32.「バケモノ」
謎の敵の注意をキュリエさんが自分の方へ引きつけているのがわかった。
阿吽の呼吸、とでも言おうか。
日頃共に訓練をしている賜物かもしれない。
俺たちは互いの意思を察し、挟み撃ちの形を作り上げた。
漆黒の皮膚を持つ巨人。
その巨人の背に貼りつくような形で、俺は、相手の脊椎を狙って第三禁呪を発動させた。
今日はもう第三禁呪を使用済みだったので、目への負担は覚悟しなければならない。
けれど、まだ撃てる。
超接近状態で放たれた雷光の線撃。
激しく鼓膜を打つ破壊禁呪の射撃音。
続き、破裂音に似た衝突音。
血が空へ舞う。
それはキュリエ・ヴェルステインの斬撃によって舞った、黒き巨人の血液。
巨人が身体の向きを変更。
腰を捻り、勢いの衰えぬ巨人が横フックを俺へ放ってきた。
突風さながらの超撃が眼前をかすめる。
「――――っ!」
禁呪の翼を操り空中で角度を強引に変え、回避には成功。
そのまま回り込み気味に禁呪の左腕で巨人の頬を殴りつける。
岩を殴りつけたような、硬い感覚。
「グッ……ゴ……ッ?」
巨人が低く濁った唸りを洩らす。
ギょロり。
黒く血走った金色の殺眼が、しかと、俺の存在を捉えた。
すかさず《狂い桜》で連斬を浴びせかける。
巨人は両腕で防御。
丸太のごとく太い腕に十本へ届く微細な裂傷が走る。
けれど、ダメージが通ったとは言い難い。
目視でわかる。
巨人はものともしていない。
もう一本の腕で、命を刈り取るフックを巨人が繰り出してきた。
第五禁呪の急加速。
風圧。
今は攻撃につき合わず、一旦、距離を置く――
「クロヒ――うわっ!?」
「失礼します、キュリエさん!」
横切る途中でキュリエさんの腰に腕を回し、彼女の身体を抱え込む。
彼女を抱いたまま、俺は巨人から十数メートルほど間合いを取った。
現在の彼女の状態が良好とは呼べないと判断しての行動だった。
彼女をなるだけ敵から引き離すべきだと感じた。
キュリエさんの身体を離す。
「すまん、クロヒコ」
「いえ。ギリギリ間に合ったみたいで、よかったです」
「フン……まさかおまえが、来てくれるとはな。セシリーが四凶災戦で惚れ直したと言った意味が……その、少しわかったよ」
嬉しいけど、今は喜び躍っている状況ではない。
キュリエさんもそれは理解している。
彼女はすぐに表情を引き締め直し、巨人を睨み据える。
「あいつは、なんなんです?」
警戒を強めながら巨人と向き合い、俺たちは肩を並べる。
「わからん。終ノ十示軍とおぼしき男の死体を引きずりながら、いきなり現れたんだ。終ノ十示軍の男もあの巨獣にやられたのだろう。意思の疎通は、ほぼ不可能と考えてよさそうだな……知性はあるようだが、正気があるとは思えん」
巨人――否、巨獣と呼ぶべきか――巨獣は、自分の攻撃が空振りに終わったあと、こぶしを放った状態のまま立ちつくしていた。
今は俺たちに背を向けた状態。
唾をのみ込む。
第三禁呪を直撃させた首の後ろは赤く腫れ上がり、血を滲ませていた。
信じがたいとでも言いたげに、キュリエさんが眉間へ皺を寄せる。
「クロヒコのあの禁呪の直撃をあそこで受けて、あの程度の傷なのか……」
キュリエさんの皺にはかすかに絶望が刻み込まれていた。
けれど表出しかけた絶望を、彼女は振り払う。
「しかしまだ諦めるには早い。こんなありがたい援軍が、到着してくれたことだしな……ただ……」
俺は理解する。
今のキュリエさんは戦いで相当な無理を通した直後のようだ。
身体に思うように力が入っていない。
首や手の血管の浮き方からして、普通の状態とは言えまい。
大量の聖素を短時間で練り込んだのが原因だろう。
キュリエさんは街路樹に寄り掛かると、背をあずけたまま座り込んだ。
「どうやら、今の私の状態は察したようだな……すまん、しばらく加勢できそうにない」
巨獣から注視を外さず、俺はキュリエさんと敵の間に立つ。
「あなたが生きていてくれただけで、俺は十分です」
「ふっ……おまえらしい返事だな……」
巨獣は思案中に見えた。
ただ背を向けているのに隙がない。
本当に何者なのだろう?
