65.「灼熱の限界を越えて」
高く硬質な音の響き合いが生まれては、熱気の中に溶けていく。
二人の少女が剣を打ち合う戦台から、熱風が吹き寄せているような錯覚すらあった。
「はぁっ――はぁっ――、……、――っ!」
完璧に近い、刃の軌跡。
非の打ちどころのないその刃を、セシリーさんが二つの刃で受けとめる。
喉の手前で、刃が止まる。
一瞬でその刃を引き戻すアイラさん。
そこから切り返しての、伸びのある鋭い一閃。
わずかに上体だけを後方へ倒し、セシリーさんが回避。
彼女の細いあごの数ミリ先を、刃が通過。
身体のバネを利用して上体を戻すと、そのままセシリーさんは、双剣を振りかぶりながら勢いよくアイラさんの方へ肉薄する。
速い。
ここにきてセシリーさんの動きが洗練されていく。
…………。
まさか《疑似極空》状態の感覚が、残存している……?
発動するごとに、その感覚が馴染んできているとでもいうのだろうか?
その疑問の思考を遮るは、アイラさんの――
「ぅ――ぁ、あぁぁああああああ――ぁぁああああ――っ!」
気合の咆哮と共に繰り出された、弾き返し。
その、剣音。
裂帛の気合と一緒に飛び散った汗が、日の光を照り返しキラキラと光る。
攻撃を弾き返されたセシリーさんは――次の攻撃に、移らない。
一足跳んで後退し、呼吸。
「す、ぅ――っ……ふぅぅっ……っ!」
ようやく得た、燃料としての酸素。
後退を選んだセシリーさんへの追撃はなかった。
ぐらっ、と。
アイラさんの足もとが、ふらつく。
が、
足を踏む、確かな音。
どうにか、踏みとどまった。
アイラさんが、自らの足が地を確かに踏みしめているかを、足裏を動かして確認。
直後の唇の動きで「よしっ」とつぶやいたのがわかった。
両者ともに限界は、近い。
二人の運動着は汗でぐっしょりと濡れそぼっている。
あごを伝って地に落ちる汗も、絶え間ない。
もはや脱水症状が心配になるレベル。
セシリーさんが、あごの汗をぬぐう。
瞳から疲労がうかがえる。
「もう少しだセシリー! がんばれ!」
キュリエさんの声援。
手すりに両手を突き、エールを送っている。
そうだ。
観客席にいる俺が、今できることは、
「アイラさん! ここが踏ん張りどころです! 最後まで――最後まで俺、しっかり見届けますから!」
そう、応援だ。
この局面では、もうそれしかない。
今はもう、ほぼ気力と体力の勝負になっていると言っていい。
いや、だからこそ、
ほんの一瞬の攻防で、すべてが決まる。
ほんの僅かな二人の《差》が、勝負を決定づける。
アイラさんが、剣を、後方へ流した。
セシリーさんが腰を落とし、鳥のように双剣を広げる。
二人の目から、疲労の色が一時的に引いていく。
二人の目は今、勝利への意志に満たされていた。
どこだ。
「この勝負、どこに《差》が存在する……?」
本物を知るニオイ?
くっ……だとすれば、
「四凶災との戦いを目にしただけのアイラさんと、実際に戦ったセシリーさん……やっぱりここで、その差が出るのか……?」
「そんな差は、多分ないと思うよ」
つぶやいた俺に、レイ先輩がそう反応した。
あっ、と思った。
どうやら、またいつの間にか思考が口から出ていたらしい。
レイ先輩が言う。
「実戦経験が差になるとしても……誰よりも強い四凶災に勝って、この前の謎の巨人も追い払ったキミとずっと特訓してきたアイラが、そんな差で負けるわけはないよ。だろ?」
そうだ。
俺たちは、二人でがんばってきたんだ。
そう、二人で。
「あっ――」
これまでで、最高潮の歓声が轟く。
セシリーさんが機先を制した。
アイラさんが動こうとした瞬間を狙って、絶妙なタイミングで仕掛けたのだ。
この局面であれをやってきた。
チャンスを、見逃さなかった。
瞬間、アイラさんの背筋が凍りついたのがわかった。
しまった、という悔恨の表情。
絶好の機。
左右の剣による――同時攻撃。
機先を制したことによる効果で、ついに、双剣をすべて攻撃へ注ぐことに成功した。
セシリーさんの祖父のガイデンさんが声を上げた。
「――決まるっ!」
聖王の剣術指南役であるガイデンさんから見ても、これは、文句なしの攻め手。
ほぼ同発の――剣の弾かれ飛ぶ高音が、俺たちの耳に、飛び込んできた。
「ふ、防いだっ!?」
「なんだ、今のっ!?」
「アイラ・ホルンの剣が今、なんか変な動きをしたぞっ!?」
