Ex16.「くんれんがっしゅく!(8)」
目を覚ました俺は、混乱の極みにあった。
最後のおぼろげな記憶は馬車の中だ。
確か、イオワ養地へ向かう道中だったはずである。
それがなぜ――目の前に今、セシリーさんの寝顔が?
しかも自分がいるのは、布団の中。
「すぅ……すぅ……」
セシリーさんと二人、ベッドで寝ている……。
静かな寝息を立てるセシリーさんの顔。
それが、すぐ目の前にある。
睡眠中も彼女の美しさに陰りはない。
起きているのではないかと勘繰るほど、寝姿も美しかった。
この布団の内側に籠ったセシリーさんの匂いと温もりを感じているだけで、なぜか、心臓の鼓動が速まっていく……叶うならずっとこのままでいたいと思わせるほどの、奇妙な魔力があった。
あるいはこれは、物凄く幸運な状況なのかもしれないな……。
というか――まさか、俺は……過ちを犯してしまったのか?
……何も、覚えていない。
何も。
男女が同じベッドで朝を迎えるということは……やはり、そういうことなのだろうか。
しかし、記憶がないのは一体どうしたことか。
禁呪の副作用?
いや、だとすれば禁呪王が何か伝えてくる気もする。
「う、うぅん……むにゃむにゃ……い、いいんですよ……?」
「!?」
起き、た?
「大丈、夫……ちっちゃくても、男の、子……すぅ……」
「……ね、寝言か」
ここで起こすのも悪いだろうか。
いや、しかしやはり状況の説明を求めた方が――
「クロヒコ?」
キュリエさんの声。
セシリーさんを起こさぬよう、俺は静かに身体を起こす。
「キュリエさん……俺は一体……ここって、イオワ養地ですか? というか、どうしてキュリエさんたちと、同じ部屋に……」
胸を撫で下ろすキュリエさん。
「よかった、戻ったんだな」
「戻った? ……ん?」
さっきから何か妙な感じがあった。
「ふ、服がきっつきつに……」
キュリエさんが苦笑する。
「それも含めて説明するよ。セシリーを起こすと悪いから、着替えを終えたら……そっちで話そうか」
服を着替え、俺はベランダに出た。
そして、昨日から今日にかけて起こったことを説明された。
あえてぼかしたとおぼしき部分もあったけど、口に出しづらそうだったので、そこはあえて追及はしなかった。
……そのぼかされた部分で何があったのか、もちろん気にはなるけど。
「そうでしたか。迷惑かけちゃったみたいで、すみませんでした」
ふむ、シャナさんの薬が原因か。
「気にするな。幼い姿のおまえも……わ、悪くなかったしな」
「…………」
小さい頃の俺、か。
昨日キュリエさんたちと一緒だった小さな俺は……まだ両親から期待されていた頃の相楽黒彦だったんだろうか。
「どうした? 何か嫌な記憶でも思い出させてしまったか?」
「いえ……その頃の自分ってどんなだったかな、と」
「昔の自分、か。私は、ずっと昔のことはあまり覚えていなくてな……6院時代の記憶は、割と鮮明なんだが」
フン、とキュリエさんが口元を綻ばせる。
「何はともあれ、戻ってよかったよ」
「シャナさんの薬には、今後も気をつけないとですね……」
「だが今のおまえは、ここへ来る前にあった疲労感が取れているようだぞ? 精神的な疲労も、含めてな。だから気を軽くする効果があったのは、事実なのだろう。その――」
キュリエさんが頬を染めながら、咳払い。
「気を遣わず本能のままに振る舞うというのも、まあ、精神にはよい休息になるのかもしれん」
「俺が小さくなっている間、本当に何があったんです?」
「……気にするな」
「は、はぁ」
「なんだ? おまえは、その……そんなに私やセシリーを、辱めたいのか?」
「辱める? い、いえ! 俺、そういうつもりで言ったんじゃなくて――」
「ふふ」
ぽふぽふ、と頭を撫でられる。
「わかってるさ」
「〜〜〜〜っ」
キュリエさんは、狙った感じなしにこういう不意打ちをしてくるから困るよな……。
「せ、セシリーさーん! 待ってくださいよーっ」
「知りません!」
プリプリ不満オーラをまき散らしながら石造りの廊下を早足で歩くのは、セシリー・アークライト。
「えぇーっ? ど、どうしたっていうんですかーっ?」
