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聖樹の国の禁呪使い  作者: 篠崎芳
聖樹の国の禁呪使い えくすとらっ!
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Ex13.「くんれんがっしゅく!(5)」【セシリー・アークライト】


 イオワの浜辺から望む巨大な白亜の屋敷。


 蔦の絡みつく外観が、古色蒼然とした雰囲気を際立たせている。

 この屋敷がイオワ養地の誇る一等宿泊施設。

 伝聞で知ってはいたが、セシリーも足を踏み入れるのは初めてだ。


 上品な彫刻の施された柱に支えられた入口を抜け、セシリーたちは屋敷へ入った。

 外の印象とはうって変わり、屋敷内は豪奢な印象。

 担当者に導かれ早速手続きを始める。


「明日ご到着予定の方々は窺っておりますが、あの、サガラ・クロヒコ様は……?」


 セシリーは普段通りの笑顔で答える。


「サガラ・クロヒコは少々遅れて到着の予定です」


 とろんとした顔の担当者が、ぽやーっ、としている。


「ふふ、どうされました?」

「え? あ、申し訳ございません。噂は耳にしておりましたが、これほどとは……こほん……それで、サガラ・クロヒコ様は遅れて到着なさると?」

「安心してください。彼はわたしたちが出迎えますから、あなた方の手を煩わせることはありません」

「……ふむ、かしこまりました」


 担当者の視線が、キュリエに抱かれているクロヒコへ。


「ところで、その赤ん坊は?」

「この子ですか? この子は――」

「おや? 左目に布が巻かれて……まさかその方が、サガラ・クロヒコ様…?」


 眼帯の大きさが合わないので、今は左目に布地を巻いていた。


「え? あ、これは、ぼ、母乳が目に入ったので――」

「母乳?」

「もちろん、わ、わたしたちのではありませんが!」


 セシリーは少し焦り、まずった、と思った。

 だがここでさらに怪しまれないためにも、即座に、作っておいた設定を口にする。


「この子は、実は、先ほどとあるご婦人からしばらく預かってほしいと頼まれた子でして……なんでも急な用事ができてしまい、しかも赤子を連れていけない案件なのだとか――」


 最も上目遣いが効果的な位置を計算してから、懇願の表情を作るセシリー。


「かまいません、よね?」


 担当者の顔が、かぁぁ、と赤みを増していく。


「は、はいっ……問題、ないかとっ」

「ふふ、ありがとうございます」

「こほんっ…ひ、必要であれば、赤ん坊用の食事も用意させましょう」


 セシリーは担当者の手を、きゅっ、と握った。


「助かります」


 相手が女だったので効果にはやや不安があったが、印象を良くするのには成功したようだ。

 キュリエが、よくやるよ、という顔をしている。

 そんなキュリエに自慢げな微笑みを向けた後、セシリーは、滞在中に関する説明を担当者から受けた。





 宿泊部屋は二階の奥部屋。

 荷物は階段の上まで施設の者に運んでもらい、そこからはキュリエが全部持ってくれた。

 なのでセシリーは今、すやすや眠るクロヒコを抱いている。

 周囲に人がいないのを見計らい、キュリエが言った。


「クロヒコの同じ部屋での宿泊許可が下りて、助かったな」

「ええ。赤ん坊用の食事も用意してもらえるようですし、ひと安心ですね」

「しかし、おまえの色仕掛けは同性にも通用するから便利だよ」

「んー、同性ならキュリエの方が効果あると思いますけど……キュリエ、そういうの苦手でしょ?」

「ま、まあな……その、任せてしまってすまん」

「謝らなくていいですよ。わたしにはわたしの得意分野があるわけですし――っと、ここですね」


 鍵を開け、部屋に入る。

 大きさで言うと、学園の学園長室の広さくらいだろうか。

 寝室部分と合わせると、ちょうどあの学園長室がこの部屋くらいの広さになるだろう。


「女子宿舎とは大違いだな」


 荷物を置いたキュリエが感想を漏らす。


「イオワの宿泊施設と女子宿舎を比べるのは酷ですって」

「だうあー」


 クロヒコがキュリエの胸に手を伸ばし、ばたばたさせる。


「ん? 起きたのか? どうした、クロヒコ?」

「あうー!」

「お、おいっ? 何をやってるっ?」


 クロヒコがキュリエの胸元の布地を掴み、ぐいぐい引っ張っていた。

 セシリーが止めに入る。


「こら、クロヒコ! やめなさい! ほら、キュリエが嫌がっているでしょ!?」

「あうあうあうあー! だうあー! きゃぅあー!」

「おいクロヒコ! そんなに引っぱったら、破れ――きゃぁ!」


 ビリリッ、とクロヒコが胸元の布地を破った。

 裂けた胸元からは、キュリエの内胸当てが覗いている。


「何をするんだ、クロヒコ!」

「あぅあー! うぅー……」


 キュリエの胸に向かって泳ぐ動きをするクロヒコ。

 セシリーが引き離そうとするが、クロヒコはキュリエの服の生地を掴んだまま離そうとしない。

 ふぐぅ、とクロヒコは悲しそうな顔をしている。

 そこでキュリエが理解する。


「あぁ、そうか……お腹が減っているのか。いきなりだったから、混乱して気づかなかった……」


 キュリエが胸元を隠す。


「まあ、赤ん坊のクロヒコでは怒っても仕方ないしな。だが、すまない。馬車でも言ったが、私では母乳が出ないんだ……といっても、今のおまえに言葉で説明してもわからないか」


