第4話「彼の次の目的」
ソシエさんが、さて、と席を立つ。
「では、あとは若い二人に任せて年寄りは退散しましょう」
どう見ても年寄りという表現はピンとこないのですが。
俺なら二十代と言われても信じてしまう。
「もっとおしゃべりをしたいのですが、夕食の時としましょう。ふふ……お泊り中は私も色々楽しみにしていますよ、クロヒコさん?」
何を色々楽しみにしているのだろうか。
うぅ。
けど、ソシエさんの貞淑さと可憐さを兼ね備えた魅惑的な笑顔には気を抜くと惑わされそうだ。
チョロい俺などは特に。
セシリーさんも成長したらああいうオトナっぽい感じになるのだろうか?
ソシエさんがいなくなると、俺の席を半分占拠していたセシリーさんがポフッと自分の席に戻った。
「お母さまにも困ったものです……ふふ、振り回してしまってすみませんでした」
「い、いえ」
あれ?
さっきまで奥様モードだったのに、急にいつもの感じに戻った……?
「ああ、夫っぽくするのはお母さまがいる時だけでいいですよ? その……クロヒコも、本意ではないでしょうし」
肩を縮めて苦笑するセシリーさん。
ちょっと残念そうだった。
彼女としてはやはり夫婦ごっこ自体にはノリ気だったのか。
演技するのはソシエさんのいる時だけでいいという今の言葉は、俺に気を遣ってくれたのだろう。
…………。
ああいう顔をされると俺は弱い。
自分がチョロイ自覚はある。
でもセシリーさんが喜んでくれるなら……まあいいか。
「いえ……どこでソシエさんが聞き耳を立てているかわかりませんし、この屋敷に宿泊している間はできるだけ夫を演じます」
「へ? い、いいんですか?」
「ははは……もちろん誰かの夫になった経験なんてないので、所々でいつもの感じが出ちゃうとは思いますけど……でも、ほら――」
ビシッと指を立ててみせる。
「お互い、演技力を磨く練習にもなるでしょうし!」
何のために必要な演技力かは、置いておいて。
頭をフル回転させて俺は夫っぽく振る舞うイメージする。
「た、たまにはこういうのもいいんじゃないか?」
ドキドキしつつ、セシリーさんの手に自分の手を重ねてみた。
「なあ、セシリー?」
「アナタ……」
「…………」
「…………」
二人で思いっ切り、顔を赤くしてしまった。
自分の顔が赤くなっているのは頬の熱さでわかる。
意識して演じてみた結果、お互い気恥ずかしさが沸々と込み上げてきた感じだった。
勢いで承諾してしまったが……。
何気にハードル、高いかもしれない。
「…………」
「…………」
な、何か話さないと。
間が持たない。
空になったカップを発見。。
「せ、セシリー」
「は、はい」
「何か飲み物をもらえるかな?」
「あ――あ、はいはいっ。ち、ちょっとお待ちくださいねー」
ぴょこっと立ち上がると、パタパタと厨房へ消えていく若妻セシリーさん。
あっちも気持ちを整える機会をもらえてよかった、という顔だった。
今のはナイスプレーだったらしい。
まあ無茶はよくない。
演技は無茶のないさじ加減で留めよう。
しばらくすると盆にカップを乗せたセシリーさんが戻ってきた。
だいぶ落ち着いたようだ――
って、あれ?
なんか、頬を膨らませてるけど。
「セシリー? ど、どうしてむくれているんだい……?」
「若奥様が調理場で飲み物を準備していたんですよ?」
「へ? は、はぁ……えっと、それが何か?」
「で、す、か、ら! こっそり調理場に入ってきて《もう夜まで我慢できないよ、セシリー……っ》みたいに、後ろからそっと抱き締めるくらいしてほしかったんですが!」
「するわけないでしょうが!」
というか別に夜になっても何もしませんよ!
「もー」
頬を赤らめてはいるが、視線はぶーを垂れるジト目だった。
「甲斐性なし」
む?
