52.「もう一つの準決勝」
俺とキュリエさんが観客席に戻る頃には、もうセシリーさんとクーデルカ会長が中央の戦台に立っていた。
レイ先輩の隣に腰をおろす。
「おかえり、クロヒコ」
試合後は涙を浮かべて感動に打ち震えていたレイ先輩は、今はいつも通りに戻っていた。
まだ目元がちょっと赤いけど……。
「アイラの様子はどうだった?」
「火傷はありますけど、跡が残るような傷はないみたいです」
「よかった、安心したよ。ああいう無茶するところは、クロヒコのがうつっちゃったのかねぇ?」
「す、すみません……」
「あはは、キミが謝ることじゃないって。やっぱり変なところで責任感の強い男だねぇ、キミは」
ちなみにアイラさんは、午後の決勝まで医療室で休んでもらうことにした。
俺の見る限り準決勝での消耗は激しい。
わずかでもいいから、今はできるだけ体力を回復させてほしかった。
準決勝で何か起こったら、アイラさんにはしっかり俺が内容を報告する。
そして対策を立てる。
それが、俺の役目だ。
レイ先輩が、俺の左隣に座るキュリエさんに声をかけた。
「キュリエの方は、セシリーには会えた?」
「ああ。調子は悪くなさそうだった」
キュリエさんの視線は、戦台に立つセシリーさんに――いや、違う。
彼女は、クーデルカ会長を見ていた。
彼女も気づいたのだろうか?
「クーデルカ会長、なんか雰囲気が違いますよね」
「やはりおまえも気づいたか、クロヒコ」
腰に差している鞘がこれまでと違う二本、というだけではない気がする。
これまでと何かが根本的に違う。
「クーデルカもクーデルカなりに、この準決勝に対しては何かしら強く思うところがあるようですわよ?」
背後から、声がした。
振り向くと、俺の真後ろの席にドリストス会長が座っていた。
にっこりと微笑む、生徒会長。
「わたくしも、ここで観戦させてもらって問題ありませんわよね?」
ドリストス会長が脚をサッと組み替えた。
俺は慌てて前を向くと、かぁぁ、と赤面した。
「も、もちろんです!」
前後の席の高さの関係的にというか……視線の位置的にというか……その……俺の後頭部の先には、ちょうど生徒会長の股のあたりがあるわけで……。
「クロヒコ……役得?」
肩をくっつけてきたレイ先輩が、囁き気味に耳元で言った。
うっ……目つきが、すべてを見透かしている。
くっ!
ドリストス会長、わざとやってるわけじゃないだろうな……?
しかし生徒会長の隙のない微笑みからは、まるで感情が推し量れない。
「ふ、不可抗力ですってばっ――ほら! 試合が始まりますよ!」
まったく……。
ドリストス会長が、くすっ、と愉快そうな笑みを漏らす。
「貴方って身内扱いの者にはとんと弱いんですのねぇ? クロヒコも男なのですから、女たちにはもっとガツンと言って、やり込めてしまえばよろしいのに」
「ほっといてください」
「あらあら、お優しいことですわね? ふぅ、やれやれですわ。貴方はそうやって誰にでも優しいから、人によっては残酷にもなるのですよ?」
「?」
「ほら、試合が始まりますわ」
促され、俺は戦台の二人に集中し直す。
セシリーさんとクーデルカ会長が武器を構えている。
セシリーさんは、双剣。
クーデルカ会長は、二刀流。
「うちの会長は、強いよ」
言葉の調子は変わっていない。
「多分、これまで以上にね」
だけどレイ先輩の目つきは、すっかり真剣モードに変わっていた。
みんな感じ取っている。
クーデルカ会長の空気が、これまでとは違っているのを。
その影響なのか、特にキュリエさんは緊迫した顔をしている。
俺は戦台で向かい合う二人へ、改めて意識を集中させた。
「二刀、ですか」
セシリーさんが言った。
「奇策の意味もあります。あなたは私の二刀の戦い方を、知らないはずですから」
この準決勝まで、クーデルカ会長は長刀一本で戦ってきた。
俺も二刀流を使う彼女は知らない。
