14.「聖武祭の客人たち」【マキナ・ルノウスフィア】
ルーヴェルアルガンから昼過ぎに到着した客人たちを、マキナ・ルノウスフィアは大聖場へと案内していた。
第一王子ギアス・ルーヴェルアルガンが大聖場を見たいと望んだためである。
目的地へ到着するなり、ギアス王子は馬車を飛び出した。
「ルノウスレッドへ来るたびに大聖場を見ていますが、いつ見ても惚れ惚れする壮観さですね!」
顔立ちには軍神王の面影が残るが、ギアスの表情の多くは父が浮かべぬものだろう。
立ち振る舞いからは、育ちのよさが存分に発揮されている。
マキナは客車から勢い余って転げ落ちそうになりながら、慌てて王子を追いかけた。
「せ、聖王との食事会がありますのでさほど長居はできませんが……お時間までは、ど、どうぞごゆっくり」
招待側の者としての礼節に気を配りつつ、マキナは言った。
「相変わらずギアスに対してはお堅いのぅ、おぬしは」
とん、と客車から飛び降りたのはギアス王子の同行人シャナトリス・トゥーエルフ。
軍神王直属の特務部隊である神罰隊の副隊長であり、マキナにとっては旧知の友でもある。
王子を追って入口をくぐりながら、マキナは以前より抱いていた疑問をシャナトリスに飛したす。
「堅いも何も、相手は一国の王子なのよ? 前から気になっていたのだけど……あなたって普段も王子に対してあんな態度なの? あれ、問題ないの?」
「ギアスよ! ワシの態度に何か問題あるかの!?」
目を輝かせ建物の中を見渡すギアス王子に、恭しさの欠片もない調子でシャナトリスが呼びかけた。
「問題ありませんよ? あなたは、王である父にもずっとそんな調子ですしね! 態度に見合うだけの功績もあるわけですし……いやぁ、しかし本当に素晴らしい建物だなぁ! ぼくは建築物が好きなんですが、この大聖場は何度見ても心が躍る! 軍神場は無骨の極みだから、この絶妙な繊細さがないんだよなぁ! あぁ、造り変えたいなぁ!」
「……ぎ、ギアス王子も飽きないわね。クリストフィアへ来るたび、いつもここへ足を運んでいるのに」
「ルーヴェルアルガンが今より平和な国だったら、あれはもっと景観の美しい王都を創ったのかもしれんな」
「内紛はまだ鎮まらないの?」
「連鎖が連鎖を呼び、まだ落としどころは見えんな。ま、だからこそ傭兵が育つ国なのかもしれんがの。軍神王自体、地方領主同士の戦を好んでいる節すらある」
「おかしな国ね……」
「やろうと思えば、今の内紛はすべて王の率いる神王軍と神罰隊で鎮圧できるからのぅ。言ってみれば、国内最強の絶対戦力が王都に存在する限り、地方の内紛程度なら看過できるわけじゃ。おぬしにはいびつな状態と映るじゃろうがな」
「そして財政は豊富な稀少鉱物資源が賄ってくれる、と」
「各国との交易で順調に利益を増やしておるからのぅ。皮肉にもこの交易の好調ぶりは、四凶災の登場で帝国と表面的にでも国交を結んだおかげじゃがな……ふむ、しかし四凶災の死を機に、もし帝国が東方侵略を再開したら、今内紛をしている連中も案外一致団結するのかもしれん」
「縁起でもないことを言わないでちょうだい」
「ほっほっほっ! 案ずるな、マキナ。少なくともルノウスレッドは安泰じゃ。この国には《黒の聖樹士》率いる聖樹騎士団に加え、あの最強の禁呪使いがおるじゃろ。四凶災を討ち取った国に喧嘩を売るほど帝国も馬鹿ではあるまいて。帝国も友好関係を維持したいと考えたからこそ、今回の招待を二つ返事で受けたわけじゃろ?」
「前向きに捉えるならそうだけどね……それに戦力で言えば、あなたのところにだって神王軍と神罰隊がいるじゃない。しかも、その神罰隊を率いるのは――」
マキナは、シャナトリスの後方に聳え立つ黒曜色の鎧を一瞥する。
「神罰隊隊長《鎧戦鬼》――ローズ・クレイウォル」
マキナはローズ・クレイウォルが言葉を発しているのをまだ見ていない。
到着直後、シャナトリスは「無口なやつなのじゃ。許してやってくれ」と謝り、副隊長の彼女が代わりにローズを紹介した。
時に《黒の聖樹士》の同格存在として語られる《鎧戦鬼》。
背丈は巨体を誇るヴァンシュトスやあのベシュガムにも引けをとらない。
控えめに見積もってもゆうにニラータル(二メートル)はある。
