第2話「そして彼は巨大な樹を見る」
「……ん」
あれ?
俺……生き、てる?
落雷に打たれて死んだと思ったんだけど……。
目を開けると、誰かが俺の顔を覗き込んでいた。
何か呼びかけているようだが、意識がまだはっきりしないせいで何を言っているのか聞き取れない。
視界もぼやけている。
ええっと、つまり、目の前の人は俺を助けてくれた人?
山岳救助隊的な?
……そっか、俺、助かったのか。
「…………」
普通なら命が助かって大喜びするのかもしれない。
だが俺の場合、憂鬱さの方が勝った。
つと、口から笑みが漏れる。
「……死に損なったんだな、俺」
「意識が戻ったか。おまえ、どうしてこんなところで倒れていた?」
助けてもらっておいてなんだけど、呼びかける声の調子がきつい感じだった。
呆れもまじっている気がする。
ま、二十代後半のニートが人様に迷惑かけたんだから、そりゃそうか……。
声の感じからすると、どうやら助けてくれたのは女の人らしい。
にしても、やっぱ救助費用とかけっこうかかるのかな?
すごい額の請求が来るってネットかなんかで見た気がするけど。
親にすごい剣幕で怒られる未来を想像して、さらに憂鬱になってきた。
まあ、今はとりあえず救助してくれた人に対する謝罪の言葉と、説明が先か。
「すみません。俺、急に目の前が真っ白になって――」
「意識が戻ったんなら急げ。入学式、はじまるぞ」
「は?」
入学式?
何言ってるんだこの人?
次の誕生日で二十八になるニートが入学式?
誰かと勘違いしてるんじゃないのか?
俺はゆっくりと身体を起こし、辺りを見渡した。
どうやらまだ山の中らしい。
うん、空気がおいしい。
空を見る。
荒ぶっていた天気もすっかり回復していた。
木々の葉から漏れる日の光が、眩しい。
けど……なんだろう?
何か、違和感が――
「うっ」
くらっときた。
まだ頭がぼーっとしている。
下手をすると、また意識を失ってしまいそうだ。
「あの、ここって――」
気を持ち直しながら言いかけて、俺は息を呑んだ。
「って……え?」
「なんだ? 何を不思議そうな顔をしている?」
俺に呼びかけていた人は、コスプレみたいな恰好をしていた。
救助用の服だと言われてもこれはさすがに信じられない。
ファンタジー世界を舞台にしたゲームにでも出てきそうな感じ、とでもいおうか。
スタイリッシュな戦闘用の黒いドレス、みたいな?
腰のベルトには、剣の収まった鞘なんかかけちゃってるし……。
ていうかあの剣、厳重に布でぐるぐる巻きになってるけど……本物じゃ、ないよな?
やけに精巧な印象を受けるけど。
「…………」
えーっと。
あれ?
この人まさか、救助隊員じゃないのか?
もしかして……やばい人と行き遭っちゃった、なんてことないよな?
あんな台風の中、山登りしちゃう俺も俺だけど……あんなコスプレして山登りするこの人も、よっぽどだよな……。
ていうか、あんな格好で山に何しに来たんだろう?
ネット越しにコスプレ山登り生配信でもしに来たのだろうか……。
にしても――
この人、すごい美人さんだ。
綺麗に揃った睫毛。
ツリ目がちの鋭い大きな目。
シュッとした細面にかかる長く艶やかな銀髪(これは多分ウィッグなんだろうけど)。
スタイルがよいのは服越しでもわかる。
なんというか、彼女を構成するパーツはどれをとっても文句のつけようがないほどに整っていた。
まるで身体のパーツすべてが彼女の美を演出するために配されているかのようでもある。
そこに彼女の持つ凛とした佇まいが合わさると、一種の神々しさすら覚えてしまほどだ。
実際に女神様がいるとするなら、こんな感じなのかもしれない。
そんな感動を覚える一方、俺はどこか釈然としないものを感じていた。
うん。
まあ、美人なのはわかった。
けどこの人……こんな日にこんなところで何をしてるんだろう?
映画の撮影って風でもないしなぁ。
見たところ連れもいないみたいだし。
さっきはネット配信でもしているのかもと思ったが、配信機器らしきものも見当たらない。
やっぱり一人でコスプレして山登りが趣味、とか?
…………。
まあ、悪い人ではなさそうだけど……。
と、そこで透明感のある鐘の音が響き渡った。
美人さんが舌打ちする。
「おい急ぐぞ。今ここにいるってことは、おまえも聖ルノウスレッド学園の新入生なんだろう?」
聖ルノウスレッド学園?
「…………」
あれ?
俺なんで今、美人さんが口にした『せいるのうすれっど』って言葉を頭の中で『聖ルノウスレッド』ってクリアに変換できたんだろう?
初めて耳にする言葉なのに。
いやいや――そんなことより、学園?
ネットでこのあたりを調べた時の記憶を引きずり出す。
うーん。
近くに学校なんてなかったはずだけどな……。
「あの鐘が鳴ったってことは、もうすぐ入学式がはじまるってことだ。いきなり遅刻なんて心象が悪いだろ。まあ、私は心象なんか気にしないが……」
「あの……聞いていいですか? 聖ルノウスレッド学園って、一体――」
「だから何を言ってる? すぐそこだろうが、ほら」
言われるまま、俺の視線は美人さんの指差す方向へ。
彼女の指先が示した先には巨大な建造物が見えた。
その建物は時折テレビなどで目にする、外国のレトロな雰囲気の小洒落た大学を連想させた。
が、
「……は?」
驚いたのはその建物にではなかった。
俺が何より驚いたのは、建物の奥に見える、あまりにも巨大な木を目にしたからで――。
「なんだ、あれ……? あんな巨大な木、見たことない……それに……なんて、綺麗な――」
うっ。
また意識が混濁してきた。
くそ……。
駄目だ、意識が……。
美人さんが俺に向かって何か言っている。
だが、何を言っているのかわからない。
つーか、なんなんだ、あの馬鹿でかい木は……
もしかして――
「もしかしてここ……あの山の近くじゃ、ない、の、か――」
そこで再び、俺の意識は途切れた。