13.「あたたかな光差す日々を」
前期授業が終わっても、俺とアイラさんの訓練の日々は続いていた。
本来この時期は地方の実家へ帰省する者も多いが、今年は聖武祭の影響で八割強が王都へ残るらしい。
「今日は、これくらいにしましょうか」
肩で息をするアイラさんが汗をぬぐう。
「はぁっ、はぁっ……ん、わかった」
今日も第一修練場は暑さでゆだっていた。
日が落ちているおかげで、今は始めた時間よりマシだが。
片づけを終えた俺は壁に背をあずけ、ひと息つく。
「アイラさんって直線的な軌跡に入ると、剣の冴えが増しますよね」
清々しい笑みを浮かべたアイラさんが、顎に溜まった汗をぬぐう。
「そうかな? えへへ。褒められると、やっぱり嬉しいね」
「実際ノってる時の攻撃だと、反応にすごく神経を使う瞬間がありますし」
直線軌道に入った彼女の剣は、速度と威力が五割ほど増す印象だ。
真っ直ぐの軌道だからかもしれないが、五割は驚異的である。
といって、逆に曲線軌道が苦手でもないのは大きな強みだ。
この特質を、試合のどこかで活かせるといいのだが……。
二人の会長とセシリーさんに勝つには何か策が必要となるはず。
無策で挑んで勝てる相手ではない。
特にあの二つの固有術式には、専用の対策を打たねばなるまい。
とりあえず上手くすれば、一つはどうにか――
「アタシ、クロヒコに稽古の相手を頼んでよかった」
考え込んでいると、アイラさんが口を開いた。
「そう言ってもらえると、俺も引き受けた甲斐がありますよ」
「最近、強くなってる実感をしっかり得られるようになってきたの。クロヒコに稽古をつけてもらうまでは自分が強くなってるのかどうか、いまいち自信がなかったんだよね……」
「俺の目から見ても、アイラさんは確実に強くなってます」
キュリエさんやソギュート団長から稽古相手としての心得を学び、その教えを実行しているだけなのだが、効果は予想以上に得られているようだ。
彼女には元々、才能が備わっていた。
今までは適した師が不在だったせいでその才能を大きく伸ばせなかっただけだ。
相性のいい師の存在は大きい。
俺だってキュリエさんやソギュート団長なしでは今の強さに辿り着けていない。
禁獣の《喰う》力による底上げだけなら今よりアンバランスな戦闘能力になっていたはず。
今特訓している《双龍》がそれなりの形になっているのも、剣の下地がキュリエさんとの訓練で自然と培われたおかげだろう。
「このあと、クロヒコはまたあの技の練習をするの?」
アイラさんも《双龍》の練習の風景を何度か目にしている。
「ええ。軽くでも、毎日欠かさずやるのが大事だと思うので」
「ほんと頑張り屋さんだよね」
「それはアイラさんもですよ。でも、頑張りすぎには注意ですからね?」
「はい、気をつけますっ」
訓練に明け暮れてばかりでは、心身に負担がかかる。
継続できてこそ訓練は意味がある。
だから、日常を適度に楽しむ余裕は持つようにしたい。
訓練が過酷なほどたまの思い切った息抜きが必要となる。
身体もそうだが、精神の健康も同じくらい大切なのだ。
「食堂でトノア水でも飲んでいきましょうか」
「うんっ」
修練場を出た後、俺たちは制服に着替えて落ち合い、食堂へ向かった。
廊下を歩きながら窓の外を見る。
「近づいてきましたね、聖武祭」
目視は不可だが、見ている方角の遥か先にあるのは大聖場だ。
大聖場は半円形の建築物で、緊急時には堅牢な要塞と化す。
四凶災の襲来時も多くの王都民が大聖場へ避難していたと聞く。
祭事にも使われるそうだが、今回、その大聖場が聖武祭の会場となったのである。
「前期授業が終わって、聖武祭が近づいてきて……候補生の空気もいよいよって感じになってきたよね。実はアタシ、今は楽しみなの。あのセシリーや会長たちと戦えるかもしれないと思うと、待ち遠しくて仕方なくて」
