11.「彼女の決意」
「俺に、稽古を……?」
「も、もちろんクロヒコにその余裕があったらの話だよ?」
戸惑いはあった。
今まで人から稽古をつけてもらった経験はあれど、人に稽古をつけたことなどなかったからだ。
俺が人に稽古をつけるなんて、正直考えたこともなかった。
「でも、どうして俺に?」
「ええっと、セシリーは聖武祭までキュリエに稽古をつけてもらうんだよね?」
「ええ、そうみたいです」
「あはは……白状するとね? 実はアタシ、最初はキュリエに稽古をつけてもらえたらって思ってたんだよね」
つまりアイラさんはもっと以前から無学年級に出るつもりだったわけだ。
「その……セシリーにはクロヒコとキュリエが二人で稽古をつけるんだと思ってたの。ただ最近の様子を見てると、クロヒコは誰にも稽古をつけてないみたいだったから……頼むだけ頼んでみようかな、と」
アイラさんが俯く。
「今まで一人で訓練をしてたんだけど、最近少し限界を感じてきててさ……あはは、夜中まで頑張ったりしてるんだけど、この前レイに根を詰め過ぎだって窘められちゃって。実際疲れが残って、朝なかなか起きられなかったり……」
となると今朝ギリギリで教室に飛び込んできたのも、疲労による朝寝坊だったのだろうか。
「そこで誰か稽古をつけてくれる人を探していた、と」
「うん、それで……どう、かな?」
おずおずと上目遣いで応答を待つアイラさん。
「けど俺、人に稽古をつけた経験なんかなくて」
「お兄ちゃんに相談したら、自分より強い人と戦うだけでも経験値は大きく跳ね上がるものだって言われたの。だけどアタシが話しかけやすい、聖武祭出場者じゃない強い人っていうと……クロヒコかキュリエくらいしか、思い浮かばなくて」
レイ先輩なら頼りになりそうだけど、あの人も出場者だしな。
しかも、レイ先輩はアイラ・ホルンとクーデルカ・フェラリスに肩入れしている。
二人が同じ無学年級に出るとなるとどちらか一方に肩入れするのは難しい、か。
「アイラさんのお兄さんって、確か聖樹八剣なんですよね?」
「うん。ちょっとぶっきらぼうなところはあるけど、アタシにとっては強くて優しいお兄ちゃんなんだ」
八剣に入る実力を持つ人なら稽古役として適役だろうけど……忙しさに追われる今の聖樹騎士団を考えると、やはり難しいか。
しかし、強い相手と戦う経験が糧になるという言葉はその通りだと思う。
俺自身――禁呪の宿主としての特殊な性質による部分も大きいけど――強い相手と戦えば戦うほど成長を感じられた。
今だって、キュリエさんやソギュート団長と剣を交えているだけで成長の手ごたえを感じられる。
まああの二人の場合、稽古のつけ方が上手いのも込みだろうが。
それにクーデルカ会長をけしかけたレイ先輩も、聖武祭前に俺と戦わせておきたかったと言っていた。
俺としてもここ数日の模擬試合でクーデルカ会長の《極空》やドリストス会長の《ペェルカンタル》に触れたのは良い経験となった。
だから剣を交えるだけで得るものがあるのは事実だと思う。
「俺としてはその役、引き受けてもかまいませんよ」
「え? い、いいの?」
「だって――」
こればかりは、仕方あるまい。
「他ならぬアイラさんの頼みとなれば、これは断れませんよ」
「自分で頼んでおいてなんだけど、ほ、ほんとにいいの?」
「断っておきますが、俺は無条件で誰の頼みでも受け入れるわけじゃないです。だけど逆に言えば、人によっては無条件で引き受ける場合もある。そういうことです。その……役に立てるかどうかは、わかりませんが」
「あ――」
アイラさんが両手で俺の手をとった。
「ありがとう、クロヒコ!」
「はは……こんなに喜んでもらえると、なんか俺も嬉しいですね。あの、一つ……これは個人的な興味で聞いてみたいんですけど」
「うん」
「なぜ学年別の部門ではなく、あえて無学年級に?」
聖武祭の無学年級には、圧倒的な実力者が参加者として名を連ねている。
クーデルカ・フェラリス。
ドリストス・キールシーニャ。
そして、セシリー・アークライト。
ここに、腕に覚えのある上級生たちも加わるわけだ。
「アークライト家の者が出るからホルン家の者として倒すために、じゃないですよね?」
今さら家がどうこうという理由で、アイラさんが無学年級に出るとは思えない。
アイラさんが手を離す。
微笑みはあるが、真剣な空気。
「強く、なるために」
――大切な人たちを守れるくらい、強い聖樹士になる……っ!