性別は不明。
シャナトリスは「性別? ほっほっほ、この鎧姿ではあってないようなものじゃ」としか言わなかった。
言い方の感じから察するに、どうも当人が性別を明言されるのを嫌っているらしい。
性別が不明なのは声を聞いていないせいもあるが、ローズの頭部がすべて兜で覆われているのもある。
胸部もぶ厚い鎧で覆われているため、膨らみの有無もわからない。
「ほっほっほ! ワシらの場合は分厚い鎧でない服でも、胸だけではいまいち判別できんがの!」
「勝手に私の思考を読んで、そのままぶしつけに入ってこないでちょうだい! それに……す、少しはあるわよ!」
「全部脱げば、ワシも男を楽しませる程度にはあるぞ?」
「女の胸は殿方を楽しませるにあるわけではありません! まったく……」
呆れのジト目でシャナトリスを睨みつけながら、観察を仕切り直す。
ローズは沈黙を守ったまま、マキナたちを眺めている。
その兜の目元には、暗い闇が溜まっていた。
目を凝らしてみても瞳の色すら判然としない。
重厚な兜には神話に登場する怪物、あるいは東国の伝承に登場する鬼を連想させる二本の長い角。
鎧自体にも無骨な突起物が多数。
沈黙を守る姿と相俟って不気味な威圧感を発している。
この国に到着した後、ローズを初めて見たのであろう者たちは皆一様に驚いた顔をしていた。
あの風采では無理もないか。
腰に下げている幅広の長剣は噂に聞く聖魔剣《テイルフィンガー》だろう。
ギアス王子とは何度か顔を合わせているが、ローズと会ったのは今回が初めてである。
今回に限ってローズが同行したのは、やはり帝国の客人たちの存在のためか。
「これで帝国の《武神》が向こうにおれば、ミドズベリアの三大有名武人が一堂に会すんじゃがなぁ」
「ガルバロッサ・ギメンゼは西の大陸にいて、西方征伐につきっきりと聞いたけれど」
「らしいのぅ。そういえばマキナ、西の大陸では人の精神を分析する学問が流行り始めていて――」
その時、ローズが駆けた。
重々しい足音だが、その動きは軽やかに映った。
廊下の床を踏みしめるたび金属音が響き渡る。
「ローズ!? ど、どうしたのじゃっ!?」
先行していたギアスに追いつこうとしているようだ。
気づけば、王子はようやく後ろ姿が見えるくらいの場所まで進んでいた。
「四か所の出入り口では入場時に手続きを行っているし、怪しい人物は入場していないと思うのだけれど……でも一応、急いで追いかけましょう」
マキナはシャナトリスとローズの背中を追った。
歩幅の違いが大きいせいか、追いつくのにもひと苦労だった。
「ふぅ……む、なんじゃ? 人影が――」
「おや? その漆黒の巨大な鎧……あなたは、まさかルーヴェルアルガンの《戦鎧鬼》かね?」
朗々とした女の声。
「ふぅむ? 返事はナシか。残念だね」
赤い刺繍の施してある白い帽子を被った女が、帽子の鍔を押し上げた。
金色の瞳。
単色の長い緑髪。
はっとするほど透き通った白い肌。
彼女が発しているのは、人の上からものを言う者の持つ空気。
「初めまして。余はギュンタリオス帝国第一皇女、ヘル・ギュンタリオスだ」
「なんじゃと?」
驚きの声を発したのは、シャナトリス。
思わぬ場所での意外な人物との遭遇にマキナも息を呑んだ。
――聞いていた予定時刻より、到着が早い。
面識もなく容姿の情報もなかったため、彼女が帝国の皇女だとすぐには気づけなかった。
「おぉ! あなたがギュンタリオスの第一皇女ですか! ぼくはルーヴェルアルガンの第一王子ギアス・ルーヴェルアルガンと申します! 以後、お見知りおきをっ」
いたって動じることなく手を差し出したのは、ギアス王子。
ヘルは口元だけで微笑み、差し出された手を握った。
「改めて、余はヘル・ギュンタリオスだ。お会いできて光栄だよ。うん、とても光栄だ。実に、光栄だ」
「ぼくも光栄です。いやぁそれにしても、お綺麗な方ですね!」
王子には気後れした気配が微塵もない。
彼はいつもあんな調子だ。
天真爛漫に振る舞い、誰にでも無邪気に話しかける。
あれが計算の上なのかどうかは、未だ判別はつかないが。
