66.「二人の差」
歓声の中、セシリーさんが立ち上がる。
まず、短い呼吸を繰り返す二人が言葉なく相対する。
二人ともまだ放心気味に見えた。
顔中、汗まみれだ。
決着後、最初に言葉を発したのはセシリーさんの方だった。
「アイラ」
こくっ、とアイラさんが一つ頷く。
まるで、返事をするように。
それから晴れ晴れとした顔で近寄ると、アイラさんが自分からセシリーさんに手を差し出した。
「優勝、おめでと」
「あ――」
「ほら、セシリー……優勝者なんだから、もっとそれっぽくしないと。ね?」
「は、はい」
優勝したセシリーさんの方が変に恐縮していた。
二人が握手を交わす。
「あの、アイラ……優勝者としてこんな言い方は、その……無礼にあたるのかもしれませんが……」
「あはは、もーどうしたの? 遠慮なく言ってよ、セシリーっ」
アイラさんの朗らかな快活さが効いたのか、セシリーさんの表情にも柔らかさが戻ってくる。
「本当に、強かったです」
「うん、ありがと。セシリーは……やっぱり、すごかった。あはは、まあアタシも健闘はできたって感じかな?」
「いえ……むしろ、この決勝戦は――」
「というか、セシリー!」
何か言いかけたセシリーさんの言葉を、アイラさんが遮った。
「えっ?」
「最後の爆裂術式の火傷、ごめんね? だ、大丈夫だった?」
目を丸くしたあと、セシリーさんは和やかに息をついた。
「ふふ、何を言うかと思えば……そこですか? ええ、わたしは大丈夫です。というより、爆裂術式の使用を気にするはずもありません。逆にあそこで爆裂術式を使ったのには感服しました。改めて、この聖武祭にかける覚悟を見せられたというか……」
「でも、セシリーは怯まなかったよね?」
「……ええ」
「それは、セシリーも生半可じゃない覚悟でこの聖武祭に挑んでたって証拠だと思う。もちろん、アタシとの決勝戦にもそれだけの覚悟で臨んでくれた。そういうところ、アタシは嬉しいって思う」
「アイラ……」
「とにかく」
アイラさんが握手を解く。
「終わったんだね、これで」
床を見つめて、アイラさんが言った。
それはセシリーさんへ向けた言葉のようでもあったし、自分へ向けた言葉のようでもあった。
口もとは笑っていたけど、どこか目は寂しそうにも映った。
会場はいまだ熱狂冷めやらぬ状態。
壮絶な決勝を戦い抜いた二人の名が讃えられるように何度も叫ばれていたが、叫ばれている数は半々に思える。
優勝者だけを讃えているわけではない。
大健闘したアイラさんにも、その称賛は惜しみなく注がれていた。
場の落ち着きを見計らって、リリさんが閉会式の予定を説明し終える。
その後、決勝を戦った二人は戦台の中央から離れた。
観客席に手を振りながら、門の方へ歩いていくセシリーさん。
浴びせられる称賛と励ましに、ぺこぺこと丁寧に頭を下げながら退場していくアイラさん。
「…………」
清々しい戦いだったと言えば、そう言えると思う。
だけど――
「終わったん、だね……」
隣にいたレイ先輩が服の袖で目尻の涙をぬぐって、言った。
「大健闘だったよね、アイラ……だって、あのセシリー相手にあとひと息だったんだよ? すごいよね、ほんと……今日は一日中、延々と褒め続けてあげたい気分だよ……」
「…………」
「あのアイラが生徒会長を破って、さらには《疑似極空》を使ったセシリー・アークライトを追い詰めたんだ……ボクなんか、あっという間に超えていきそうだよ。なんというか……嬉しいけど、しみじみもするよねぇ……」
「…………」
「ええっと、あの……」
「…………」
「……クロヒコ? どうかしたの? 最後の攻防があんまりにもすごかったから、声も出なくなっちゃった……とか?」
「――――」
俺はこぶしを握り締めうつむき、歯を食いしばっていた。
なんてことだ。
