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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い えくすとらっ!
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55.「声なき世界の戦い」


 かつてセシリー・アークライトは、一度切りつけた傷をさらに上からなぞるという攻撃を、あの四凶災に対して成功させた。


 今になって考えてみれば、それはやはりとてつもないことに思える。

 相手は大陸中に凶名を轟かせていた四凶災。

 そんな相手にあの技を決めるためには、一体どれほどの極まった集中力と精確さが必要とされたのか。

 あるいは、と俺は思った。

 その時はもしかすると、彼女は一時的な疑似《極空》状態に入っていたのかもしれない。


「疑似的な《極空》状態、だと?」

「ありえない話ではないと思います。というか、俺の中では今のところそれしか説明がつきません」


 豹変したセシリーさんを凝視しながら聞くキュリエさんに、俺はそう答えた。


「なんてやつだ……」


 しかし疑問もある。

 今まで発動しなかったのはなぜだろう?


 俺はこう推測した。

 発動するかどうかを分けるのは、本能が相手に対して脅威を覚えるか否か。

 分水嶺はそこに存在するのではないか?

 クーデルカ会長はこの試合で覚醒とも呼べる成長を見せた。

 そしてその覚醒が、セシリーさんの疑似《極空》を呼び覚ました。

 四凶災の時に発動したのも、本能が相手を《圧倒的脅威》だと判断したから――そう考えれば、納得もいく。


 試合はセシリーさんが盛り返していた。

 だが、


「くっ! それでも、決めきれないのかっ」


 キュリエさんが悔しそうに膝を叩く。


「もしクロヒコの言うように今のセシリーが疑似《極空》状態にあるというなら、驚嘆に値しますわ。ですが……所詮は、偽物」


 ドリストス会長が言った。

 その声には緊張が宿っている。

 手に汗握りながら話しているのがわかった。


「本物が偽物に劣る道理など、ありませんわ……っ!」


 それは的確な洞察と言えた。

 確かにセシリーさんは盛り返した。

 だがそれはマイナスをゼロへと戻しただけである。

 劣勢から、拮抗へと変わっただけだ。


 クーデルカ会長が有効打の数で上回っている以上、このまま互角の戦いが続けば時間切れでセシリーさんの負けとなる。


「風紀会長があまりにもこの第三戦で進化しすぎたのか……くっ! だがセシリーは絶対に諦めないっ! あいつは勝つ! 必ずだ!」

「いいえ! この拮抗状態が崩れない限り、セシリーの勝利はありえませんわ!」


 キュリエさんとドリストス会長。

 互いに応援に熱が入っていた。

 かくいう俺もすっかり魅入られている。


 もはや戦台の上の二人は言葉を発す気配すらない。

 セシリーさんに至っては無意識で戦っているようにすら映るほど、試合に集中している。

 会場の騒々しさも今はおとなしくなっていた。

 兄のディアレスさんも言葉を失った様子で見入っている。

 他の試合ではいささか退屈そうな態度を取っていたユグド王子も、この試合は食い入るように観戦していた。

 祖父のガイデンさんも同じだ。

 聖王様も。

 他の国の客人たちも。


 皆がもう一つの準決勝に、魅せられていた。


 試合を見つめたまま俺は口に手をあてた。

 とはいえこの試合、ドリストス会長の言う通りだ……。

 拮抗状態を崩せなければ、セシリーさんに勝ちの目はない。

 試合時間は半分を過ぎている。


「…………」


 ただ、何か違和感があるような気も――


「だ、駄目だぁ!」


 まるで溜めこんだ緊張を解放するかのように、観客の一人が悲嘆を叫んだ。


「一時的にセシリー・アークライトが盛り返したかと思ったけど、もう遅すぎたぁ! あれは勝てねぇや!」


 ぐっ、とキュリエさんが悔しさを滲ませる。


 何を悔しく感じたのか?

