第24話「久方ぶりの聖遺跡」
聖遺跡の第一階層に足を踏み入れて最初に感じたのは、懐かしさだった。
足を踏み入れるのはあの巨人討伐作戦以来となる。
「クロヒコ、荷物の方は大丈夫か?」
「問題ないです。聖遺跡の特殊な性質がなければもっと荷物が多くなって大変だったと思いますけど」
俺は青白に淡く発光する石壁に触れる。
聖遺跡の壁は所々が微弱に発光している。
灯り系の道具をたくさん持ってくる必要はない。
セシリーさんが言っていたように、灯りはピンポイントでたまに存在する暗がりを照らしたり、一部の魔物避けの用途があるくらいだ。
食料もそう多くはない。
聖遺跡では地上ほど食欲が湧かない。
食事量も普段以下で済む。
そのようにできているのだ。
つけ加えるなら聖遺跡ではトイレに行く回数も圧倒的に減る。
数時間ごとにトイレ問題を抱える心配はない。
日に一度あるかないかだという。
セシリーさんが持ちやすいように手もとで折った羊皮紙を見る。
「今日はひとまず六階層あたりを目的にしますか」
階層の数字が低いうちは下の階層へ進みやすいという。
問題は階層の数字が上がってきてからか。
「五階層の守護種を倒したあと、六階層で休憩しましょう。そこで状況を確認しながらそのまま進むかどうかを、決める方向で」
攻略プランはほぼセシリーさんに一任していた。
聖遺跡攻略は力押しだけで成果は出せない。
マネージメントというか。
プランニングというか。
そういうものが秀でた人間が必要なのだとつくづく実感した。
「おっ、と」
最初に遭遇した魔物。
それは、
「これはまた、懐かしい相手だな」
白い小鬼。
ゴブリンである。
初めて入った聖遺跡で、俺が初めて遭遇した魔物。
遺跡でも最下級に近いランクの魔物だ。
だけど手は抜かない。
どんな相手でも油断しない。
立ち塞がるというのなら、全力で――
「グ……ギ、ギ……ッ?」
「ん?」
顔を歪めたゴブリンが一歩、後ずさりした。
「ギ、ギエェェ――――ッ!」
そのままゴブリンは出現した小さな横穴へ戻って行った。
剣の柄に手をかけていた俺は、ぽかんとする。
「……え?」
「どうやら、逃げたようだな」
キュリエさんが言った。
苦笑するセシリーさん。
「相手が悪すぎると判断したんですかね?」
俺は出かけていた刃を、鞘に戻す。
「で、でも仲間を呼び行ったのかもしれませんし……警戒は怠らず、先を急ぎましょう」
しかし結局、五階層まで行ってもゴブリンが再び姿を現すことはなかった。
途中で小サイクロプスやツインコボルト、インプに一角蟻といったもはや懐かしさすら覚える面々とも遭遇したが、撃破は余裕だった。
道中では他の攻略班とも何度か顔を合わせた。
このくらいの階層だと他の攻略中の候補生たちもいるようだ。
といっても敵対することもなく、短い挨拶を交わしただけである。
むしろなぜかクリスタルを貢がれてしまった。
セシリーさんへの貢ぎ物なのは、男子候補生の雰囲気から容易に察せられたが。
クリスタルを貢いだ候補生の班と別れたあと、キュリエさんが横を歩くセシリーさんに言った。
「どの班に入ってもおまえなら難なくやっていけそうだな」
「いえいえ、むしろああいうことがあるから先回りしてジークとヒルギス以外の人とは組まないと宣言してたのもあるんですよ……いえ、もちろん好意が嬉しくないわけではありませんけど」
セシリーさんなりに悩みがあるようだ。
そこで俺たちは大きな扉の前で立ち止まった。
キュリエさんが扉を眺め、腕を組む。
「さて、守護種部屋まで来たわけだが」
今いる階層には守護種が存在する。
五の倍数の階層には、次の階層へ辿り着くのを阻む守護種という強力な魔物が待ち構えているのだ。
RPGのゲームで言いえば中ボスといったところか。
「守護種は毎回決まった魔物が出現するわけではありません。といってもその階層の難度に適した魔物が出ます。以前のようにノイズのゴーレムが守護種を追いだして居座っている、みたいなことでもなければですが」
過去にこの部屋で出現した魔物はリストアップされている。
名前だけ記されたミニ図鑑をパラッと開く。
「……つ、強さがわからない」
遭遇したことがないので、名前を見ても強さがわからなかった。
セシリーさんが微苦笑する。
「ひ、ひとまず戦ってみます? わたしの分析だと、この三人で苦労する相手ではないと思いますし……少し厄介なのは、スピアスパイダーくらいですかね」
「そうだな」
同意したキュリエさんが迷いなく扉を開けた。
「少なくとも、私たちにここで逃げ帰る選択肢はない」
部屋に入ると、扉が音を立てて閉まった。
ん?