ついさっき、気づいた。
この決勝戦、アイラさんが負けたのは――
俺のせいだ。
レイ先輩にひと言断ってから、俺はアイラさんの控え室に向かった。
最初レイ先輩は、それなら二人で会いに行こうと言った。
しかし、その前にアイラさんと二人きりで話したいことがあるのだと言うと、彼女はあっさり了承してくれた。
何か大事な話があると察してくれたらしい。
こういう時、察しのよいレイ先輩がありがたく感じる。
控え室の前のひと気はまばらだった。
多くは優勝者の方に詰めかけているのだろう。
前の世界のスポーツを見てても思ったが、一位と二位との間にはとても大きな隔たりがあるように思える。
だけど、俺にとっては表面的な結果だけがすべてではない。
ただ……。
こぶしを、握り締める。
「どうぞ、禁呪使い殿」
聖樹騎士団の団員さんがドアの前にいたが、今回もあっさり通してもらえた。
…………。
終ノ十示軍とスコルバンガー戦以降、やけに扱いがいいような気もするな……。
控え室に入ると、アイラさんが長椅子に腰かけていた。
うつむいててのひらを見つめていた彼女が、俺に気づく。
「あ……クロヒコ」
「アイラさん」
苦笑し、アイラさんは肩を竦めた。
「決勝戦は、その……見ての通り。ごめんね、もうちょっとだったんだけど」
謝ってしまうのだ、この人は。
ごめんね、と。
「いえ、アイラさんは全力を出し切りました。それに勝敗を分けたのは……ほんの、少しの差だったと思います」
ほんの少しだけど、致命的な差。
「だけどその少しの差で上をいったのは、セシリーだった。でも、アタシね? この聖武祭の無学年級に出て――」
「すみません、アイラさんっ」
俺は、頭を下げた。
「く、クロヒコ……? 急に謝ったりして、ど、どうしたのっ?」
「その……あの決勝戦、アイラさんが負けたのは俺のせいなんですっ」
「……どういうこと? ううん、クロヒコはアタシが試合で勝つために全力を尽くしてくれたよっ! クロヒコが一緒に戦い方を考えてくれたから、アタシは決勝まで来られたんだし……っ」
「その決勝戦が終わるまで、俺、気づかなかったんです」
「気づかなかった?」
そう、気がつかなかった。
俺と稽古をしていたアイラさんの剣が《どういう剣》になっていたのかを。
思い返せば、もっと早くに違和感を抱くべきだった。
ドリストス会長との準決勝の時点でも、明らかだったのに。
どの試合でもアイラさんは、有効打を取りに行く時は人体の《急所》を狙いにいっていた。
主に攻撃が集中していたのは、首や左胸のわきだった。
左胸のわきは、刃引きをしていない刃で切ればそのまま心臓へと続いている。
他にもインファイト時に柄頭で狙っていたのは、思い返せば、主にみぞおちだった。
さすがに目は狙っていなかったが、実戦であれば、相手に致命傷を与えられる部位にアイラさんは狙いを定めていた。
つまり俺が教えていたのは、試合に勝つための剣ではなく――
敵を殺すための剣。
試合に勝つためなら、狙うのは腕でよかった。
決勝戦の最後の攻防。
水平に薙いだあの強力な一撃は、セシリーさんの首をとらえかけた直前で、回避されてしまった。
けれど、もし狙いが腕だったなら――剣はもっと早く、回避されることなく、有効打を取っていたと思う。
俺は、気づかなかった。
セシリーさんは試合に勝つための剣を磨いてきた。
なのに俺がアイラさんに教えてきたのは、実戦で生き残るための剣。
それが、敗因となってしまった。
俺がそう話すと、アイラさんはびっくりしていた。
「そうだったんだ……自分でも全然、気づかなかったよ……」
「すみません」
「う、ううん! く、クロヒコが謝ることなんてないよっ」
「でも――」
「いいの」
アイラさんはゆるく首を振って立ち上がると、俺の肩に両手を置いた。