 たぶん、反論できないことに対してだ。

 キュリエさんの反応から、この状況を打開するような策をセシリーさんに与えていないのがわかった。

 今は互いに、事前に用意した策を出し尽くした状態と言えるのだろう。


「だけど、セシリー・アークライトもよくやったよ……」

「だよな。だって、まだ一年生なんだろ?」

「つまり伸び代はまだまだあるってわけだ!」

「そうよ! むしろ健闘を讃えるべきだわ!」

「よくやったぞ、セシリー・アークライトぉ!」


 堪え切れなくなった風に、ついにキュリエさんが観客たちを睨めつけた。


「うぉっ!? な、なんだよ……っ?」

「まだ、試合は終わっていないっ……もうセシリーが負けたかのような言い方をしてくれるな……っ」

「…………」


 キュリエさんが言わなかったら、俺が咬みついていたところだった。

 斜め後ろへ振り向きかけていた身体を、元に戻す。


「そうですよ。まだ、試合は終わっていない」

「クロヒコっ」


 嬉しそうな顔をするキュリエさん。


「それに――」

「何か気になることでもあるのか、クロヒコ?」

「今の状況……何か、違和感が……」


 何が引っかかっている?

 あの戦台の上で今、何かが起きて――


「!」


 わかった。


「《キュリエさん》だ」


「え? 私……? わ、私がどうかしたのか?」


 ぽかんとするキュリエさん。


「この試合はまだ決まっていませんよ。見てください、キュリエさん」


 ありえないが、ありえる。


「ほんの少しずつですが……セシリーさんが、優勢になってきていませんか?」

「え? あ……ほ、本当だ……むむ……まさか、風紀会長が体力切れを起こしたのか?」

「いえ……体力切れはないと思います」


 感じからして、クーデルカ会長はまだ十分に体力が残っているはず。

 この聖武祭へ向けて体力作りにもかなり力を入れてきたのだろう。


「おそらく、剣の個性のおかげです」

「ん? 個性だと? 剣の個性が、何か――あっ」


 キュリエさんも気づいたようだ。

 さすがである。


「まさか……そ、そんなことがありえるのか? 過剰に変化したあの剣の型を、相手にして……?」

「ありえるからこその、セシリーさんなんです」

「あ、あのー……」


 そこに入ってきたのはレイ先輩。


「な、なんの話……? ボクにはいまいち、二人が今何を発見したのかわかってないんだけど……」


 ここで、何人かの観客がその変化に気づく。


「あ、あれ? なんか、セシリーが優勢になってきてねぇか?」

「ほんとだ」

「クーデルカの体力が尽きてきた……?」

「でも、そこまで疲れてるようには見えないけど……」 


 すべてを理解したキュリエさんが、冷や汗を流しながら、レイ先輩に説明する。


「セシリーはおそらく、風紀会長の剣を《先読み》している」

「え? だ、だって今のうちの会長の剣の型は――」

「ああ、そうだ。元の型とは違いすぎる。それでも……芯の部分は、必ず残る。どんな分厚い塗料で、塗り固められようと」


 分厚く塗り固められたその奥にある《芯》のニオイを嗅ぎつけるのは、困難必至と言える。

 いや。

 普通ならば、不可能に近い。


「で、でもだよ!? あの三刀流は未知の型としか言えないよ! ボクの知ってるうちの会長の型とは、あまりに違いすぎる! まるで別物だよ!?」


 緊張を逃がすような息を吐いてから、キュリエさんが疑問に答える。


「だとしても――結局のところ、それも個性という《芯》から派生した型ということだ。クーデルカ・フェラリス、という名のな」


 ついに耐え切れなくなったという風に、今度はドリストス会長が割り入ってきた。


「あ、ありえませんわ! つまりそれって、こういうことですの!? セシリーは《クーデルカの剣のあらゆる派生型を常に予測しながら戦っている》と!? そんなの、非現実的すぎます!」

