31.「サード」【キュリエ・ヴェルステイン】
細かな無数の熱線が身体中を駆け回っていた。
全身を駆け巡るかつてないほどの聖素の熱。
この感覚をキュリエは過去に経験したことがあった。
初めて術式魔装を発動した時と酷似した感覚。
巨獣が、駆け出した。
超低速攻撃ではなかった。
発せられる光量が激しいため、キュリエの位置を捉えられなかったのだろうか。
キュリエは賭けに出た。
溢れてくるこの力に賭ける。
脚に、力を込める。
青白い大光が収束し、疾走するキュリエをその光が包み込んだ。
新たなる《銀乙女》が、誕生していた。
術式魔装、第二形態――
第二魔装。
その姿は、神話に登場する勇姿を纏う可憐な戦乙女を飛び越え、威容放つ戦神の雰囲気すらをも獲得していた。
リヴェルゲイトも形を変え、剣先も普段よりも長くなっている。
生まれ落ちたばかりの魔装が己の存在を主張しながら、自らの使い方を脳内に伝達してきた。
全身の細胞という細胞に情報を刻み込み始める。
新たな力を理解しながら、キュリエは、より強靭な姿となったリヴェルゲイトを構えた。
左手には、手甲に装着された巨大な白銀盾。
厚みのある音を響かせ、盾が巨獣の放った拳を受けとめる。
こぶしが起こす音とはとうてい思えぬ轟激音。
衝突の瞬間、魔装の力が盾に集まったのがわかった。
受け止めた直後、キュリエは盾を傾け、拳の力を逃がす。
衝突音の残響鳴り止まぬ中、身体をねじって遠心力を確保。
わずかばかり姿勢を崩した巨獣へ、キュリエは聖光剣の一撃を浴びせかけた。
手ごたえがあった。
巨獣は咄嗟に身を引いたが、聖なる一刀は肩口の薄皮を切り裂いている。
初めて、攻撃が通った。
けれど油断は禁物。
否――この相手に、油断などはなから生まれようはずもない。
すぐさま片足を軸に回転し、キュリエはそのまま間合いを取った。
「――っ!?」
間合いを取ったつもりが、巨獣はすでに間合いを詰めている。
眼前には、超低速状態の黒獣。
――あんな無茶な体勢から、この状態に移行しただとっ?
しかし即座に困惑を切り捨て、キュリエは迎撃態勢をとった。
先ほど獣のこぶしは新魔装の盾で防げた。
欲しかった防御力が手に入ったのだ。
魔装に埋め込まれた槍の紋章が強く発光を始める。
円形を取る聖槍が、キュリエの周囲に展開。
第一魔装の時よりも太く、攻撃的な形状。
巨獣目がけ、聖槍を射出。
射出は念じるだけで実行された。
槍が巨獣の皮膚に突き刺ささる――突き刺さったが、刃先がわずかに刺さったにすぎない。
だが、狙いは負傷ではない。
攻撃を受けた瞬間に、あの《溜め》攻撃は放たれる。
つまり、これで相手が攻撃を放つ機を格段に掴みやすくなった。
誘導では動かなかった巨獣も、誘導ではない直接攻撃ならば動かざるを得ない。
敵の《溜め》を、潰した。
ここからはあの攻撃を最小の威力で受けられる。
――いくぞ。
聖槍を射出。
かすり傷を意に介さず、巨獣が突っ込んでくる。
一ラータル(一メートル)ほど前で、巨獣が超低速状態へと移行。
槍を射出し、攻撃を出させる。
尖った聖槍の先端が刺さると同時に、狙い通り巨獣はこぶしを放った。
キュリエは盾で受け――
「なん、だ、と……っ?」
亀裂めいた嫌な軋み音が、耳朶を打った。
眉間に焦燥の皺が刻まれる。
破砕音。
無惨に砕け散る魔装の盾。
防御の力を盾に集中させていた聖なる鎧は、防御の力を急いで貫通したこぶしの向かう先へ移動させた。
「ぐっ、ぅぅぅううううううっ――」
肩に余った衝撃を攻撃を受けながらも、キュリエは雄叫びを上げ、斜め下から思いっきり斬り上げた。
「――ぅぁぁあああああ゛あ゛っ!」
皮膚を引き裂く確かな音と感触。
がら空きだった巨獣の腰から胸板にかけて一の傷が走り、獣の血液が宙を舞う。
「ヌ……グ……ッ? キ、ズ……? キズ……ダ、ト……?」
出血に気づくも、巨獣は物珍しげに双眸を細めるのみ。
苦悶の色がなかった。
痛みを覚えたという反応が、出ていない。
――こいつ……痛みを、感じていないのか?
枝のしなる音に似た軋みの音。
獣息が届くほどの距離で、巨獣が身体をよじる。
――来るっ!