「アタシは、クロヒコになりたいって思いながら稽古してたんだよ? それは、アタシがアタシの意志でクロヒコの剣に近づいたってことだよ」
薄く微笑するアイラさん。
「だけどそれは、アタシがクロヒコに頼りすぎてたってことの証拠でもあるのかもしれないね。だからこれからは、ちゃんと自分の――アイラ・ホルンの剣を、アタシ自身で作り上げていこうと思う」
「アイラさん……」
「それにさ……アタシ、嬉しいんだ」
「嬉しい?」
「クロヒコの剣に似てたってことは、ほら……ちょっとでも、クロヒコに近づけたかもしれないってことでしょ?」
「……俺の剣に近づけたのが嬉しい、ですか?」
これは多分、気を遣ってくれてるんだと思うけど。
「ま、まあ……剣だけじゃないんだけどね? 何より、さ……」
アイラさんが長椅子に座り直し、床を見ながら、足をプラプラとさせた。
「ちょっとだけなんだけど……アタシ、変われたと思うんだ。今は聖武祭の無学年級に出て、心からよかったと思ってる。色んな経験ができたのも、クロヒコが支えてくれたおかげだし……だからクロヒコには、感謝しかない。謝られることなんて……何一つ、ないよ」
そこから俺は何度か謝りかけたが、すべてアイラさんに封殺されてしまった。
「もー! 負けたとはいえ、準優勝なんだよ! クロヒコ、もっと喜んでくれてもいいんじゃないかなっ!?」
「す、すみませんっ」
ぷんすかと怒られてしまった。
しかし……本当は惜しくも優勝に届かなかったアイラさんを俺が励ますべきなのに、なんか、逆にアイラさんに元気づけてもらう感じになってしまったなぁ……。
「あっ」
そこで俺は思い出した。
「そういえば、アイラさん」
「ん?」
「あの……優勝したら俺に伝えたいことがあるって前に言ってましたけど、それって――」
「あははー」
困ったようにアイラさんが笑う。
「ええっと……それは、また別の機会にすることにしたって感じかな? 優勝したらって決めてたしさ。それに、アタシが伝えたかったことは……その決めごとを破って伝えても、意味のないことだと思うし」
一緒に攻略班を組みたいという提案だったら、快く受けるつもりだったのだが……この状態で伝えても意味がないと言われてしまっては、俺からはこれ以上何も言えそうにないな……。
「わかりました。アイラさんの中でまたその機会ができたら、改めて教えてください」
「うん、がんばるね……クロヒコのために」
「俺のため、ですか?」
「あ――あわわ! な、なんでもないよ!? そう! 今のは、クロヒコが稽古をつけてよかったと思えるくらいこれからアタシはさらに強くなるぞー!って気合を入れただけだから! そ、それより……セシリーの方にも、そろそろ顔を出してあげた方がいいんじゃないかなっ!?」
「で、でも――」
「きっとセシリーも待ってるよ!? クロヒコは、本当なら優勝したら一番に声をかけてほしい人のはずだもん!」
「……わ、わかりました。あ、それと傷の方は――」
「大丈夫!」
…………。
そうだな。
セシリーさんは聖武祭の間、立場上ちょっと距離がある感じにもなってしまっていたし……優勝の祝福もかねて、様子を見に行ってみよう。
「じゃあ……閉会式のあとに、また会いましょう」
「うん」
控え室にドアに手をかけた時、俺は言い忘れていたことを思い出した。
長椅子に座るアイラさんに、俺は言った。
「どの試合も本当に、立派な戦いでした。俺、アイラさんと一緒にがんばれてよかったです。俺自身にとっても、とてもいい経験になりました」
「大事な思い出としてアタシは一生この聖武祭のことを忘れないと思う……アタシの方こそ、お礼を言わせて。ありがと、クロヒコ」
「お疲れさまでした、アイラさん」
振り返ると、アイラさんは笑ってくれていた。
「うんっ」