「ふん! わたしを放って部屋の外でいちゃいちゃしてた人たちのことなんて、もう、知らないんですから! ぷーんだ!」
「ぷ、ぷーんだって……」
今度は、セシリーさんの精神が幼児化してしまったのだろうか。
「ていうか俺たち、いちゃいちゃなんてしてませんってば!」
「してました! それに、キュリエもキュリエですよ! どうして起こしてくれなかったんです!?」
「ん? いや、おまえがとっても幸せそうに寝ていたもんでな」
「そ、その気遣いは嬉しいですけど……う〜……」
「それにだぞ、セシリー? そういうことなら一つ言わせてもらうがな……昨夜、同衾の相手としてクロヒコに選ばれなかった私の立場は、どうなる?」
「うっ――」
「内心、あれは気落ちしたぞ」
「……そ、それは」
「これで、おあいこだな?」
「……はぃ、ごめんなさいでした」
おぉ、セシリーさんがキュリエさんに手綱を握られている……。
というか、俺は一緒に寝る相手にセシリーさんを選んだのか……。
ちなみに俺――《サガラ・クロヒコ》は、今朝方イオワへ到着したことになっていた。
「うぅ〜……でも、目が覚めたら隣にいたはずのクロヒコの姿がなくて、部屋にも、見当たらなくて……その時わたし、まるで地の獄界まで落とされた気分だったんです……血の気が引いて、倒れそうになって……で、ふと部屋の窓の外を見たら、元に戻ったクロヒコとキュリエが、と〜っても幸せそうにいちゃついてて……わたしの今の心配は一体、なんだったのかと……いえ……早とちりしたわたしが悪かったのは、その、わかってるんですよ……でも、ちょっとしょんぼりしちゃいまして……だから、あの……ごめん、なさい……」
肩を落としてトボトボ歩くセシリーさんの背に、キュリエさんが手を置き「おまえは幼いクロヒコが勝手に部屋を出て行ったのでないかと思って、心配になったんだよな? うむ……おまえは、優しいやつだ」と優しく語りかけていた。
一瞬とはいえ心配かけさせちゃったのは、悪かったかな……。
「それにしても――」
屋根付きの長い廊下から望む浜辺に、俺は視線を投げる。
今、浜辺にひと気はない。
海は穏やかだが、海面には細い雨が間断なく降り注いでいた。
空は、曇天。
「せっかくの日なのにまさか、天候に恵まれないとは……」
海イベントの時くらい、晴れてほしかった。
落ち込んだ状態のセシリーさんも、この天候を口惜しく感じているようだ。
「うぅ、このまま天候が悪化して水遊着が無駄になったら、ほんと切なすぎですよ……」
「とはいえ天候ばかりは、どうにもならんからなっ。水遊着が使えないかもしれないのは残念だが、仕方ないなっ」
「……残念とか言うわりには嬉しそうですね、キュリエ?」
「うっ……そ、そうか?」
「はぁ……どうにか昼過ぎまでには、晴れて欲しいですねぇ」
そんなわけで今、俺たちは午後から晴れるのを期待しつつ、イオワ養地の訓練施設へ向かっていた。
セシリーさんは聖武祭が控えているし、俺は《双龍》の練習をしなくてはならない。
楽しい旅行といっても、今は訓練を怠るわけにはいかないのだ。
「では……始めるか」
運動服姿のキュリエさんが訓練用の剣を構える。
「はい」
俺も、剣を構える。
「…………」
「…………」
「やりづらいぞ、クロヒコ」
「……ええ、俺もです」
「二人ともー、がんばってくださーいっ」
修練場内に設置された長椅子から、セシリーさんの声援が飛んでくる。
彼女の声援が飛んでくるのは、まあ、いいのだが――
「お、次はあっちの少年がやるようですな」
「ふむ、あちらの銀髪の少女は先ほどの腕前から推測するに、おそらくはセシリー嬢の剣の師範でしょうな。ですが……彼は、セシリー・アークライトの従者でしょうか? 何やら、ひどく親しげですが」
「ふむ、彼も師範から剣を学んでいるわけですな。はは、けっこうけっこう。若者はやはり、上昇志向あってこそですなっ」
「ですが……こう言っては少々かわいそうかもしれませんが、あれですなぁ……セシリー・アークライトの見事な剣捌きを目にした後では、その……いささか、見劣りしてしまうのでしょうなぁ」