「あの巨獣について、伝えておくことがある」
短く簡潔に、あの巨獣の使う《超低速攻撃》についてキュリエさんが教えてくれた。
「わかりました……頭に、叩き込んでおきます」
第五禁呪を発動。
黒い羽が街路樹の左右から上空へ向かって生えてくる。
第五禁呪は発動場所から離れるほど性能が落ちる。
なので一度解除し、またこの場で発動し直した。
フィードバックで重く鈍い痛みがしばし背に走ったが、第三禁呪使用時ほどの負荷はなかった。
黒い翼のせいか巨獣が注意を向けてくる。
俺は第五禁呪をさらに重ねがけした。
背に、計四枚の羽が生える。
ザクッ。
振り向いた巨獣が眉間を歪ませた。
疑問を抱いている目だった。
手にしている刀を俺が自分の翼に刺した意味を、理解できないのだろう。
しかし血を吸うことで切れ味を増す妖刀の存在を知っていれば、この行動の意味は理解できるはずだ。
「ふっ……そんな方法でその妖刀を使うのは、このユグドラシエではおまえだけだろうな……」
無念と達観の狭間で揺れ動く声の調子で、キュリエさんが微笑した。
第五禁呪の羽はまた生やすことができる。
もちろん痛みはあるが、これは我慢しなくてはならない。
痛みには慣れがない。
傷を負えば、当然ながら痛い。
いつも大事な人を失った時の想像の痛みと比べることで、俺は現実の痛みを覆い隠していた。
痛みで痛みを、緩和しているとでも言おうか。
平気な顔をしている理由は簡単だ。
キュリエさんにかっこ悪いところを、見せたくないから。
だからこれは――やせ我慢。
元気を取り戻した妖刀を、翼から引き抜く。
傷口から血液が飛び散った。
まるで、花が咲いたみたいに。
使える羽は、三枚。
最低二枚あれば、第五禁呪の加速効果は十分望める。
「グルゥゥ……グォ……グゥゥ……」
くぐもった唸りを洩らす、巨獣。
ピキッ。
巨獣の踏みしめた地が、鳴いた。
――来る。
巨獣が、跳――
第五禁呪の加速。
今まさに敵が跳ぼうとしたその瞬間、俺は狙いを定めて一気に加速し、巨獣の懐に飛び込んだ。
機先を制すのに、成功。
「グッ……ォ……ッ」
想像以上のスピードだったのか、驚いた素振りを見せる巨獣。
すかさず妖刀で斬り上げる。
巨獣は両腕でガード。
噴き上がる鮮血。
けれど、傷は浅い。
鋼鉄級の硬度だ。
この硬度をかつて、俺は体験した気がした。
『貴様は、オレに勝てない』
威圧感。
戦闘力。
あの男。
四凶災、最強の男。
ただ――この巨獣にはたった一つだけ、何か決定的なピースが欠けているような気もした。
しかしソレが欠けていたとしても、驚異的な戦闘力を有しているのは事実。
あのベシュガムやヒビガミがこの巨獣と戦り合った場合、その結果の想像が追いつかない。
それほどには、高みにいる相手。
何者なのだろう?
わからない。
でも確実なことが、一つだけある――
斬り上げた勢いをそのまま利用し、翼を揺らし巨獣の視界を遮りながら――妖刀の狙いを、足首へ。
――こいつは《敵》。
砲弾のごとく振り下ろされた巨獣の拳に対し、真っ向から左腕を突き上げる。
互いの拳が、激しく衝突。
皮膚――肉が潰れる音。
超硬度の鉱石と打ち合ったような感覚だった。
痛みが、拳から肩にかけて急速に《浸透》していく。
右手の妖刀を振る。
巨獣の膝が、眼前に出現。
ゴチャッ
巨獣の膝蹴りが俺の顔面にヒット。
「ぐ――っ」
妖刀を振るより早く巨獣の膝が襲ってきた。
けれど妖刀の攻撃も、敵の膝の皮を切り裂いている。
相手の攻撃を受けながらの斬撃だったため、直撃とはいかなかったが――
ミリッ。
「――っ!?」
こい、つ。
巨獣が何をしようとしているのかを、一瞬で理解する。
肉が裂け、互いに分離していく感覚。
翼が、もぎ、裂かれて、いく……っ!