俺は唾を飲み込んだ。
「あれ、は――」
不恰好ではある。
およそ《技》とは呼べない代物かもしれない。
がむしゃらに出したものが、たまたま、功を奏したと言えるのかもしれない。
だけど、
だけどあれは、確かに、
「《双龍》」
今のセシリーさんの二点同時攻撃に対抗できる唯一の技。
二人での稽古が終わったあと、俺は修練場に残って一人で《双龍》の練習をしていた。
多分アイラさんは、それを隠れて見ていたのだろう。
返し刃では、今のは間に合わなかった。
今回は機先を制されたせいで、その余裕がなかった。
いちかばちかだったのだろう。
あるいは、咄嗟に出てしまったのだろうか。
技を放ったアイラさん自身も、なんだか、驚いたような顔をしていた。
しかし――
「セシリー・アークライトは防がれたことに、動揺してない!」
セシリーさんは戸惑うこともなく、迷いなく次の攻勢へと移った。
いまだ、舞踏終わらず。
彼女の息と体力が続く限り、間断なく相手を、追い詰め続ける――
動いた。
アイラさんが、
前へ。
「あっ」
指先が、光ってる。
「まさか――」
迸る光、
直後、爆発。
「爆裂、術式っ!」
ここで。
ここで、使ってきた。
準決勝で見せた、あの戦法。
爆風が霧散していく。
風圧の中から姿を現したのは、前へ出る、剣を振りかぶった状態の二人。
ゾクッ、とさせられた。
その、勇猛さと覚悟に。
あの爆裂術式で微塵も怯んでいない。
どちらも、攻撃の姿勢をまったく崩していない。
ただ見据えるは――目の前の、対戦相手。
「勝てぇぇええ――――っ! アイラぁぁああああっ!」
レイ先輩が声を上げると、それぞれの応援者たちが連鎖的に続く。
「いけ、アイラぁっ!」
「セシリー!」
「おまえならやれるぞ、セシリぃー!」
キュリエさんと俺も、ほぼ同時に、声を上げていた。
「いけぇ、セシリーぃ――――っ!」
「アイラさんっ!」
一撃目、
アイラさんの剣が、迫るセシリーさんの右手の剣を、弾き返す。
セシリーさんの右手の剣は、そのまま、上空へと弾き飛ばされた。
一方、
絶対に手放すことのない、てのひらに固定されたセシリーさんの左手の剣。
その左手の剣が、アイラさんの腕に迫る。
アイラさんはやや剣を短く持つと、綺麗な水平を描き、直線軌道の鋭い横薙ぎを放った。
横薙ぎが、セシリーさんの左手の剣に衝突する。
その瞬間、
セシリーさんの身体のバランスが目に見えて崩れた。
手ごたえに想像と大きな乖離があったといった感じの、驚きの表情。
刃と刃のインパクトの瞬間、なんと、アイラさんは自らの剣を手放したのだ。
そのせいであるべき手ごたえを失い、セシリーさんは困惑したのだろう。
音を立てて床に転がる、アイラさんの長剣。
――パシッ――
先ほど宙へ弾き飛ばした、セシリーさんの片方の剣――その柄を、アイラさんが両手で、力強く握り込む。
握られた剣の刃は、即座に、綺麗な直角を描いた。
首を叩かんと、刃が瞬時に速度を上げる。
対戦相手の剣を使用した、決めの一手。
今からでは、セシリーさんの左手の剣による防御は間に合わない。
どうやっても、防御は、間に合わなかった。
果たしてどこが、二人の《差》であったのか。
この時の俺には、まだわからなかった。
アイラ・ホルンの剣が、セシリー・アークライトの首を、打った――――
かに思われた、その時――アイラ・ホルンの剣が、空を、切った。
剣の通過した風圧になびくハニーブロンドが、泳ぐように、宙を流れている。
防ぐのではなく、
セシリー・アークライトは、倒れ込んだ。
アイラ・ホルンの剣が目指すのと同じ方向へ、セシリー・アークライトは、そのまま身体を倒したのだ。
セシリー・アークライトの左手に握られているのは、てのひらに固定された――双剣の片割れ。
倒れ込みながら彼女は、その清冽な一撃を、ほとんど反射的とも言えるような動きで、放つ。
腕を、打つ音。
皆、確として聴いたはずだ。
その音を。
セシリー・アークライトが、ドサッ、と戦台に倒れ込んだ。
リリ・シグムソスが凛と、高らかに手を上げる。
「有、効打っ!」
立っているのは、アイラ・ホルン。
倒れているのは、セシリー・アークライト。
けれど、軍配は――
「勝者、セシリー・アークライト!」
神に愛されし少女の方へと、上がった。