「正直言って私もあなたと同意見ですよ、生徒会長」

「――っ!?」

「今のセシリーがやっていることは……あまりに、非現実的すぎる」


 個性という芯から枝分かれしていく何本もの枝。

 その枝がどんな型を形成し、そして、そこからどんな風に伸びて行くのか。

 細い芯の部分だけを見て、未来に作られるそれらの完成型をまんべんなく予想していく。

 そして戦いながら蓄積されていく《個性》の断片を、芯の部分へ休みなく組み込んでいく。

 すると《先読み》精度は、さらに増していく。


 無数の先読み。

 一本ではなく、無数。


 ありえないが、ありえる。


 天賦の才を持つと呼ばれた少女。

 天才、セシリー・アークライト。

 その名に、偽りなし。


「そしてクロヒコがさっき私の名を出した理由も、ようやくわかった」


 俺が先ほど《キュリエさん》と答えたのは、特質が似ていると感じたからだった。


 キュリエさんは、戦う時間が長くなるほど相手の戦い方に《適合》していくという特質を持っている。


 そして今のセシリーさんは戦いながらデータを蓄積し、その巨大なデータベースによって相手の次の攻撃を予測――計算し、相手の戦い方に《適合》していく。


 とても、似ている。


「…………」


 まあ、これはむしろ疑似《極空》状態なんてないのに日常的にそれができてしまうキュリエさんこそ何者なんだという話でもあるのだが……。


「おぉ! セシリー・アークライトが、四本目の有効打ぁ!」


 一気に押し返したセシリーさんが、四本目の有効打を取った。

 相手の《未知の派生型》すら予測する先読み。

 これも一つの未来視と言えるだろうか。


 先読みの先読みの、そのさらに先の風景を今の彼女は見ている。


 その時、強い光が発せられた。


 光ったのは、クーデルカ会長の臀部の上あたり。


 聖素を最大値まで練り込んだのか。


 聖武祭の腕輪の仕様上、練り込める聖素量には天井がある。

 その天井に届くか届かないかのギリギリの量を練り込んだのだろう。

 そして聖素量の操作をわずかでも間違えれば、腕輪の限界量を超え、その時点で失格となる。

 もちろん練り込む聖素量を増やせば身体へかかる負荷も跳ね上がる。

 しかしクーデルカ会長なら、そのリスクも承知の上だろう。


 覚悟の上で、勝負に出たのだ。


「ゆ――有効打っ!」


 ワァーっと、歓声が上がった。


「取ったっ!? く、クーデルカが一つ有効打を返したぞっ!?」


 もう、意地だ。

 あそこまで行ったら、二人とも……っ!


