70.「祝福の死」
「わざわざ出向いてもらってすまんのぅ!」
ルーヴェルアルガンの客人が泊まっている屋敷の前まで行くと、最初にシャナさんが飛び出してきた。
「ローズさんと王子はどこです?」
「素っ気なっ!?」
「マキナさん、シャナさんが出てきてくれましたよ」
俺は隣のマキナさんに言った。
「ええ、そうね」
「どうしたんじゃクロヒコ!? なんかワシの扱いがぞんざいすぎやせんか!? 何も心当たりがないのじゃ!」
禁呪使いに関する風説を流布しまくっておいて、なんという白々しさだろう。
「俺に何か言うことはないんですかねぇ……?」
「わ、わかった! では、詫びとして――」
シャナさんは親指をくわえると、くねんっと腰を捻った。
蕩け顔の上目遣い。
ここまで効果ゼロな美少女の上目遣いというのも、なかなかお目にかかれまい。
「ルーヴェルアルガンに来たあかつきには……このワシを、ひと晩好きにしても、よ、い、ぞ?」
「ひと晩、説教します」
「なんでじゃ!?」
やれやれ。
この人はほんとマイペースというか、なんというか……。
ん?
マキナさんが複雑そうな笑みを浮かべている。
「シャナは人をからかうのが生きがいみたいな人間だけれど――」
「さすがのワシもそこまで人生賭けてはないぞっ!?」
サラッと言ったマキナさんに、シャナさんが素っぽくツッコんだ。
スルーし、マキナさんは続ける。
「標的がクロヒコに変わったおかげで、私の被害が少なくなったのはありがたいような気もするわね……」
「なんじゃマキナ? ワシに相手にされなくて寂しいのか?」
「どうしてそうなるのよ」
「んー? 寂しいのかー? んんー?」
ニヒヒと邪悪な笑みを浮かべ、ぷにぷにとマキナさんの頬をつつくシャナさん。
「今日、ルーヴェルアルガンに帰ってくれるのが救いね……」
「相変わらずつれん女じゃのー」
あとでマキナさんに聞いたところによると、シャナさんがああして人をからかうのは本当に気に入った人間に対してだけなのだとか。
ああいうのも、好意表現のなんだろうか……。
俺は、そのあと出てきた巨大な鎧姿のローズさんとギアス王子とも挨拶を交わした。
ローズさんは握手だけだったが、なんとなく初めて見た時より空気が柔らかくなっている気がした。
そういえば、彼女は終ノ十示軍を一捻りレベルで叩き潰したそうだ。
やはり大陸の実力者として名が挙がるだけはある。
ギアス王子は気持ちのいい人という印象が残った。
カラッとしていて、嫌みがない。
俺なんかにも「お会いできて光栄だった!」と言ってくれた。
ローズさんとギアス王子が馬車に乗り込む。
シャナさんが続く。
乗り込む途中、シャナさんは俺に照れくさそうなウインクを飛ばし、スカートをチラッと捲ってみせてきた。
「…………」
そういうのいいから。
「ではクロヒコ、機会があれば是非ともルーヴェルアルガンへ足を運ぶとよい! その時は歓迎するからの!」
ルーヴェルアルガンの客人を見送ったあとは、帝国の客人に挨拶をしに向かった。
帝国の屋敷の前では、すでに出立の準備を終えたヘル皇女とヴァラガ・ヲルムードが待っていた。
帝国から他の来た人たちは先に別の馬車で門へ向かったそうだ。
他に馬車の御者しか残っていないところを見ると、ヘル皇女が護衛としてヴァラガに絶対的な信頼を寄せているのがわかる。
ヘル皇女はやたらと俺を持ち上げていた感じがある。
皇女の対応から、改めて、四凶災殺しというネームバリューの強さを知ったような気がした。
ヴァラガは別れ際、少しだけ禁呪使いと二人きりで話がしたいと言って、皇女とマキナさんから少し離れたところに俺を連れ出した。
俺になんの話だろう?
キュリエさんに関することだろうか?