この、気配――
「上だ」
そう言ったキュリエさんと同時に、俺たちは天井を見上げた。
薄暗い部屋の天井角にはりついていたのは、
「スピアスパイダー、ですね」
白い体躯。
赤い瞳。
何本もの長い足。
鋭い足の先端で槍のように獲物を突き刺す攻撃が得意。
クモの魔物。
セシリーさんが双剣を抜く。
「いきなり第五階層の守護種で最も厄介と言われる魔物とは……わたしが変な前振りしちゃったせいですかね?」
「ピィ――ギィィィ――――ッ!」
金切り声のような鳴き声をあげ、スピアスパイダーが蜘蛛の糸を吐き出してきた。
俺たちは糸を回避。
「なるほど。獲物をまず糸で捕らえてから、降りてきて仕留めるわけか」
天井は意外と高い。
跳躍で届くかどうかは微妙な高度だ。
「どうします? 俺が、第五禁呪で飛んで倒しましょうか?」
あ、第九禁呪でもいけるか。
「わたしが術式を使って落とすことも、できるとは思いま――」
刹那。
短く、空を切る音。
キュリエさんが、スピアスパイダー目がけ、リヴェルゲイトを物凄い勢いで投擲したのだ。
「ィ、ギィェェエエエエエ――――ッ!?」
刃が頭に突き刺さった。
あの苦しみ具合。
急所にヒットしたようだ。
クモはそのまま落下し、ビタンッ、と床に叩きつけられた。
身体が溶解し始める。
魔物がすっかり溶けてなくなると、床にはリヴェルゲイトと、硬貨ほどのサイズのクリスタルが残されていた。
キュリエさんがリヴェルゲイトを拾ってから、クリスタルを拾う。
彼女は拾ったクリスタルを、指で弾き飛ばしてセシリーさんに渡した。
「ととっ?」
セシリーさんがちょっと慌てて、クリスタルを両のてのひらでキャッチ。
キュリエさんは余裕たっぷりの様子で、剣を鞘に納めた。
「では、先へ進もうか」
*
第六階層へ進むと空の小部屋を発見。
俺たちは一度、そこで休憩することにした。
「クリスタルって、異種からじゃなくても出るんですね」
今までクリスタルは異種からしか出ないものだと思っていたのだが。
「異種から出やすいのは確かみたいですけどね。それ以外の魔物からは、出ても小さなものが多いですし。クリスタルが残ることの方が稀です」
と、セシリーさんが説明してくれる。
さっきはラッキーだったのか。
俺は背負い袋をおろし、聞く。
「聖遺跡の難度って十階層から上がるんでしたっけ?」
羊皮紙を広げながらセシリーさんが答える。
「入学してから一年で十階層まで行くのが一般的な攻略速度と言われていますね。先ほどの五階層の守護種部屋が、一年生にとっては難所となるみたいです」
「ええっと、確か……二年目で十四階層を越えられれば上々で、大抵は卒業までに十九階層まで辿り着く感じなんでしたっけ?」
「その前に、大体は十八階層で止まるみたいですけどね」
「十八階層?」
「十八階層には難関の三魔物と呼ばれるギーラホース、デルトロル、ブエルゼジオという三種類の強力な魔物がいるんです」
「難関の三魔物か。なんか、凄そうですね」
「あと十四階層にはサイクロプスも出ますし――って、これはクロヒコがもう倒した経験のある魔物でしたね。ううーむ……となると、十四階層までは問題なくいけそうですかね?」
今は前期に頻発していた謎の地鳴りもなくなったと聞いている。
地鳴りの原因はやはりノイズが遺跡内に設置した用塞と、そこで造成されたゴーレムという異物によって起きたものではないかと目されているようだ。
「聖遺跡は一度到達した階層までは進みやすいという特性がありますが、わたしたちは六階層以降にはまだ未到達ですからね……」
何気に三人とも今のところ五階層が最高到達階層である。
地割れで落っこちてブルーゴブリンの群れとと遭遇した場所が五階層だった。
巨人討伐の時は、三階層に到達した時点で巨人が現れた。
あ、そっか。
「俺たちにとってはこの六階層がもう自己最高記録なんですね……」
腕輪に嵌った黒水晶の透明度も心なしか上がっている。
「ここからがやや大変かもしれませんが……今日は十階層の守護種を倒すのを目標にしてみましょうか。二人とも、このままいけます?」
背負い袋を担ぎ直し、俺はすっくと立ち上がった。
「もちろんです」
キュリエさんが続く。
「問題ない」
このまま下の階層を目指すことを決めた俺たちは小部屋を出て、先へと進んだ。