かつて、彼女が口にした言葉。
その言葉は俺の中に強く刻まれている。
大切な人たちを守るために強くなりたい。
それは、俺にとってすごく共感できる気持ちだ。
「だから、強い人たちに挑戦してみたい」
「知っての通り、無学年級は強敵揃いですよ」
「うん、わかってる。でも、だからこそ――勝てるかどうかはわからないけどなんて、今は言わない。聖武祭が終わるまでは、勝ちにいくつもりで頑張りたい」
勝てるかどうかわからないけどなんて今は言わない、か。
……強いな。
その言葉は、本当に意思の強い人の口からしか出てこないと思う。
少しアイラさんは変わったかもしれない。
もうこの人は、強くなっているんだと思う。
気持ちの面では、きっと俺なんかよりも。
「ホルン家がどうこうじゃない。ホルン家じゃなくて、アイラ・ホルンとして挑戦したいんだ。上級生たちに、クーデルカ会長に、ドリストス会長に……セシリー・アークライトに」
つい、口元が綻んでしまった。
「無学年級に出る理由、聞いて良かったです」
自分の分――《双龍》の練習は、アイラさんの稽古が終わった後でもできる。
「わかりました。じゃあ聖武祭まで俺と一緒に、頑張ってみましょう……自分にできるかどうかわからないなんて、今は俺も言いません。俺がアイラさんのためにできること、全力で探してみます」
「ふふっ」
「あれ? どうしました?」
「ううん……やっぱりクロヒコだなぁ、って」
「?」
疑問符を浮かべる俺をよそにアイラさんは姿勢を正し、一礼。
「ではしばらくお願いします、サガラ教官っ」
顔を上げたアイラさんが、気恥ずかしそうにはにかむ。
「……教官は、ちょっとばかり堅いかな?」
「ええ、堅いですね」
「……あはは、だよね?」
「なので、いつも通りクロヒコでお願いします」
びしっ、と敬礼するアイラさん。
「はいっ!」
それは、稽古の疲れが吹き飛ぶような、とても幸福そうな笑顔だった。
「というわけでアイラさんの稽古をすることになったの、ですが……」
翌朝、キュリエさんとセシリーさんに、聖武祭へ向けて俺がアイラさんの稽古役になることを伝えた。
俺が話している間、二人は眉根に皺を寄せ、実に微妙な表情をしていた。
話を進めながら不安になっていった俺は最後の方、声が小さくなってしまった。
お、怒ってる……のか?
「そうか。アイラの稽古役、か」
話を聞き終えると、キュリエさんが言った。
「な、何かまずかったですかね……?」
俺がキュリエさんに質問を向けると、セシリーさんが言った。
「やれやれ、これは困った話ですね……」
セシリーさんは、しおれた感じの困り顔になっている。
こ、困った話?
「困った話って、どういうことです?」
「ん? ああ、おそらくセシリーも同じ気持ちだろうが、私個人としてはおまえが他の生徒の稽古相手になるのは……心情的に、少しな。ただ――」
キュリエさんが息を吐く。
「その頼んできた相手がアイラなら、仕方ないな」
「うん?」
意味がよくわからない。
「もぅ、いつも通りの鈍さですね。めっ、ですよ?」
ちょん、とセシリーさんから指先で額をつつかれる。
「はい?」
「クロヒコが誰かの稽古相手になること自体を制限する権利は、当然わたしたちにはありません。それはクロヒコの自由ですからね。ですが……わたしたちとしては、クロヒコが他の女子生徒の稽古相手になるというのが少々、切ないわけです。聖武祭参加者としてではなく、一人の女として」
これは――
「ま、まさかの嫉妬、というものなのでしょうか……?」
「はい、正解です。さすがのあなたでも、今のは気づきましたか。よかった。さて、というわけで……一応ここは、わたしたちに何か言っておくべきことがあるのでは?」
「いやぁ、嬉しいなぁ」
ずるっ、とセシリーさんがずっこけかけた。
クラスメイトの視線が一気に集まる。
「ずっこけても可愛いな、セシリー様は……」「最近、愛嬌も獲得しつつあるよな」「あたしがずっこけても、周りはあんな反応にならない……」
何をやっても肯定されるってすごい。
セシリーさんが、肩をプルプル震わせていた。
「そ、そういうことではなくてですね……? いやある意味、大正解ではあるんでしょうけど……ですが、もうちょっと、こう……」
「?」
首を傾げる。
……俺は素直な感想を述べただけなのだが。
「もういいです。無駄に話の腰を折って、すみませんでした……」
セシリーさんがシクシクと引きさがる。
おほんっ、と咳払いで切り替えを測るキュリエさん。
「とまあ、各個人としては少々思うところもあるわけだが……しかしアイラの稽古相手ということなら、私たちとしても特に文句はないという話だな」
まだ来ていないアイラさんの席を眺めながらキュリエさんが目元を和らげる。
「私もアイラのことは好きだしな。お人好しがすぎる点はあるが、それはアイラの長所でもある。なんというかな……ああいう人間がいるだけで、私は救われたような気になるんだ」
「家同士の関係もあって適切な接し方のわからない時期もありましたが、あの巨人討伐作戦で打ち解けて以来、わたしもアイラのことは好ましく感じています。だから……変な話ですが、応援したいと思っています。もちろん――」
セシリーさんが微笑む。
「聖武祭では、手は抜きませんが」
それは《作っていない微笑》。
「もちろんです。アイラさんも、それを望んでいると思います」
「そうだな。好ましく感じているのは事実だが、勝負は別だ。これから私たちは、対戦者同士になる。だから――」
不敵に微笑みながら、フン、と鼻を鳴らすキュリエさん。
「悪いが、こちらとしては負けるつもりはない。当然、あの二人の会長にも」
「こっちこそ、勝つ気でいきますから」
「フン……楽しみにしているぞ、クロヒコ」
「はい。俺もです」
こうして清々しく勝負ができるのは、嬉しい。
セシリーさんが苦笑する。
「しかし主役の一人である肝心のアイラがここにいないと、どうもしっくりきませんね」
今日もまだアイラさんは姿を見せていない。
昨日も、訓練を夜遅くまで一人でやっていたのだろうか。
そして、そろそろ登時報告が始まろうかという時、
「よ、よし! はぁ……なんとか間に合っ――って、わわっ! イザベラ教官! お、おはようございますっ!」
扉の向こうから聞こえてきたのは、アイラさんの声だった。