すべてを蹂躙する超低速攻撃。
キュリエは感覚的に、神の領域を感じ取った。
その名を神話に刻みし怪物たちの領域。
この獣からキュリエは、人の世を超えた存在力を感じた。
何かが、違う。
人ならざる、ナニカ。
チラと自らの装いに視線を落とす。
魔装には、頼りないヒビが走っていた。
――あと一撃……耐えられるかどうか、か。
「ふん……だが、傷は与えられている……効果が、ないわけではない……ならば、まだ勝機はあるということ……」
巨獣を、見上げる。
「仮に相手が神に等しい存在だったとしても、関係などない……私は、足掻いてみせる! できることを、やりきってみせる!」
再びリヴェルゲイトに聖素を注入。
聖槍を周囲展開。
――あと一撃でいい、もってくれ。
軸足を攻撃の形に移行させながら聖槍を飛ばす。
槍の鋭角なる先端が、巨獣の皮膚に埋まる。
攻撃がくる。
問題ない。
機は、掴んでいる。
機を合わせ、光の刃の反撃を――
「な、に……っ?」
攻撃が、こない。
学習したのか。
あの光の槍の感覚は、もはや無視してもよいと。
一転、逆にキュリエが機を外された形となってしまう。
正気を失っているように感じられたが、知性がある。
攻撃の機を完全に失したキュリエはその時、攻撃でも回避でもない、中途半端な状態となってしまっていた。
「ちっ!? しまっ――」
硬質な何かが砕ける音。
直後、空圧的な強い衝撃がキュリエを無慈悲に襲った。
浮遊感を覚えたかと思った瞬間、まるで引っ張られるように身体が吹き飛ぶ。
門の柱に強く背を打ちつけ、そのまま背を柱に擦りながら、キュリエは力なくずり落ちていく。
「ぐっ……がふっ!」
吐血。
血が地面に飛び散る。
「はぁっ……はぁっ……! バケ、モノめ……っ」
新たな魔装ですら、急場しのぎの役割しか与えられない。
これならあのゼメキス・アングレンを二人同時に相手をする方が、まだマシだと思えた。
それほどに、あの敵は次元が違う。
「ふぅっ……ふぅっ……! くっ……!」
万策、尽きたか。
今のキュリエに第二魔装以上の武器はない。
さらに短時間で大量の聖素を何度も練ったために、体内の器官が一斉に抗議の声を上げていた。
「はぁ……はぁ……弱気に、なるなっ……見つけろ……自分に、できることを……このあとに戦うであろう者たちのためにできる――《何か》を……っ!」
自らを叱咤し、立ち上がる。
呻きながら倒れている団員たちを観察していた巨獣が、奮起するキュリエに注意を戻す。
「どう、した? まだ私は……生きて、いるぞ? ふふ……ほら、どうした!? 私を殺してみろ! まだ私はここにいるぞ!」
まだ身体が動くらしい団員の様子を、キュリエは視界の端に捉えていた。
一人、這って大聖場の方へ向かっている者がいるのだ。
自分が注意を引きつけているうちに、彼が中へ入り、ヴァラガなり《鎧戦鬼》なりソギュートなりに、この巨獣の存在を伝えるのを期待するしかない。あるいは――
西門の敵を倒した《彼》が聞きつけて、ここへ来てくれるかもしれない。
だけどそう都合よくいかないであろうことも、わかっていた。
もしこの巨獣と同程度の敵が他の門にも現れているとするなら、他の門を守っている者がここへ来ようはずがない。
「それに私には、似合わんだろう……王子様に救ってもらう、戦う姫などな……」
――セシリーを頼んだぞ、クロヒコ。
「――――――――」
発しかけた嗚咽を、必死にのみ込む。
――私のがらじゃ、ないな。
「ク、ロ……ヒ、コ――」
そう呟き、キュリエはリヴェルゲイトを後ろに流して構えた。
唐突にふいた横風が、銀髪をはためかせる。
聖素を練り込み、流し込む。
――せめて、もう一度だけ……っ!
膨張していく青白い光。
全身を包んでいく聖なる光の粒たち。
魔を祓う聖素。
聖素の震える音と迸る共鳴音。
巨獣の両眼が、覚悟を決めた銀の戦乙女に固定された。
第二、魔装。
「来い、怪物っ……この私が、最後まで相手をしてやる!」
疾ッ!
疾駆と同時に装着される戦鎧と巨大な盾。
聖槍の展開と射出。
「ク、ル……ガ……ヅ……ヨ、イ……イガイ、ノ……デ、ギ……ッ! グッ――」
強い。
敵。
地を揺さぶる巨獣の進撃が、発動。
ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダン――――ッ!
巨獣が踏みしめる度、地は軋み、痛々しい亀裂を刻み込まれていく。
「グォォォォオオオオオオオオ――――ッ!」
ここで逃げ出しても誰も責めまいと確信を持って言えるほどの、迫力と威圧と脅威だった。
その三者を従え、黒き獣が巨大災害のごとく突進してくる。
対するキュリエに――後退は、ない。
正面から打ち合う覚悟で剣を構えたまま、疾駆を継続。
「グ、ガォァァアアアアァァァァアアアアアアアア……ッ! ゴロ、ズ……ッ!」
超低速攻撃。
キュリエは槍を射出し、巨獣の足もとの地面を砕いた。
激しい破砕音が耳朶を打つ。
範囲を広げ、周囲の地面を聖槍で破壊していく。
数本は巨獣へ射出。
――来た。
解き放たれた巨獣の鉄槌が、キュリエを襲撃。
鉄球のごときこぶしは盾を砕き、魔装の鎧を破壊した。
今度は衝撃を逃がす動作すらしなかったせいか一撃ですべてが砕け散る。
双眸を細める巨獣。
なぜそんな無駄な攻撃を繰り返す?
そう問いかけているようでもあった。
「フン……どう、受けとめたらいいんだろうな……」
聖槍で周囲の地面を砕き《雑音》を発し続ける。
「私じゃないと、思っていたが……ともかく、これで――」
再度、リヴェルゲイトへ聖素を送り込む。
「《挟み撃ち》だっ!」
力いっぱいの一撃を逆袈裟に振り上げながらキュリエは、巨獣の背後で《黒き翼を広げる男》を、目で認める。
少し前から、飛来する《彼》の存在にキュリエは気づいていた。
全力を尽くす覚悟をみせて巨獣の注意を惹きつけ、聖槍による地面の破壊音で、翼が切る風の唸りをかき消した。
すべては、この時のために――
「第三禁呪、解放」




