68.「覚えていますか?」
セシリーさんの控え室の前は人でごった返していた。
ドアの前に立つ団員さんたちが、中への侵入をガードしている。
団員さんが一人、控え室の中から出てきて首を振る。
訪ねてきた者を入れてもいいかどうか、中にいるセシリーさんにお伺いを立てて戻ってきたところなのだろう。
さすがは優勝者の控え室である。
「…………」
というか、これ……入れるのか?
まずは、この人ごみを抜けて行かねばならないのだが……。
ん?
「おい……」
人だかりから声がした。
視線が次々に俺の方へ注がれていく。
すると、俺の前の人の波が左右に割れた。
…………。
これは……と、通ってもオーケーということなのでしょうか?
「ど、どうも……」
身を小さくし、会釈しながらコソコソ歩く。
「禁呪使いだ……」
「アイラ・ホルンの大躍進の裏には、実は禁呪使いの存在があったって噂も出てるぜ」
「大聖場前の広場に現れた四凶災級の怪物を、今回も禁呪で倒したとか……」
「しかも、あの《ルーヴェルアルガンの魔女》と聖武祭中に裏で密会していて、毎日のように研究と称して破廉恥な行為に及んでいるとか――」
…………。
シャナトリス・トゥーエルフ!
「どうぞ」
迸る憤怒を抑えながら控え室の前まで行くと、団員さんがドアを開けてくれた。
「えっと……入れてもいいか、中のセシリーさんに聞かなくていいんですか?」
「禁呪使い殿が訪ねてきたら入れてほしいと、そう頼まれておりますので」
「そ、そうですか……じゃあ、失礼します」
恐縮しつつ、控え室に入る。
うーむ。
丁重に扱われると、それはそれで妙にかしこまってしまうな……。
ドアが閉まった瞬間、もちろんまだガヤガヤとしてはいるのだが、外の喧騒との間に仕切りができた感じがあった。
「来たか、クロヒコ」
「おや、ようやくお出ましですねー?」
セシリーさんは長椅子に座っており、キュリエさんがその前に立っていた。
「あ、えっと……まずは優勝おめでとうございます、セシリーさんっ」
「ふふ、どーも」
「アイラの方は、もういいのか?」
キュリエさんの問いに、俺は答えた。
「ええ、言うべきことは言ってきたつもりです。悔しくなかったわけではないと、思いますけど……次を見据えてがんばると、アイラさんも決意を新たにしていました」
セシリーさんが決勝で使った剣を眺め、キュリエさんが言った。
「アイラも、惜しかったがな」
「……ええ」
惜しかった。
そう、決して目に見えて劣っていたわけではない。
あの試合は、俺の――
「今、セシリーとその話をしていたんだ」
「え?」
「決勝の話だよ。実は途中で気づいたんだが、アイラの剣は狙う箇所が固定されすぎていた。あれは、そうだな……言うなれば、相手に致命打を与えるための剣だ。終末郷ではああいう剣が必要となるが、試合に使うには少々《重すぎた》な」
キュリエさんも、気づいたのか。
さすがというか、なんというか。
セシリーさんが、複雑そうな微笑を浮かべた。
「最後の有効打を決める直前、アイラがもしわたしの腕を打っていたら……わたしはおそらく、負けていました。勝ったあと、歯にものが挟まっているような違和感があったんです。それでさっき、今の話をキュリエに聞いて……」
「だからアイラは、言葉通り惜しかったと言っていい。決勝戦の結果自体は、私から見ても紙一重の差だったと思う」
そうか……。
二人とも、しっかり分析してたのか。
俺は、アイラさんの剣が《サガラ・クロヒコの剣》になってしまっていた件について話した。
話し終えると、キュリエさんが得心いった顔をした。
「ふむ、言われてみればそうか……なるほど、おまえの影響だったか」
セシリーさんが続く。
「クロヒコの剣になってた、ですか……」
またもや、複雑そうな表情。
「なんだかそれはそれで、羨ましいような気もしますね……むー……なんでしょう? 勝ったはずなのに、なんとなく負けたような……この釈然としない感じは……」
「いずれにせよおまえは、全力を出した上で勝った。それは揺るぎない事実なんだ。だから、今は素直に喜んでおけ」
「……キュリエがそう言うなら、そうしますけど」
キュリエさんが、なんだかセシリーさんのおねえさんみたいだと思った。
…………。
あ、そういえば、
「手首の方は、大丈夫ですか?」
痛めていた手首が心配だった。
「キュリエの見立てでは、な、治るまでちょっとした時間が必要になるそうでございます……無茶をしすぎだと、さっき少し怒られてしまいました……」
「ま、あの決勝戦では無茶をするのも仕方ないと言えるがな……」
敬意でも示すように、セシリーさんが戦台へと続く通路の方を向く。
「無茶をしなければ、勝てない相手でしたから……後悔は、ありません。アイラは……本当に、強かったです」
確かにアイラさんは悔しかったと思う。
だけどみんなが、アイラさんの戦いを讃えている。
彼女がこの聖武祭で皆の記憶に残したものは、ある意味、セシリー・アークライトが残したものより大きかっのかもしれない。
「ところで、クロヒコっ」
む?