「使いこなせて……いるのでしょうね」
クーデルカ会長が構えに合わせて、ゆったりと肩を落とす。
「この試合で、それを証明できればと思います」
そして判定員のリリさんが、試合開始を宣言した。
場内の観客がワッと沸いた。
この準決勝は前の準決勝とは微妙に空気が違う。
これはセシリー・アークライトの試合に特徴的な空気である。
この空気を醸し出している観客たちは、華麗かつ鮮やかに戦うルノウスレッドの宝石による舞踏を望んでいる。
前の世界っぽく言えば、アイドルのイベントでも観に来ているような感覚に近いのかもしれない。
だが、すぐにこの試合がそれとは別種の空気を持つものであると、皆が理解する。
開始宣言の直後、セシリーさんは一気に距離を詰めた。
迎え撃つ、クーデルカ会長。
目の感じからわかった。
すでに《極空》状態に、入っている。
出し惜しみはない。
ドリストス会長との試合では体力温存を予期しての奇襲作戦が成立した。
しかしクーデルカ会長は――最初から、フルスロットル。
剣と剣が衝突し、響き合った。
二本の刃が相手の二本の刃を、受けとめている。
踏み込みのタイミング。
剣撃の速度。
鋭さ。
セシリーさんの攻撃はすべてが理想的に見えた。
しかしそれをクーデルカ会長は、見る者からすればあっさり受けとめたと思えるほどの余裕をもって、防ぎ切った。
そこへ攻撃が来るのを、すでに予期していたかのようだった。
攻撃を防がれたセシリーさんは、警戒しながら、ツーステップだけ間合いを取った。
「やはり《極空》……あれの攻略が、この試合の肝になるか……」
キュリエさんが前かがみになり、形のよい顎に手を添えた。
「ですが、おかしいですわ」
そう疑問を口にしたのは、ドリストス会長。
レイ先輩が振り向いて聞く。
「おかしい? 何がです?」
「考えてみてごらんなさいな。すでにクーデルカは《極空》状態に入っている。だというのに――《反撃の有効打》を取ることが、できませんでしたわ」
レイ先輩が「あっ」と声を漏らした。
そうなのだ。
極まった集中力によって相手の動きを先読みする《極空》は、迎撃状態において真価を発揮する能力。
ひと言で言えば、自分から攻撃へ出る場合と比べ、迎撃側であれば辿るべき思考プロセスを少なくできる。
つまり迎撃側であれば、最初から思考を《反撃》の一点のみに集中させることができるのだ。
戦闘における勝利の方程式の究極系は、おそらく、無駄を極限まで削ぎ落とした状態の中でこそ生まれる。
無駄を徹底して排除した式が勝利を生む。
思考プロセスの量を減らせるのは、戦いにおいて圧倒的な強みとなる。
要するにクーデルカ会長は、ほぼベストに近い状態で、セシリーさんの攻撃を待ち構えていたのだ。
にもかかわらず、いわゆる《後の先》で有効打を取ることができなかった。
単純に考えればクーデルカ会長の方が、圧倒的に有利だったはずなのに――
「クーデルカにとっては、セシリーの攻撃速度が想像以上だったようだな」
キュリエさんがそう分析を口にする。
その言葉を証明するように、クーデルカ会長の顔には驚きの相が認められた。
冷や汗をかいている。
おそらくセシリーさんの攻撃が、彼女の想像を遥かに超えていたのだろう。
「ですが――」
ドリストス会長が言った。
「相手が想像以上だったのは、向こうも同じみたいですわよ?」
一度、間合いを取ったセシリーさんの表情。
彼女も戸惑いに似た驚きを浮かべていた。
その身をもって味わった《極空》が想像以上だったのだろう。
覚悟はしていただろうが、その覚悟の域を生の《極空》は易々と越えてきた――たぶん、そんな感じだと思う。
両者共に相手の力量や能力が、遥かに自分の想像を上回っていた。
あるいはそれは、この短期間に二人が著しく成長した証拠なのかもしれない。
俺は固唾を飲んだ。
二人はこの試合で、俺たちの想像も超えようとしている。
そんな、気がした。