「是非、君に礼を言いたいと思いまして」
「俺に……礼ですか?」
「ええ」
ヴァラガはやや前かがみになると、俺の耳元で囁いた。
「あのクソノイズをこの世から消し去ってくれて、ありがとう」
うーむ。
「……でも、首を斬り落としたのはヒビガミですよ? そもそもそれを望んだのはノイズ自身ですし……見方を変えれば、自殺みたいなものでは?」
「敗北を刻みつけたのは、君だろう?」
「…………」
「ヒビガミはあれであの雑音女を気に入っていましたから……だが、僕としては死んでくれてとても気分がいい――本当の、本当の、本当に」
「……第6院の仲間、だったんですよね?」
「ゲロだ」
「は?」
「人はね、ゲロを仲間とは呼ばないよ」
ゲロ?
ええっと……吐しゃ物のことか?
つまり、ヴァラガにとってノイズはゲロということ?
「とにかく君には感謝しています。ですが同時に――」
ヴァラガが上体を戻し、眼鏡の位置を整えた。
「サガラ・クロヒコという人間にさっぱり好意が持てません。おそらくは、生涯」
「…………」
清々しい笑顔で、サラッとひどいことを言われた。
「とはいえ互いの人生が重なりさえしなければ、問題が起こることもないでしょう。言っておきますが、僕の方から君をどうこうするつもりはありません」
それからヴァラガはにっこり笑うと、両手で俺の手を握った。
「ですので、僕やヘル皇女が二度と君に会う機会のないことを祈っています。では、息災で」
「…………」
うーん。
やっぱりこの人も、第6院の人間って感じだなぁ。
そしてこういう人間たちに囲まれて、よくキュリエさんはあんな風に育ったものだと改めて思った。
見送りを終えたあと、俺はマキナさんと一緒に馬車に乗り込んだ。
「ああ、そういえば聖武祭の話なのだけれど」
馬車が動き出すと、マキナさんが話し始めた。
「今は、どこも話題はアイラ・ホルン一色みたいよ?」
「そうなんですか?」
「ええ。優勝したセシリーの話題ではなく、ね」
馬車の揺れでずれたヘッドドレスの位置を両手で注意深く直しながら、マキナさんが続ける。
「アイラの奮戦ぶりにみんなそれだけ心を動かされたということでしょうね。優勝こそ逃したけれど、人の心を強く揺さぶったという点では、彼女が裏の優勝者なのかも」
今の話を聞いて俺は少し嬉しくなった。
確かに優勝はできなかった。
だけど、アイラさんはたくさんの人に認められる戦いをした。
前の世界では《結果だけがすべてではない》という考えを前時代的で甘いとする風潮もあったけど、やっぱり物事は表面的な結果だけではないと思う。
自分に何を残せたか。
人に、何を残したか。
もちろん、目に見える結果も大事だろう。
でも、そういう表面上の結果以外のものもやっぱり大事なんじゃないかと思う。
「ところでクロヒコ、聖王家がいよいよ正式に謁見を考えているそうよ」
「え? 誰とですか?」
マキナさんが《とぼけてるわけじゃないわよね?》とでも言いたげなジト目を飛ばしてきた。
…………。
攻撃的なジト目でも全体的に可愛さで覆われるのは、この人の卑怯なところだと思う。
「……あなたとよ」
「俺と?」
「まあ将来的に聖樹士を志すなら、聖王の覚えをよくしておくに越したことはないわ。それにもし謁見の時が来たら、いつも通り私も上手くいくよう動いてあげるから。そこは安心なさい――あら? どうしたの? ついに聖王との謁見の機会が巡ってきて、そんなに嬉しい?」
「いや、その……」
照れ臭くなって、頬を指でかく。
「どんな時でも、やっぱりマキナさんは俺によくしてくれるなと思って……」
マキナさんが腕を組んで、はぁぁ、とため息をつく。
白い頬がほんのり桜色になっている。
「もぅ、だから……そ、そういうあなただから放っておけないというか…………ふぅ」
まつ毛を伏せて、マキナさんがパタパタと頬を手で仰ぐ。
「…………」
なんか、空気が。
よし。
空気を変えよう。
俺は、人差し指を立てた。
「そう! ま、まあマキナさんはあれですよね! もし俺に無茶苦茶デキる妹がいたら、こんな感じかなぁって――」
「おねえさん」
「え?」
「そこは、おねえさん」
――圧。
「…………」
「…………」
「俺にデキる姉がいたら、こ、こんな感じかなぁって……」
マキナさんが、うむ、と満足げにうなづく。
「よろしい」