セシリーさんの空気が、何かたくらんでるノリに変わった……。
この、わざとらしいニッコリ顔……。
これは危ない兆候だ。
俺は、心の居住まいを正した。
「なんでしょう?」
ソギュート団長ばりの落ち着き払った低音ボイスで、俺は厳かに応じる。
何にも、動じないために。
「わたしがこの聖武祭で優勝したら、わたしの屋敷に泊まりにきてくれる約束でしたよねっ?」
「……そ、そうでしたっけ?」
付け焼刃のソギュートボイスはすぐさま消失し、長年に渡り苦楽を共にしてきた頓狂ボイスが、神速で戻ってきた。
「もー! そうでした! 絶対、そうでしたー! ちょっとそれはひどいですよ、クロヒコー! もーせっかく優勝したのにぃー!」
細い腰を浮かせて、セシリーさんが真っ赤な顔でブーブー文句を垂れはじめる。
「…………」
この聖武祭中は終ノ十示軍の襲撃やスコルバンガーの襲来もあって、気の休まる時間がほとんどなかった……。
聖武祭で優勝したら話があるっていうアイラさんの件も、さっきは《そういえば》レベルでようやく思い出したくらいだったし……。
「す、すみません……」
「きみ、そうやって腰を低くして謝ればいいと思ってますよね!?」
クスッ
ついという感じで笑みをこぼしたのは、キュリエさん。
「キュリエさん?」
「いや、ようやくいつもの感じに戻ってきたと思ってな。特にセシリーは……心から嬉しそうな感じが伝わってきて、何よりだよ」
「ぅ、っ――ぁぅ……もう、キュリエ……」
身を引いて、さらにゆで上がっていくセシリーさん。
「セシリーはセシリーなりに、聖武祭が終わるまでは何かとクロヒコには遠慮していたからな……そうだろ、セシリー?」
ぼしゅっ、とセシリーさんの頭から蒸気が噴き上がる。
「し、知りません! それで、クロヒコ! 約束は守ってもらえるんですよね!?」
ビシィッ! と指を突きつけられる。
「…………俺一人で、ですか?」
助け舟を《銀乙女》に要請する。
キュリエさんがニヤっと返す。
「今回、私は誘われても辞退する所存だぞ?」
「え? ど、どうしてです?」
「んー、さあなー」
さらっと躱されてしまった。
「フン……アークライト家の屋敷に泊まるといっても、セシリーの母親とか家の者はいるのだろうし、そう狼狽する必要もないだろうに」
「そうですよー……というかシーラス浴場では一緒にお泊りしたどころか、布一枚の状態で一緒に湯浴みをしてるわけで……一体、今さら何をクロヒコは躊躇する必要があるんですか?」
「お、女の子の家にお泊りするというのが、その……」
セシリーさんが微笑んだまま、ずずいっ、と前のめりに圧をかけてきた。
こ、これが無学年級優勝者の放つプレッシャー……。
「クロヒコにとってわたしの屋敷に泊まりにくるのは、四凶災やヒビガミと戦うのよりも怖いんですか?」
「…………はい、ある意味」
「…………」
「…………」
「うわぁーんキュリエ―! もうわたし、この人の基準がわけわかんないですよーっ! ひどいー!」
セシリーさんが、キュリエさんに泣きついた。
胸の中でわんわん喚くセシリーさんをナデナデしながら、キュリエさんが苦笑いを浮かべる。
「え、遠慮を解いたのはいいが……なかなか、強烈な反動っぷりだな……」
しかも恐ろしいことに、控え室の外では無法状態の憶測が飛び交いまくっていた。
「おい! 禁呪使いが入室したら、セシリー様の泣き声が聞こえてきたぞ!」
「女泣かせの禁呪使いの噂は本当だったんだ!」
「あ! おれも褐色の金髪眼帯の幼女から、この会場でそんな噂を聞いたぞ!」
「僕も!」
「私も!」
「ワシもじゃ!」
だから!
あの!
ちっこい!
魔女は!
みんなが!
必死になって!
試合に臨んでた!
この!
聖武祭会場で!
なに!
勝手に!
あることないこと!
吹聴して!
回ってるんだよっ!
なんで俺の評判を落とすような策謀が、聖武祭の裏で勝手に進行してるんだ!
ふざけんな!
…………。
ていうか最後に同意したのたぶん元凶作った本人だろ!
「…………」
いつもの感じが戻ってきて気が緩んだのか、なんだか、俺も今までの反動がきたかのごとくテンション高めになってしまっていた。
それと……アークライト家の屋敷には結局、後日正式に(?)お泊りすることになりました。
今回のエピソードを書いている最中、なんとなく空気的に懐かしいノリを感じました。こういう軽めなノリも、忘れないようにしたいところです。




