39.「信じてたよ」
「シャナトリス殿が、治癒術式を施せる時間は施しておくべきだとおっしゃっていましたので……治癒術式の得意な私とリリが、その役を担いましょう」
「え? しかし、お二人だって疲れているでしょうし――」
「いいのです。今日の大活躍だけでなく、私などは日頃から妹が世話になっているわけですし」
リリさんが胸に手を添える。
「私もかまいませんよ? クロヒコ殿のおかげで、多くの騎士団員の命が救われたのですから。むしろ、このくらいはさせていただきたいのです」
リリさんもディアレスさんの提案に賛成のようだ。
だけど二人だって疲れているだろうし、なんだか悪い気がするなぁ……。
迷っていると、キュリエさんが言った。
「せっかくお二人がこう言ってくれているんだし、泊まっていったらどうだ? 左腕の状態を考えても、今夜くらいは無理に動かない方がいいだろう。ああ、セシリーやアイラには私から伝えておく。それと学園長が伝えるかもしれないが――もし明日の朝までに会う機会があったら、一応ミア・ポスタにもクロヒコのことは話しておくよ。だから、安心して泊まっていけ」
キュリエさんにそう言われたのが決定打となり、その日、俺は大聖場の医療室に泊まっていくことにした。
朝目を覚ますと、ディアレスさんとリリさんの姿がなかった。
ディアレスさんから今の聖樹騎士団が抱える問題点を聞いているうち、どうやら俺は寝てしまったようである。
昨夜起きている間は、治癒術式を施してくれている二人とずっと暇つぶしに会話をしていた。
ディアレスさんは会話慣れしている印象で、話題の内容は幅広く、一度も会話が途切れることはなかった。
なるべく俺の方に話させる技術も、聞き役に慣れているせいだろうか。
ただ特に印象に残った話題は、今の聖樹騎士団の話だった。
途中で入れ替わったリリさんとも話したが、彼女も聖樹騎士団に対してディアレスさんと同じ問題点を危惧していた。
人員不足も深刻だが、もっと深刻なのはこのところ戦ってきた敵の強さが今の騎士団員では歯が立たないレベルだったことである。
騎士団では、まず団長であるソギュート・シグムソスの力量が他と比べ圧倒的に突出している。
ディアレスさんの分析によれば、その下につける二位の自分とヴァンシュトス・トロイアの二人が、どうにか先日の終ノ八葬刃と渡り合えるくらいだろう、とのことだった。
聖樹騎士団は上位三名とその下位の者たちとの間に、力量差がありすぎるのだという。
加えて、団員たちの巧みな連係を的確な指示によって引き出していた古株のダビド・ハモニスを四凶災戦で失ったのも痛手だった、と彼は悔しそうに話していた。
『だからこそ私は、クロヒコやキュリエ、セシリーが学園を卒業するのを心待ちにしているのです。もちろん今の団員の底上げも視野には入れていますがね。まあ、来年にはドリストス・キールシーニャとベオザ・ファロンテッサ、翌年にはクーデルカ・フェラリスも入団するのではないかと聞いています。ですので、彼らだけでも十分戦力の増強にはなりますが……しかし客観的な分析としては、やはり四凶災を倒したクロヒコとキュリエの存在は大きいのですよ』
私からするとあなたの存在は特にね、とディアレスさんは期待を込めて俺に微笑みかけた。
ディアレスさんは好きだし、その期待に応えたい気はする。
聖樹士になるのは俺がこの世界でなすべき目標の一つでもあることだし。
ヒビガミとの決着がついたら前向きに考えたい。
だけど元々聖樹士を志望していたセシリーさんはともかく、キュリエさんはどうなのだろうか?
実は卒業後どうするのか、具体的な話は聞いていない。
できるなら俺はずっとあの人の傍にいたいと、そう思うのだけれど――
「クロヒコ!」
その時、部屋に一人の女の子が飛び込んできた。
「アイラさん」
「キュリエから聞いたよ!? 四凶災くらい強い敵が現れたけど、クロヒコががんばったおかげでどうにか追い返したって――あっ」
ベッドで上体を起こしていた俺の左腕に、アイラさんの動揺した視線が注がれた。
俺は先回りし、彼女の不安を和らげようと表情を柔らかくする。
「この腕は心配しなくて大丈夫です。ちゃんと治るまで、ちょっと時間はかかるかもしれませんけど」
包帯越しではあるが――昨夜の治癒術式の賜物か、はたまた禁呪の宿主としての回復力の恩恵か――痛みは前日より驚くほど引いていた。
また治り切るまではわからないが、ベシュガム戦で失った左目とは違い、なんとなく再生が始まっている感覚がある。
この禁呪の宿主の異常な回復力がなければ、正直、俺はもう戦えない身体になっていたと思う。
副作用が存在するとはいえ、俺に様々な力を与えてくれる禁呪に感謝する点は多い。
俺はベッドから降りようとした。
さて、昨日はふらついていた身体の方はどんな具合に――
「――っと……すみません、アイラさん」
足もとがぐらついた俺は、床に倒れ込む前にアイラさんに抱き止められた。
「だ、大丈夫? クロヒコ?」
「まだ余裕で歩けるってわけには、いかないみたいですね……昨日より状態が良好になってるのは、確かなんですけど――」
だとしても、動いても左腕以外ほとんど身体に痛みが走らなくなったのはありがたい。
それに、嬉しい報告もできる。
「ですが明日の第三戦は……約束通り、観に行けます」
強く、抱き締められた。
「アイラ、さん……?」
「そこは全然、心配してなかったよ?」
位置的に表情は見えないが、優しい声。
「クロヒコなら、どんな相手にも負けないって信じてたから。だからアタシも自分の戦いに集中して戦った――ううん、戦えた」
「第二戦の結果、キュリエさんから聞きました。やりましたね、アイラさん。おめでとうございます」
「ううん、ここまでは二人の勝利だと思う。アタシと、クロヒコの」
アイラさんのがんばりの成果だとは思うけど、ここは同意しておいた方がいいか。
「ええ、そうですね……ただ、もちろん第二戦の勝利は嬉しいんですが――」
「まだ気を抜く段階じゃない、だよね?」
「……言うまでもありませんでしたね。そこの車椅子を使えば動けますから、あとで明日の対戦表を一緒に確認しにいきましょうか」
「うんっ」
「…………」
こんな時になんだけど、服越しとはいえ、女の子の身体ってやわらかい。
別の生き物って感じだ。
なんてことを思いつつ、抱擁を解こうとした――のだが、再びアイラさんが強く抱き締めてきた。
「んっ……あの、アイラさん? どうしました?」
アイラさんの伏せた顔が首もとにあるため、やはり表情はわからない。
「よかった」
彼女の身体から張りつめていた何かが、溶けて消えた気がした。
今まで硬く強張っていたものが、今、弛緩した感じだ。
「アタシ、クロヒコのことは信じてたよ? でも、戻ってきてくれて――」
アイラさんが小さく、すんっ、と鼻をすすった。
「本当に、よかった」




