こんなことであいつが死ぬわけがないさ。それよりも、あいつにとって辛いことは――」
コツッ、っとキュリエが肘でセシリーの腰をつついた。
「おまえがここであの魔物たちに殺されるなり、捕まるなりすることだ」
「あなたも、ですよ」
「……クロヒコなら心配ない。今のあいつは私よりも強い。だから私たちが無事でいることの方が、あいつにとっては望むことのはずなんだ」
「目指すは一つ上の階層に続く階段、ですかね」
「ああ」
聖遺跡の魔物は階層移動ができない。
この法則を利用して避難する。
あの未知の魔物が法則を破って上の階層まで追ってこなければ、だが。
帰還の転移装置を使うのは今のところ選択肢にない。
起動には聖素が必要だ。
そしてクロヒコは聖素が使えない。
一人取り残されたら、彼は地上へ出るまでに一人で五十階層分をのぼってこなくてはならない。
「あの再生能力を持つ三つ頭を殺せるかどうかは別としても、クロヒコがこいつらに行く手を阻まれるとは思えん」
逃げ切ることはできるはず、とキュリエは踏んでいるようだ。
キュリエは服の布地の一部を鮮やかに切り取ると、それを一瞬で細切れにした。
「私たちの服をこうやって少しずつちぎって、その切れ端をばら撒きながら階段を目指そう。そうすれば、あいつならそれを見つけて私たちが上の階層へ退避したと推測してくれるはずだ」
こういう時でもキュリエの判断は冷静だ。
奇妙な焦燥感に囚われている自分を恥じつつ、彼女の冷静な判断力と頼もしさに、セシリーは感謝した。
オークが愉快そうに挑発を始める。
数で圧倒的に勝っている状況。
すでに勝利をおさめた気分なのだろう。
三つ頭は今のところ沈黙している。
様子をうかがっているようにも見えた。
「まずは、退路の確保だな」
「……ええ」
この時、セシリーの顔には嫌な汗が滲み出てきていた。
「背負い袋は……少し遠いか。一旦、回収は諦めよう」
食料などが入っているが今は退避が先決。
周囲へ注意を払いながらキュリエが顔を寄せてくる。
「まず三つ頭の両足を私が薙ぎ斬る。一時的に膝をつかせられるはずだ。そして修復して立ち上がる前に、退路を塞ぐオークだけに攻撃を集中し駆け抜ける――ひとまず、それでいこう」
「…………」
「セシリー? どうした……?」
キュリエが違和感を覚えた顔をしてから、ハッとした。
「おまえ、まさか――」
セシリーはうつむく。
「すみ、ません」
言い出すより先に、見破られてしまったようだ。
「足を、痛めたのか……?」
「さっきオークを数匹まとめて斬った時、地面に転がっていた死にかけのオークの手に捕まって……その時に」
最初は大した捻りではないと思っていた。
しかし先ほどキュリエと会話している最中、痛みと熱がどんどん強くなっているのを感じた。
思っていたより重傷だったらしい。
正直、今は立っているのも厳しかった。
右足が小刻みに震えている。
痛みは言わずもがな。
この右足の状態では一気に駆け抜けるのは不可能。
否――駆け抜けるはおろか、走ることさえ。
「……そうか」
「せめて、キュリエだけでも――」
「それ以上言ったら、怒るぞ」
深刻になりすぎぬよう微笑を作る。
ただ、うつむく顔を上げることはできなかった。
「本当にすみません……せっかくさっき、お荷物ではないと言ってもらえたのに……」
「馬鹿、そんなことは気にするな。それに――いざとなれば、私がおまえを背負って突破する」
ありがたい言葉だった。
だが、非現実的だ。
人一人を背負えば当然速度は落ちる。
武器の可動域も制限される。
何より今の自分たちには、今までの戦闘と、五十階層分の疲労の蓄積がある。
そしてあの三つ頭の修復速度を突破するには、速度が命なのだ。
だけど一つだけ手はある。
二人ともオークたちに捕まらない手が。
「キュリエ」
セシリーはフライアスを一本、首筋にあてた。
そして、微笑む。
「いざとなれば、この手があります」
聖遺跡で死亡すると生きた状態で地上へ転送される。
しかし、転送後はいつ覚めるとも知れない長い眠りにつく。
数十年に渡り眠っている者もいると聞く。
悪くすると、生きているうちに自分は目覚めてクロヒコやキュリエと再会できないかもしれない。
だけど、やる価値はある。
キュリエ・ヴェルステインとはいえ、自分を守りながらではあの三つ頭と群れの突破は難しいだろう。
だが一人なら、突破できるはずだ。
「それはっ……それ、だけは――」
キュリエの口元がきつく引き締められる。
彼女もわかっている。
今の状況では、それしかないと。
最悪の結果は二人が《生きて》あのオークたちに捕まること。
彼女はわかりすぎるほどに、わかっている。
「ウぇ、ゴっゴっ……ゴっフ、げハぁァあアあアあアあア――――ッ! ぐェは、ゲっハぁァぁァあアあアあアあアぁァ――――ッ!」
三つ頭が、四度目の嘔吐。
キュリエが眉をしかめる。
「今度は……守護種オーク、だと……っ」
吐き出されたのは、十数体の守護種オーク。
愉快そうな踊りや挑発を繰り返していたオークたちが、さらに勝鬨の勢いを上げた。
「くっ……一匹ならそう手間でもなかったが、十倍以上の数となると……っ」
退路の突破の難度がまた上がった。
「決断は早い方がいいです、キュリエ」
時間が経てば経つほど脱出は難しくなる。
やり切れない表情でキュリエが歯噛みした。
ただ、セシリーは不思議だった。
今、自分は妙に落ち着いている。
たぶんそれは、きっと――
この《三人》の攻略班で最後に、聖遺跡を攻略できたから。
ふふ、とセシリーは微笑んだ。
「クロヒコに一つ、伝えてもらえますか?」
「ば、馬鹿! おまえ一人くらい、私が――」
「キュリエ」
「――――ッ」
せめてひと言、伝えてほしい。
目を閉じる。
「わたしを――」
背後の部屋の壁から、ものすごい音が鳴った。
キュリエが警戒心を強め、構え直す。
「な、なんだ?」
何かが砕ける激音。
直後。
その音を発した壁が、衝撃で崩れ去った。
「あっ――」
崩れ去った壁の向こうから一人の男が、姿を現す。
黒く大きく変貌した左腕。
左目には、眼帯。
右手には、赤い脈の貼った桜刃の妖刀。
上着を脱いでいて、背中から二枚の黒い羽が生えていた。
ただし見慣れないものもあった。
二本の巨大な黒い腕。
赤い血管の走る黒腕が、彼の両肩の斜め上に浮いている。
腕だけだ。
本来なら肩へと繋がるべき場所は、赤と黒の次元の穴と繋がっていた。
左側の黒い椀には、男の持つ妖刀よりも一回り大きく見える黒剣を握りしめている。
その男の両腕には浮遊腕と同じ赤黒い血管が走っていた。
一般的にそれは、禍々しいと形容される姿かもしれない。
だけどセシリー・アークライトにはその姿が、輝く希望そのものに思えた。
「すみません」
謝って一歩前へ出ると、彼は再び、この部屋に足を踏み入れた。
「遅くなりました」