大聖場の方を見つめるアイラさんの瞳には、期待の光が宿っている。
「みんなアタシの目標で、憧れだったから」
彼女の決意を思い出す。
――聖武祭が終わるまでは、勝ちにいくつもりで頑張りたい。
勝たせてあげたい。
今、俺はそう感じる。
特訓はもちろん、彼女が勝利へ近づくためのサポートにはできるだけ力を入れたい。
食堂に到着した俺たちはトノア水を買い、席についた。
「そういえば近々、ルーヴェルアルガンと帝国の人たちが来るんだっけ?」
「らしいですね」
シャナさんと会うのも久しぶりだ。
「勝ち進んだら、その人たちや聖王様の前で戦うんだよね……もしそうなったらアタシ、あがっちゃいそうだな」
「緊張感も楽しんでいきましょう。大舞台こそ楽しむくらいの気持ちが大事です。そういう心構えも、勝つためにはきっと大事ですよ」
「そっか……うん、そうだね。えへへ……ありがと、クロヒコ」
思わず出たひと言だったが、効果あったようだ。
誰かに自分が助言する立場になるなど少し前までは考えもしなかった。
これも一つの変化――成長と言えるのだろうか?
「とにかく聖武祭まで全力で頑張りましょう。俺も力になれるよう、努力しますから」
アイラさんは「うんっ」と力強く頷いてくれた。
俺は、日差しが届かぬ廊下をキュリエさんと歩いていた。
壁には等間隔でクリスタル灯が設置してあり、廊下は一種の神秘的な雰囲気に包まれている。
「いよいよ明日ですね、聖武祭」
「どうだ、アイラの仕上がりは?」
「やれるだけはやりました。セシリーさんの方はどうです?」
「天才ってのは、やはりああいうやつのことを言うんだろうな。ヒビガミが才能を認めただけはあるよ。セシリーを終末郷に行かせるのは断固反対だが、もし私と同じ環境で育って無事に生き残っていたら、私以上の剣士になっていただろう」
「キュリエさんよりも、ですか?」
「私の戦闘能力は環境と経験で培われたものだ。才能の質では、セシリーに劣るさ」
終末郷という環境で死なずに経験を積み続けたこと自体、一つの才能な気もするんですが。
「ん? どうした?」
「いえ……隣の家の芝はなんとやら、ってやつなのかと思いまして」
「?」
聖武祭を明日に控えたこの日、俺は下見を兼ねてキュリエさんと大聖場へ足を運んでいた。
大聖場は前の世界の一般的なドーム球場と同程度か、それ以上の広さを持っていた。
空を望める吹き抜けだが、術式機の力で透明な天井を形成できるとか。
透明な天井膜を発生させる術式機は貴重なもので、もし壊れたら代替がきかないそうだ。
天井をすっぽり覆う膜は、空から襲撃しようとしても生半可な衝撃では破れないという。
大聖場が避難場所として使われている理由もここにあった。
一度膜が張られてしまえば、弓や術式用の開閉式の狭間を除くと、侵入口は東西南北の四か所のみとなる。
つまりその四か所さえ守り切れるなら、内部への侵入は不可能となるのだ。
ただあの膜が宙を舞う四凶災のマッソの拳を防げたかについては、最後までわからなかったが。
「こういう建物を作ってしまう建築技術ってすごいですよね」
「だな。私は剣を振れても、建物は作れない。この剣が不要になったら、どうしたものかな」
「俺と小さな料理店でも開きます? 調理師はキュリエさんが担当して、俺は給仕で」
「うーむ、私の料理で人が呼べるか?」
「呼べます!」
「やけに自信満々だな」
「だってキュリエさんの料理、すごく美味しいですから」
「む……そ、そうか……」
「正直言うと、一生食べたいくらいです」
「う、うむ……」
「ほ、本当ですよ?」
「私の料理を褒めてくれてるのは、わ、わかったから……ほら、行くぞ!」
声を上擦らせ、キュリエさんがトカトカ一人で先へ行ってしまう。
気分を害してしまったのだろうか。
しかし、声の感じからすると気を悪くした風ではなかったが……はっ!