「……ふぅん。ルーヴェルアルガンの第一王子はなかなか面白い男みたいだね。で――そこの可愛らしいお二人は何者かな? 聖王の関係者かね?」
握った王子の手をゆらゆら上下に揺らしながら、ヘルが尋ねる。
「ワシは、シャナトリス・トゥーエルフと申します」
シャナトリスが、畏まって膝を突く。
「ルーヴェルアルガンを治める軍神王直属の特務部隊で、副隊長をしております」
「ん? ああ、そうか。あなたがあの有名な《ルーヴェルアルガンの魔女》か。あなたの噂は聞いているし、その優秀さも余のこの耳に届いている。行き場を失ったら、余に拾われるといい」
「……皇女殿下から身に余るお褒めの言葉を頂戴し、光栄にございます」
「ハッハッハッ! もうすっかり他人行儀な距離感だね。イイ具合に喰えない女らしい。さすがは魔女だ。で、そちらのもう一人の《姫君》は?」
マキナへ視線を移すヘル。
マキナは傅いた。
「私はルノウスフィア公爵家の娘、マキナ・ルノウスフィアと申します。クリストフィアの聖樹士候補生を育成する養成機関の長をしております」
「ほぅ? あなたが、あのマキナ・ルノウスフィアか」
「その……ヘル皇女のご到着は、もう少し遅い時間と窺っていましたが」
「不意打ちは戦の基礎だよ、マキナ嬢。大聖場が見てみたいとわがままを言って、快く馬車を出してもらったのだ」
「は、はぁ」
あけすけな物言いに、マキナは気後れ気味だった。
「しかし――あなたにしろシャナトリスにしろ、恵まれた風貌と体格をしている。実績を考えると、見た目通りの年齢ではあるまい」
嘲弄や皮肉の響きはない。
ひれ伏すマキナに近づくと、ヘルが指で顎をくいっと上げさせた。
「擬態に足る身体的特徴は、一種の強みだ」
鋼の意志を湛えた金色の瞳。
ヘルが目元を和らげた。
「逆にその身体的特徴がもし足を引っ張っているのなら、あなた方はそれを跳ね飛ばすほど優秀な人材なわけだ。もし間違って祖国が亡んだら、二人とも余のもとへ来たまえ。気に入った」
マキナは真っ直ぐヘルの目を見つめ返した。
「ご心配なく。ルノウスレッドは、滅びませんので」
「だろうね。何せあなたの国には、あの四凶災を退けるほどの力を持つ者――禁呪使いがいるのだから」
クロヒコの存在を、知っている。
マキナの中で警戒心が増した。
ヘルがシャナトリスへ視線を移す。
「ルーヴェルアルガンもあの《亜人王》を掘り起こしたのだろう? もしこれから我々帝国とやり合っても、勝機は十分あるのではないか?」
「かもしれませぬが――過ぎたる力の最善の使い道は、やはりワシは抑止力だと考えております。そういう意味では《亜人王》の名は、頼りになります」
不穏当な物言いを老獪に受け流したシャナトリスに愉快そうな笑みを投げ、ヘルは立ち上がった。
「もし戦う気があるのなら。余は歓迎だがね。戦とは、進化なのだから」
「進化?」
「人とは、命の関わる事柄に対しては死にもの狂いになるものだ。ゆえに戦時下においては、進化の速度が急激に増す。喜ばしいね?」
マキナは表情を引き締め、顔を上げた。
「無礼を承知で反論しますが、私はそう思いません。平和であってこそ、人の文化は健康的に進化していくのです。命のやり取りが行われる環境でなされる進化は、私からすれば……不健康な進化です」
「ハハ、その考え方は面白いね」
「命のやり取りをする環境がなくとも、人の欲望は無尽蔵に膨らみます。そしてその欲望は必ず、進化の源泉となります」
「とはいえ、人の根本は怠惰だからね……しかしいかに怠惰な者でも睡眠はとるし、食事は必要とする。この二つをしなければ、死ぬからな。人類全体の生死にまで敷衍するなら、種の保存のための生殖行為も必要不可欠な行為だが――ともかく個人的には、死の恐怖こそが人間への最大の尻叩きだと思うがね。あなたの言う健康的な進化とは、全体の底上げ力が違うよ」
「ぼくは心底戦争が嫌いですけどね! もちろん、条件つきですが!」
ギアスが空気を読まずに割り込んできた。
「ふむ、条件つきときたか。聞こう」
「貴重な建築物を壊さないこと――これだけは守っていただきたい! あ、無様な建築物はどんどん破壊してもらってけっこうですが」
ヘルは意外な拾いものをしたような顔をした。
