61.「ノンストップ」
二人が一旦、間合いを取った。
「はぁっ――はぁっ……やりますね、アイラ……っ」
「はっ――はっ……セシリーこそっ……」
セシリーさんが左手首を誇示する。
「本気でやってくださいよ? はぁっ……はぁ……でないと、勝ったって気がしませんから……」
「うん……やるよ、本気で……そう、アタシだって――」
アイラさんが動いた。
「勝ちに行くっ!」
この決勝戦には、勝敗を分ける重要な要素がある。
おそらくセシリーさんが出てきた門に近い席で観戦しているキュリエさんも、それを懸念していると思う。
その要素とは、これまでの試合の影響がどれだけ出ているかだ。
こればかりは事前予想も難しい。
アイラさんは火傷をはじめとする軽傷。
セシリーさんはやはり捻った手首だろう。
「セシリーが、押されてる……」
試合から目を離さずレイ先輩がそうつぶやくと、観客が続いた。
「おい、見ろ! アイラ・ホルンが押してるぜ!」
「試合の均衡が崩れてきた!」
「ホルン家の娘が、このまま押し切るのか!?」
「だとすれば、家としての雪辱を晴らすこともできるな!」
む?
どこに座ってる観客だ?
余計なことを。
今は、家のことなんか考えずに試合に集中してほしいのに……。
レイ先輩が、セシリーさんの左手首を見つめながら言った。
「負傷も、運だよね……」
手首を痛めたのがかなり不利な要素となっている。
気持ちの面では気にしていなくても、現実的にはやはり影響が出てしまう。
「そういえば、セシリーってアイラの剣の型は読めてるのかな?」
「剣の型ですか……俺の知る限りだと、キュリエさんとセシリーさんがアイラさんと剣を合わせた回数はそう多くないはずです。イオワ養地の合宿の時くらいですかね。でもその時だって、アイラさんの相手役は俺とレイ先輩が多かったし……」
「うちの会長ほどは読まれていない、ってことかな? それにしても、あの《疑似極空》……まだ、出ないね」
「あくまで憶測なんですけど……あれは、セシリーさんの本能が危機感を覚えた時に出るんじゃないかと」
四凶災と戦った時に出ていたならそれは考えられる。
また命を脅かす危険はなくとも、準決勝のクーデルカ会長からはとても強い威圧感を放たれていた。
セシリーさんの《疑似極空》で印象が薄くなった感はあるが、覚醒したクーデルカ会長の技のキレは尋常の領域ではなかった。
明らかに、他の参加者と一線を画していた。
「つまり?」
結論を求めて問いかけるレイ先輩。
安堵と同時に悔しさを覚えながら、俺は両手のこぶしを握り込んだ。
「つまり……今のアイラさんは《疑似極空》が発動するほどの威圧感を、セシリーさんに与えられていないってことですね……」
だから《疑似極空》が発動しない。
もしくは、セシリーさんがアイラさんを《敵》ではなく《仲間》と感じすぎているというのはあるかもしれない。
仲間を想う気持ちによって《疑似極空》が封じられている。
一応、そんな推察も――
「有効打っ!」
有効打宣言が、出た。
薙いだ刃が、相手の首を打っている。
「おぉ! 決まったぁ!」
判定員の手が上がっている方向は、
「アイラ・ホルンが、最初の有効打を取ったぞ!」
最初の有効打を取ったのは、アイラさん。
しかも――有効打を取ったあとも、彼女はそのまま攻め続けた。
レイ先輩が、ごくっ、と唾をのみ込む。
「アイラ……さっきから、止まらないよ……?」
俺も気づく。
アイラさんは、ほとんど無呼吸に近い状態で攻撃を打ち込み続けている。
一方、攻撃を受けているセシリーさんは反撃へ移るタイミングを作れず、防戦一方の状態にあった。
「セシリーさんに、反撃へ移らせないつもりだ」
そうか。
これまでの試合の影響で忘れてはならないものが、もう一つあった。
それは、体力だ。
準決勝後の短い睡眠は大きな回復にはならなかったはずだ。
それはつまり、元のアイラさんの体力が優れていることを示している。
少し前に二人が会話をしていた時の呼吸の感じからしても、アイラさんの呼吸の方が浅い感じがあった。
アイラさんの方が、体力に余裕があるのだ。
レイ先輩がしみじみとして、目を細める。
「体力作りだけは人一倍、がんばってたもんなぁ……《体力作りならアタシでも簡単にできるから》って……誰よりも一途に、打ち込んでたもんね……」
なんとなくアイラさんを見つめるレイ先輩は、妹を見守る姉のようにも見えた。
その時、
「ぐっ……ぅ、っ!?」
セシリーさんのみぞおちに、アイラさんの剣の柄底がめり込んだ。
「か、はっ!?」
観客が感嘆する。
「う、上手いっ!」
「やり方は荒いが、今の剣の持ち替え方は舌を巻くほど鮮やかだったな……」
返し刃と見せかけて、そこから瞬時に剣を持ち替え、鈍器感覚で柄底を打ち込んだ。
この聖武祭は、どんな攻撃でも強打と認められれば有効打を取れる。
それが、柄底であっても。
ただし”武器による攻撃に限られる”という点は留意しておく必要がある。
ワッ、と観客席から声が上がった。
「有効打!」
取った。
「うぉぉ! またまた、アイラ・ホルンだ!」
これでアイラさんに有効打が、二つ。
よし。
十分だ。
ここは一旦呼吸を整えるために、後ろへ引いて――
え?