慌てて、銀髪の揺れる後ろ姿を追いかける。
「ま、待ってくださいよ……キュリエさんっ」
大聖場は誰にでも開放されている場所ではないが、手続きさえすれば入場は可能だ。
初日の第一戦は試合数が非常に多いため、学園の各修練場で行われる。
第二戦以降の試合が、この大聖場で行われるのだ。
追いついた俺は、そういえば、と尋ねてみた。
「キュリエさんは第一戦の対戦表、もう見ました?」
今朝方、聖武祭第一戦の組み合わせが学園の広場に貼り出された。
「ああ、見た」
対戦表を見る限り、アイラさんとセシリーさんが第一戦であたることはない。
ちなみに聖武祭の対戦表は、第一戦、第二戦、第三戦の各戦ごとにシャッフルされて再掲示されるので、第一戦の時点で先の対戦相手の予測は不可能だ。
それでも――確実に残ってくる出場者はある程度、予測できるが。
「アイラさんとセシリーさん、互いに勝ち進めるといいですね」
「ああ。セシリーのやつ、みんなの前では涼しい顔をしているが……訓練時には、私が気圧されるくらい打ち込んでいたからな。それと……朝のあの感じを見ていれば、アイラが過酷な訓練に励んでいたのもわかる」
聖武祭が近づいてきてから気づいたのだが、どうやらアイラさんは俺との訓練が終わった後、場所を移して一人で別に鍛錬をしていたらしい。
そのダブル訓練の疲労のせいで、朝寝坊が頻発したみたいだ。
「二人とも、今までの努力が成果に結びついて欲しいものだな」
「ええ」
アイラさんは明日に備え、今日は宿舎で休んでいる。
セシリーさんも休日にしたと聞いた。
二人に限らず出場者の大半は今日を休息日にあてているのだろう。
そんなわけで、今日は暇ができた。
ただ日々の疲れが溜まっていたので、自己鍛錬は午前中で切り上げた。
そして鍛錬を終えた俺は、そのまま家へ帰って休むつもりだった。
しかし帰宅しようと女子宿舎の前を通った時、ふと閃いた。
もしセシリーさんも休息日だとすれば……キュリエさんも今日は暇なのではないか?
そこで大聖場の下見を口実に、俺はキュリエさんを外出に誘ったのだった。
「今、私は幸せだ」
大聖場内の試合場まで来た時、キュリエさんが言った。
「こんなに幸せでいいのか不安になるくらいさ。眠りにつく前にいつも、こんな日々がずっと続いて欲しいと願いながら目を閉じる自分がいる」
覗く空から夕日が差してきて、キュリエさんの顔を照らし出した。
銀色の髪が橙の光で暖かに輝めく。
その微笑みに、俺は、もう何度目かわからない胸の高鳴りを覚えた。
「この幸せをくれたのはおまえだ、クロヒコ」
言いようのない嬉しさが込み上げてきた。
だが気の利いた返しが思いつかない。
そしてもし気の利いた長台詞を返そうとしても、嬉しさで声が震えて上手く言えそうになかった。
「続きますよ、きっと」
だから、短くそれだけ返した。
もう四凶災はいない。
個人的な範囲の懸念材料は、ヒビガミとの決着。
この国の範囲での懸念材料は、帝国の東方侵略再開だろうか。
だけど何があっても、俺は守ってみせる。
もし一時的に奪われても、必ず取り戻してみせる。
そして、この日々を奪った者には――
「俺もずっと、こんな日々が続いて欲しいです」
…………。
それから俺たちは二人並んで、オレンジ色に染まる無人の試合場をしばらく眺めていた。
次話「聖武祭の客人たち」は7/13(水)20:00頃更新予定です。
次話には、名前だけは今まで何度も出てきた「あの人」もついに登場します。