「フフ、どうやらルーヴェルアルガンの王子への印象を余は検めねばならんようだ。あなたの感性は、なかなか面白い。しかし、あれだねぇ――」
ヘルがギアスへツカツカと歩み寄り、腕を振りかぶった。
「もし望まれていなくとも、例えば、歴史を紐解くと――」
シャナトリスが前へ出る。
「おぬし、何をするつもりじゃ!?」
「こういった小さな出来事から、否応なく戦争が始まったりもするねぇ?」
ギアスの頬に、ヘルが平手打ちを――
「……ハハ、手慰み程度の戯れだよ。本気にしたかね?」
ヘルとギアスの間に、ローズが一瞬の間に割り込んでいた。
ローズはヘルの腕を掴もうとしたようだ。
だが――そのローズの腕もまた、別の者によって掴まれていた。
「やれやれ、皇女殿下にも困ったものです」
絡みつくような、と表現したくなる声。
「こういった行為は自重して欲しいと、兄上から耳が痛くなるほど言いつけられていたでしょうに」
場に一人、男が増えていた。
彼が現れるまでの一切の動きをマキナは捉えられなかった。
しかもあの《鎧戦鬼》の腕を、片手で抑えている。
両者の腕の震えから、まだ互いに力を抜いているわけではないようだ。
「行き過ぎた戯れを詫びましょう、ヘル様。今のは非礼です」
「ああ、非礼だな」
ヘルが一歩下がり、頭を下げた。
「失礼した、ギアス王子。戯れのつもりだったのだが、いらぬ緊張を産んでしまったようだ。余はこういうタチでな。すまぬ」
マキナは気が気でなかった。
シャナトリスの顔にも動揺がある。
そんな中、ギアスは飄々と口を開いた。
「いやいや、そんな! びっくりはしましたけど、ぼくは平手打ちくらいで怒ったりしませんよ! だからどうか気にしないでください! いやぁ、しかしローズの動きを封じるなんてすごい人ですね? そちらの方、紹介してもらえますか?」
「ハハ、懐の広い王子で助かったねぇ。ん? ああ、彼は余の同行人だよ。帝国分都市で倉庫を管理しているのだが――出世欲に乏しいのが、余の悩みの種でね。さあ、では自己紹介したまえ」
ローズの腕から手を離すと、男は四角い枠の眼鏡の位置を直した。
ややたれ目気味だが、精悍な顔立ちの男。
西方色の強い軍服を連想させる装い。
形のよい顎には綺麗にひげが生え揃っており、くすんだ金髪は後ろへ撫でつけられている。
紳士然とした雰囲気だが、どこかくたびれた野性とも言うべき空気があった。
あるいはそのくたびれた感じは、彼にとっては擬態か。
実直そうな笑みを湛え、男は自らの名を口にした。
「ヴァラガ・ヲルムードと申します。帝都分都市で、第二倉庫管理部という部署の部長をしています」
やはり、とマキナは思った。
肉眼で捉えきれぬほどの彼の動きを目にした瞬間、確信に似た予感が走った。
第6院。
キュリエやロキア、あのヒビガミやノイズの同郷人。
ヒビガミが一目置いているような発言をしていたのを覚えている。
只者でないのは確か。
しかしその第6院にいた男が現在なぜ帝国にいるかのは、わからない。
「しかし、まあ――」
ヘルがローズを一瞥。
「さすがは噂に名高い《鎧戦鬼》。余も目を瞠る動きだった。その腰の聖魔剣を使わずとも、並大抵の戦士では太刀打ちできまいな。はてさて? 我が帝国の誇る《武神》や《黒の聖樹士》とやり合ったらどちらが勝つだろうね? 大変興味がある。それに――」
カツンッ、と靴音を廊下に響かせたヘルが、威圧するようにマキナの前に立つ。
「噂、と言えばだよ? そう――聖樹の国の禁呪使いだ。余はその者に強い興味がある。もしよければ、一度引き合わせてもらえないかね?」
「それは――」
この皇女とクロヒコを引き会わせてよいものだろうか。
先ほどの振る舞いといい、ヘル皇女には何か不気味なものがある。
どう答えるべきか。
思考が最適解を、弾き出せない。
どこまで沈黙が、許されるのか。
「ふむ? 余と引き合わせるのに、何か問題でも?」
「その――」
マキナが、返答に詰まった時――
「前期授業は無事終わりましたけど、俺たちだけ聖武祭分の評価が満点ってのも、少し気が引けますよね」
皇女が引きあわせを所望していた者が、少し先の通路から姿を現した。
「あれ?」
こちらに《彼》が気づく。
「シャナさんに、マキナさん?」