言ってくれるじゃないか……。
こうまで言われては、俺も負けてはいられない。
反撃せねば。
「はっはっはっ、そんな可愛らしい感じで言われてもまったく心に刺さりませんなーっ。まるで、甘々なへちょい吐息でハートをくすぐられている感覚ですよ!」
セシリーさんの頭に《ムカッ》マークが浮かんだ。
「●※▽□×!」
「ちょっ――ささ、さすがにそれは男なら誰だって傷つくと思いますよっ!?」
頭を抱えるように俺は耳を塞ぐ。
「というか……美少女の口からそんなドドメ色の刃物みたいな言葉、聞きたくない! ひどい!」
サドっ気のある目つきで、青ざめる俺をジィィっと見おろすセシリーさん。
「やれやれ、さじ加減の難しい旦那様でございますこと?」
「くっ――」
不覚だ。
意外とこういう彼女も、アリだと思ってしまった。
穿ちすぎかもしれないけど……どのラインまでなら冷たくしてオッケーなのかを、彼女なりに計測しているのだろうか?
いや、今のは穿ちすぎか。
セシリーさんが息をつき、通常モードに戻る。
「まあ、それはともかく――はい、香草入りのカラム水です」
「あ、どうも」
スカートを手でおさえながらセシリーさんが席に着く。
微笑もいつものに戻っている。
「ふふ……クロヒコと二人でいると、やっぱり気が楽ですね」
「そうですか?」
「んー、クロヒコはどうなんです? わたしといると気楽ですか?」
「そうですねぇ……俺は、ジークと一緒にいる方がまだ気が楽かも」
「ふふふ、そうでしょうそうでし――えぇぇっ!? なんですかそれ!? ひどすぎる!」
「だ、だってセシリーさんといると……その、やっぱり異性を意識しちゃいますし」
抗議めいて腰を浮かせかけたセシリーさんが、座り直す。
それから、照れくさそうに咳払いした。
「そういうことは、さ、先に言ってくださいよぉ……」
「早とちりは肌に悪いらしいですよ?」
「適当言わないでください」
そんなやり取りをしてから、俺たちはしばらく食堂で雑談した。
というか気づけば結局、お互い普段の感じに戻っていた。
夫婦演技というのはやはり強く意識しないと難しいようだ。
まあ、普通に疲れるし……。
「そういえばクロヒコ」
「はい」
「お兄さまから、このところ聖樹騎士団の本部に出入りしてると聞いたのですが」
「そうなんですよ。最近は暇を見つけて、騎士団の仕事の手伝いをさせてもらったりもしてるんです」
聖武祭が終わったあとのことだ。
俺は騎士団本部まで赴き、暑期休暇中だけでも騎士団の仕事を手伝わせてもらえないかとソギュート団長に相談した。
それが承認されて、近頃の俺はわずかだが騎士団の仕事を手伝っている。
騎士団は衛兵と連携して王都の治安維持も行っている。
商業活動が盛んな大都市の例に漏れず、この王都クリストフィアにも光と影が存在している。
影の部分である悪徳行為もそれなりに発生しているそうだ。
そういう中で、衛兵では手に余る厄介な事件を聖樹騎士団が引き受けているという。
しかし現在、騎士団は四凶災襲撃の被害で人手不足に陥っている。
そういった事情もあったため、特例として俺を受け入れてくれたと聞いた。
現在は人手不足を受けて候補生の体験入団も検討しているそうだ。
といっても現在、候補生に騎士団の仕事をあてがうのは原則として認められていない。
ただ、四凶災を倒し、終ノ十示軍やスコルバンガーを打ち払った禁呪使いならばと、ソギュート団長が前向きな姿勢で騎士団に提案してくれた。
ありがたいことにディアレスさん、ヴァンシュトスさん、リリさん、ノードさんといった騎士団の主立った面々も肯定的な反応をしてくれたそうだ。
ちなみにそういった経過を俺に教えてくれたのは、ソギュート団長である。
もしかすると、特別教官の時に交流を持てたのも効果的に働いたのかもしれない。
「クロヒコとしては何か狙いがあるんですか? あなたの過去の功績を考えれば、わざわざ事前に顔を売らなくとも卒業後に問題なく入団できると思いますけど……」
もちろん狙いはあった。
「狙いは、聖遺跡です」