 フン、と微笑みながら鼻を鳴らし、キュリエがクロヒコの額をつつく。


「困ったやつだな、おまえも……ん? どうした、セシリー?」

「なぜキュリエより圧倒的に距離の近いわたしの方へ来ない?」

「……セシリー?」

「え? あ、なんでもありませんよ? うふふ……さ、さて! これからどうしますかね?」

「まずはクロヒコの食事だな……面倒は私が見ておくから、食事の手配はセシリーに任せていいか? できれば、破れた服も繕っておきたい」

「わかりました。それにしても――」

「ん?」

「なんだか夫婦みたいですね、わたしたち」

「ふっ、かもしれんな……ん?」


 キュリエが眉根を寄せる。


「ちなみに、一応聞くが……それ、どっちが夫だ?」





 施設の者から赤ん坊用の食事を受け取り、セシリーは部屋へ戻った。

 ドアを開ける。


「もらってきましたよ〜? さあ? お待ちかねのごはんですよ、クロヒ――」


 一瞬、セシリーは固まった。


「……コ?」


 ベッドの上でクロヒコと並んで座るキュリエが、吐息を漏らす。

 この有様だ、とでも言いたげな顔だ。

 クロヒコは自分の指を咥え、首を傾げた。


「おねえちゃんは…・・・セシリー、おねえちゃん?」


 赤ん坊、ではない。

 少しだけ成長したサガラ・クロヒコが、そこにいた。





「これはどういうことですか、キュリエ」


 問われたキュリエの顔をクロヒコが見上げる。


「実はおまえが出て行った後、またクロヒコの身体が光に包まれてな……元に戻るかと期待したんだが……見ての通り、でな」


 キュリエが視線を向けたクロヒコは、年齢で考えるといくつくらいだろうか。

 赤子ではない。

 幼児、と呼べる年頃か。

 先ほど《おねえちゃん》と口にしたことから言葉は喋れるらしい。

 意思の疎通も図れそうだ。

 思案しながらセシリーは「これは――」と切り出す。


「段階的に元に戻ってきている、と考えていいのでしょうか?」

「だろうな」


 相槌を打つキュリエ。

 セシリーは気づく。

 今のクロヒコは、赤ん坊の時とは違う服を着ていた。


「その服は?」

「ん? ああ、これは私の予備の服を適当に切って…まあ、破られた胸元を繕うついでに作った」

「キュリエはキュリエで器用ですねぇ」

「一人旅をしていた頃は、ほつれや裂けた箇所は自分で縫っていたしな……眼帯は帯の長さが調節できるものだったから、楽に調整できたし」


 そわそわしながら、クロヒコがキュリエに身を寄せた。


「ん? どうした?」


 クロヒコがはにかみながら、キュリエに笑いかける。


「ありがとう……キュリエ、おねえちゃん」

「!」

「キュリエおねえちゃんは、すごいね?」

「!!!」

「……キュリエおねえちゃん?」

「こ――」

「こ?」

「この子は、私が育てる!」


 むぎゅぅぅ、とクロヒコを抱きしめるキュリエ。


「……なんつー既視感」


 引き攣った笑みを浮かべるセシリー。

 しかしキュリエの気持ちもわからなくはなかった。

 今のクロヒコは、元のクロヒコとはまた違った魅力を醸し出している。

 ついつい構いたくなってしまう不思議な感覚だ。

 しかもその感覚の隅には、ちょっとしたイタズラを仕掛けたくなる奇妙な疼きが。


「むぐぅっ? ぁうぅ…く、苦しいよぉ…キュリエおねえ、ちゃんっ…」


 キュリエの胸の谷間に顔が埋まったクロヒコが、くぐもった呻き声を漏らす。


「はっ!? す、すまん! 大丈夫か、クロヒコ?」

「う、うん……でも急にどうしたの、キュリエおねえちゃん?」

「い、いや……クロヒコがその……あまりにもアレだったから……つい、な……」

「ぼくの、せい…?」


 クロヒコの目が潤みはじめた。

 顔がくしゃりとなるのを必死に堪える顔で、彼は言った。


「ごめん、なさい…キュリエ、おねえちゃん」

「ち、違う! 違うぞ!? おまえが悪いわけじゃないんだ! だから……あぁ! なんと言えばいいんだ! セシリー!?」

「やだ……かわいい……このクロヒコは、わたしとしてはアリ……アリですねぇ……」

「セシリー!?」


 名を呼ぶその二度目の声は、響きが違っていた。


「はっ!?」


 うっとりしていたセシリーは我に返る。


「え、ええっと……クロヒコ、大丈夫ですよ? だぁれも怒ってませんからね? ほら、こっちおいで〜?」

