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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い えくすとらっ!
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51.「譲れぬもの」【ドリストス・キールシーニャ】


 準決勝を終えたドリストス・キールシーニャは、控え室にいた。


「こんなものですかね」


 目の前で片膝をついていたベオザ・ファロンテッサが、立ち上がる。

 彼は準決勝で負った傷の手当てをしてくれていた。


「あとは治癒術式で治癒力を高めるのがいいでしょう。聖武祭中は、医療室に優秀な治癒術師が控えていますから」

「一応礼を言っておきますわね、ベオザ」


 まだ身体に残る先ほどの試合の火照りを感じながら、ドリストスは感謝の言葉を口にした。


「礼など不要ですよ」

「あら? もしかして貴方、わたくしに気があるのかしら?」


 大人びた余裕ある微笑を浮かべて、ベオザが首を振る。


「馬鹿な」


 目元の糸目の角度をより鋭くし、ドリストスは弧を描く口もとへ手をやった。


「ですわよね」


 ベオザ・ファロンテッサには将来を約束した恋人がいる。

 一緒にいるところを何度か目にしているが、見ているこっちが恥ずかしくなるほどの熱愛ぶりだった。

 軽薄そうに見られることもあるが、彼はあれで一途な男なのである。


「僕はただ美しいものに傷が残るのではないかと不安に思い、駆けつけただけです。君に対して異性としての感情は微塵もありません。しかし、美術品としての美は認めざるをえない」