メリミリグチッ、ベリッ! グチャッ!
「ぐっ……がぁぁ――――っ!」
好機。
これは、好機だ。
巨獣は今、俺の翼をもぎ取ろうとしている。
ならば――
左こぶしを巨獣の下腹部に叩き込もうと、痛みを極力意識から遮断しようと試みつつ、アンバランスな体勢のままこぶしを放つ。
今、おまえの両手は塞がっている。
巨獣はさすがの反射神経を見せ、膝でこぶしを防いだ。
常軌を逸した反射速度。
だが、これでいい。
第三の《盾》である膝も、吐き出させた。
今度は――両腕で《これ》を、防げまい!
ザシュッ!
倒れ込みかけと言える体勢から、斬閃の弧を天へ描く、狂い咲きし吸血の桜刃。
脈打つ薄桃色の刃が、巨獣の首からこめかみへかけて縦傷を刻みつける。
「グッ……ヌ……ッ! キ……ズ……ッ! ニン、ゲ、ンッ……ノ……ツル、ギ……ガッ――」
このまま首に、刃を、突き込み――
その瞬間、だった。
巨獣が千切れかけた翼を、凄まじい握力で潰しながら掴み込む。
そして思いっ切り、地面へと俺を叩きつけた。
バガァンッ!
「がっ――ふっ!」
叩きつけられた衝撃で、肺の空気がおかしなことになる。
続き、吐血。
「ごっ……げふっ……ごふっ! ぐぇぇっ……!」
まずい。
叩きつけられたままは、まずい。
あの巨体でマウントを取られたら、最後――
「ぅ、ぁ、ぁぁぁぁああああ゛あ゛あ゛あ゛――――ッ!」
残された第五禁呪の力を振り絞る。
追撃を避けるべく、俺は無理矢理に体勢を立て直した。
靴底を滑らせながら地に足をつき、巨獣と相対。
巨獣は頬から血を流しながら、複雑そうな表情で俺を見据えていた。
相手に狙いを外したような気配があった。
こうしようと思っていた未来が、成就しなかったという気配。
やはり覆いかぶさりマウントをとって、俺の自由を奪うつもりだったのだ。
「はぁっ、はぁっ! はぁっ……くっ……ぶっ! ぺっ!」
口内の血を吐き捨てる。
肩で息をする。
「はぁっ――ぁ――はぁ……ぁっ! ふぅぅぅ……ッ」
呼吸を、整える。
「クロヒコっ!」
邪魔をすまいと今まで声を殺していたキュリエさんが、堰を切ったとばかりに俺の名を叫んだ。
俺は彼女へ、てのひらを突き出す。
――大丈夫です、キュリエさん。
多分、伝わったと思う。
――まだ、やれます。
「はぁっ……ぐッ……ぅ……っ!」
残る翼は、一本。
ボロボロになった翼が二本。
加速自体はまだいける。
しかしこの巨獣相手だと、第五禁呪の翼はリスクもある。
相手に掴まる確率があがる。
けれど、ここで解除はだめだ。
フィードバックを受けるのはこの戦闘が終わってからにすべきだ。
いまアレの負荷を受けるべきではない。
妖刀を移動させ、ちぎれた翼の血を吸わせる。
「――――っ!」
傷口に触れた時、痛みが全身を駆け巡った。
だけど、悲鳴はあげない。
痛みを逃がすための悲鳴は隙となる。
力を入れる気合の咆哮はまだしも、悲鳴はまずい。
歯を喰いしばって、巨獣への戦意で痛みをトばす。
まるでダメージを与えられていないわけではない。
この妖刀の今の切れ味なら、あの鋼鉄の皮膚を切り裂ける。
獣が、前屈みの姿勢をとった。
その脚部に力が注入されていくのがわかる。
――来る。
キュリエさんの言っていた、超低速攻撃。
もう先ほどと同じレベルの加速で機先を制することはできない。
翼はボロボロ。
同じ対策はとれない。
あの怪物は、先手を打たれた原因が第五禁呪の翼にあると本能的に察したのだろう。
だから斬撃を喰らうのを覚悟で、まず、禁呪の翼をもぎにきた……。
だとすれば、狙いは成功している。
ズルリッ。
妖刀の吸血をとめる。
「だからといって――俺が諦めることは、ないけどな」
左腕を盾の第一界へ戻し、血をしたたらせるあやかしの刀を、構える。
「来い」
巨獣が、跳んだ。