「まあまあ、よいではありませんか。何せこの目であの《ルノウスレッドの宝石》の実物を拝めたのですから」
「そうですな。しかし、あの銀髪の師範……剣の腕前だけではなく、女性としても相当なものですな。いかがです? この後、あの二人を誘ってみますか?」
「ふむ。ならば後ほど我々の剣捌きを、セシリー嬢とあの師範にお披露目といきますか。これでも実は私、元聖樹士に剣で勝ったことがあるのですよ」
「ほぅ、それはすごいですな。ただ、私もかつて聖王の近衛隊にいた者と剣を交え、下したことがありましてな? 剣の腕には少々、自信があるのですよ」
「ならば、もしかすると私たちがあの二人に剣を教える側になるかもしれませんな」
「あのセシリー・アークライトを鍛えた者となれば、それはもう、大層な自慢になりますよ」
イオワ養地の訓練施設は、小さな修練場が連なった形になっている。
修練場同士はフェンスに似た壁で区切られているため、他の修練場の様子が見えるのだ。
この施設に足を踏み入れた瞬間からキュリエさんとセシリーさんは注目を浴びていた。
特にセシリーさんはその美しさのためか、すぐに正体までバレた。
そして二人の稽古が始まって以降、俺たちが使用している修練場の周囲四方には、黒山の人だかりができていた。
剣を交えている間、注目されるのに慣れているセシリーさんは問題なさそうだったが、キュリエさんはいつもの力を発揮できていなかった。
さらに二人は学園で使っている運動服を着てきたため、服の可愛さの相乗効果でえらいことになっていた。
俺は普段目にしているから多少慣れているが、普段二人の運動服姿を目にしていない者には効果が抜群らしかった。
特に、男性陣はひどく心惹かれるものがあるようだ。
そしてその気持ちは、俺にもわかる気がした。
最近耳にした噂だと、今の運動服に切り替わる際、セシリーさんのお母さんが関わったとか関わってないとか……あくまで、噂だが。
そんな二人の美少女が汗を飛ばしながら華麗に剣を躍らせ、舞う姿は、舞踏のごとく映ったのだろう。
打ち合いが一段落した時には、拍手が起きたほどだった。
そして次はキュリエさんと俺の番になった、というわけである。
「まあ、ノイズと戦った時も人だかりはできていたわけですし」
「今飛んできている視線とは、種類が違う」
「でも……きっといざ始まれば、気にならなくなりますよ。というわけで――いきます!」
そう――始まってさえしまえば、いつもの調子が戻るはずだ。
結果、予想は的中した。
いざ剣を交えてしまえば、他へ意識を割く余裕は少なくなる。
普段俺と彼女がしているのは、そういう訓練だ。
剣を打ち鳴らしながら、俺は合間に不完全ながらも《双龍》を織り交ぜていく。
だが不完全ゆえか、キュリエ・ヴェルステインの対応力の高さゆえか、不発に終わった。
「――面白い剣技を試しているようだな、クロヒコ」
「ええ、ヒビガミとの決着を見据えての技です」
会話が終わると、打ち合いが激化してく。
にわかに四方の人だかりが騒がしさを増した。
「な、なんですかなあれはっ? た、ただの従者なんかじゃありませんぞ、あの男! 見劣りどころか……下手をすれば、せ、セシリー・アークライト以上じゃないか……?」
「むぅ……しっかりした型はできていないはずなのに、いやに洗練された印象を受けますな……只者じゃありませんぞ、あの剣捌きは」
「一体、何者なんでしょうな……?」
別の壁の向こうにいた男たちの一人が、何かに気づいた。
「あっ! もしかして……」
「どうした?」
「いや、あくまで噂なんだが……王都に、禁呪使いがいるって話……聞いたことないか?」
「あ、ああ……噂くらいなら」
「この前四凶災が王都を襲撃したって話は、知ってるだろ?」
「おう」
「その四凶災を倒したのが、実は聖樹騎士団じゃなくてその禁呪使いだって噂があるんだよ」
「え? でもあの剣捌きだけで、そうだとは……」
「なんでも四凶災と戦った時に、左目を失ったとか……」
「確か、名前は――」
観客の視線が、俺の眼帯に集中したのがわかった。
「おまえも有名になったものだな、クロヒコ」
キュリエさんのそのひと言に、一人の観客が反応した。