「アイラ、さん……?」
止まら、ない?
柄底を引いた直後、身体のバネを使った半弧の一撃。
驚嘆すべきバランス感覚だ。
あれは腰が強いからこそ、できる動きだろう。
というか、
「止まらない……っ?」
「あの子、一体いつまで継ぎ目なく攻撃を続けるつもりだ!?」
「すごいっ……あんな威力で打ち続けてて、まだ息が続くなんて……っ」
「無尽蔵の体力かよ!?」
止まらない。
「……忠実だ」
隣のレイ先輩にすら聞こえないだろうほどの小さな声で、俺はつぶやいていた。
実はこの試合、俺はほとんど策らしい策をアイラさんに与えられていなかった。
たとえば、固有術式のような癖のあるタイプは確かに強敵である。
しかしその一方で、癖が強い相手には対策を立てやすいという一面がある。
フィットさせやすい、みたいな感じだろうか。
反面、癖のない相手に対してはなかなか策らしい策を用意できない。
そういうタイプは総合型とでも言おうか。
そう、
セシリーさんの戦い方は、俺の見立てだと総合型に近いのだ。
結局、セシリーさん対策として俺が打ち出せたのは、受け流されにくい角度から打ち込む戦い方、双剣の相手と戦う時のちょっとした留意点、それから、できるだけ彼女の得意な《舞踏》の流れに乗せないことくらいだった。
そしてアイラさんが今実行しているのは、それだった。
稽古中の会話を思い出す。
『どうすればセシリーの《舞踏》の流れを防げるかな?』
『流れを作らせる前に攻め続けて、その流れの起点を潰すことですかね……』
『ふーむ……攻め続ける、かぁ』
『といっても、実際はなかなか難しいと思いますけどね。体力配分の問題も関わってきますし』
『じゃあアタシ、がんばって体力作りしないとだね!』
『ははは……アイラさん、この聖武祭では本当に前向きですね』
『少しでも優勝に近づけるんだったら、なんでも前向きにやってみる! これが今のアタシの心得だからね! まあ……完璧に実践できてるかは、正味なところ自信がないんだけど……たははは……』
『大丈夫です。自信は、あとからついてきますよ』
『お! クロヒコも、前向きだね!』
『俺、自分のこと以外はけっこう前向きみたいなんですよね……』
『あはは、何それ』
『後ろで誰かの背中を押す方が、向いてるみたいな?』
『ん……アタシ、そ、それはそれで……その、かっこいいと思うな……』
『ははは……ありがとうございます。さて……じゃあ今日は、もうちょっと体力作りに励んでみるとしますか』
『うん!』
忠実に、守っている。
流れを作らせる前に、流れの起点を潰す。
ひたすら攻め続けて、潰す。
俺の口にした策を律儀に守って、戦っている。
前のめりになる観客。
みんな、食い入るように試合を観ている。
「これ、このまま決まるぞ……っ!」
「アイラ・ホルン……このまま一気に、試合を決めるつもりだ!」
絶え間ない連続攻撃。
俺の額に、冷や汗が流れた。
スタミナが切れてきて落ちるどころか、上がってきている――アイラさんの、トップスピードが。




