63.「そこへ辿り着くための、」【セシリー・アークライト】
神に愛されし少女は、天才ともてはやされた。
だからセシリー・アークライトは、そうあらねばならなかった。
なんでもできる人間のように言われるが、当然、最初からすべてが備わっていたわけではない。
最初は、偉大な祖父や兄に追いつきたかった。
そして追いつく努力をしているうちに、気づけば、天才と呼ばれるようになっていた。
いつの間にか、何をしても、何をがんばっても《セシリー・アークライトは、天才だから》としか言われなくなった。
がんばったんだね、と褒めてくれる人は、ほとんどいなくなってしまった。
できて当然。
やれて当然。
次に課されたのは、完璧であり続けることだった。
完璧な《セシリー・アークライト》であり続けること。
名門、アークライト家。
家名を穢さぬためにも、完璧な《セシリー・アークライト》を目指した。
作り上げた。
常に、宝石のごとく輝く少女であれ。
なった。
宝石に。
そこからは、がむしゃらだった。
皆に知られてはいけない、がむしゃら。
水面では優美に微笑んでいた。
だけど水面下では、必死に足をばたつかせていた。
ふと、思ったものだ。
一体、自分は何から《逃げている》のだろうか――と。
人は慣れる生き物だ。
天才であることにも、
完璧であることにも、
宝石であることにも、
慣れた。
慣れすぎていた。
いささか、麻痺するほどに。
気づくと、水面と水面下は綺麗に分断されていた。
美しい水面と、黒く染まった水面下。
そうなった。
誰にでも優しい《ルノウスレッドの宝石》はとても評判がよかった。
求めたものを与えてもらう側ではなく、求められたものを与える側へ。
ある時から、これも悪くないなと思い始めた。
なぜなら、求められた姿を演じるのは《自分のせい》ではないからだ。
それは、求めた者たちの責任。
美しい水面の上で、生きていこう。
宝石にはきっと、それがふさわしいのだ。
ある日、一人の少年と出会った。
彼も、何かを必死に取り繕っている感じがした。
もしかすると、彼も《自分》を作っているのかもしれない。
どうにか善人たろうとしている印象だった。
演じている風だった。
誰にも嫌われないような《いいヤツ》を。
直感でわかった。
あれが、素であるはずがない。
だとすれば、似ている。
彼と深い関係を築ければ、何か変わるかもしれない。
なんとなくだが、そんな予感がした。
淡い期待を、抱き始めた。
今になって思えば、縋っていたのかもしれない。
しかし――
あの第6院の男との出会いが、目を逸らし続けていた宝石のヒビを、無慈悲に浮かびあがらせてしまった。
『型から抜け出せぬつまらん剣を無心に磨き続けてその先に限界を見るもよし。甘きに溺れていつか取り返しのつかぬ失敗をおかし破滅するもよし。美を追求し権力者どもの愛玩人形に成り下がるもよし。好きに果てろ』
あの第6院の男の言葉は、想像していた自分の未来の姿そのものだった。
このままいけば、自分はこうなるかもしれない。
不安と共に漠然と抱いていた、自分の未来像。
そうなりたくはないが、そうなるような気がしていた。
水面下で必死に足をばたつかせて、自分は何から逃げていたのだろうか?
簡単だ。
その未来からだ。
そうしてヒビガミに敗北したあと……気力が尽きた。
そんな時、屋敷を訪ねてきたのがクロヒコだった。
結論から言えば、クロヒコは自分と似た人間だったと言える。
もしかしたら自分とは違うのかもしれない――そう思いかけていたが、ちゃんと似ている人間だった。
色々と楽になった。
完璧を完璧に演じなくていい人が、傍にいてくれるようになった。
誰にも吐き出せなかったものを、吐き出せた。
本当に、楽になった。
ようやく――救われたような気がした。
今の自分にはもう一人、とても大切な人がいる。
キュリエ・ヴェルステインだ。
自分にないものをたくさん持っていて、自分にないものをたくさん与えてくれる。
自分が求めてもよい人。
求めても応えてくれる人。
とても強くて、頼りになる人。
いつも真っ直ぐに、自分を想ってくれる人。
この聖武祭でもずっと献身的に支えてくれた。
ずっと、味方でいてくれた。
「…………」
正直に言ってしまうなら――彼女にだったら、素直に負けを認めてもいいと思える。
サガラ・クロヒコ。
キュリエ・ヴェルステイン。
自分にとって、かけがえのない二人。
彼らと肩を並べたい。
後ろから、ついて行くのじゃなくて――
隣に、いたい。
少し前に、意識が剥がれた感覚があった。
不思議な感覚だった。
自分なのに、どこか自分じゃない。
自分の中から《自分》を見ている感覚とでも言おうか。
意識よりも、身体が先に動いている感じだ。
無数の線が見えている。
気づくと、その線をなぞるように剣を振っている。
すると剣は、対戦相手の――
アイラ・ホルンの腕を、強打している。
わずかに遅れて、内側の意識がそれを認識する。
「有効打っ!」
声が、聞こえた。
「うぉぉ! 今度はセシリーが、有効打を取ったぞ!」
「何が起こったんだ!? 急に盛り返した!?」
「ていうか見ろよ! アイラ・ホルンを、圧倒してる!」
「やっぱり天才なんだよ! これが、セシリー・アークライトなんだ!」
二人は優しいから、隣に立たせてくれる。
だけど、いつまでもそれではだめなのだ。
強くなる。
二人の隣に、立つために。
そして、
この聖武祭で優勝できたなら――きっとそれは彼らの隣へ辿り着くための、とても大きな一歩になるはずなのだ。
「有効打っ!」
歓声が、上がった。
「これで三本目! セシリー・アークライトが、一気にアイラ・ホルンと同じ本数まで追いついたぞ!」