 照れ隠しでもなければ、謙虚なわけでもない。

 ベオザの場合は本気でそう言っているのだから、こちらもこれ以上何も言えなかった。

 ただ彼も四凶災との戦いで兄が死んでから、それ以前とは少し変わったように思える。


「美しさを認められる貴方のその鑑識眼だけは、褒めて差し上げますわ」

「美とは、無自覚の方が美しいのですがね」

「あら、皮肉っぽい言い方をしますのね? やれやれ、つくづくひと言多い男ですわ」

「高い水準の美を言葉で表現しようとすると、ひと言もふた言も余計に重ねてしまうものなのです」


 いちいち決めの姿勢を作るあたりは、変わっていない。


「先ほどの準決勝も、言葉で言い尽くすのが難しいほど美しかった」

「あの試合が?」


 演技っぽく、ドリストスは治癒布の貼られた腕を誇示した。


「こんな火傷を負うくらい、派手で騒がしい試合でしたわよ?」

「だからこそですよ。あの試合には、本質的な美があった」


 呆れ半分に肩を竦める。


「貴方の美の水準とやらもよくわかりませんわね。とはいえ、わたくしとしては先ほど試合の内容自体には、とても満足を――」


 その時、控え室の扉が開いた。

 入ってきたのは、次の準決勝を控えたクーデルカ・フェラリス。


「あら、クーデルカ」


 クーデルカは落ち着いて見えた。

 ベオザが一歩下がる。

 まるで二人の会長に、会話の場を譲るとでも言わんばかりに。

 ドリストスの座っている長椅子の前を、クーデルカが少し通り過ぎる。

 そして立ち止まった。


「今の準決勝、見ていました」

「わたくしたちの決勝戦は叶わぬものとなってしまいましたわね。その点については、無念ですわ」

「この聖武祭で私が優勝すれば……形としては、あなたとの勝負は私の勝ちと考えてよいのでしょうか?」

「そうですわね」


 ぴくっ、とクーデルカが反応した。


「意外な返答がきましたね……あなたはそれでいいのですか、ドリス?」

「フフ……わたくし今、おかしな感じなんですのよ?」

「おかしな感じ?」

「ここでクーデルカ・フェラリスの敗北を望んでこそ、ドリストス・キールシーニャのはずなのですが――なぜか今、わたくしは貴方に勝ってほしいと感じているのです」

「……確かに、おかしな話ですね。キールシーニャ家の者からすれば、むしろ、アークライト家の人間に勝ってほしいと願うはずでしょう」


 アークライト家の人間に対して比較的キールシーニャの者が好意的なのは事実だ。

 しかし今、ドリストスはなぜかクーデルカに勝ってほしいと感じていた。

 不思議と、晴れやかな気分で。


「学園の《最強》と《無敗》が揃って今年入学したばかりの一年生に負けるというのも……いささか、恰好がつきませんもの」

「らしくありませんね、ドリス」

「そうですわね、らしくありませんわ。先ほどの試合の爆裂術式で、わたくしの理性も一緒に吹き飛んでしまったのかもしれませんわね」


 クーデルカが微弱な躊躇いを見せる。


「あれは、その……よい試合でした。アイラ・ホルンの覚悟もですが、正直なところ――あんなにも私の心を揺さぶる戦いをするあなたを見たのは、初めてでした」

「それは、動揺という意味でかしら?」

「ええ……わずかばかりの敬意をあなたへ抱いてしまった自分に、動揺を覚えました」


 お上品ぶったお決まりの皮肉が返ってこない。

 むしろその言の葉の返し刃は、ドリストスの骨を強く打ってきた。

 薄く目を開く。


「それはまた……珍しいことも、あるものですわね」


 クーデルカが試合用のカタナを手に取る。


「今ここにいる者は、小聖位で見れば学園の上位三名ということになるのですね」


 ベオザ・ファロンテッサ。

 ドリストス・キールシーニャ。

 クーデルカ・フェラリス。


「思えば、この三人だけで一つの場所に会するのは初めてかもしれませんね」


 言われてみればそうかもしれない。


「ドリス、少しだけあなたの意見に同意します。確かに上級生の意地というものが、あるのかもしれません――持つべきなのかも、しれません」


 試合の時間が迫っている。

 ベオザが自嘲気味に微笑んだ。


「なぜか今になって、僕も無学年級に参加すべきだったかもしれないと思い始めましたよ……ですが、三学年部門は優勝してみせましょう。もう一人の《最強》の存在をそれなりに、この聖武祭で示せるように」


 そういった熱意をあまり外へ出さないそのベオザの物言いに、ドリストスは少しだけ感心した。


「当然ですわ、ベオザ。それくらいしてもらえなくては、もう一人の《最強》であるわたくしの価値まで下がってしまいますもの」


 試合用のカタナを決然と腰に差し、クーデルカが言う。


「では、私も《無敗》の名を維持しなくてはなりませんね――セシリー・アークライトとアイラ・ホルンには、悪いですが」


 実質的な、勝利予告。


 ドリストスは、クーデルカの空気が変化しているのを見て取った。

 自分は試合中に《変化》を起こした。

 しかし試合開始直後は、まだあの気持ちの《変化》を起こせていなかった。


 今のクーデルカには夜闇にも似た静謐さがあった。

 まるで、風のない日のイオワ養地の夜の海のような――


「ドリス」

「何かしら、クーデルカ?」

「この聖武祭で私が優勝したら……後日、父に頼み込んでこの大聖場を個人的に借りようと思っています」

「あら? この大聖場で盛大に優勝祝いのパーティーでもなさるおつもりかしら?」

「招くのはあなただけです、ドリス」


 試合用の腕輪を嵌め終えると、クーデルカは、背を向けたまま言った。


「後期授業が始まる日の前日……あなたにはこの大聖場で、改めて私と《決勝戦》をしてもらいます」


 このクーデルカの言葉に、ついわずかばかりの動揺を覚えてしまったのを、ドリストスは認めざるをえなかった。


「とはいえ準決勝の相手は……天才、セシリー・アークライト。易々と勝たせてもらえるとは思っていません」


 クーデルカが手にしたのは、腰に差している長刃のカタナとは別のカタナ。

 腰のものと比べると刃が短い。

 この試合、どうやら彼女は二本のカタナを使うつもりらしい。


「彼女の相棒には、あのキュリエ・ヴェルステインもいます。そして何より、彼女の双剣は並大抵の代物ではありません」


 ドリストスもそのカタナの名称には、心当たりがあった。

 東国で《コダチ》と呼ばれるカタナだったか。


「それでも私は《無敗》のまま、この聖武祭を優勝まで駆け上がってみせます」


 まるで新たな仲間でも得たみたいに、クーデルカは、もう一本の鞘を力強く腰に差した。


「私にも、譲れぬものがありますから」


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