「え?」

「だいじょうぶ? 一人で歩けそ?」

「う、うん……たぶん」


 キュリエを気にしながら、とんっ、とベッドからクロヒコが近づいてくる。

 一方キュリエは、あうあう言いながらこちらへ手を伸ばしていた。


「ふむ、今のクロヒコなら自分で歩けるようですね……ほぉら、つかまえた〜」


 セシリーは屈み込み、ぎゅっ、とクロヒコを抱き寄せる。


「うわっ? セシリー、おねえちゃん……?」


 視線を合わせ、微笑みかける。


「ふふ……ん? あら? どーしたのかな? お顔、まっかっかですよ?」

「わ、わかんない。セシリーおねえちゃんのお顔が近くにあると、わかんないけど、お胸が、どきどきする……すぅぅ〜……すごく落ち着くにおいも、する……」

「くすっ、今のクロヒコはおませさんなのかしら? んーっと……じゃあ、もっと近づいちゃおっかなぁ〜? えいっ」

「わっ!」

「これ以上近づいたら……どきどきしてる心臓、破裂しちゃう?」

「だ、大丈夫っ……ぼく、ぎゅってされなくても……大丈夫、だからっ」

「ふふ、そうですか……クロヒコは偉いですねー? ちゃぁんと、男の子だもんねー?」

「う、うんっ」


 ぽんぽんっ、と意気込むクロヒコの頭を撫でる。

 邪気のない純粋な笑顔。

 その笑顔には、こうなる前のクロヒコの面影が確かにあった。

 うぅむ、とキュリエが感心して唸る。


「さすがだな、セシリー」


 あはは、とセシリーは苦笑する。


「これで正しいのかは、わかりませんけどね? わたしも、手探りです」

「その探る場所が正しいのは、才能だ」

「ですかね? とまあ……とりあえず、今のクロヒコはわたしたちを《知っている人》として認識できているようですが――あら?」


 クロヒコが、左目の眼帯を触っている。


「左目、気になります?」

「ん……ぼく、左目がないみたいだ」

「ええっと、それは――」


 どう説明したらよいのか思いつかず、セシリーは言葉を探した。

 するとクロヒコが言った。


「でもね? この左目をなくしたこと……ぼくは、自慢していい気がするんだ。ぼくはとっても大事な人たちのために、この目をなくしたんだと思う。なんとなく、だけど」

「あ、クロヒコ……」


 語彙力がやや豊富に感じられるのは、かつての記憶から適切な言葉を引っ張り出しているからか。

 セシリーは白い手でクロヒコの髪を梳き、愛おしむ手つきで撫でた。


「ふふ…あなたは、ちっちゃくなっても惚れさせてくれるんだから」

「?」

「小さくなっても、立派な男ですね」

「そ、そうかな……」

「?」


 褒められて照れるクロヒコ。


「さて、と」


 セシリーは立ち上がる。


「食事はどうしますかね?」

「食堂があるんだったか?」

「そうですね。クロヒコは――」


 セシリーは、きゅぅっ、とクロヒコのふにふにした手を握った。


「連れていっちゃいます?」

「また適当に理由をつけて、食堂では私たちが名前を呼ばないようにすれば大丈夫だろう。一人にしておくわけにもいかんしな」

「じゃあ、そうしますか。クロヒコはお腹、空きました?」

「う、うん……実は、少し」

「ふふ、恥ずかしがる必要ないんですよ? 正直に、なんでも言ってくださいね?」

「あ、ありがとう……セシリー、おねえちゃん」

「はい、ちゃんとお礼が言えて偉いですよ? じゃあ……わたしと、お手てを繋ぎながらごはんを食べに行きましょうか?」

「うん!」

「はい、いい子ですね……って、キュリエ?」

「……赤ん坊の時の方が、わたしに懐いていた気がするんだが」

「じゃあ、これで平等ということで」

「むぅぅ……何か言葉選びを、間違ったのか――」


 クロヒコがセシリーの手から離れ、キュリエの前に行く。

 キュリエを見上げ、クロヒコが言った。


「ぼ、ぼく、キュリエおねえちゃんも大好きだよっ?」

「!」

「だから、ぼくのこと……嫌いに、ならないで?」

「う、ぅぅっ」


 キュリエの顔が、崩れていく。

 それは、氷が溶解する様に似ていた。


「私は一生、おまえのおねえちゃんだぞ!」


 キュリエが、ぎゅぅぅっ、とクロヒコを抱擁した。


「あ……ぁ……」


 なんだか、少し取り残された気分のセシリーであった。


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