「これで、四対四!」


 レイ先輩が腰を浮かせ、声を上げた。


「ここまできたら勝つしかないよ、会長っ!」


 見ると、観客席のディアレスさんも腰を浮かせていた。


「そのまま押し込め、セシリー!」


 そこに続いたのは、


「セシリー様ぁ! もうひと踏ん張りです!」

「せ、セシリー様なら……勝てますっ!」


 俺たちとは別の場所で観戦していたジークと、ヒルギスさん。


 次に聞こえてきたのは、風紀会のメンバーたちの声だった。

 いや――そこには、生徒会のメンバーの声もまじっている。


「クーデルカ会長! 会長なら、必ずやれます! 絶対、勝てます!」

「がっでくだざい、会長ぉぉっ……ぐすっ……がいぢょーっ……」

「こうなったらもううちの会長の分まで勝ってくださいよ、クーデルカ会長ぉぉ!」


 たまりかねたように、観戦していたベオザさんも声を上げる。


「僕の決勝戦に勢いをつけるためにも……ここで君に勝ってもらわないと困るんですよ、クーデルカっ!」


 すると、思わずといった風にキュリエさんも立ちあがった。


「いけ、セシリー! おまえは私が認めた最高の剣士だ! この準決勝、勝つのはおまえだ!」


 ドリストス会長も立ち上がる。


「クーデルカ! 貴方なら勝てます! この聖武祭、わたくしのすべてを貴方に託しますわ! だから――勝ちなさいっ!」


 その表情はもはや、犬猿の仲の相手へ声をかける者の表情ではない。

 すでに、純粋な応援者のものだった。


 戦台の上の二人。


 互いに一足で、間合いを詰める。



 音のない世界。



 今のあの二人には、もう会場の音は聞こえてないのかもしれない。

 聞こえているのは、もしかすると、互いの心音と呼吸音だけなのかもしれない。


 クーデルカ会長が右手の小太刀を振る。

 セシリーさんはそれを左手の剣で受けとめる。


 身体を倒して勢いをつけ、口にくわえた長刀を鋭く振り降ろすクーデルカ会長。

 セシリーさんが右手の剣を打ち上げ、その振り降ろしを弾き返した。

 弾かれた反動でのけ反り気味になるクーデルカ会長。

 だが、攻撃の手は緩めない。


 動きを止めず、そのまま右手の鞘で有効打を狙いにきた。


 セシリーさんの神速の返し刃が、右から迫る長刀の鞘を力強く弾き飛ばす。

 クーデルカ会長の手から、鞘が離れた。


 しかし返し刃の力の入れ方にも無茶があったのか。

 セシリーさんの右手の剣は、弾き飛ばした鞘とほぼ同じ速度で戦台の上を滑り、そのまま遠ざかっていく。


 左手の剣は今、鍔迫り合いに等しい状態。


 今この場において攻撃態勢へ移れる武器は、打ち上がったクーデルカ会長の口に装着された長刀のみ。


 あれがこのまま使用可能な状態へと戻れば、クーデルカ会長の勝利――と、誰もが思っていた。



 その時、セシリーさんの手がクーデルカ会長の《腰》へ伸びた。



「あっ」


 そうだ。


 まだあった。


 武器は、もう一つ。




 クーデルカ会長の《小太刀の鞘》――――




 小太刀の鞘を、セシリーさんが抜き取る。


 直後、クーデルカ会長の左手が空を切った。

 腰の左側に差さっている鞘を左手で抜くのは、右手で抜く場合よりも慣れていなかったのか。

 動きに、慣れがなかった。

 そして、持ち主よりも速くその鞘を抜き取ったのは――




「――――――――」




 相手の長刀が使用可能になるより速く、セシリー・アークライトが手にしたその小太刀の鞘は――




 確と、クーデルカ会長の左腕を強く打った。




 俺は、言葉を失っていた。

 はっきりと、見えたのだ。


 セシリーさんが《見ていなかった》のを。


 彼女はクーデルカ会長の腰から小太刀の鞘を抜く時に《視線》を鞘へ移動させていなかった。

 その目は相手の口の長刀を真っ直ぐ見ていた。

 だからこそクーデルカ会長も、相手の狙いが小太刀の鞘だと気づくのが遅れたのだろう。

 直前まではもしかすると《この口の長刀を奪おうとしているのではないか?》と思考していたかもしれない。

 


 その思考時間の有無が、勝負を分けた可能性は高い。



 要するにセシリーさんは、すべて《計算》していたのだ。

 そう考えられる。

 互いが間合いを詰めたあとの一連の動きをすべて彼女は計算していた。


 ゆえに、視線を小太刀の鞘の方へ移動させる必要はなかった。


 クーデルカ会長がどう動くか。

 どの位置に小太刀の鞘がくるか。

 自分はどこへ手を伸ばし、どの程度の力で引き抜けばよいか。

 引き抜いたあとは、どこをどう狙えばよいか。


 そのすべてを計算――《未来視》していたからこそ、視線の動きで、次の手を先読みされずに済んだ。


 思考させる時間を、相手に使わせることができた。

 思考時間の差を、勝利へつなげることができた。


 今なら実感としてよりわかる気がする。

 終末郷へ連れて行きたくなるほど、あのヒビガミがその才を欲した理由も。


「ゆ……有効打っ!」


 リリさんが息を吸い、朗々と声を上げた。



「勝者、セシリー・アークライト!」



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