「そうだ! 名前は確か、サガラ・クロヒコ! おい、本物がいるぞ! あの四凶災を倒したって噂の、禁呪使いだ!」
「すげぇ! じゃあおれたちは今、その四凶災を倒した男の剣技を見てるのかよ!」
「あら、よく見ると……ちょっとかっこいいかも」
「そうね、意外と頼りになりそうな顔してるわ……」
「ま、参りましたな……まさか彼が、あの噂の禁呪使いとは……」
……四凶災の半分は、キュリエさんとヒビガミが倒したのだけど。
しかもこの扱いは、なんだか照れ臭い。
「ふふっ……《ルノウスレッドの宝石》も、いよいよ、聖樹の国の禁呪使いに知名度で抜かれる日が来ましたかね?」
そう冗談っぽく言いながら、セシリーさんが苦笑していた。
それは、稽古を終えて施設を出た直後のことだった。
セシリーさんの表情が、ぱぁぁっと輝いた。
「や――やった、晴れてる! 晴れてますよ、キュリエっ!?」
キュリエさんの手を取り、ぴょんぴょんウサギみたいに飛び跳ねるセシリーさん。
「……うっ、き、急に腹の調子が」
「嘘はいけませんね、キュリエぇ?」
にっこり。
「き、気のせいだった……かも、しれん」
セシリーさんの、恐怖スマイルだった。
あのスマイルには、誰も逆らえないのである。
キュリエさんが、フン、と微笑む。
「しかし、水遊着になるには気温が低そうだな。だから私は浜辺でのんびり、身体を休め――」
「さ〜水遊着に着替えに行きましょうね〜キュリエ〜っ?」
「おまえ、こ、こんな力を一体どこに隠して――う、うわぁーっ! 放せーっ! いやだーっ!」
ジタバタ、ジタバタ。
「ではクロヒコ、わたしたちは部屋で着替えてきますので」
「ええ。俺は、施設の更衣室で着替えます」
俺は持ってきていた持参の水遊着を掲げた。
「では、浜辺で落ち合いましょう」
「はい」
「ふふ、楽しみにしていてくださいね?」
「うわーっ! た、助けてくれーっ、クロヒコーっ! 頼む、第九禁呪の力で、セシリーを止めてくれーっ!」
「…………」
きゅ、キュリエさんのキャラが……。
ま、まあ……シーラス浴場の時も、あんなだった気がするしな。
ジタバタするキュリエさんは、セシリーさんに引っ張られ、宿泊施設の方へ消えて行った。
セシリーさんによると二人が部屋までわざわざ戻ったのは、
『共用の更衣室だと、おそらく同性であっても周囲の視線が集まりすぎて、絶対にキュリエが面倒な感じになるからです』
との理由かららしい。
そうして俺は、男子更衣室へ足を向けたのだが――
「ん? あれは……?」
イオワに入る門の方から、二人組が歩いてくるのが見えた。
「あっ、クロヒコだ!」
こちらに気づいた一人が、手を振ってきた。
「おーい、クロヒコぉ! 来たよーっ! 昨日は急に体調崩しちゃって、ごめんねーっ!」
「アイラさん!」
「来たよー、クロヒコーっ」
「レイ先輩も!」
俺が手を振りかえすと、レイ先輩も振り返してくれた。
というかよく見れば、並んで歩く二人の後ろにもう一人、ゴスロリ服を着た女の子の姿が見えた。
三人が、近づいてくる。
「来たわよ」
半袖のゴスロリ服の女の子――マキナさんは片目をぱちっと閉じると、にやっとしながら、言った。
「待たせたわね、クロヒコ」
次話Ex.17「くんれんがっしゅく!(9)」の更新までの間に、書籍版6巻の「小説家になろう」版特典SSを少しずつ追加していきます(5巻の「小説家になろう」版特典SSを追加した後になります。「小説家になろう」版特典SSは活動報告に掲載したSSと同じ内容のものです)。
内容は「料理大会のSS(クロヒコ視点)」と「ヒビガミがミドズベリアで唯一敬った言葉遣いをする人物のSS(ヒビガミ視点)」を予定しています。
一応前書きに記載はする予定ですが、更新の際にEx.17とお間違えないようよろしくお願いいたします(6巻の詳細等につきましては、活動報告をご覧ください)。
この「イオワ養地編」が終わると、いよいよ「えくすとらっ!」の本筋の方が進んでいく感じになります。ですので、この「イオワ養地編」は「四凶災編」前の「シーラス浴場編」的な位置づけとして考えていただければと思います。




