第17話「舞」
最初に攻撃を繰り出したのは大男の方だった。
巨体ではあるが、決して鈍重ではない。
その動きには迫力とキレがある。
口先だけの男ではなかったらしい。
高速の突きを三度放った後、大男はすぐに身体を素早く旋回。
円を描きながら薙ぎ払われたモールが、周囲の空気を容赦なく刈り取った。
セシリーさんはそれらの攻撃を危なげなくかわす――が、
大男の攻撃は止まらない。
大男は重量のありそうなモールを、ただ闇雲に振り回しているわけではない。
しっかり遠心力まで計算に入れて動いている。
その姿はまるで意思を持った旋風……あるいは竜巻か。
だが――当たらない。
宙に舞う羽毛に触れようとすると、ふわりと手をすり抜けて逃げていくことがある。
俺はそれを思い出した。
まるでモールが動く際に発生する風によってセシリーさんの身体がモールから自然と離れているような感じ――もちろん、セシリーさんが相手の攻撃を読んでいるから、そう見えているだけなのだろうが。
ごくり、と唾をのむ。
本当の戦いって、こういうものなのか――。
俺だって一応は男だ。
漫画やアニメにあるような、いわゆる『バトルもの』ってやつに一種の憧れは持っている。
そして実際にこうして『バトル』を目にし、ちょっと感動している自分がいた。
手に汗握るし、高揚感もある。
けど……一番強く感じているのは、緊張感だ。
それも、心地よい、ヒリつくような緊張感。
…………。
でもどうしてだろう?
セシリーさんが負けるビジョンは、まるで想像できない。
「ちっ……! こいつ、ちょこまかと動き回りやがって!」
大男は苛立たしげに叫ぶと、モールの軌道をさらに変則的なものへと切り替える。
…………。
にしても今の大男の台詞って、やられ役の雑魚にのみ許された恥ずかしい台詞なのでは……。
そんな俺の心配をよそに、大男の攻勢は一段と激しさを増す。
「おらおらおらぁ! 逃げてばっかじゃおれを倒せねぇぞ! もしおれのスタミナが尽きんのを待ってんなら、そいつは無意味だぜ! おれのスタミナは、無尽蔵だからな!」
ああ、ますます台詞が残念な感じになっていく……。
と、俺が大男の残念っぷりにげんなりしはじめた、その時だった。
空を切る音が、連続して夜の闇に響いた。
「ぐぉ!?」
ぐらりっ、と大男がバランスを崩す。
「くっ……!」
あ。
見ると、大男の身体中に無数の細かな傷がついている。
しかし、一瞬怯んだ様子だった大男は、すぐに余裕の表情を取り戻した。
「……って、なんだよ、この蚊に刺された程度のみみっちぃ傷はよ!? かかかかっ! ああ、そうかそうか! てめぇの細腕とそのママゴトに使うみてぇな細剣じゃあ、おれのこの鋼鉄のごとき筋肉にはこの程度の傷しかつけられねぇってか!」
濁った笑い声を上げる大男。
一方、セシリーさんはというと、剣先に微かについた血を、ぴっ、と地面に振るい落した。
そして――再び構えを取る。
そうして剣を構える姿でさえ、彼女の場合はどこか気品を感じさせる。
気負った様子もまったくない。
が、
「与えられるダメージはこの程度……いくらてめぇが速かろうが、これじゃあおれを倒せんのはいつになるんだろうなぁ? 明日の朝か?」
余裕たっぷりに、大男がにやりと笑う。
「攻撃をよけながらチミチミ切りつけてよ……あ、そうか! てめぇ、衛兵が来るのを待ってやがんのか!? かかかかかっ! 小賢しい! 時間稼ぎとは小賢しいぜ、アークライト家のお嬢様よぉ! おれが予想外に強かったから、ここにきて、ご立派な家名に傷をつけてでも助かりたくなっちまったんだろ!?」
悔しいが、今の大男の言葉はなかなか痛い点を突いているともいえる。
まずあの大男、一見すると大雑把に戦っているように映るが、あれで、目などの急所になりかねない部分はしっかり守りながら戦っている。
多分、微細な裂傷がついても問題ない場所を、わざと切らせてるのだ。
となると、倒すのに時間がかかることになる。
俺はセシリーさんを見る。
目の前の大男を自身の力で屈服させることが彼女の目的だとするなら、逆に衛兵が到着してしまった場合、その目的の達成は困難となるだろう。
ならば、衛兵が来る前に決着をつけなくてはならないわけだが……。
一体どうするんだ?
もし、このまま長引けば……。
しかし俺の危惧は、数分後には吹き飛ぶこととなった。
*
数分後。
「がっ、あ――!」
大男の手から、ついにモールが滑り落ちる。
最初にセシリーさんが放った斬撃以降、大男の身体についた切り傷の数は、実はほとんど増えていない。
そう――『見た目の数』は、まさに数えるほどしか増えていないのである。
が、確実に大男の身体の傷は『深く』なっていた。
どういうことか?
おそらく、こういうことだろう。
この数分、セシリーさんは大男の攻撃をよけながら――『最初の斬撃でつけた切り傷を、なぞるように切りつけ続けた』のである。
小さな傷といえども、出血している傷口を刃物で寸分違わず切りつけられたら――しかもそれが何度も続けば、その痛みは想像するだに恐ろしい。
また、ある意味それよりも恐ろしいのは、セシリーさんの斬撃の精密さだ。
どのような動体視力と剣を操る正確さがあれば、あのような芸当ができるというのだろうか。
しかも、まるで舞でも踊っているかのような流麗な動き……戦っているというのに、まるで芸術的な舞踏でも見ているかのようだった。
…………。
どうでもいいんだけどさ……なんか俺、バトル漫画の解説役みたいじゃないか?
「…………」
いやぁ、でもなぜか『見えちゃう』んだよね、色んなものが。
だから、戦いの中でセシリーさんと大男との間に起こったことが、なんとなく推測できるというか……ん?
あれ?
ひょっとして異世界に来た俺に与えられた能力って『バトルの最中に起きていることを人よりも把握できる能力』とかだったりするのか?
……嫌だ。
嫌だよ、そんな脇役一直線な能力!
そのうち『は、速すぎて見えない……! 一体何が起こっているんだ……!?』とか『なんと、あの一瞬で五撃……いや、六撃か?』とか『あ、あれは……失われし奥義○○! まだあれの使い手が、この国に残っていたとは……!』とか、頼まれてもいないのに実況しちゃうようになっちゃうの!?
…………。
嫌すぎる!
さすがに、そんな異世界ライフはいやだぁぁああああああああ!
……なんてアホなことを考える俺をよそに、セシリーさんが、剣の先端を大男に突きつけた。
はい、シリアスな場面でしたね。
すみません。
「まだ、やりますか?」
「くっ……」
「これ以上続ける意味は、ないかと思いますが」
「てめぇ……お、おれが誰だか、わかって言ってんだろうな?」
「さあ、知りませんね」
「おれはな、第6院の出身者なんだぜ……へへ、言ってる意味は、わかるよな?」
すぅ、とセシリーさんの目が細められる。
「ええ、わかります」
「ここでてめぇが謝るってんなら、考えてやってもいい。だが続けるんなら、てめぇは……いや、アークライト家は、第6院の人間を敵に回すことになるんだぜ?」
…………。
うわー、引くわー。
ヤバいほどに圧倒的な、完全なる小物臭……。
あれじゃチンピラが『てめぇおれは○○組の人間だぞ? おれっちを敵に回すってことは、○○組を敵に回すってことなんだぜ!?』って強がってるのと同じじゃんか……。
ああ、ていうかあいつ、チンピラだったっけか……。
しかしさっきから頻繁に耳にする『第6院』って、なんなんだろう?
ミアさん――にはなんとなく聞きづらいから、今度、マキナさんにでも聞いてみよう。
「で、その名を出せば、あなたはわたしが怯えるとでも思ったのですか?」
「な、何ぃ……?」
平然と言葉を返すセシリーさんに、大男はあてが外れたという表情になる。
「終末郷……そして忌むべき第6院の出身者たち……どちらも将来わたしが聖樹騎士団に入団したあかつきには浄化するつもりですが――そんな人間に対し、あなたは先のような脅しが通用するとでも?」
おぉ、とギャラリーから驚嘆の声が漏れる。
「て、てめぇ、本気で言ってんのか!? あ、頭おかしいんじゃねぇのか!?」
「そもそも第6院の出身者が本当に『この程度』なら、明日にでもまとめて粛清できそうな気がしますがね」
「お、おい――」
セシリーさんの細剣が、月明かりを反射して煌めいた。
そして――
さらなる斬撃が、大男を襲った。
「ぎゃぁぁああああああああ!」
その刃先は、正確に、精密に、大男の身体についた切り傷を、えぐるようにして滑っていく。
「ひぁ! ぐっ! がぁ! い、痛っ! がっ! ま――ひぃっ、ま、待ってくれ!」
ついに大男が、音を上げた。
「も、もうやめてくれ! 頼む! この通りだ!」
大男は地面に尻餅をついたまま、もうどこを守ればいいのかわからないといった様子で、小さく縮こまってしまった。
「あ、アニキ……」
手下たちも皆、青ざめている。
玲瓏に、そして幽玄さを纏って、セシリーさんが大男を見下ろす。
「わたしは、続けてもかまいませんが? どうします?」
「お、おれが悪かった! あんたは本物だ! おれの負けだ! あんたは家名だけの人じゃない! これでいいんだろ!? な!?」
と、おもむろに大男が立ち上がった。
そして踵を返すと、その場にモールを置いたまま、一気に走り出した。
「う――うぉぁぁああああああああ! いてぇよぉぉおおおお! あぁぁああああああああ! ち――ちくしょう! ちくしょうちくしょう! ちくしょう! ふざけやがって――い、いてぇ! う、うわぁぁああああああああ!」
悔しさを隠そうともせず、大男は痛みに悲鳴を上げながら、夜闇の中へと消えて行った。
「あ、アニキ! 待ってくださいよ!」
手下たちも、追撃が来やしないかとセシリーさんを怯えた顔でチラチラ確認しつつ、ある程度の距離まで離れるとそのまま一気に走り出し、闇に溶けていった。
一方、セシリーさんは彼らを呼び止める気配など微塵も見せず、むしろ、どこか空しそうな表情を浮かべて、大男とその手下が消えていくのを、ただ静かに眺めていた。
大男と手下たちがすっかり見えなくなったところで、セシリーさんは剣を鞘に収めた。
そして――
彼女は、俺を見た。
こればっかりは、自意識過剰の勘違いではないと断言できる。
ちなみに自意識過剰の勘違いというのは、例えばアイドルのライブなどでファンが『きゃーっ、今○○様、絶対に私のこと見たんですけどーっ』とあたかも憧れの人の意識が自分に向いたかのように錯覚してしまうケースのことである(まあ、本当に向いてる場合もあるんだろうけど)。
だが、これは間違いない。
明らかに彼女の宝石めいた瞳は俺を捉えていた。
ああ、なんだろう。
ただ目が合っただけなのに、この胸のときめき……。
と、セシリーさんが、天使と見紛うほどの微笑を浮かべた。
「…………」
正直に白状します。
心臓が高鳴りすぎて、マジに心臓発作か何かで死ぬんじゃないかと思いました。